3話 求めた果てに 後編
8
明け方――。
彼女をKから守るため多くの私服警官による警戒体制の中、彼女の避難が行われた。彼女を運搬したのはなんと救急車であり、Kからの追跡を防ぐ目的で使用された。これは病院関係者にKという殺人鬼の性質の説明を行ったうえで、特別に借りたものである。
そしてダミーとして表から美香の替え玉である女性がワゴンに乗り込んだ。Kの嗅覚のことも警察関係者は想定してかあらかじめ彼女の衣類を着た状態で乗り込んだ。そのため視覚と嗅覚のトラップをKに示したのである。
Kは狡猾であった。車の移動に追いつけるように運転手を人質にとり、脅迫したうえでKの犯罪に加担せざるを得なくなったのである。人質の首には謎の機器が取り付けられていた。
運転手の男はがくがくと震えていた。Kに脅された挙句、命令違反すれば自爆する機能を備えた首輪を取り付けられたのである。これほど不憫なことはない
「……」
Kはダミーのワゴン車が病院から出るのを見ると、
「あのワゴン車を追え」
と人質の人物に命令し、車を発進させた。
Kは自動車の中で、美香にやっともうすぐ会えるという妄想をしていた。そのためか彼の表情はにやついていた。
ダミーを追いかける車を追跡している一つの乗用車がある。立花が運転し男を追跡していた。立花は無線で、
「ターゲットはダミーの車を追跡中。どうぞ」
と各職員に伝えた。そしてあくびを大きくとりながら、事件が早く解決しろと願いながら運転を続けていた。
その頃救急車では美香と市川そして陽一が乗り込んでおり、落ち着かない彼女をなだめつつ一時の安心の時間を過ごした。
沈黙の時間は長く続いた。目的地の森林地帯に行くまでの時間は1時間ほどあった。しかしこの沈黙と心拍数が上がった空間が体感時間を遅くさせたのである。
アスファルトの水平線上を一台の救急車が通る。それはこれから昇る太陽に向かって前進する希望の箱舟のように見えた。
9
朝六時頃――。
美香を乗せた救急車は目的地に到着した。あたり一面は森林と平原という見渡しの良い自然の風景である。少しはなれたところにホテルが存在し、休日には家族連れの客が多いことで知られている。
空は快晴となる。コバルトブルーの天空と新緑の絨毯は訪れた観光客を楽しませるものである。しかしながら美香を保護するグループは、この景色の色合いとは逆にどんよりとした暗雲立ち込める心境であった。
ホテル内にて朝食をとったあと、ホテルの個室にて彼女と陽一は少し話した。美香は少し気が落ち着いたのか、陽一にゆっくりと会話することができた。
「ごめんなさい。私のせいで三井君をこんな目に巻き込んでしまうなんて……」
美香はこの一件を自分が起こしたことだと決めつけている。陽一はそのような彼女の姿勢になぜそこまでして自分を追い詰めるんだと疑問は思いながらも心の中で抑え込んだ。彼は彼女を安心させる言葉を選び、
「大丈夫ですよ。俺はこういうの慣れてますから」
陽一は美香に対してトラブルに慣れている発言をした。彼としては荻原生泉水から修行を始めたときから数々の火の粉に遭遇し、そして排撃したのである。
彼にとってはとのトラブルのどれもが短編小説の一エピソードのようでもあった。
(早く解決して美香さんがKを忘れられるようにさせないと……)
と心の中で呟いたのである。
陽一は美香の過去が知りたいと思い、Kとのこれまでの思い出をおそるおそる尋ねてみた。幸いな事に美香は少し目を開いたものの淡々とKとの思い出を語ったのである。
その内容は市川が伝えていたとおり悲惨な人生であった。何度も友達を作る機会をKによって失われ、Kは美香を自分の所有物であるかのごとく乱暴であった。Kは美香を溺愛していると本文中に記述したが、実態は彼の慰み者のごとくものとして扱われたのである。
その思い出を踏まえたうえでの、
「もうあいつとは会いたくありません……」
という言葉には陽一も心をうたれるものであった。そして陽一も何とか彼女を助けなければという思いを強めることとなる。のどかな風景の中での沈痛な思いをもった二人がその空間の中にいた。
外の警官達はタバコをふかしながら談笑していた。深夜から続くこの作戦で疲労がたまっていたため少しの時間休みを取っていたのである。
市川は少しの間風景を眺めていた。彼は休憩している警官などおかまいなしに周りを散策した。Kへの警戒を休憩なしでいまだに続けていた。その途中他の警官が、
「はやくこの事件終わらせて早く家族に会いたいよ」
「こんな面倒な事件なんだ。Kを逮捕したら飲みに行かないか?」
という会話を聞いた。疲弊している警察官の心情がこれでもかと漏れ出していた。市川はこの内容にはすこしばかり共感はしていた。
しかし市川は彼らの会話に入ることなくそのまま散策活動を再開した。
無線機に立花の声が届いた。そしてそれは短い休憩時間の終わりでもあった――。
10
美香のダミーを乗せたワゴン車は、背後から追跡する謎の車を無線によって把握していた。
ダミーのワゴン車は既に国道のアスファルトの路面から、高速道路のハイウェイレールの路面を駆け抜けている。
ワゴン車の運転手は左手の看板から、三キロメーター先にハイウェイオアシスがあるという情報を瞬時につかみ取った。そのハイウェイオアシスとはKを確保するために用意された”特別”な場所であり、すでに他の機動隊も張り込んでいる。一般人のいない戦場でもあった。
機動隊を有するほどKは凶暴な人物でもあった。生半可な逮捕術ではいくら三人がかりで逮捕しようとしても返り討ちにあうという案件が三件報告されたためである。他の警察官も支給された拳銃を片手に例のKが現れるのをじっと待っていた。
そしてワゴン車は戦場にたどり着き、駐車場の中心で停車した。追跡していた謎の車もワゴンの近くに停車した。
緊迫した世界がはじまった。他の警官たちはいつKが出て来てもよいように拳銃を車の方向に向けた。そして立花が運転する自動車も到着し、逃げ道を防ぐ形となったのである。
警察の盾持ちは古代スパルタの兵士のごとく陣形を形成した。いくらKが強靭な体力をもってしても大多数の人数によって構成される数の暴力には決して勝てないのである。
ターゲットの車は決して動くことはなかった。他の警察官も少し顔を見合わせた。Kからのレスポンスを返さない妙な事態に沈黙の時は続いた。
他の警官たちは報告により運転手が人質であることを知った。よくよく運転席を双眼鏡で観察すると、人質となった人物はがくがくと震えながらハンドルを握ったままである。そして首に何かしら奇妙なものを取り付けられていることが分かった。それは爆弾ではないかという推測を立花は話したところ、
「なんてことを……」
と立花の隣にいた警察官がつぶやいた。立花としてもこれには同感である。
かくして戦場の兵士たちは、Kの確保に人命救助という重荷を背負わされることとなった。
快晴の空はアスファルトに太陽光線をじかに温める。その気化熱とKによる理不尽な狂気は彼らの平常心を揺さぶるものであった。
立花の連絡を受けた市川は何やら嫌な予感がした。これは明確な証拠があってのものではないが、長年の勘が本人の心に語りかけたのである。市川の全身に鳥肌が立った。
市川はすぐに他の職員たちに警戒態勢を取れと連絡し、美香のいる部屋に向かった。
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美香と陽一がいる部屋にノック音が聞こえた。
ノック音に別に違和感はない。誰もが許容できる範囲内の音量と振動であった。
陽一は扉の人物を招き入れるため近づいた。恐らく市川を筆頭とする警察関係者だろうと思ったためである。ドアからの距離は三メートルの長さとなる。
一瞬――。
陽一は敵対者に向ける殺意の目になった。そして急に立ち止まり、足音を立てないようゆっくりとその場を離れた。
ドアは何も語りかけない――。しかしこの沈黙と殺気は何だ?
陽一もまた市川と同じように、長年の勘によって現在の状況を把握したのである。トラブル続きの彼もさすがにそのトラブルによって命を得たのである。彼はじっとドアを見ながら、訪問者の死角であるベッドルームに隠れた。
ドアはまたノックの音を出した。向こう側の殺気はそれ以上の反応を示していない。しかし先程の気配は尋常ではなかった。
後ずさりし元の所に戻ってきた陽一をみて、美香は尋常ではない事態に陥ったことを理解した。
今度は電話が鳴った。内線でありホテルの職員であるならば、市川たちと連絡をとれるかもしれないと思い、受話器に耳を当てた。
「市川様ー。"ミカ"様をお呼びの方がそちらにいらしております」
陽一は受話器を思い切りたたきつけた。
これほどまで心拍数の上がる出来事は陽一にとって久しぶりである。脂汗が陽一の体全体を覆い尽くした。そして一瞬ではあったが陽一の体全体はヒートシンクのごとく急激に放熱されたのである。
陽一は美香の前で少し沈黙をとった。そして、
「美香さん。これから俺のいう事にしたがって行動してください」
何やら彼の算段があるらしい。彼女は陽一の指示に従うことにした。
そして一方――。
ハイウェイオアシスでの出来事となる。
Kが乗車しているとみられる自動車に多くの警官たちは手が出せずにいた。それは運転手兼人質である男性の首に爆弾物らしき首輪が存在するためである。
急遽爆弾処理班を手配し、知らせを受けた一団は例の戦場にたどり着いた。
その防護服は爆発というリスクを考慮に入れた防護服を着用していた。その兵士二人が自動車に近づいた。
一瞬の出来事であった。
車内に閃光弾を入れ、内部の人物は視界が遮られることとなった。その間二人の兵士が人質を車外に連れ出すと、首輪の爆弾解除を行った。
兵士二人に続いて多くの警官たちが乗用車に潜伏していると思われるKを捜索した。しかしどこにもKの姿はなく、人質の私物しか見つからなかった。
そして兵士二人は立花の目の前で、
「オモチャだぞこれ……」
の発言を聞いた。全身から鳥肌と寒気が起こり、脂汗はひたひたとアスファルトに落ちて、蒸発していった。
立花はKが人質を取った核心を知ることとなってしまった。結局のところ、
時間稼ぎの為に利用されただけであり、そして多くの警官たちは見事にだまされたのである。
場面はまた美香の避難場所の出来事となる。
鈍い銃声が轟いた――。
その音はホテルの扉であっても容易に貫通できるほど威力の高いものである。先程の陽一の勘は当たっており、その行動は正しいものとなったのである。
市川が美香のいる部屋に向かっている時、信じがたい音が上階から聞こえた。
「まさか……陽一……!?」
市川は気が動転してしまった。そして拳銃を持って階段にあがろうとした。息をきらしてもなお進むつもりである。
「オッサン!!」
と聞きなれた声が市川の右耳に届いた。陽一は美香を抱きかかえながら息を切らしていた。
「どうやって奴から逃げてきた!?」
陽一は目の前にいる警察官に話そうか迷った。しかし非常事態なので、
「部屋のカーテンを利用して、下の階のガラス窓をぶち破ってきたんだ」
と市川に応えた。
その頃Kは猟銃を利用してドアを無理矢理にこじ開けた後、美香のにおいがほのかに残るベッドに飛び込んだ。そして美香が長時間ベッドと接触していたとされるほのかな熱源に顔を沈めた。
Kは久々の美香のにおいを獣のように身体で感じた。呼吸はまるでわんこそばをすするほどの食事量であるかのようなどん欲ぶりである。よだれを垂らしながら美香の名残の熱源に舌なめずりを行う狂気の時間を過ごした。Kは瞬く間に恍惚の表情を浮かべた。
突然Kは素の表情になり、
「政府の犬が来ているな……)」
と察知しその場を離れることにした。彼はにこやかに、
「またね」
ベッドに話しかけた。彼女がいた場所をさすりながら彼は部屋を退散したのである。
Kは廊下を散策し、窓の近くにパイプが取り付けられていることを発見した。このパイプは雨水用のパイプであり、これを通じて雨水を外に逃がす役割を持っている。
彼はホテルの側面に取り付けられている雨水用の塩ビパイプをはしご代わりとして瞬時にホテル外の森の中に消えたのである。結局の所Kは森と同化したのだ。
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それから一時間ほど経過した頃であろうか――。
Kは森に逃げ込んで他の野生生物と同じようにとけ込んだことを述べた。本来ならばこの森全体がKのアドバンテージとなり下手に森に入れば、肉食獣に襲われる生物のごとくその牙に斃れる可能性がある。Kとしても森の中というのは長年逃走経路及び潜伏場所として採択しており、絶対の自信があった。
それが今回Kにとって不利な状況に陥ってしまったのである。それは妹に会いにいくという突発的な計画の為に、土地勘のないエリアに侵入したためである。地図を確認しても当初の計画を上回る体力を消耗するルートしか残されていなかった。妹に執着しすぎた結果別の場面において計画がずさんなものとなったのだ。
その安全なルートとは道のなき山の斜面を延々と登り詰めるものであり、追っ手を逃れるには安全なルートではあったが一目散に速く逃げなければ体力を消耗しつつ、警官達と交戦せざるを得なくなり一方的に不利な状況になる。
既に多くの警察官は一団となって自然の各エリアを散策している。
Kは大木の枝に座り、空からの木漏れ日で地図を確認しながら適した逃走ルートを探していた。彼は舌打ちやため口を吐きながら片手で頭皮をぼりぼりとかいていた。それほど焦っていると見て良い。そして彼は安全かつ体力を消耗しないルートを見つけたのである。
それは渓流をまたぐ吊り橋のルートである。そこにたどり着き、ロープを切断すれば体力を余り消耗せず時間稼ぎができるメリットがあった。
彼は追っ手に見つからないように森の中を移動した。その途中一般人に出くわしたが、逃走を最優先事項としたため何もせずただ通り過ぎていった。
そして――。
Kはようやく目的地の吊り橋に到着した。この吊り橋の下の川は幅が広くかつ川底が深い構造である。大型連休では多くの人がカヌーや水泳を楽しむほど壮大な景色である。
左右に揺れる吊り橋をものともとせずKは対岸沿いを駆け抜けてゆく。Kはここまでたどり着けていない警察をあざ笑うかのごとくへらへらと笑っていた。
新緑と風の融合した音色、水流の音と小鳥たちのさえずりによる大自然のセッション――。
今のKの状況ではとても美しい音楽となった。
……はずであった。
突如Kが起こしたとは考えにくい別の震動が彼の足下に響いた。Kは何事かと思い後ろを振り返ったのである。
木漏れ日の中からある人影がKに接近している。新緑の作り出す厚い層が人物を特定できないでいたのである。
Kは立ち止まっていると、ある人物が太陽の光を浴びながらKの前に姿を現した。
三井陽一である。
Kは震え上がった。何人もの人殺しや逃走などの修羅場を慣れたKではあった。しかし目の前の人物は何だー?これまで出会ったことのない人物に脂汗を額に浮かべたのである。
陽一はゆっくりと歩きながら、Kに近づいている。その瞳は仕事の目であり、冷たく恐ろしいものであった。
「官九郎だな……」
ドスのきいた声でゆっくりとKの本名を告げた。
「お前はだれだ!?」
焦りによってKの喉は開いた形となり、高い声色であった。
「お前ごときに名乗るものじゃない……」
しばしの沈黙があった。
「お前も国家の犬か!?」
「それで・・・?何が言いたいんだ?」
陽一は抑揚を付けずに会話を続ける。
「お前も美香を脅かす存在だな……」
歯をむき出しにして陽一に怒りの様相を見せた。しかしなおも陽一は表情を変えることはない。
「じゃあ死ねぇ!!」
Kは猟銃を陽一の方向に向けた。Kの野生の勘はつげている。
(この男は確実に殺してくる!!)
Kの両手は汗がびっしょりと濡れている。震えながらも陽一にトリガーを引いたのである。
銃声――。
Kは陽一を銃殺したかに思えた。しかし目の前の人物はKの視界から消えていた。
陽一は超人の如き跳躍力を持ってKの頭上を飛び越えていた。これにはKも認識できていなかった。そして陽一は飛び越えている間に全身を利用して居合の構えをとって、Kを攻撃する状態となったのである。
空からの一閃――。
Kの右腕の前腕は荻原流の奥義の一閃によってきれいに切断された。加えて銃声と同時に猟銃もきれいに切断されたのである。
「ぎゃあぁぁ……!!」
大自然に似つかわしくないノイズが周りに響いた。
切断面から鮮血が溢れだしている。Kは愚問の表情を浮かべている間に陽一はKの背後に着地し、後ろからの切り払いを行った。
Kはなんとかして陽一を正面に捉えようとして避けた。しかし彼の脇腹は陽一の左手によって浅く斬られてしまった。そして脇腹からとくとくとまた血が流れたのである。
脂汗はKの視界を遮った。そして二の腕でなんとか拭いながら陽一を見たのである。
陽一は自身の右腕を刀のようにして扱い、Kにその刃を見せていた。その冷たい殺意の瞳は何度も自分のような実力の持ち主を相手にしてきたかの如く冷静であった。
Kは陽一に飛びかかった。胸ポケットから取り出したサバイバルナイフを左手で持ち陽一に刺そうとしたのである。
陽一はKの左腕から生じる運動エネルギーの流れを右腕の前腕で見事に角度を逸らしたのである。その間陽一は、左手の手首から小指の間を覆う筋肉によって、Kの胸筋に衝撃を与えた。
Kは肺に衝撃が入り呼吸ができなくなった。Kの視界は自身の発した涙によってまた見えなくなってしまったのである。悲鳴と嗚咽が大自然にこだまする。
そしてKが顔を陽一に向けた時縦に生暖かい一閃が入ったのを理解した。今度は顔の正面を斬られ地が大地に向かって噴出したのである。
「痛いぃ……!!」
と顔を抑え陽一に向かって、
「テメエは人間じゃねえ!!」
と表情を変えることのない陽一に叫んだ。
すると陽一は憤怒の表情となり、
「黙れ!!貴様が言えたことか!!」
Kに怒鳴ったのである。
「やめろ!!殺さないでくれ……!!」
Kは高い声色と左手のジェスチャーを陽一に向けた。Kは陽一を殺すことができないと理解したのである。そのためKは何とかして陽一の攻撃を止めようとしたのである。
それは自身が殺害した被害者が死ぬ間際にとった行動そのものであった。そしてそれがKの脳裏に浮かんだ。
「そうやって何人もの人がお前に殺されたか……。そして美香さんの思いを踏みにじって来たか……。俺が貴様を裁いてやる!!」
Kは陽一から悲鳴をあげて退散した。もはや被害者と同じようになってしまったのである。
いきなりKの首に陽一の腕が絡んだ。Kは暴れるもののだんだんと呼吸はできなくなりそしてフォールしたのである。
気絶したKは白目を向き血を流していた。しかし彼は陽一から受けた傷では死なないのである。陽一はそのことを理解していた。
そして倒れこんだKを眺めながら、
「お前を裁くのは法だ……」
と静かに呟いたである。
13
それから数日がたった。
陽一は芳佳の待つ病室に入ると官九郎と芳佳は楽しそうに会話を行っていた。テレビを見るとKが警察に拘束されながら車に乗せられていた。Kの様相は衣類によって隠され、荻原流による攻撃であることは誰にもわからなかった。
「美香さんほんとに明るくなってたなー」
官九郎はにこやかに陽一に話した。どうやら美香は二人と出会ったようである。それは前のようなおそれではなく、手術後の芳佳のように明るくなったのである。
「美香お姉ちゃんほんとに元気になってたね!!あんな姿はじめて見ちゃった!!」
陽一は一瞬ではあるが表情を変えた。陽一の表情はなにか意図していないものに気づいたかのような驚きぶりであった。
「陽一? どうしたんだ?」
「いや……なんでもない」
ため息混じりに二人に答えた。官九郎と芳佳はお互い目をあわせ不思議に思った。
陽一は急に明るくなり、
「ところでさ……」
と左手にリモコンを持ち、テレビの電源を消しながら別の話題に逸らしたのである。三人は別の話題で楽しく話したのである。
この事件から数ヶ月の時がたったー。
コオロギの鳴き声は暑い夏への終わりを告げるベルの鐘の音のようであった。りんりんと鳴る大地は涼しさと静けさを表現している。
この間にも陽一は数々の魑魅魍魎が織りなすトラブルに巻き込まれつつも、師である荻原生泉水から賜った武術と周囲の協力により難を逃れてきた。これは陽一の人柄が大きく関係していたのである。
市川の家に訪れた陽一は、彼の妻の位牌と対面した後美香の事件のいきさつを彼から聞いた。美香とKの事件は陽一にとって、
「もう終わったもの」
と認識していたので記憶の外にあったのである。
市川から渡された新聞を陽一は見た。
「Kが留置場内で自殺していた……。陽一……どう思う?」
それにはKが室内で自殺したため裁判ができない旨をこの紙面で伝えていた。陽一は美香との言葉を思い出した。そしてゆっくりと、
「Kは俺のような裏家業の奴に殺されたと思います。彼女は法廷の場で彼と再開したくなかったんです」
「では依頼者は……?」
と市川は少し声のトーンが高くなった。
陽一はゆっくりと頷いた。
市川はもはや言及するものではないと理解したのである。
「陽一。実は先日美香さんの病室から我々に宛てた手紙が発見されてな…」
と陽一に渡した。市川の表情から全く気持ちの良いものではないと陽一は理解した。
陽一は手紙の内容を読んだ。
それは感謝と同時に自身の心境を述べた文面であった。
以下にその文書を抜粋する。
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他の皆様にとってこれは一つのエピソードにしか過ぎません。しかし私にとっては人生すべてが”あいつ”と関わりのあるものです。この事件が終わったとき解決したものとして誰も私を助けてはくれませんでした。
"あいつ"は大量殺人鬼であり私の兄であります。そして私は"あいつ"の被害者でもあり、犯罪者の身内なのです。世間は私を被害者として扱わず、犯罪者の親族として扱うでしょう。守ってくれる人がいない今、誰が私を救ってくれるのでしょうか?
生きることとは何でしょうか?
なぜ私は生きているのでしょうか――?
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陽一は滅入った。そして大きくため息を吐いた――。彼は認識の違いにより美香を守れなかったのである。
コオロギはまたりんりんと音を鳴らした。
秋はもうすぐである――。