3話 求めた果てに 前編
1
嵐の夜であった――。
男は傘やレインコートを備えておらずずぶ濡れの状態であった。しかしその表情は満面の笑みである。
「美香に悪いことをするやつはみんな殺してやるよ……。美香はお兄ちゃんが守ってあげる……」
そうニヤリと独り言を呟いた。その言霊は突風と豪雨によってかき消され、誰一人としてその言葉を聞く者はいなかった。
その男は自分の妹を溺愛していた。溺愛していたが故に、妹に近づく者全てが許せないものとなったのである。過去にも妹の為と自分で納得し、何も罪のない第三者を過剰な暴行を行ったのである。
彼はずぶ濡れの状態から片手で遺体を引っ張っていた。その遺体は美香の関係者の者であり、NPOの職員として美香に献身的なサポートを行った人物であった。それが一体なぜ殺害するに至ったのか――?
答えは獣ともいえるものであり、
「妹のにおいがする」
単純なものであった。もはやそのような理由のみで人を殺害するその神経は人間ではなく畜生以下のものである。
男は笑いながら殺害した人物を目の前の海に投げ込んだ。豪雨と嵐のため遺体はドボンという入水音もなく、荒れ狂う海のなかにすっぽりと入ってしまった。もはやこの荒れ狂う潮流からこの人物を救う手はずはないのだ。
荒れ狂う闇の中に、深く、冷たく――。
2
場面は心乃枝官九郎の立場に戻るとする。
〔ピンク・ビッグ・ファット〕における”そいつ”の陽動作戦までの数日間、官九郎にとってうれしいニュースがあった。
官九郎の妹である芳佳の手術は無事成功したのである。手術室前で待機していた官九郎、三井陽一は、医師からにこやかに、
「芳佳さんの手術は無事成功しました」
と結果を報告すると、官九郎はうれしさの余り泣いてしまったのである。陽一は官九郎の妹に対する思いを読み取った。そして朗らかに、
「良かったなぁ官九郎」
と背骨の姿勢となった官九郎の背を左手でぽんぽんと叩きながら優しく語りかけたのである。
(これで芳佳ちゃんも安心して毎日を送れるな……)
陽一はほっとして、手術を成功させた医師にお礼の言葉を述べるのであった。このお礼の表情と声色は嘘偽りないうれしさが含まれていた。
そして二日後の事である。
病室にて芳佳はうれしそうな表情で官九郎と陽一と談笑していた。その姿は手術前の不安が跡形もなく消しさった。
「案ずるより産むがやすし」
そのようなことわざが今の芳佳に当てはまるのである。
芳佳の手術を聞いたクラスメイトや官九郎の親族が見舞いに来た。そして芳佳の無事を祝い、早めの"退院祝い"として多くの品物を置いておくのだった。芳佳や官九郎を思う人物がいたと見て良い。それほど二人は周囲に大事に育てられてきたといえる。
その退院祝いの中に不釣り合いなものがあった。市川昇一が芳佳に送ったものが異質にポツンと置いてある。それはお菓子などに使われる厚紙の箱の中に入っていた。三人は不思議に思い中身を確認すると文房具、図書カード、高級レストランの無料招待券……と彼なりに考えた品がそこにあった。
陽一と官九郎は市川が芳佳に贈り物をする場面は直接見たことはなかった。芳佳曰く突然病室に入ってきて、
「退院したら、これで楽しく過ごしなさい」
素っ気なく渡され、手術が無事に終わることの言葉を芳佳に語ったのである。そのしゃべり方は少し単語がとぎれとぎれになっていた。彼も恥ずかしかったのかもしれない。おもしろいことに同伴していた部下の立花は市川の表情、しゃべり方から少し顎を下に向けたり、後ろに振り返りながら肩を痙攣させていた。彼にとっては市川の行動は、とてもおかしいものであったといえる。
「あのオッサン……。不器用だな……」
陽一は少しにやけながら、二人に語った。その発言は陽一が数年間市川と付き合った証拠でもあった。
芳佳は二人の学校生活の話題について談笑した。途中芳佳は、陽一に対して希望の眼差しを向けたのである。それは同じ病院にいる美香の事であった。
3
次の日の朝である。
"そいつ"がやっとメディアに容疑者として取り上げられた日の事である。
今の今になって、官九郎は陽一の言葉を思い出し、小清水日香梨の存在を探した。同じクラスであったものの全く彼女について認識していなかったのである。
官九郎は〔異質な高校生〕で、自らの無実を証明してくれた日香梨に感謝した。日香梨の表情には偉ぶったりするという三宅の性格は何一つ見られなかった。その感謝に対して日香梨は、
「三井さんが全てやってくれた事だから」
と謙虚な姿勢のレスポンスを返された。
日香梨が突然官九郎に、
「心乃枝さん。明日三井さんと食事を一緒にとりませんか?」
という提案を持ちかけられた。この後陽一に日香梨からの誘いに対して、
「マジか!? あぁ行く行く!!」
やけに陽気に返事をしたのである。
陽一がこのような返答をする事は官九郎にとっては珍しい事であった。このような反応をする事は小清水に対して何かしらの好意を寄せているのではないかと官九郎は思った。
そして放課後――。
芳佳の見舞いに行った官九郎は病室にて他愛ない会話をした。芳佳にとって官九郎の学生生活の話は、官九郎の生存報告でもありこれからの生活に向けた希望を持つものであった。そして軽やかに話す官九郎の表情は嘘偽りないものであることが芳佳に何となく感じさせた。
あるとき芳佳は陽一の活躍についての事を官九郎に尋ねた。芳佳にとって初耳であった荻原流は嘘ではないか気になったのである。
官九郎は陽一の荻原流が強い事を芳佳に証明した。現場に居合わせた人物であるため、迫力のある具体的な事を語った。”そいつ”との戦闘における官九郎の存在は意味のあるものであったといえる。
「お兄ちゃん。明日陽一さんを連れてきてくれない?」
芳佳は官九郎に提案した。その瞳は頼み事のものであった。
「いいけど、なにがあったんだい?」
「陽一さんとだけで話があるんだ」
官九郎は顔を固くした。芳佳が陽一を好きになったのかと思惑を巡らせた為である。しかし出会いそのものがまだ短いため陽一と芳佳がそのような関係になるとは考えにくいものであった。加えて芳佳の表情にはうれしさや照れ隠しの要素は一切入っておらず、何か切迫した感情を持ち合わせたものであった。
4
陽一が芳佳と初めてコンタクトを取る数日前のことである……。
場所は遠く離れた北海道。四月の札幌市は未だに雪が残る景観である。ネオンと白き雪が交差する幻想的な都市の中で……。
「ぎゃあ……」
マンションの一室にて悲鳴がおこった。襲われた人物は何とかして逃げようとした。もう一人の男は逃げ出そうとする彼を柔術によって動けなくさせた。もはやそれは競技のものではなく立派な殺人術と見てよい。
一人の男は床に倒れた男の胴体の上にまたがり、何度も自らの拳で男の顔をたたきつけた。その一撃はすさまじく、怒りにまかせてたたきつける暴虐の行為であった。そして殴られた男の顔は赤黒く変色し、現代の科学捜査でしか判別ができないものとなった。すなわち目視での情報がつかめなくなったのである。
馬乗りにまたがり、男の顔を粉砕した狂気の人物は相手が絶命してもその表情は憤怒の表情であった。息を連続して短く吸って吐きながら、自身の歯をむき出しにしていた。
「お前は美香の将来を汚す悪者だ……」
彼の亡骸に向かって男は静かに語った。既に男の両腕は鮮血に染まっている。仄暗い一室にて一輪のレンゲソウの花が咲いたような模様ができた。
それでもなお男は怒り狂っている。なぜここまでして彼女に対する思いが強いのであろうか? 自身の行為が、彼女の人生を閉ざしていることに男は気がついていないのだろうか?
男は被害者の遺体から離れると、彼のパソコン、資料などを物色し始めた。恐ろしい事に先程の怒りとは打って変わり、鼻歌を歌い陽気になっていた。行動からも異常な鱗片を見せており、右手で本棚の資料を探るときにまるでピアニストが軽やかな旋律を行うかのごとく抑揚を付けて五本の指を駆使したのである。
そして男は資料を見つけた。血にぬれた両手などお構いなしに目的のページを捲った。
「あぁ~。なるほど。この県にいるんだ~」
そして男は資料から被害者の男性が彼女と文通していることを理解した。
「美香ぁ~。やっと話ができるねぇ~」
男は感極まり涙を流した。にやけとよだれを絶え間なく流している。
そして彼はきょろきょろとあたりを見回し、未使用のはがきと切手を探したのである。このときもステップを軽やかに踏みながら被害者の部屋を駆けた。そしてそれを見つけ出すと先程見つけた彼女の住所を丁寧に書いた後、裏面の本文に自身の妹に対するありったけの感情を達筆で記述した。
はがきに本文と住所を書き上げたとき、表面も裏面も被害者の返り血が両端にびっしりと染まっていた。男は切手を自分の唾液をのりがわりにして貼り付けると……、
「いまから美香の所に行くよ……」
自分自身の罪などお構いなしに発言した。そして鼻歌交じりに、シャワー室に向かった。
5
この日の陽一の気分は最悪であった。官九郎と同伴での日香梨との食事は、思わぬ邪魔者のせいで和やかな気持ちとは真逆の方向にそれてしまったためである。陽一の考えとしては彼女一人だけで来ると思っていたが、そこには彼女の友人三人がそこにいたのである。
その四人は全員日香梨とクラスが異なるものの中学時代からの腐れ縁というものがそこにはあった。日花梨は二人に自身の友人三人の紹介を行った。
彼女らはそれぞれ、
「早乙女明美」
「東堂美鶴」
「名取亜澄」
という名前であることを二人は初めて知った。しかし陽一としては全く本望ではなかった。できるなら日花梨当人とたわいない話を希望していたのである。彼女らの軽い紹介もあったが陽一にとって全く耳に入らなかった。
官九郎から見た陽一の瞳は少しばかり焦点を向いていなかった。少し目が点になったがすぐに意識を戻した。日花梨に話しかけられたためである。
陽一としては三人の情報こそ入らなかったものの、
「心乃枝さん……、すごく王子様の役が似合いそう……ですね」
と男性になれていなさそうな話し方をする黒髪の眼鏡の子を少し見て、
(官九郎に話している文学少女的な地味な子が早乙女とかいう子で……)
「三井君。キミはヒーローというよりは悪役に近いね?」
と男交じりの口調で陽一に語った。陽一は彼女に謙虚な相槌を打ちながら、
(この男装している時の方が違和感をもたないのが東堂……。……でだ)
陽一はじろりと隣の席の人物を睨み付けた。彼女は笑顔で陽一の右肩をつかみながら一刺し指で陽一の頬を執拗についてきた。陽一は避けようとしてもやめる気配はない。
「お前はやっぱり悪人だろ~。第一人称ですべてが決まるんだよ~」
と陽気に語った。
(金髪ハーフのうざいチビ助が名取か……)
陽一はやっと三人の情報を理解した。
(この統一性のない面子のどこに共通点があるんだ…? それとだ……)
陽一は何とかして日花梨と会話できるように話題を提供した。しかしながら名取が陽一の話題に対するレスポンスをほとんど掠め取ってしまった。執拗に名取にこまごまとした悪戯をうけながら、官九郎は日花梨と仲良く会話をしていた。
陽一の思考はもやもやとしたものであった。しかし表情に現さずに冷静に対処した。陽一は彼女らと話している最中、
(小清水さんと話せないのは悔しいな…。だがこの謎の違和感はなんだ…?)
と嫉妬と違和感が交差する答えのない思考を張り巡らせていた。これは陽一にとっては尋常ではない危機である。
そして-。
陽一と官九郎は芳佳の待つ病院に移動するため四人と別れた。陽一の表情は疲れと、気負いのものが見られた。
「また来週」
と日花梨に話しかけられたときはすぐに回復したが、視界から消えるとすぐに疲れが現れた。
官九郎も先程の陽一の惨状を知っているので、二人きりになった途端なんと陽一に話しかけていいかわからなかった。官九郎の目でも陽一の疲労具合は相当のものである。特に彼の頬は名取の好奇心による、執拗な攻撃によって両方の頬が赤くなっていた。
陽一の眉間にしわが寄っている。今度こそ彼は怒っていると官九郎は思わざるを得なかった。しかし妹の芳佳のことも話さなくてはならなかった。
「陽一。今日もまた芳佳の病院に来ないか?妹が陽一と話をしたいんだってさ」
官九郎にとって無言の陽一ほど恐ろしいものはなかった。何を考えているのかわからない。ヘタをすれば自分も攻撃をくらうかもしれないと不安になった。
ところが陽一は、
「んっ!?」
さっきまでの形相から一変していつも通りの表情にも戻った。彼は陽一に向けて少し目を丸くしている。官九郎は少しほっとして、
「よかった……」
とつぶやいたのである。
官九郎は、陽一にさっきの形相が恐ろしかったからなんて話せばよいのかわからなかったと正直に伝えると、
「俺も少し考え事をしてたんだ……」
「もしかして小清水さんのことか?」
「いや……。別のことさ……」
陽一は疲れを含んだ表情のまま官九郎に返した。そして二人はいつも通り病院に向かって歩き始めた。陽一は官九郎に対して何も怒りは持っていない。日花梨と二人きりで話をしているところは陽一にとって少しうらやましかったのは事実ではあるが、別に怒りに到達するものではなかった。
陽一は別のことを考えていた。彼の今後の生活にかかわることである。陽一は官九郎と歩きながら、
(俺と同じ裏稼業の奴がよりにもよって小清水さんのグループにいたとは……)
陽一本人も人物の特定はできていない。しかし裏家業特有の気配は陽一でも判別ができた。しかし下手に出れば自分の人生も脅かされるかもしれない……。市川昇一のように相手側から自分の平穏を破壊されるようなマネをされたくなかった。
結局のところ日香梨と話もできず、裏家業の人物に素性を知られることなくやり過ごす先程の時間は陽一にとって実に気が滅入るものであった。
陽一は意気消沈しながら、これから沈みゆく太陽に向かって歩き出したのである。
6
太陽が少し沈みかけた空となる。
病室にて退院の期間が近づいている芳佳はなぜか悩める少女の顔となっていた。芳佳は病室に来た官九郎を、
「今日は先にかえって。陽一さんに用があるの」
と伝え、陽一と芳佳の二人だけの空間となった。この二人を沈みゆく太陽が照らす。赤い空間が二人の色となった。
官九郎としては、芳佳の依頼はおそらく自分が懸念していたものとは異なるものであることが分かった。二人から離れながら少しため息を吐いた。
芳佳は、
「陽一さん……。私からのお願い聞いてもらえますか?」
この子の依頼とはいったい何であろうかと陽一は思った。見舞いの時の優しさの目は少し仕事の目に変わった。
陽一は先程の疲れもあってか、また何かの依頼でもするのではないかと嫌な予感はした。そしてその予感は的中するのである。
「別の病室にいる美香お姉ちゃんを助けてください」
陽一は美香という人物について芳佳の情報を聞いた。芳佳にとって美香は入院期間一緒に遊んだり、自分の悩みを聞いてくれる姉のような人物であった。ところが最近になって誰とも会話しなくなり、自身の病室にこもり、医師の面会以外扉を開けなくなった。
一回だけ芳佳はそのときの美香の表情を見たことがある。その姿はひどくやつれており、
「やめて……こないで……」
と身体をがくがくと震わせながら後ろに引く動作をした。芳佳にとっては一体何が起こったのか理解できなかったのである。
「私が立ち直れたのは美香さんのおかげです……」
陽一に話した。芳佳は自分だけが立ち直れたが、自身を励ましてくれた彼女が不幸のまま離れるのはやりたくないという心境を話した。
その間陽一は一言二言の相槌を打つのみであった。陽一はパイプ椅子を芳佳のベッドの近くに置き、腰をおろして中かがみになりながら彼女の話を聞いていた。
芳佳は官九郎から陽一の強さや人格についての伝言を聞いていた。事実芳佳に見舞いに訪れるので陽一に対する信頼はあったと見える。
陽一は芳佳の切実な願いを聞き流すわけにはいかなかった。陽一が生来受けている、
「困っている人を助けなければならない」
という癖が本能的に語りかけている為、陽一は見捨てることはできなかった。見捨てた場合そのときの罪悪感が今にでもふと思い出されるほど、人生につきまとわれる羽目になるのである。
「わかった。美香さんのところに連れて行ってくれ」
芳佳は陽一の目の前でにっこりとしてベッドから立ち上がった後、陽一の手首をつかんで美香の部屋に移動した。
陽一は数日前の記憶からそういえば金切り声がした病室はこの方向だったなと思い出した。そして、
(まさか……?)
と嫌な予感をするのである。
美香の病室は開いていた。二人は病室を眺めるとベッドにうなだれている一人の女性に複数の男性が取り囲んでいた。一人の男性が二人の気配に気づき振り返った。
「あれっ……。陽一君」
と立花が二人に語った。その後に続いて市川も振り返り、
「陽一……。ちょうど良いところにいた。これから話がしたい」
といい芳佳のみを美香の病室から追い出し扉を閉鎖した。芳佳は美香の無事と、陽一がこのトラブルを解決してくれることを祈った。
(陽一さん……。お願いします……)
7
美香の病室にて、市川をはじめとする刑事数名は陽一とともにこれからの会話を行っていた。
陽一は美香と目が合わせた。これが美香とのファーストコンタクトとなる。しかし美香は突然こないでと悲鳴をあげ少しの間暴れた。
陽一の目から彼女の苦労や心情を断片的ではあるものの情報をつかみ取ることができた。彼女の歳は二十代前半にあるにもかかわらず、憔悴しきった表情となり頬に弾力が見られなかった。腕や身体は痩せこけ、髪も白髪の割合が高いなど尋常ではない何かを体験したものと陽一は推測した。そして彼女の口内は歯茎が痩せこけ歯の隙間が目視で確認できるほど、嘔吐を繰り返したものであることが分かった。しかしなぜそうなったのか…?陽一はそのことについて市川に尋ねた。
市川はちらりと美香の方向を見た。
「陽一。これからの話は二人で話そう」
と二人は別の個室に移動するのである。
ところ変わって待合室。偶然そこにいた官九郎は、
(別の依頼のことだったのか……)
と思いすこしため息を吐いた。市川は、
「申し訳ないがここから離れてくれないか?」
と言われたので、官九郎は仕方なくとぼとぼと芳佳の部屋に戻っていくのである。
官九郎の姿が見えなくなると市川は陽一にある手紙を見せた。その手紙は美香宛に届いたものであり、その両端には血痕がびっしりとついていた。
「これは数日前彼女に送られてきた手紙でな……。彼女にこれから会いに行くと行った内容だ……」
陽一は手紙の内容を確認した。北海道から送られてきたものであり、その字は達筆で書かれてはいた。しかし陽一にとって共感できない内容が記されていた。
「これから会いに行くよ」
「美香は僕が守ってやるんだ」
「じゃまな奴はみんなやっつけた」
という返り血を含んだ手紙でのこの言葉は陽一でも心が縮みあがるものである。
「こいつは一体何者なんです?」
陽一は送り主の素性を市川に尋ねた。
市川の話によると男は美香の兄でもあり、大量殺人鬼でもあった。男の名は偶然にも"官九郎"であり、妹に接触をしたもの全てを重傷や殺害を行った。そのコンタクトを取った人物はSNSを通じて全国規模に渡り被害に遭っている。また彼女のにおいが長期間染みついているものを自身の嗅覚で見つけ追い詰めているほど野犬と言っていいほどの狂獣ぶりである。
彼の犯行は判明しているだけでも八人殺害しており、全国指名手配されている人物でもある。しかし警察の機動力を持ってしても彼特有の、野生の勘によって追跡を逃れることができたのである。
「まさか下の名前が同じ官九郎は……」
陽一は市川に困惑した表情を見せた。
「私たちは奴の事を”K”と呼んでいる。まあ気にするな」
と陽一に返した。本題でもこの男の名を”K”と呼ぶことにする。
陽一があることを思い出した。まさかその手紙が届いた日と女性の金切り声が聞こえた日が同じである場合、Kはもうすぐ来ているのではないかという不安に駆られた。そしてそのことを市川に尋ねた。
「その通りだ。そして明日中にも奴は来るかもしれん」
続けて、
「美香さんを明日別の場所に避難させることにした。これ以上Kによって罪もない人を殺されるわけにはいかない」
市川はこれから彼女を別の場所に避難させる旨を陽一に伝えた。そこは森林が生い茂る別荘地帯でもあり人気がないため被害者の数を最小限に食い止めることが可能である。しかしながら敵も森と一体化するリスクも存在した。
「じゃあさっきの刑事さんの人数は……」
陽一はある疑問を市川に伝えた。
「そうだ。彼女を保護するため大量の人数を配置したんだ」
と市川が語った。そして、
「美香さんの避難場所で必ずKは現れる。陽一……。Kを退治してくれないか?」
陽一に依頼を持ちかけた。
「やりますよ。必ずKを倒してみせます」
陽一は鋭い眼光を市川に向けながら依頼を承諾した。彼の先程の疲れはどこかに消し飛んだようである。
闇が空を覆い隠した時間となる。
ある人物がマンションの非常階段から双眼鏡を用いて各病室の窓を覗いている。男は笑顔になりながら、
「美香……。今は邪魔者が多すぎて会えないけど、今度こそ助けてあげるからね……」
と一人で呟いた。