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ちぐはぐ

真逆のひと

作者: さわ

 目つきが悪い。無駄に筋肉質。謎の威圧感。

 千種(ちぐさ)隼人(はやと)の自己認識はそんなものだ。

 その彼がなんとなく張り切るのが、体育祭だった。彼の図体も、威圧感も、敵では恐ろしいが味方だと心強いことこの上ない。クラスでも重宝される。

 そして陸上部で鍛えていることもあって、彼の脚力は選抜リレーに選ばれるほどだった。選抜リレーはクラスから男女四人ずつ出場する種目で、彼はそのアンカーを任されていた。


 しかし、放課後、部活が始まる前に体育祭の練習へと向かう彼の足取りは重かった。

 まず人は見た目から印象を受ける。

 隼人が与えてしまう威圧感は、ほとんどの場合マイナスの印象だ。彼が社交的でないせいでもあるのだが、入学から半年あまり過ぎたもののクラスに打ち解けているとは言いがたい。

 日頃つるむ数少ない仲間がいない選抜リレーで、隼人は黙って突っ立っていた。


 女子は着替えに時間がかかるらしく半分ほどしか集まっていないために、練習はまだ始まらない。

 隼人のように一人でいる者もいたが、よく知らない人間に気さくに話しかけるような爽やかな性格と外見ではない。隼人もそこはきちんと自覚しているので、身動きせずに彫像と化していた。黙っていると威圧感が増すので、待ち合わせにすら利用されないような彫像だったが。


 この選抜リレーの練習は急遽ねじ込まれたものだった。授業時間を割いた体育祭の練習は全員が参加する競技の練習で手一杯になってしまい、放課後のわずかな時間だけグラウンドを使用する許可を得たのだ。

 全員リレーの練習はしたのだから、わざわざやらなくてもいいだろうに。

 そう思って、腕を組む。全員リレー、嫌なことを思い出した。隼人はわずかに顔をしかめる。


 一年生全員が参加する全員リレーの練習はすでに何回かした。入退場と、実際にグラウンドのトラックも走った。

 練習であっても、バトンを持った者以外も争うように大きな声援を飛ばす。足の速い選抜メンバーは人一倍大きなエールを受けていたが、隼人へのものは段違いに少なかった。普通の生徒と比べても、明らかに。

 別に黄色い声援がほしいわけではない。そうではないが、あからさま過ぎてへこんだ。いくら大きな図体をしていてもそこは思春期の少年だった。

 中学校は小学校の繰り上がりのような面子だったので、隼人が見た目で避けられることはあまりなかった。その違いを感じたせいでもある。そんなに自分は恐れられているのか、とため息をつきたくなる。


 暗い気分に陥りながらぼーっとしていると、くい、と体育着が引っ張られた。

 反射的に隼人は振り返り、ぎょっとする。

 隼人の肩くらいしか身長のない女子が、人好きしそうな笑みを浮かべて隼人を見上げていた。


「バトンの受け渡しの練習、付き合ってもらってもいい?」


 驚愕して、隼人は何も答えられなかった。

 彼女の名前は早戸(はやと)ちぐさ。千種隼人と名字と名前が逆の、彼のクラスメイトだ。彼女もまた選抜リレーのメンバーだった。

 名前の衝撃が強く、真っ先に彼女の名前と顔は覚えたものの、話したことは一度もなかった。それが突然にこやかに話しかけられて、驚かずにはいられない。

 リレーに必要な道具は既に準備されており、ちぐさはバトンを手にしている。確かにこの時間はもったいないが、練習相手が自分でいいのだろうか。

 ちぐさはほんわかとしていて、お化け屋敷にも虫にも悲鳴をあげそうな女子だ。自分が怖くないのか、とまるでなにかのセリフのような疑問を抱く。

 しかしそんな困惑も表情には出ていないので、ちぐさは続けた。


「千種くん、アンカーだよね? わたし一番最初なんだけど、バトン渡すの下手なんだ。だから、もし良かったら」

「……いいけど」


 ちぐさが構わないならと、とりあえず隼人は頷いた。


「ありがとう。じゃあ、そこにいてね」


 十メートルほどの距離を空けたあと、ちぐさは軽く走ってくる。

 バトンの渡し方を見るために、隼人も後ろを向いたまま走り出す。仮にも陸上部なので、何かアドバイスできるかもしれない。

 隼人の手に、ちぐさがバトンを伸ばす。ちぐさがバトンを渡すまでの一連の動作を観察し、立ち止まってから隼人は「バトン持つ位置はもっと下でいいよ」と告げた。


「そうなんだ。あんまり下の方持つとすっぽ抜けちゃいそうで怖かったの」

「……バトンを渡そうとするタイミングがちょっと遅いから、できるだけ下の方持った方がいいと思う。その分バトンが先に届くし」

「わかった。ありがとう!」


 にっこりちぐさは笑った。満足そうに、嬉しそうに、満面の笑みで。

 密かに隼人はたじろぐ。落ち着かない気持ちになって、また練習をしようかと声をかけようとすると「あ、そうだ」とちぐさが口を開いた。


「隼人くんって呼んでいい?」


 固まった。表情筋は始めから固まっているようなものだったが、全身が固まった。しかし心臓は強く鼓動を打ち始めた。

 無言でいると、「嫌ならいいんだけど」とちぐさは慌てて続ける。


「わたし達、名字と名前逆でしょ? ちぐさっていつも呼ばれてるから、隼人くんの方が呼びやすいかなって思って」


 正直、名前で呼ばれると気恥ずかしかった。

 しかし嫌がられたと思ったらしいちぐさが沈んでいる様子を見て、隼人は慌てて「名前でいい」とつくろった。

 そこで響いた「練習始めまーす」という係の者の声に、彼はなんだか救われたような気がした。


 グラウンドを占領しての練習なので、部活が始まらなくて暇な部員や、わざわざ見物に来た生徒達がリレーのトラックを囲んでいた。すでに応援の声が飛んでいて、隼人の気は重くなる。

 女子四人がスタートの位置に着いていた。その中にちぐさもいる。トラックを半周ずつ走るので、彼女は隼人が待機している側とは反対側にいる。

 彼女は隼人の助言通りにバトンの下を持っていた。そして、バトンを見つめては握ったり離したりを何度か繰り返す。先程言っていたように、すっぽ抜けないか心配なのだろう。走っているときには自然と手にも力が入るだろうし、汗で滑ったりしなければ平気だろうに。

 単純というか、純粋というか、天然というか。どこかくすぐられたような、おかしな気分だった。


 始まりを告げる空砲が鳴る。

 ちぐさは小柄ながらも、速かった。四人いる中で二位につけている。トップとは僅差で、他の二人とはいくらか距離がある。

 次に走る選手はちぐさが近づいてきたのを確認し、走り始める。直線に入ってもトップの背中を追いかけるような距離は変わらず、そのままの順位でちぐさは次の選手にバトンを渡した。

 バトンはきちんと下を持っていた。タイミングも治っていた。スムーズに渡せており、受け渡しは隼人の目には完璧に映った。

 ――バトンを渡した次の瞬間、ちぐさが転ぶまでは。


 バトンを渡す位置が近かったことと、ちぐさがバトンばかり気にしていたことがいけなかった。一足先にバトンを渡して速度を緩めた選手の足に、ちぐさがひっかかったのだ。

 隼人はそれを目の前で見て思わず駆け寄ろうとするが、その前に控えていた女子達がちぐさを囲んだ。

 地面に膝をついたちぐさは、「大丈夫!」と立ち上がってみせる。その膝は土まみれで、土の茶色の中に赤が混じっている。しっかり擦りむいていた。

 結果的に転ばせてしまった女子は、慌てた様子でひたすら謝る。「平気だよー。わたしもちゃんと前見てなかったし、ごめんね」とひらひら振る手も、擦りむいて赤くなっていた。

 保健室に行こうとすすめる女子に、ちぐさは首を横に振った。「リレー終わったらね」と答え、手の平の土を払い、何気なく顔を上げる。

 目が合った。

 ちぐさは目を丸くしてから、恥ずかしそうに笑う。そして小さく拳を振りかざした。がんばれ、とでも言うように。


 一瞬、隼人は自分の呼吸が止まったかと思った。

 ちぐさが転んだことにも、自分が思わず駆け寄ろうとしたことにも驚いた。そして、ちぐさの振る舞いに、なぜ、という気持ちが絶えない。

 怪我が痛いだろうに、笑ってみせる。ただ立ち尽くす、先程少し話しただけの隼人にも笑いかけ、応援してくれる。

 名前と同じように、逆だ。社交的で、周りを気遣って、分け隔てないあたたかさを持っている。


 リレーが終わるまで待つというのは、結果が気になるということだろうか。

 どういう理由にせよ、隼人が走るのを見届けるということだ。それならば、無様な姿は見せられない。

 順番が来て、彼はトラックに出た。一つ落として、順位は三位になっていた。アンカーは一周走ることになっており、まだ番狂わせは起こりうる。


 バトンが隼人の手に渡る。一位の選手は十メートルほど先、二位の選手はその中間を走っていた。

 隼人にバトンを渡した選手に向けられた、声援のさざなみが引いていく。聞こえるのは他のクラスの声援だ。唇を噛む。さっさとゴールしてしまおう。

 そううつむきかけたとき、不意に響いた声が他の選手への声援を裂いた。


「隼人くーん! がんばれーっ」


 ゴールテープのあたりで、小柄な人物が跳ねていた。

 ちぐさだ。まだ距離はあるのに、彼女の声ははっきり届く。

 彼女が声援を飛ばすと、見物にまわっていたクラスメイト達も隼人の名前を呼び始めた。


 恐がって名前を呼ばないのだと、隼人は思い込んでいた。実際それは一因でもあったが、最も大きな原因は名前だった。

 クラスメイト達は隼人をどう呼ぼうか困っていた。名字も名前もちぐさとかぶってしまう。

 普段から呼び慣れていることもあって、クラスの共通認識として「ちぐさ」は彼女のことを指すが、隼人のことを名前で呼ぶことには抵抗があった。彼自身が積極的に関わろうとしなかったことが、クラスメイト達と微妙な距離感を作っていたのだ。

 しかしちぐさが名前で呼び始めたことで、観衆のクラスメイトはひとまずそれに習った。逆転の期待を背負ったアンカーを応援せずにはいられない。


 不思議なことに、隼人は応援の声に背中を押されているような気がした。気分が高揚する。二位の選手を抜かし、その先を行く選手を目指す。

 強く早く、地を蹴る。じわじわと内側から力がわいてくる。心臓の鼓動はうるさいが、その音も声援に紛れていく。目前の背中を追いかけ、直線で並び、ゴールテープに突っ込むように駆けこんだ。


「二着! すごい、おめでとう隼人くん!」


 肩で息をしながら立ち止まった隼人のもとへ、ちぐさが駆け寄る。バトンを持った隼人の手を掴んで、ちぐさはぶんぶん振り回した。

 どこからそんな元気が出てくるのか。全速力で走った隼人は脱力して頬をゆるませた。

 それを見て、衝撃を受けたようにちぐさは目を見開いた。


「いま、わらっ――」

「一位じゃなくて、ごめん」


 体育着の袖で額の汗を乱暴に拭い、視界が遮られていたせいで、隼人はちぐさのあからさまな表情の変化に気づかなかった。「ん?」ちぐさが何か言いかけたことに気づいて、彼は首を傾げる。


「そうじゃなくて、そうじゃなくてね」

「ああそうだ、保健室行かないと」


 ちぐさは不満とおかしさが拮抗したような表情を浮かべた。彼女の中でその二つが秤にかけられたが、「なに?」隼人は何もわかっていない顔をするので、その秤が傾いて彼女は吹き出した。


「ううん、なんでもない。保健室までついてきてくれる?」


 自分でいいのだろうか。再び思いつつ、隼人は頷いた。


「ありがとう、隼人くん」


 彼を見上げ、目を細めて、ちぐさは顔をほころばせた。彼女は機嫌良さそうに歩き出す。

 向けられた笑顔にとぎまぎしながら、隼人は軽い足取りの彼女についていく。二位に終わったというのに、彼女が上機嫌でいる理由がさっぱりわからない。しかしちぐさが満足そうならいまはまあいいか、と考えて、隼人はわずかに口角を上げた。

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