#9
「あんなんが新人で良いわけぇ? 俺の蹴りで軽く十メートルは吹っ飛んでたぜ?」
ディガが指を立てて右足の踵で床を叩く。
人を蹴りで吹っ飛ばしたのか。というか、こいつは悪魔を解放されていないはずだ。それなのにそれほどの力を出せるということはもともとの身体能力が高いのかもしれない。悪魔憑きは普段でも少しだけ運動に特化している部分がある。
イキサザが一歩踏み出すとディガは苦い顔をして後ずさった。
「おい。帰るぞ」
「……分かった分かった。今日はこの辺でな。まぁまぁ楽しかったよ」
ナラナがディガにマスターキーを突き出して回す。ディガの腕輪が手かせのようにくっついて、それを握って歩き出す。
その様子を眺めていた私にナラナが溜息を吐く。ディガはイキサザと談笑を始めた。
「申し訳ありませんでした」
怒られると分かっていたので先に謝るとナラナは何度も頷いてから私の額を指ではじいた。
少し痛かったけれど、これくらいはされて当然なのだと思う。
結局何もできなかった。ディガも悪魔憑き。それが原因で行動できなかったなんて理由は弱い。弱すぎる。
「これからは俺の指示に従ってもらわないと困るからな?」
ナラナは少し頬を膨らませた。
私はおでこを手で押さえながらナラナが握っているディガの手かせに視線を落とす。
「わかっています」
心配そうな色を瞳に作ったが、それ以上何かを言われることは無かった。
廊下の角を曲がった先の扉は開いていた。その中にディガを放り込み魔術で鍵をかけた後に、エレベーターで下に降りてからイキサザを部屋に戻した。
「なかなか大胆なことをするんだね」
「マヒリー、あんまりユニザをいじめてはだめですよ」
なんて言いながらもイザベラも楽しそうに私とナラナを迎えてくれた。
一応みんなにも謝っておいた。
そして私たちは指示に従って元の就任式を行った会場に戻ることにした。
いくら行動をしても、いくらアンナに質問をぶつけられても、私の頭から離れない色があった。
赤。ディガの足の赤。人の血。躊躇いなく人を傷つけた悪魔憑きの足。
恐ろしいとは分かっていたはずなのに。悪魔憑きが凶暴なことくらい。
私はむしゃくしゃした。だからあんなにひどい言葉を言ったような気がした。
でもそれでも赤は消えてくれなかった。
私は血が怖いのかもしれない。いや、悪魔憑きが怖いのかもしれない。
部屋に帰ってきたのは月が空の一番高いところに来た時だった。
みんなと軽い談笑を最後にして、ナラナにもう一度釘を刺されて解散してきた。
ナラナが言うには、これで本当の合格らしい。
代表の隊員が就任式での行動を監視して、行動を分析してやる気を判断したのだという。
最後には謝ってくれたけれど、あの謝罪の言葉が本物かどうかを見極める能力は私にはない。本当は悪いなんて思っていないんじゃないだろうか。
「あらユニザ! おかえりなさい!」
「あ……ただいま……」
玄関で今日のことを思っていた私をおばさんが温かく迎えてくれた。私の姿を不思議そうに眺めて、そして夕食のことを聞いてくる。
私は断った。どうにも食べる気になれない。それが何から来る疲労なのかはわからない。ただ今食べても味が分からないような気がした。
自室のベッドに倒れこんでそして枕を被る。これではいけないと思い、髪留めだけを外した。
形が決まっている髪留め。モチーフは解錠師の名前から取って鍵だ。紫色のそれに金色の線が入っていて一見するとデザインの様だが、それはちゃんと鍵の形らしき模様を描いているのだ。
それを握りしめる。
この髪留めはいわば解錠師の証だ。色んな解錠師の証はあるけど、これもその中の一つ。
解錠師になった。これから一緒に働く仲間とも会話できた。就任式で試されて、そして認められた。
嬉しいはずだ。これで終わりではないとは分かって居ても、それでも嬉しいはずだ。でもなんだか釈然としない。
何故あの時ナラナとイキサザの後を追おうと思ったのだろう。自分でもできることがあると思ったのだろうか。まさか。できなかった。ナラナのように指示を出すことも、率先して人を庇うこともできなかった。ただでしゃばっただけだ。
ナラナの力をそばで実感した。私だったら問答無用でマスターキーを使っていたと思う。でもナラナは違った。話を聞いてから発動させた。
私はのろのろと体を起こして軍服を脱ぎだした。スカーフを外して、そして溜息を吐く。
明日こそ、明日こそ頑張ろう。気を引き締めよう。
子の仕事は大切な仕事なのだ。兵器である悪魔憑きを扱う大変な仕事。私にしかできないことがある。それを忘れてはいけない。
まだ始まったばかりなのだ。油断はできない。
そうと決まれば早く眠ろうと思った。だからさっそくシャワーに向かった。何かを考えてしまうと自分が死んでしまいそうだった。
アンナは状況判断が苦手。
イザベラは少し人に甘い。
ツキノは協調性に欠けている。
マヒリーは言葉が下手。
私は。
私は、自分の力を過信しすぎ。
反省しないと。
次に生かさないと。
成長しないと。