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1.Stairway To Heaven

 奴らが人類に接触してきたのは四年前の夏の事だ。

 七月十九日だったと、メアリの日記には書いてある。


 その日は蒸し暑い土曜日で、俺たちは自宅にホーマーとピーターを招いて週末を過ごしていた。二人は俺とメアリの共通の友人で、学生時代から続く仲だった。

 ホーマーは所謂筋肉質のスポーツマン(ジョック)

 親分肌で面倒見が良く豪放磊落(ごうほうらいらく)な男だ。ちょっぴりデリカシーと知恵を欠くが、誰もが笑って足りない部分を補ってやりたくなる。そんな、さっぱりとした気質の持ち主だった。

 ピーターはホーマーとは真逆に物知りな変人(ギーク)めいた性格だったが、二人の非常に仲が良かった。聞けば生まれた時から隣同士の幼馴染って話だ。小柄な彼の指示で電光石火にホーマーが動く様は、巨大ロボットとその操縦者を彷彿(ほうふつ)させて、内輪じゃあ有名な見物(みもの)だった。

 だが残念ながらホーマーの嫁さんは旦那の付き合いに口出ししたがるうるさ型の女王蜂(クィーンビー)で、彼らの友情を快く思わなかった。「もっとランクが上の、為になる相手とのコミュニケーションに時間を割くべきだ」ってわけだ。可哀想に結婚後のホーマーは、嫁さんのお眼鏡に(かな)った相手しか家に招けなくなっちまってた。

 明け透けに値踏みをされれば、ピーターのみならず俺たちも気分はよくない。

 それでもホーマーとの間には友情があったし、そのホーマーが本気で惚れていると知っていたから、俺たちは女王蜂に何の文句もつけなかった。いちいち角を突き合わせるよりも、無干渉を選んだ方がいい結果になると知ってたってのものある。

 加えて嫁さんも、旦那をとことん怒らせるタイプの馬鹿じゃあなかった。外での付き合いを黙認するくらいの器量はあった。


 ピーターはまだ独身で両親と実家住まいをしていたから、消去法の結果として俺とメアリの家が、俺たち四人の集会所になっていたんだ。 

「新婚なのに悪いね」とピーターは来訪の度に大量の手土産を持参してきて、呑気に身一つで乗り付けるホーマーと彼の気遣いを見比べて、俺とメアリは笑いあったものだった。

 まったく実に上手く噛み合った二人で、もしピーターが女だったなら、最高の家庭を築いていたに違いない。本当にそうならよかったと、今でも俺は思ってしまう。


 とまれだからその時も、俺たちは寄り集まって、つけっぱなしのテレビをBGMに馬鹿話に興じていた。

 キンキンに冷えたビール。聞こし召して声の大きくなったホーマー。右往左往する彼の話に適切な相槌を入れて舵を取るピーター。そして台所から届くメアリの鼻歌と食欲をくすぐる料理の匂い。

 それはまったくいつも通りの光景で、だから突然コメディドラマが報道特番に切り替わった時も、最初は何かの冗談としか思わなかった。

 なんせ開口一番伝えられたニュースが、「各国政府に地球外知的生命体からのコンタクトがありました」だったんだぜ? 誰が真面目に受け取るかってんだ。ラジオで朗読された『宇宙戦争』でパニックが起きた純朴な時代とは違う。素直に信じて仰天した奴なんて、世界に数人もいなかったはずだ。


 だが実にくそったれな事に、そいつは冗談なんかじゃあなかった。

 後で知った事だが、この放送は全世界の全チャンネルをジャックし、あらゆる言語への同時通訳を添えて行われた代物だった。

 各国のトップが入れ替り立ち替り画面に現れ、俺たちには英語に聞こえる言葉で、繰り返し接触者の強大さと抵抗の無意味さを説いた。おそらく奴らの科学力とそれに比例した軍事力を、もう見せつけられていたんだろう。蒼白な彼らの顔と額に浮かぶ汗が、絶望の表情と苦渋に満ちて震える声が、これが出来の悪いジョークじゃあないんだと、(いや)が応にもわからせた。

 そうしてこの無条件降伏声明の最後に告げられたのが、奴らの要求だった。


「人類は地球上から退去せよ」


 端的に言うならば、それはこうだ。 

 どこか彼方からやって来た奴らは、地球という星に価値を見出した。そして人類には見出さなかった。そういう事だった。


「奴らからしたら僕たちは、飴玉に(たか)る蟻なんだろうね」


 後日ピーターが吐き捨てた言葉だが、まったく本質だろうと思う。

 殺虫剤を噴霧する前のちょっとした慈悲として、「今のうちに逃げれば死なずに済むぜ」と優しく声をかけてやる。そういう類の、くそったれな偽善だ。

 勿論それで蟻がどこかへ逃げ去るだなんて、これっぽっちも信じちゃいない。



 当然ながら、楽しい気分なんてものはどこかに吹き飛んじまった。

 事態の咀嚼(そしゃく)を終えるなり、ホーマーは風呂場に駆け込んだ。服を着たまま冷たいシャワーを頭から浴びて酔いを覚ますと、車に飛び乗って家路を急いだ。ピーターも同じくで、俺とメアリは二人を見送ると鎧戸を降ろし、銃と弾丸を確かめた。

 それからしばらくは、どこもかしこも大混乱だった。

 異星人の来訪。そして侵略と戦争。

 使い古されて陳腐化したストーリーを、世界中の人間が思い浮かべたんだろう。誰も彼もが得体の知れない、しかし必ずやって来るはずの大きなうねりに備えようとした。

 それは俺たちだって例外じゃない。

 武装と非常食に加えて発電機にガソリン、浄水器とメタルマッチ、携帯トイレに太陽光充電のLEDランタン等々。忽ちに高騰(こうとう)し品薄になったそれらの用品を、必死の思いで買い集めた。

 あの放送で、政府は頼れないと理解していた。なら、自分で自分の身を、家族の安全を守るのは当然だ。

 どんな事が起きようときっと生き延びられるように。そして奴らにすぐさま噛み付き返せるように。

 入念に準備を整えた。


 だが──何も起こらなかった。

 まるで肩透かしのように、翌日以降も奴らは何の動きも見せなかった。

 太陽はこれまでと変わりなく昇って沈み、地球が数回転を終えた辺りで恐る恐るながら、人間社会は息を吹き返し始めた。

 更にそのまま半年が過ぎ、ファーストコンタクトの衝撃が夢幻(ゆめまぼろし)のように感じられ出した頃。

 それ(・・)は、突然現れた。




 *




 世界各国に湧いて出たその建築物の背丈は、およそビルの四、五階ってとこだった。

 出現数は土地の人口に比例していたとかで、コンビニエンスストアも()くやってな有り様だった。ちょっと顔を上げれば必ず、そのくそったれな姿が目に飛び込んでくる。

 人類には馴染みのない直線と曲線で組み上がったフォルムは、どうしてか神聖で宗教的な印象を俺たちの心に(いだ)かせた。

 俺は教会のようだと思ったし、メアリもそうだと言っていた。

 世界にどれだけの宗教があるかは知らないが、おそらく俺たちは、各々の信仰に合わせた神の家を見たんだろう。

 この中には何か素晴らしいものが一杯に収まっている。

 文字の読めない子供にだって、言葉のわからない赤ん坊にだって、そう思わせる何かがあった。

 事実我慢の利かない者たちが扉や窓どころか壁までもを打ち壊して、内部への侵入を果たそうとした。同様の試みが世界中で起こり、しかし全てが徒労に終わったと聞いている。


 感覚に端を発した一連の事態は、ひどく(しゃく)な代物だった。奴らの手のひらに、完全に転がされる心地がした。

 だが一層に忌々しいのは、まるで記憶がない事だ。

 教会が建つ以前のその場所、その地点に何があったのかを、誰一人として思い出せない。

 脳以外の記録媒体を頼っても無駄だった。どの地図にもどの写真にも、当たり前のように教会の存在が刻み込まれていた。

 この街が生まれた時から共に風雨を耐えてきた顔で、調べたこっちの頭がおかしくなりそうだった。


 そして教会が現れたその夜、再び世界中の放送がジャックされた。

 画面に現れたのは見知った政治家の顔ではなく、若い夫婦と彼らの子供と思われる兄妹だった。


「これはね、天国への階段なんです! 僕らを幸福に導いてくれる装置なんです!」


 教会を背にした夫が満面の笑みではきはきと言い、妻も我が意を得たりと同じ笑顔で頷いた。

 まだ(とお)に満たないような子供ふたりは待ちきれない様子で両親の服裾を引き、早く入ろうと訴えている。


「使い方は簡単。扉を開けて中に入る。それだけです」


 夫は視聴者に背を向けて、教会の扉を押し開ける。

 中には待合室のような複数の長椅子と、やはり奇妙なまでに強く荘厳で神聖な祭壇のようなものが置かれていた。そして内部の六方に、外との出入りではない小さな扉が設けられていた。

 彼らはその扉のひとつへと進んでノブを回し、


「おっと、この先は公開できません。どうぞご自身でお確かめください。では僕らは、ハハ、一足お先!」


 茶目っ気たっぷりにウィンクをしてから、薄く開けた隙間に体を滑り込ませた。兄、妹、妻、夫の順だった。

 中に何があったのか。中で何があったのか。詳しい事はわからない。

 だが内から扉が閉じられた途端、わあっと四人分の歓声が上がった。そして不安も何もない、心の底からの笑い声。

 楽しげなそれに、讃美歌とも読経ともつかない、複数の言語が入り混じる歌唱が重なった。

 ごうん、ごうん、ごうん、と。

 紛れて、低く重く、けれど確かな機械の振動。

 やがて全ての音が静まり──シュボッ。

 炭酸飲料の栓を抜いた時のような、圧縮され、濃縮された何かが抜ける音。

 次いでリンゴン、リンゴンと宗教的な救いに満ちた鐘の()が鳴り響き、一家が姿を見せる事は二度となかった。




 *




 俺たちはその放送を四人で見ていた。


「くそ。馬鹿にしやがって。くそ!」


 語気荒く唾を飛ばしたのはホーマーだったが、全員が同じ理解をしていた。

 あれは装置だ。

 俺たち人類を始末する為の。見えないところで気づかぬうちに死んでもらう為の駆除装置だ。


(やっこ)さんたち、凄い技術を持ってる」


 ピーターが呟いた。

 火に油を注ぐような内容にぎろりとホーマーの視線が飛んだが、彼はなんでもなく眼鏡を直して、


「でも、度胸は持ち合わせてないらしい。あれだけの技術がありながら、僕たちと真正面から喧嘩をする勇気の持ち合わせはないらしい」

「……なるほど、そいつは腰抜けだ。とんだタマなし野郎だ。よっぽどぶちのめされるのが怖いんだな」


 相棒の意図を察したホーマーが、隆起させた力こぶを叩いて見せる。

 場の空気が弛緩して、メアリが小さな笑みを零した。


「もしかしたら奴らは、僕たちの首を真綿で絞めているつもりなのかもしれない。大規模な反攻が起きないように、少しずつ追い詰めているつもりなのかもしれない。周りの水をゆっくり加熱された蛙が、水温の上昇に気づかず茹で上がってしまうみたいにね」


 ピーターは立ち上がり、俺を、ホーマーを、メアリを順に見た。


「だけどあれはたとえ話だ。実際にそんな事はありはしない。蛙だって馬鹿じゃないからね。水温が上がれば跳ね出して、とっととそこからおさらばをする。僕たちは火に飛び込む虫じゃない。天国だの幸福だの、そんな言葉に誑かされるほど馬鹿じゃない。違うかい?」

「ええ、そうね。本当にそう。でも」


 頷きながらも隣のメアリは、不安げに瞳を揺らしていた。  


「でも、少しだけ不安だわ。私、縋ってしまうところがあるから。自分の見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じて、楽な方へ流れてしまうところがあるから……」


 彼女の小さなおつむは回転が良すぎて、時折プロペラのように足を宙に浮かせてしまう。

 だから俺はその肩をかき抱いて、メアリを地面に引き戻した。


「なら君は俺を信じればいい。俺は君を愛してるから、どうしたって悪くは扱わない。どころか絶対幸せにしてみせる。どうだい、完璧な理屈だろう?」


 体を揺すりながら囁くと、彼女は「そうね」と頷いて俺に頭を預けた。

 ホーマーが肩を竦めて口笛を吹き、ピーターはやれやれとばかりに額を抑えて首を振る。

 

 彼女のぬくもり。仲間たちの笑顔。キンキンに冷えたビール。わざわざ奴らを頼るまでもない。天国ならここにある。

 俺はこの幸福を、生涯守ろうと心に誓った。

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