魔力にかけられて
品行方正、品行方正と頭の中で唱えながら、私は廊下を歩いている。壁際でなにやら騒いでいた女生徒二人組が、私を見るなりぎょっとして頭を下げた。
「あっ、副会長。ごぎげんよう」
「ごきげんよう。廊下でのお喋りは行儀が悪いよ。それと……」
私は彼女らが後ろ手で隠したものに目を光らせる。
「携帯電話。次に使っているのを見たら、没収するのでよろしくね」
「あっ、うっ……ご、ごめんなさい」
完全に恐縮した状態の二人に私も頭を下げて、再び歩き出す。手に持っているのは秋に行われる体育祭についての資料だった。これを私は、生徒会長に手渡さなければならない。
やがて校舎の端の方にある生徒会室が見えてきた。私はその扉の前に立って、ノックをしようと拳をあげる。
すると、かすかに中から声が聞こえてきた。
「んっ……! あっ、せ、生徒会長……」
「そんな堅苦しい名称で私を呼ばないで。ちゃんと名前があるでしょう? ほら、私の名前で啼きなさい」
「ふぁっ……夜長さんっ……」
私はノックも忘れて、壁に叩きつけるように扉を開いた。室内に置かれたソファにて、まぐあう女性二人の姿がある。ソファに背中を預けているのは私と同じ学年の女の子で、その上に覆い被さるようにしているのは、生徒会長である篠崎夜長だった。
「夜長生徒会長っ! 神聖な生徒会室で、何をしているんですか」
「何って、まあナニだけれど。ちょっとは空気を読みなさいよ、律乃」
「やかましい! 生徒会室はラブホテルじゃありませんっ!」
私たちが言い合っている間に、会長に組み敷かれていた女の子は乱れた服を直しながらバツが悪そうな顔で出ていった。彼女を見送って、私はため息をつく。
「もう。これで何回目ですか、会長」
「私は女の子を抱くのを数に換算したりしなのよ。それに、数えたってキリがないしね」
私、女の子にもてるから、としたり顔で会長は言う。さっそく頭痛がしてきた。
「とにかく、こういうことはしないでください。学校内の風紀に関わりますから」
「残念ながらそれは無理な相談ね」
「なっ、どうしてですか」
「そこに女子がいるからよ」
「そこに山があるから、みたいに言わないでください!」
相変わらず反省のかけらもない彼女には、何を言っても無駄なようだった。私は説得を諦めて、手に持っていた資料を彼女に手渡す。
「……秋の体育際の書類です」
「ああ、もうそんな時期なのね。じゃあ今日はこれについての会議をしましょう」
ブレザーの制服をきっちりと正して、彼女は長い髪を華麗にはねつける。思わず見惚れていた自分に気づいて、あわてて首を振るった。
夜長会長には、ほとんど魔力といっていいほどの力がある。
一目見ただけで彼女の姿はほとんどの人の脳裏に焼き付けられ、気づけば目で追ってしまうようになる。そうしてひとたび、その赤く艶やかな唇で囁かれてしまえば、すっかり彼女の虜となってしまうのだ。
もっとも、彼女の獲物となるのは同じ性別である女の子に限られていた。彼女は生粋のレズビアンなのである。
彼女に惹かれてその糸に引っかかる女の子は、驚くほど多い。きっと彼女が纏っている光がゆらゆらと耽美に揺れて手招きをするから、思わず近づきたくなってしまうのだろう。
「あら。どうしたの、律乃。ひょっとして私に見惚れてる?」
「はっ。ち、違います」
いたずらっぽく言われて、私はそっぽを向いた。まさか図星だとは、口が裂けても言えない。
「生徒会室をああいったことに使うのはよくないと、言おうと思っていたんです。今後は、ここに女の子を連れ込まないでください」
「そんなこと言われたって、向こうから来るんだもの。それに私は断るって言葉を知らないから。二十四時間常時営業状態よ」
「あなたはコンビニですかっ!」
こんな風に、彼女は私の注意をのらりくらりとかわして平然としている。私がそばを歩くだけでこの学校の生徒は姿勢を正すというのに、これでは副会長の名折れである。
しかしそれでも憎みきれないところがあるのが、また夜長会長の魔力でもあった。
それから生徒会の役員たちが続々と生徒会室にやってきた。全員が集まってきたのを見計らって、夜長会長が席を立つ。
「みんな来たわね。今日は秋の伝統行事、体育祭のことについて話し合いましょう」
彼女が口を開いただけで、雑談をしていた役員たちが一斉に引き締まった顔になった。そして誰もが率先して自分の意見を言い、それについて話し合う。何の乱れもなく、会議は進行していき、誰一人として、乱れた行動はとらない。
これもまた、夜長会長の魔力だった。一度彼女が手綱を引いてしまえば、後は黙っているだけでも状況がいい方向へと動き出す。
「出来たら、コスプレをして走る仮装リレーというものをしたいのですが。どうでしょう」
役員の一人から出された提案に、私はすぐさま首を振るった。
「それは無理です。学校の品行を著しく下げることになりかねません」
「えーっ、でも副会長。結構生徒の人たちからは要望の声が挙がっているんですよ」
「何を言っても駄目です。大体そんなもの、先生たちの許可が下りるわけが……」
「いいんじゃないかしら」
不意に背筋をぴんと立てて座ってた夜長会長が言った。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「体育祭、というからにはお祭りであるわけで、そこにある程度の自由は必要よ。それに節度さえ保てばそこまで品行に関わってもこないでしょう」
「で、ですけど、先生の許可が……」
「それは私が直接先生方に掛け合うつもりよ。結局のところ、参加している生徒たちが楽しくなければ、体育祭の意味はないと私は思う」
だから要望は出来る限り受けるわ、と彼女は言い切った。周りから感嘆のため息が上がる。
この人は、と思う。ただその場を纏めるだけのお飾りの生徒会長ではない。その胸には生徒会長としての情熱が秘められている。この学校のため、またこの学校にいる生徒たちのため。
私はこの人のために、生徒会に入ったのだ。かたや来るもの拒まずの女性関係にだらしない人であれど、かたやこんなにも輝かしい生徒会長としての顔を見せるときがある。
私は隠れて一人、ため息をつく。結局のところ、私も彼女という人に惹かれている一人に過ぎないのだと思うと、何だかくやしかった。
体育祭の会議も体よく終わり、役員たちは晴れ晴れした顔で帰っていく。私はそれを見送りながら、残りの書類を片づけていた。
「あら、律乃。まだ仕事してるの?」
最後まで残っていたらしい夜長生徒会長が話しかけてきた。
「ええ。仕事を残すのは嫌なので。これだけ終わらせて帰ります。会長は?」
「私はこれからデートの約束があるから」
私は眉間を指でおさえる。やはり、夜長会長は夜長会長だ。先ほど、あんなに凛々しい顔をしていたくせに。
「あんまり乱れたことをしないでください。あなたは生徒会長なのですから」
「あらあら。私は生徒会長である前に、一人の女なのだけれど。それに、恋愛って言うのは決して乱れたことではないでしょう」
「それでも、複数の女性と交際することはよくないことだと思いますが」
「さっきも言ったけれど、私にとってそれは鳥が空を飛ぶ如く当たり前のことなのよ」
「はぁ……私のような凡人には到底たどり着けない境地ですね、それは」
「そうかしらね」
突如、彼女は私の頬に触れてきた。驚いて顔を上げると、間近の距離で彼女が微笑んでいる。頬に当たる温かい体温と、近い顔の距離。鼓動が揺らぎ始める。
「律乃の真面目すぎるところ、私は大好きよ。でもたまには、ハメを外すことを覚えないと。人間、綺麗な顔ばかりしていると肩が凝っちゃうわ」
「き、綺麗な顔、ですか……」
「そう。私は真面目っていう仮面を外した律乃の顔も見たいし、そんなあなたも好きになる自信があるわ」
「ど、どういう意味ですか」
「そういう意味よ」
そうして彼女は顔を近づけてくる。思わず私は目を閉じた。早くなった鼓動が、体の中で轟音を響かせている。やがて額の方に、柔らかい感触が触れた。彼女がキスをしたのだ。
「へっ、会長……?」
「ウブねぇ。いい加減恋人を作りなさいよ。楽しいわよ、恋愛は」
彼女は背中を向けて手をひらひらさせながら去っていく。私はじっとそんな彼女を見つめ続けていた。
大きく息を吐き出して、私は椅子にもたれかかる。彼女が顔を近づけてきたとき、唇にキスをされると思っていた。そしておそらく私は、それを望んでいたのだろう。
「恋愛なら、もうとっくにしてますよ……夜長さん」
もっともそれはまだ、片思いとかいう部類の話らしいですけれど。