第二十四話 氷河の迷宮 第二層③
二人の悲痛な叫びを聞いて呆れなのか同意なのかわからないがムツミがため息を吐いて声を投げる。
「ナナフサー、わたしもあんまり首が飛んだりとか見たくないから狙っちゃダメだからねー」
「ウォン!」
「ち、ちくしょう男の指示は無視するくせに女子の時だけ尻尾振りやがって飼い主にでも似てきたかこのっ! あの時罠から助けてやった恩を忘れちゃったのかよー!」
……ここでその話するの? と言いたげに困惑した表情をナナフサは一瞬だけ向けた。
しかし、その直後にサキュバスが兵真へと迫り始めていると気付き即座に振り返る。
「えーい、いつまでもお話してたらこっちから襲い掛かっちゃうぞぉっ」
「くっしまった今もなお俺はおしゃべりに夢中でサキュバスが俺に狙いを定めている事に全く気付けていない!」
「全部気付けてない?」
サキュバスが接近してくる間、兵真はその場を動かず目を閉じ期待の混じったニヤケ顔で待った。
「…………?」
十数秒ほどそのまま硬直していた兵真だったが、特に何も体に接触しない事に疑問を抱き目を開けると、なぜかサキュバスは足をおっ広げた体勢で床に座っていた。
「いったぁーい……」
どうやら、転んだらしい。
「え、な、なんでこんな何も躓くようなものが無い場所で転倒したんだ……?」
「ヘイム、俺も見ていたんだがわかんねぇ。もしかして目には見えない罠の起動スイッチでも踏んづけちまったのか……?」
「えへへ……私、戦うのってよくわかんなくってぇ。勢い任せに走ったら転んじゃった」
あ、ベッドの上での戦いなら話は別よ? と付け加えてサキュバスはコツンと自分の頭を叩いておどけてみせる。
「戦いがよく分からないって……あんたって上の階に居たブルータイラントみたいに強かったりするんじゃないの?」
サキュバスの言葉に驚愕しムツミが詰め寄って来た。
戦闘になるとわかってなお臆する様子も見せなかったし、兵真もそっちの方でも強いのではと思い込んでいたのだが、この口ぶりからすると違うのだろうか。
だがしかし迷宮と言えば兵真のイメージでは下の階層に進むに連れて敵も強くなっていくものなので弱いはずがないのだが。
「もう、こんな華奢なコがあんなおっきいのより強いわけないでしょぉ、考えたらすぐわかるじゃないのよぉ」
「あーそりゃ言われりゃそうだよな、魔物って言ったって女の子だしなあ」
リンフレッドの頷きで兵真も合点がいった。そりゃそうだと。
特別な力のおかげで自分達は他の人間よりも簡単に強くなれるというので忘れかけていたが基本的にこんな小さな体で規格外のパワーなど出せるはずがないのだ。
「え……? じゃ、じゃああんた、魔法とかは? 使えるんでしょ?」
「ぜんぜん?」
「嘘でしょ……? だったら一体どうやってこんな所で生きていけてるのよ」
「だからぁ、男の人の精を吸い取ってるんだってば」
「いや来ないでしょこんなとこに!」
「たまーに来るよぉ? 最近はあんまりだけどぉ」
納得がいかないのか困ったような顔でやたらとサキュバスを質問攻めにするムツミをいい塩梅のところで兵真は止めに入った。
「まぁまぁその辺で。 ところでムツミ、どうする? 力のある危険な魔物じゃないってわかっちゃうと、俺もあんまり斬ったりとかしたくないんだけど……」
「……」
ムツミは嫌だと言ってはいたが、流石に何の戦闘能力も持たないとあっては兵真も倒したりはしたくないなぁ、と思っていた。
て言うかただのちょっとエッチなコスプレお姉さんとして見え始めているので兵真的にはムツミに意見を変えて欲しくなったので問うてみた。
「…………うん。ヘイムがそういうなら、やっぱり私もそれでいいかな。魔物って言うより変なカッコした性欲の強いだけの女って感じに思えてきたし」
「んーまあ俺もムツミと同じように思ってたんだけど言葉が強すぎて素直に同意しにくい」
ともかく、ムツミの意思を確認できたので兵真は戦闘の中止を宣言する。
「そういう訳でこの魔物は無害と判明したので戦いは終わりな! そんでまだ余力もあるしもう少し先に進んでみよおおっ!?」
サキュバスに背を向け、仲間達と話していた兵真に突如サキュバスが背中から抱きしめにかかった。
「えーいっ、隙ありぃ。怪我とかさせたりしないしぃ、久しぶりの男の子なんだからちょっと私にご飯をちょーぉだいっ」
「ちょっ、マジっすかぁ!? ま、参ったなぁ危害加える気はなさそうだし振り解いたりするのもよくないしなぁ」
顔を紅潮させつつ困惑した兵真だったが、抵抗する素振りは一切見せない。
兵真だって空腹の辛さは知っている。つい使いすぎてお金がなくなり碌な食べ物を手に入れられず何日もひもじい思いをした事だってある。
そんな辛さを知っている兵真だからこそこのサキュバスが自身の股間をまさぐる手の動きを止めるべきではないのではと考えているのだ。
そう、決していやらしい気持ちに身を任せているわけではないのだ。これは人助けなのだ。
まあ、全部建前だが。
「あれぇ、抵抗しないの? いいのかなぁ」
「え、えーどうしよっかなー……」
「くっそーいいなぁーヘイム! 後で感想言えよ!!」
「それじゃあ、いただきまぁ……」
サキュバスが兵真のズボンを下ろそうと手をかけた時、サキュバスの羽に光の槍が突き刺さった。
一瞬その光景を見た全員は硬直し、飛んできた方を見ると、そこには次弾となる光の槍を準備したムツミがいた。
「離れて」
「あ、あぁやっぱりあなた、このコの彼女さんだったのねぇ? ならもっと早く言ってくれれば」
「そういうのじゃないんで」
「え、えぇ? だったら、別に」
「いいから」
「は、はい……」
サキュバスは少し物惜しげにしたがすぐに飛び退き、兵真から離れる。それを確認するとムツミも光の槍を消した。
「お、おいおいムツミ……可哀想じゃないかこのサキュバスさんはお腹減ってるって言ってるし、俺も空腹の辛さを知ってるからもうそういうつもりで準備してたのに……いやどこのとまでは言わないけど」
「ごめん。でもなんかヘイムにべったりくっ付かれた時、なんか嫌な気分になったから」
兵真の不満を聞いてムツミは申し訳無さそうに頭を下げた。
俺の興奮を返してくれと思っていた兵真だったが、その言い分を聞いてすぐになら仕方ないなと諦めた。
そう、これはよくある「芽生え始めた恋」という奴だ。兵真はすぐそれに気付いたからだ。
「違うからね?」
「まあムツミがそう言うなら俺ももうこれ以上は……って俺まだなんも言ってないのになんか否定された!?」
心中にツッコミを入れられて驚愕する兵真の一方、ムツミに追い払われたサキュバスはリンフレッドの方を見つめていた。
「ま、まあヘイムはあの調子じゃあサキュバスにご飯を提供したりできなさそうだしこのまま腹空かさせたまま帰るのも可哀想だしここはもう俺が文字通り一肌脱ぐしかねぇよなぁしょうがねぇなぁ」
「ダメよ」
「ええっ!? じゃ、じゃあまさかレイニーさんも俺の事、す、好きになってたり」
「そうじゃないけど、ダメよ」
「ええええ!?? ち、違うなら別に、いいじゃないっすか……」
「リンくん、同じ事、三回言わせるつもり?」
「す、すいません……わかりました……」
スゴみを感じさせる笑顔でレイニーに言われ、リンフレッドは何か恐ろしいものを感じ取り、引き下がらざるを得なくなった。
その光景を見ていたサキュバスも食事にありつけそうにない事を悟り、静かにその場から去ってゆくのだった。
結局、兵真もリンフレッドもサキュバスと体を重ねる事はできなかったが、三名の心は重なった事だろう。
それぞれの胸にひどく大きな落胆を残し、兵真達は先へ進むのであった。




