大恋愛なんて、必要ないわ
高校三年生、進路とか色々考えることがあるだろうけれど、私も彼も結構のんびりしている。
夏が終わり秋になり、上着を一枚羽織って出掛けないと、と思うくらいの季節。
学生の休日はもっとパワーに満ち溢れている気がするが、私達はそんなこともなく、ダラダラと家の中で過ごす。
本日は学校もない、実に平和な休日の日曜日。
学校にある寮で生活している彼と、学校の近くに部屋を借りて生活している私。
今日は当然私の家にいて、近所のレンタルビデオ屋で借りたDVDを見ている。
特に何もないこの時間が一番平和だし、一番幸せを感じるから好きだ。
「そういや、進路の紙出した?」
「今更な気もするけどね。出したよ」
安っぽい白いソファーに身を沈めた彼に問い掛けられて、私はソファーを背もたれにしてカーペットの上に座り込んだまま、答えた。
手元には、白いソファーとは反対色で買った黒いふかふかのクッション。
高校三年生にもなって、進路希望調査なんて今更な気もするが、先生達は一体何を考えているんだろうか。
ほぼ進路の確定している私達には、あまり関係のない話なのだが、そればかりは疑問だ。
「なんて書いたの?」
「えー?」
会話をしているが、お互いに向けている視線は相手ではなく、テレビの画面。
借りてきたDVDが流れるその画面を見つめる。
テレビの中では、スレ違いによって口論を交わす主人公とヒロイン。
因みに付き合っているらしい。
「そっちはなんて書いたの」
目の前のテーブルに置いてあるマグカップに手を伸ばす。
色違いで彼と買ったマグカップは、私の一人暮らしをしている部屋に置かれていて、彼が来た時の彼専用のものとなっている。
過去に寮で使わないのか聞いたところ、何かあって壊されたら困るとのこと。
意外と寮も寮で大変らしい。
水色のマグカップの持ち手を掴み、すっかり冷めてしまった残り少ないカフェオレを、喉に胃に流し込む。
彼のマグカップは、ピンク色。
普通なら逆だけれど、そうしないのは何故か。
あまり考えたことはないけれど、その方が面白いといったところだ。
「何だと思う?」
「知らん」
「うっそだぁ」
ケタケタと笑う彼。
そんな彼の声で、主人公の台詞がかき消されたが、そんなに感情移入をしているわけでもないので、特に文句を言うつもりもない。
きっとそれは彼も一緒だろう。
話半分で見ているくせに、私はテレビから視線を離さずに「プロ入りでしょう」とちゃんと答えた。
すると彼の笑い声は消えて、変わりに沈黙を埋めるように、ピンク色のマグカップへ手を伸ばす。
視界の隅に映る焼けた逞しい腕は、ひたすらに努力をしていた証だろう。
初めて会った時は、もう少し細くて頼りなかったのになぁ、と思い出す。
経った数年で身長は異常に伸びるし、筋肉は付くし、男女の差って凄い。
「流石」
「でしょう?だから、今日のデザートはケーキね」
こうしたテンポのいい会話は、友達の間でもなかなか出来なかった。
お互いにお互いのことで忙しくて、会えないことの方が多かったのに、どうしてこんなにも心地いいのか。
どうしてこんなにも、リズム良くあれるのか。
ケーキはイチゴのな、と彼が言えば、当たり前、と私。
ちゃんと覚えてくれている好物に、少しだけ口角が上がっていく。
視線の先では、ヒロインが綺麗な涙を流して別れ話をしていた。
そんな話、したことないなぁ。
「で?」
「んー?」
「なんて書いたの」
まだ続いていたらしい。
私的にはさっきので終わっていたのだけれど、彼はそうじゃなかったようだ。
テレビから、カラになったマグカップに視線を移す。
彼もきっと冷めたコーヒーを飲み干したのだろう。
そうして私と同じように、空っぽになったマグカップを持て余しているはずだ。
抱き締めていたクッションが、形を崩していて少しだけ腕の力を緩める。
決まったんだよねぇ、とおちゃらけた口調で。
確か話していなかったはずだから、それ相応の空気を作るべきだろうが、私達の間にそんなものは必要ないだろう。
とろとろと溶けるような休日の午後、もっと焦って日々を過ごせと言われそうな高校三年生秋。
「担当付きの作家」
クッションを横に置いて立ち上がる。
片手には水色のマグカップ。
彼は、ソファーに身を沈めたまま、テレビからゆっくりと私に視線を向けた。
手を出せば、ピンク色のマグカップが差し出されて、私はマグカップを二つ持って、台所へと引っ込む。
一人暮らしではキッチンよりも、台所と表現する方がいいと思う。
勝手な話。
ほぼ確定している私達の進路。
今から飛び出した未来は、正直なところよく分からない。
何が幸せとか、何がいいとか、どうすればいいとか、そういうのはよく分からないし、分かっていてもそうすることが完全なる正解なのか分からない。
鈍色のやかんでお湯を沸かす。
彼はコーヒーでブラック。
私は半分半分のカフェオレ。
「なぁなぁ」
「なぁに?」
「なぁなぁ」
「何ですか」
「なぁってば」
「だから、何ですかって」
コーヒーの粉末とかを出していたら、しつこいくらいに声を掛けられて、勢い良く後ろを振り向いた。
まだソファーに身を沈めて、大して興味もないような目をしてDVDを見ていると思ったが、どうやら違うらしい。
いつの間にか後ろにいて、私を見下ろしていた。
ちょっと驚いて目を見開く。
反射的に足が半歩下がって、備え付けの引き戸にぶつかって痛かった。
でも、彼は顔を歪めた私を心配することもなく、もう一度繰り返し「なぁなぁ」と口を動かす。
「結婚する?」
実に脈絡のない言葉に、息を呑む間もなく私は笑う。
微睡みの休日午後。
心に余裕が持てて、ゆったりとした時間の流れる瞬間が好きで、そんな時間を彼と共有出来るのが好き。
「それは凄く魅力的な誘いだね」
「だろ?」
私と彼は同じ笑顔をして、どこか遠くで聞こえるような、やかんの沸騰した音を無視した。