表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

皇帝の平和

闇から生まれた光

作者: かのこ

 カリナエの屋敷の中央広間での儀式が終わった。列席しているローマの政界のお偉方は、口々に「花嫁の父」に祝いの言葉を述べ、忘れずにその寛大さにも言及した。

 結婚誓約書に署名を終え、母国語でもない言葉で、信仰もない神々への誓いの言葉も述べた花嫁は、見知らぬ人々の祝福に、背を向けるようにして立っていた。「父娘」の二人の間には、本人たちにしか分からない、じりじりとした緊張感が漂っている。

 異母妹よ。ここで何かやらかすんじゃねーぞ。頼むから。

 幸せを祈る、以前の気持ちだった。

 

「花嫁さん綺麗だねえ。おめでとう、君も感慨深いだろう」 

 ヌミディア生まれの花婿の方は、自分がローマ式の結婚式をすることには微塵も疑いを持っていなかった。しかし何故ユバは、他人事のような顔をしているのだ。花婿として屋敷に迎え入れられたはずが、興味深げに宴会の席に連なっている。

「……お前の結婚式だろが、ボケ」

 ま、「お前も主役だろう」とは言わない。こういう時に気合いを入れて着飾るのは女の方と決まっている。野郎なんざ、とりあえずトガ着てれば通用するし、誰もカッコなんか気にしやしない(が、たぶんオクタウィア様がその辺の采配をふるっているはずだ)。俺もいつもの手順で着替えてぼーっとしていて、女どもに「邪魔」と言われた。おい、お前らが結婚するわけじゃないだろが。

 エジプト生まれの花嫁の衣装も、ローマの伝統にのっとったものだ。よくよく考えると二人はアフリカの遊牧民あがりの王族と、かろうじてローマ市民とギリシア系の娘っていうだけで、ローマ式にこだわる必要性はあんまりない。まあクレオパトラ・セレネの母方に準じていたら、金がかかって仕方ないが。

 一応これは、マウレタニア国王の結婚式なのだ。

 

 花嫁をトゥニカの上から羊毛の帯で複雑に縛りあげ、サフラン色のマント等で過剰包装した上に、これまた付け毛を加えて重苦しい髪型をさせる。更に赤いヴェールをかぶって顔半分を覆い、白い花冠でとめて俯いたセレネは、綺麗とかいう以前に他人のように思えてならなかった。

 マルケルスは既に妹が二人嫁に行っていたから、「ほれ泣け」と言わんばかりの満面の笑みで、こっちを眺めてくる。けっ。俺はお前みたく最初は元気だったくせに、後で泣きそうになって式の途中で席を立っちゃったようなお兄様とは、違うんだよ。

 そりゃ「ほれ泣け」要素の濃い儀式や状況は苦手だけど、人前で泣くなんてもっての他だし、セレネにも周囲にも「本音では不服なのか」と思われるわけにはいかない。

 だいたい隣にいる花婿が場違いで、どうしたってこう、切ない気分にさせてくれない。

「筆記用具が欲しいなあ。なんだか詩でも書きたくなってきた」

 どうせどっかからパクった、独創性もない駄文だろう。

「なんか残念。今日は泊まれないのか。せっかくご馳走が残りそうなのに」

 ……泊まって行くか? え? セレネだけお前んちに運んどいてやるか?

 ユバの住んでるスブラ地区は近所だし、明日にだって顔を見に行けるってのに、妹どもはメソメソと手を取って別れを惜しんでいる。次に会う時にはケラケラ笑ってるに違いないのに。

 「おめでとう(フェリキテル)」と声をかけられている新郎は、のほほんと返事をしつつ、時々我に返って「実感ないなー」と呟く。俺もハイハイ、と適当に乾杯に付き合っているうちに、「もういいからとっとと終われよ」な気分になってくる。

 ローマの空に夕闇が迫る頃、古来からの形式通りに、花嫁が母親の腕から連れ出されようとする。

 クレオパトラ・セレネが感極まって泣きだしそうな姿に、当の花婿は同情している。ユバは人情ものに弱いのだ。オクタウィア様の笑顔に少しだけ違和感を感じたりして、それでもここで二人して大泣きされたらヤバイよな、と思いなおす。オクタウィア様はセレネにやさしく諭すように語りかけ、その背を押した。

「そこまでして引き離さなくてもいいのに」

「……いいから黙って持ってけ」

 お前がそこで空気ぶちこわすことを言い出したら、全く話にならんだろうが。


「俺、ああいうのって嫌いだな。わざわざお涙頂戴ものにしなくたっていいだろうに」

 そのたびに辛い思いをするの、オクタウィア様じゃないか。

 昨日の夜、就寝前の挨拶に来たセレネに言ったら「じゃあ泣くかどうか、お兄様を見てみようかしら」とか言いやがった。「ぜってーお前の方が先に泣いてるね!」というレベルの低いケンカになった。

「不思議な感じね。母や兄が生きてたら、私、カエサリオンと結婚していたかも知れないもの」

 翌日結婚する妹とする会話としてはどうなんだ、とは思うが。流れ的に異父兄だが近親相姦て当事者的にはどうなんだ、という話題になった。ローマ人から見ると、無性におぞましいのだが、一度聞いておきたかったりするのが人情だ。

 本人は「当時はそんな風に見たことなかったけど、やっぱりイヤ」と複雑そうに答えた。「カエサリオンは、お母様の言いなりだったから気持ち悪い」

 ……女王が生きてたらこの母娘、やっぱり殺し合いをしてたかも知れん、とプトレマイオスの血の恐ろしさを思い出した。

「言っておくけど、ユルスお兄様でもイヤ」

「考えたくねえ」

 殺される。絶対殺される。

 しかしあれが、異母妹の独身時代最後の語らいか。なんつー会話だ。

 

 もしもユバの父親が自殺したりせず、セレネの母も生きてローマに捕虜として来ていたら、この席に連なっていただろうか、と考えて首を振る。結局ローマで処刑されていただろうから、この席にはいない。セレネたちにも遺恨が残ったことだろう。

 どうした縁か、こうして孤児となったクレオパトラ・セレネは、同じく天涯孤独だったユバと結婚することになった。もしユバがローマで教育されていなかったら、ありえなかっただろう。何せユバの出身部族はもともと一夫多妻制だったそうだ。オクタウィア様が許していない。


「そんなに心配そうな顔をしないで」

 たまたま一瞬、話題が尽きただけだってのに、セレネが困った顔で言った。ローマの夜は寒いと言ってよく具合が悪くなり、なかなかこの土地に慣れなかった。

「訪れた人は、アレクサンドリアの王宮を壮麗だと言うけれど。私にはそんな記憶はないの。私はエジプトではずっと、暗い中にいたの。何もわからない、何が起きているのか誰も教えてくれない。母は私たちより異父兄が大切で、父も私たちを見捨てて死んでしまった」

 女王やオヤジたちは「死を共にする会」とやらを作って、現実逃避をしていたのだそうだ。身近に死が漂った環境にあり続けたら、子供たちが神経質になってしまうのも無理はない。

「悲しまないで。その私が無事に生きていて、こうしていなくなることを寂しがってくれる家族がいるなんて、不思議なくらいで嬉しいのよ」

 セレネは家族がいなかったら、ローマを信用することはなかったと言う。アウグストゥスの一族の身近さがなければ、自分は捕虜なのだと思い、屈辱しか感じなかったはずだと。なんだか俺自身がセレネに諭されているような気分になった。

「じゃあお前は、俺らがしんみりしてるのが嬉しいのかよ」

「ええ。何てやさしい人たちなのかしら。あの父の残した家族とは思えない」

「ムカつく。明日はぜってー泣かねー。笑い倒してやる」

 しかし隣のバカのせいで、別の意味で泣きたくなってくる。いいのかこんな男に任せても。今ならぶち壊せるぞ。

 

 アウグストゥスの前を通り過ぎる時、セレネは立ち止まった。母方の血筋か、こうした機会には堂々として、すごい化け方をする。他の異母妹たちとそんなに変わらない小娘だと思っていたけど、これからはマウレタニアの王妃として生きていくことになるのだ。

「クレオパトラはアウグストゥスのこと、嫌ってるわけじゃなかったよね」

 ……セレネ。頼むから余計なことやらかすんじゃないぞ。無難にのりきってくれ。

 知らず俺が息を止めていると、ユバが小声で話しかけてきた。そろそろお前も移動してなきゃならん頃合のはずだが。

「ああ」

「彼女本人にも『なんとなく苦手』という意識はあったようだし、アウグストゥスも『慣れてはくれないようだな』って思ってたみたいだよ」

 で、ユバは下手に双方を取り持つようなこともしなかったのだろう。俺もそうだが、アウグストゥスに対しては、間に人を入れない方がいい。実際会えば、案外話せたり、信用してくれていることがわかる。

 頭のいい娘だったから、怒りや憎悪でものごとを判断するのも一時的なことで、自分がどれだけ恵まれていたかは、理解していた。

「俺がこうだから、セレネにうつっちまってたんだと思う」

 だから本当なら、セレネはもっと素直な女の子だったはずだ。誇り高くて頑なな反面、自分が異母妹たちとは違ってオクタウィア様の娘でもなく、けしてローマ人にはなりきれないことを、どこか寂しがっているようにも見えた。

「あいつはアウグストゥスに感謝してるはず」

 社交辞令ばかりが完璧で、本人にうちとけたそぶりはしたことがなかったけど。どういう態度で接すればいいのか決めかねたまま、ここまで来てしまったのだろう。

「……ありがとうございました」

 誇り高いプトレマイオス朝エジプト最後の王女は、従者を一瞬振り払って、アウグストゥスの前に膝を折り、頭を垂れた。

 

 俺に「最後の機会」があったら。

 俺も、ああするのだろうか。

 たとえば俺が、あの男の病床に呼ばれたら。

 泣くだろうか。笑うだろうか。

 

 花婿も退出を促され、呼ばれた方に歩きかけながら、ユバは言った。

「君もだろ。ユルス」

 ……うるさいな。俺のことは全部わかってる、みたいな言い方をするな。諭すような言い方もイラつく。

「俺は嫁に行くことないから、あんなことは絶対しないけどな」

「そういうことじゃなくて」

 この話はまたあとで、とまだ説教したりないようなことを言いやがるので、「ふざけんな」と言ってやった。何なんだお前ら二人とも。だいたいそれどこじゃねーだろ。

「お前、大丈夫なわけ? 緊張してないの? 花嫁との初夜だろ?」

 ユバが真顔になった。

「ヘルクヘウム結びって、もたもたして解けなかったら怒られるのかな……」

 そっちかい。ま、博学で通っているユバ王としては、お下品な話題にしたくないんでしょうけどね。さすがに俺も、こいつが俺の異母妹で生々しいこと言い出してたら殴るし。

「花嫁の信用ガタ落ちで、尻に敷かれること決定だろうな。ほれ。呼ばれてるじゃねーか、とっとと行け。お姫様抱っこして家に入る時、セレネを落っことすんじゃねーぞ」

 それこそ、一生セレネに下僕扱いされるはめになるぞ。

「いくら学者サマでも、小娘の一人も持ち上げられないってのは」

「それは大丈夫だと思う。このあいだ……」

 ユバはしまったという顔をして、白々しく目をそらす。

「……なにやっとんじゃお前ら」

 このやろ。この場でシメたろか。


 ユバが俺の表情を伺っていた。眉をしかめて、傷ついたような顔をしている。

「クレオパトラがいなくなるのは、寂しい?」

 ああ寂しいよ。ローマから俺の大事な異母妹がいなくなるんだからな。しかもこの「秀才」と呼ばれてるだけの、実際はバカ王の嫁になるんだからな。世も末だっつーの。

「……ごめん」

「お前が謝ることか」

 何だその顔。全然幸せそうじゃないじゃねーかよ。俺とかアントニアたちに申し訳ないような面して。

「あのな。一応。オクタウィア様も俺たちも、セレネよりお前との付き合いのが長かったから。ちゃんと寂しがってるからな。お前のことも、マウレタニアなんざに行くことになって会えなくなるの、心細く思ってるから」

 ユバたちは式の後、しばらくローマで過ごしてから、北アフリカの領地へ旅立つことになるのだ。

 こんないかにもなセリフ、言う気はなかった。しかしどうもこいつは「自分には関係ない」という浮わついた顔で式に臨んでいるので、わからせにゃならん気がしてきた。

 だって俺もオクタウィア様も、こいつの結婚相手がセレネでなかったら、こいつの親族の立場でここにいたはずだからだ。

「だからまあとにかく。おめでとう」

 そういや、まだ俺はこれを言ってなかった。他人行儀すぎたし、どっちかというと俺は「異母妹を幸せにしなきゃ殺す」という立場だったからだ。

「……ありがとう」

「俺がお前の国に行くことがあったら、盛大に歓迎しろよな。なんたって俺は国王陛下の、義理のお兄様なんだからな」

「なるほど、かくの如きローマ人によって、我が民と領地は搾取されるわけか」

「諦めろ、世の中そうなってんだよ」

 実際、俺にそんな機会があるかはわからない。けど「もう会えない」という前提で湿った話をする気はなかったし、こいつはなんだかんだ理由をつけてローマに挨拶に来そうだ。


 それからユバは無言になり、俺の顔を見据えてから静かに言った。

「……もしもこの先。君とアントニウス家に何かあったら」

 何を。

「私を、マウレタニアを頼って欲しい。クレオパトラにもそう告げてある。わかってくれた」

「……」

 それって。


 セレネをこうしてお前にやったからには、もう俺とは関係はなくなる。アフリカの地で一国を治め、俺らとは無縁の、幸せな生活を築いていく。そのはずだ。そうでなきゃいけない。

 お前らが背負い込む必要なんてない。

 どういうつもりだ。


 俺の肩に置かれた手が、すっと引っ込められた。

 ユバは近くにいた小アントニアの頭を撫でると、自分を呼ぶ声の方に「わかった」と返事をして、鮮やかに染色されたトガの裾を翻して去っていった。

 本日の賭けに負けたマルケルスが、つまらなそうな顔をしていた。

ユバ王がローマで挙式したか、ローマ式であったのかはわかりませんが。好き勝手書きました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ