シンデレラの嫁ぎ事情
「お義母様、お話があります」
シンデレラは雑巾を片手に、意を決して継母である女性に声をかけた。
貴族の娘とも思えない粗末な服に、そんな服さえも汚さないように着たエプロン。更に先ほどまで掃除をしていたのだろう。煤を顔につけたシンデレラの頭にはほおかぶりがあった。
その姿を見て、継母は綺麗に整えられた眉をひそめる。
「その格好はどうにかならないの?」
「なりません。父が亡くなってしまい、父の残してくれた財産を切り崩しながら今をどうにかやり過ごしている状況です。そんな状態ではメイド一人雇う事もできないのですから、この無駄に大きな屋敷を維持する為には、こうやって毎日地道に掃除に励むしかないんです。そして掃除をすればどうしても服は汚れます」
シンデレラが堂々と現状と伝えると継母は深くため息をつく。シンデレラとは違い、継母は流行から少し外れてしまってはいたがドレスを纏い、綺麗に化粧をしていたため、いい所の奥様のような姿だ。まるでシンデレラが彼女のメイドのようだったが、しかし彼女とシンデレラに主従関係はなく、2人は血は繋がってはいなかったが親子関係にあった。
「それは分かるけれど、貴方は唯一お父様の血を継いだ娘なのよ。せめてお化粧ぐらいなさい」
「掃除や炊事をしていたら、化粧なんて汗で流れてしまいます。化粧代だって馬鹿にはならないのですから、出かける時だけで十分です」
シンデレラは継母か言う通り、化粧を全くしていなかった。
一応外へ買い物に出る時は最低限の身だしなみを整えてはいたが、それ以外では極力お金を使わないようにしている。というか、そんな風に使えるお金は、本当の所この家にはもう残っていなかった。
その為、継母やシンデレラの義姉達は、貴族の娘に礼儀作法を教える家庭教師をしたり、ダンスの教師をするなどしてお金を稼いでいた。
しかしシンデレラは由緒正しいこの家の直系の娘な上に若いのだから仕事などするべきではないと3人が断固として拒否をしていた為、外で仕事をする事ができず、この屋敷の中の家事をすべて請け負っていた。4人で暮らすには広すぎる屋敷は1人では1日かかっても掃除をやりきる事ができない。ある意味この分担で丁度良かったとシンデレラは思ってもいた。
そしてそんな継母や姉が稼いできたお金を、自分の身だしなみの為などに使うのは申し訳ないという事もシンデレラが化粧をしない理由でもあった。しかしシンデレラはあえてその話を彼女達にはしていない。
すれば3倍になって、文句が返って来るのが分かっていたからだ。貴方は貴族の娘なのだからから始まる説教は、シンデレラの事を大切に思ってくれるからこそのものだ。それでも彼女にとっては頭の痛くなる言葉だった。
「でもね、シンデレラ――」
「それよりも、そろそろこの屋敷を手放す決断をして下さい。屋敷の維持費で、せっかく稼いできたお金の半分が消えていってしまっています。こんな馬鹿みたいにでかいだけの家なんて必要ありません」
「駄目よ。前から話しているけれど、ここは貴方のお父様が残してくれた唯一の財産なの。いずれ貴方を見染めた殿方と住むことだって出来るし、無駄ではないわ」
今日も平行線か――。
しばらくシンデレラは継母と話しあっていたが、いつまで経っても決着はつかなかった。そしていつもの流れと一緒でシンデレラが折れる事となった。
継母に泣かれるのはシンデレラも本望ではなかった為に。
「……とりあえず、今はいいですけれど、そろそろ本当に考えておいて下さい。では失礼します。少し森へハーブを摘みに行ってまいります」
最終的に、ハンカチを涙で濡らす継母に何も言えなくなったシンデレラは、これ以上継母を追い詰めてもいけないとため息を飲み込みながら部屋を出ると、いつものストレス発散場所へ向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「お義母様の馬鹿っ!! 貴族って言葉でお腹は膨れないのよー!!」
のよー。のよー。のよー。
シンデレラの叫び声が山の中で木霊していく。
その声に驚いた小鳥が飛び立って行く光景は、乙女としては色々間違っていたが、シンデレラにとっては知った事じゃなかった。
力いっぱい叫び、それでも苛立ちが収まらなかったシンデレラだったが、口だけではなくても動かそうと、山の中にこっそりと作った畑でハーブを摘む。
本当は無駄としか思えない広い庭に、野菜やハーブを植えたかったが、貴族としての云々を語られ結局山の中で栽培する事になった為、シンデレラは毎日ここへ通っていた。
それすらシンデレラには腹立たしい事だった。
「貴族なんて、これっぽっちもいい事なんてないのに!! 家なんて燃えちゃえばいいのよ!!」
それでもシンデレラが貴族でいる事が彼女にとって幸せだと、継母や義姉たちは心の底から思っている。だからシンデレラはブツブツと文句を言いつつも彼女達にしたがっていた。
シンデレラにとっては、家も名前もどうでも良かった。シンデレラにとって大切なのは家族だった。
母親を早くに亡くし、父親と2人暮らしだったところへやってきた、継母と2人の義姉。シンデレラは静かな屋敷が賑やかになった事が嬉しくて仕方がなかった。
そして父親が死んでしまい、もしかしたら継母達が出て行ってしまい独りぼっちになってしまうかもしれないと思った時、とても恐怖した。
怖くて怖くて、しばらくシンデレラは眠れなかった。
でも彼女達はいなくならなかった。シンデレラの近くにずっといてくれた。働きに外へ出て行ってしまう事はあるけれど、必ず戻ってきてくれる。
だからシンデレラは彼女達の望みを叶える事にした。
本当は貴族であることがシンデレラの幸せではなかったけれど。それでも彼女達が望むのならばと。
でも正直、シンデレラはそろそろ限界だと悟っていた。
女3人の稼ぎだけでこれからも貴族の生活をするのは。
だから家を手放すようにシンデレラはお願いしていた。出来るだけ彼女達の願いを叶えたかったけれど。これ以上は無理だから。
……もっとも、3人には言っていない、別の方法もシンデレラは模索していた。きっと3人は知ったら断固として反対し納得しないとは思う。それぐらい自分が愛されている事をシンデレラは理解していた。
そして理解しているからこそ、内緒で動いている。
それこそ、もう誰の手でも止められない状況になるまで、明るみに出ないように。
だから、もう少しの辛抱だ。もう少しの辛抱で、彼女達は働かなくても良くなる上に、明日のパンに困るなんてこともなくなる。
「でも、庭ぐらい畑にさせて欲しいものだわ! どいせっ!!」
根深くはった雑草を抜いた瞬間尻餅をついたシンデレラはあたたたと尻をさする。
そんな時だった。
「ぶはっ!! あはははははっ!!」
耐えきれないとばかりに吹き出し、大笑いする男の声が聞こえたのは。
シンデレラはさっと立ち上がると、笑う男の方を見た。
「す、すす、すまない。いや……、本当に元気なお嬢さんだ」
見たところ相手は貴族のようで、上等な上着を羽織っていた。
少しだけ女性としての恥じらいでシンデレラは自分の服を見て隠れたくなったが、今更だと思いあえてその場から移動しなかった。
「こんにちは。こんな場所でどうしたの?」
「こんにちは。ちょっと散歩をしていたのだけど、ちょうど君の元気な声が聞こえてね。つい来てしまったんだけど。この畑は君が作ったのかい?」
「ええ。そうよ」
シンデレラはそれが何かいけないことかしらと言わんばかりに、まっすぐ若者を見つめた。貴族の娘としては眉を顰められるような事だとは分かっている。
でも生きていくためだったらなんだってするとシンデレラは決めていた。それに何も悪い事はしていない。だから隠れる方が恥ずかしい事だとばかりに堂々とする。
衣服は貴族のようなものではなく、やっている事も同様だったが、シンデレラはそれでも貴族だった。
「立ち聞きしてしまって申し訳ないけれど、君は貴族の娘さんじゃないのかい?」
「ええ。父が貴族だったわ。でももう父もいないし、私はただのシンデレラという名の娘よ」
シンデレラは貴族であることにそれほど魅力を感じていなかった。だからどうでもよかった。変な娘と思われてもいい。
年頃の娘であるシンデレラには、その方が都合も良かった。
「そう。可愛らしい名前だね。シンデレラといえば、トレメイン伯爵の娘さんの名前じゃなかったかな」
「父を知ってるの?」
「懇意にさせてもらっていたからね」
シンデレラはあまり父の仕事を知らなかった。
女は仕事をするべきではないとされていたからだ。でも今思うと、ちゃんと人脈とか仕事とかを知っておけばここまで苦労する事もなかったのにとも思っていた。
とはいえ、今更目の前の男が父の仕事相手だったとしても、シンデレラにとっては関係のない話だ。
「そんなに君にとってあの家は苦痛なのかい?」
「は?」
「いや。継母を罵った上に、家が燃えればいいなんて物騒な事を叫んでいたからね」
どうやら男は最初からシンデレラの言葉を聞いていたらしい。
シンデレラは少し恥ずかしくなったが、どうせ二度と会う事もないだろうと思い、いっそその場かぎりの愚痴り相手にしようと決めた。
「別にお義母様の事は好きよ。嫌いなのは金食い虫な屋敷と、貴族という役に立たない肩書だけ。知ってると思うけど、父が死んでから、トレメイン家はメイドを雇えないほど貧乏貴族一直線なの。私の大切な家族を犠牲にする価値もないものなのに、お義母様達が大切にするからムカついてるの」
「ふーん。でも、確かトレイン家の娘のシンデレラといえば、金持ちの貴族の婚約者を探しているんじゃなかったっけ? より沢山持参金をくれる相手をと聞いていたけれど?」
「大っぴらにやっていたわけではないけれど、詳しいのね」
どうやら目の前の男は貴族同士の噂に詳しい人らしい。
「君の叔父さんとも懇意にさせてもらっているからね」
「そうだったのね。叔父さんには出来るだけ内密にってお願いはしておいたけれど、やっぱり人の口に戸は立てられないものね」
シンデレラは深くため息をついた。
まあ、継母達の耳にさえ入らなければ、私に対してどれだけ醜聞がついてもいいのだけどとシンデレラは思う。
シンデレラが求めている相手は、醜聞が付こうとも、若いという魅力だけで自分を買ってくれる、金持ちの男なのだから。シンデレラが大切に思う相手を守るには、きれいごとを言っている期間はとうに過ぎていた。
「君ほど可愛くて若い娘ならば、屋敷にこだわらなければ、いい縁談はあるとおもうけどな」
「お世辞でも嬉しいわ。でも私がこだわっているのは屋敷じゃないわよ? 大体あんな家なくなればいいと思っているもの。私はお義母様やお義姉様たちが貴族として生きていけるだけの後ろ盾とお金が欲しいの」
私の家族には幸せになって欲しい。
私は彼女達のおかげで独りぼっちにならずに済んだのだから。その恩返しがしたい。
それが今のシンデレラの生きる理由だった。
「どうするんだい? 君の父親より年上で、デブで、ハゲで、女癖が悪い、バツ2どころかバツ3ぐらいの男しか条件に合う人が居なかったら」
「別に年齢はどれぐらいでもいいわよ? いつかは誰だって老いるのだし、年上だったらそれが少し早く知れるだけじゃない?」
シンデレラはキョトンとした顔で男を見た。
それこそ、何を言っているのだというかのように。
「デブやハゲは?」
「そうね。ハゲは別にいいけど、デブは問題ね。食事と運動の管理がなってないわ。結婚したら健康管理はしっかりしないと。妻の仕事だもの。年上ならなおの事気を付けてあげなくちゃ。早死にしたら困るわ」
「お金目的で、好きでもない相手なのにそんな事するのかい?」
シンデレラのまったく動じない態度に、男の方が驚いた。シンデレラが虚勢で言っているとは思えないぐらい真っ直ぐな目で男に話していた為に。
「だって。私の家族になってくれるんだもの。当然の事よ」
「家族って……。その男は女癖が悪いかもしれない。もしかしたら君を置いて、別の女の所に入り浸るかもしれないよ?」
「だったらその人も家に呼んでしまえばいいんじゃない? 私の夫の愛する人だもの。私もその人を大切にするわよ?」
「愛人だよ?! それを家に呼ぶのか?」
「ええ。もしかしたらその人とも家族みたいに付き合っていけるかもしれないし。というか、私は絶対その人とも家族になるわ」
明らかに普通ではない発言だ。
しかしシンデレラはそう言って幸せそうに笑った。
「家族って、君にとってそんなに大事なもの?」
「ええ。大事よ。世界一大事な物よ。何を犠牲にしても守りたいものだから」
「シンデレラの家族の規模ってどれぐらいなのかな?」
「どれぐらい?」
シンデレラにはその質問が抽象的な質問にも感じたし、具体的事を聞いているようにも感じた。
シンデレラの疑問には何も答えない男に、少し考えると、シンデレラは口を開いた。
「決まってないわ」
「決まってないのかい?」
「ええ。私が家族だと思った人が家族だから」
シンデレラにとって義母達は家族だけど、叔父さんはあくまで叔父さんだ。
家族というのは血の繋がりだけではない。
そんなシンデレラの言葉に男は再び大笑いした。
何がおかしいのか良く分からないが、別にシンデレラは笑われてもなんとも思わなかった。笑われたとしても、それは家族の絆を傷つけるものではないから。
「シンデレラって、本当に大物だね。じゃあ、お金とかそういうのは抜きにしてさ。理想の結婚とかプロポーズとかなかったの?」
「理想?」
「ほら、女の子って良く王子様と結婚したいみたいな事をいうじゃない?」
シンデレラは聞かれた事もない質問にキョトンとした。
王子様と結婚?
「考えたこともなかったわ」
シンデレラにとって一番好きな男の人は父親だった。また父親が生きていた頃は結婚するような年でもなかった為、特に考えた事もない。父親が亡くなった後は、継母達が大切で、彼女達を守る事ばかり考えていた。シンデレラにとって結婚は自分の大切なものを守る手段出しかなかった。
「じゃあ、今考えると?」
「えっと。記憶に残るのがいいかな。特にロマンチックなものがいいとかじゃなくて、折角家族になるのだから、忘れたくないし。となると、斬新なプロポーズが好みという事になるのかな?」
斬新ってなんだと言われたらシンデレラも答えられないが、でもそれしか言葉がない。
折角家族になるのだから、記念日はきっちり記憶に残った方がいい。
「でも、今はそんな事より、お金だもの」
「まあ、君にとってはそうなんだろうね」
この男は男だけど乙女チックな事が好きな特殊な性癖の人なのだろうか? まあ人の趣味はそれぞれだけど。
そんな失礼な事をシンデレラは思ったが賢く口に出す事はなかった。
「じゃあ、最後に。俺はカッコイイかな?」
「は?」
「いや。これから口説こうという女の子が居てね。是非意見を聞かせてもらいたいんだ」
「ああ。そう言う事ね」
乙女チックな事が好きだなんて失礼な事を思ってしまったとシンデレラは恥じる。きっと好きな子に告白する為に、色々プロポーズの方法を考えていて訊ねてきたのだろう。
愚痴を聞いてもらったお礼もかねてシンデレラはちゃんとしたアドバイスをしようと考えた。
「私は自分で言うのもなんだけど、世間一般の貴族の女性の感性からは少しかけ離れていると思うわよ」
斬新なプロポーズよりオーソドックスに、花束持って告白されるのを夢に見ている子は結構多いのではないかと、シンデレラは考える。
「ここで出会ったのも何かの縁。君の意見がききたいんだ」
「そうね……」
シンデレラは男を上から下までじっくりとみた。
たぶん世間一般のイケメンの類には入るのではないだろうか? 黒い髪に黒い目の青年は凛々しく、シャープな印象だ。
「……うちにあった、王子の似顔絵に似てるし、いい男だと思うよ。むしろ話しやすいし、王子より上じゃない?」
「それは光栄だな」
王子より上というのは少々リップサービスがすぎるかもしれないが、シンデレラにとっては喋らない肖像画より、ペラペラとおしゃべりしてくれる人の方が好ましかった。
賑やかな方が好きだった為に。
「じゃあ、ありがとう。シンデレラ。また、会えるかい?」
「いいえ。たぶんもう会う事はないわ。私に男がいるなんて噂が立ったら困るし、貴方の好きな人も、きっと他の女に会いに行っていたらやきもちを焼くと思うよ」
「君は焼かないんだろう?」
「一般論よ。それぐらいの常識はあるわ。貴族の女性が不特定の男性と話すのは舞踏会の場だけだと決まっているし」
女性はむやみに男の人と話すものではない。
それが貴族の女性の常識だ。それにシンデレラとしては、男がいるという噂の所為で、結婚できなくなったら困る。
お金持ちの男の妻になる事が、彼女にとって、今できる最後の手段なのだ。
「そう。じゃあね、シンデレラ」
男はシンデレラの手を取ると、土で汚れた手に躊躇いなくキスを落とした。それをシンデレラは困った顔で見つめる。貴族の女性と別れる時のマナーとして、男の行動は正しい。
正しいが、せめて濡れタオルで手を拭けるぐらいの準備をしておけば良かったとシンデレラは思った。
その後シンデレラは自称魔法使いに南瓜の馬車で拉致られて、明日は海の藻屑かもしれないと怯えながら夜会に出た上に王子にプロポーズされ、更に後日ガラスの靴を持って再度プロポーズされるという、とんでもなく斬新で、誰も体験した事がないというかしたいとはあまり思わないような、一生忘れられない告白を受ける事になるが、それはまた別の話である。
とりあえず、南瓜の馬車で拉致なんていう、新感覚なプロポーズが採用された理由は、彼女自身にあったのだが、家族第一で生きていたシンデレラはこの日のできごとをすっかり忘れており、ドッキリにマジビビりする事になるのだった。