婚約者よりも親友に言いなりの令嬢とは、結婚できません。
レオンハルト・バセル公爵令息は苛立っていた。
アイリーナ・ファセル伯爵令嬢と家の都合で婚約を結んだ。
一月前である。共に17歳。
フワフワの金の髪にいつも、にこやかで明るいアイリーナ。
レオンハルトは金髪碧眼の美男でモテる。
王立学園でもモテるが、アイリーナという婚約者が出来た。だから、女性とは距離をとった付き合いをするようになった。
今までのように、色々な女性とデートをしたり親しくする訳にはいかない。
アイリーナと王立学園でも交流しようとした。
今日も、昼の食事にアイリーナを誘ったのだが、いつも割り込んで来る令嬢がいるのだ。
ディセリーヌ・アルド伯爵令嬢。
ディセリーヌは輝く金髪が魅力的な美人だ。
そのディセリーヌはアイリーナの親友だと言って、アイリーナに話しかけてくるのだ。
それはいい。それはいいのだが、アイリーナとレオンハルトの間に入り込んで、レオンハルトの腕に手を絡めてくるのだ。
なんで婚約者同士の間にこの女は入り込んでくるんだ???
レオンハルトとしては面白くなかった。
だから今日も、アイリーナと食堂で待ち合わせをした時に、ディセリーヌが共にいて、
親しげに腕を絡めてきたので、
はっきりとディセリーヌに言ってやった。
「私はアイリーナの婚約者だ。このように腕を絡めてこられたら困るんだが」
ディセリーヌはレオンハルトを潤んだ目で見上げながら、
「いいじゃありませんか。わたくし、レオンハルト様とも親しくなりたいのです。アイリーナの親友ですもの。親友の婚約者と親しくなりたいと思うのは当然ですわ」
アイリーナもにこやかに、
「ディセリーヌはわたくしの事を心配してくれているのです。わたくし、ちょっとおっとりとした所があって。レオンハルト様がどんな方なのか、見定めたいのですって」
いやいや、ちょっと待った。
なんでこの女に見定めたいだなんて言われなくてはならないっ。
そもそも婚約は家と家同士の契約だ。
それなのに?見定める?
お前は何様だ?
ディセリーヌはレオンハルトに、
「ですから、わたくし、貴方の事をもっと知りたくて。貴方と親しくなりたくて。どうか、貴方の事をわたくしに教えて下さいませんか?」
アイリーナはにこにことその様子を眺めている。
何故?アイリーナはディセリーヌのこの距離を眺めているだけなんだ?
婚約者はアイリーナ、君だぞ。
ディセリーヌではないっ。
レオンハルトはディセリーヌに向かって、
「誠にすまないが、アルド伯爵令嬢。私はアイリーナと二人で話をしたいんだ」
ディセリーヌは、
「アイリーナは一人では何も出来ないので、わたくしがいつも傍についているのですわ。幼い頃からアイリーナとわたくしは領地も隣で、アイリーナがあまりにもトロトロとしているものですから、いつもわたくしが傍について、面倒を見てあげていたのです。ですから、今回もわたくしが着いてきたのですわ」
アイリーナも頷いて、
「ディセリーヌの言う通りにしていれば、わたくしは安心して過ごす事が出来るのです。ですから、レオンハルト様からお昼に誘われて、ディセリーヌに着いて来てもらったのですわ」
はぁ?一人で何も決断できないのか?アイリーナ。
父上も父上だ。いくら政略とはいえ、こんな女を私の婚約者に押し付けるだなんて。
アイリーナに向かってきっぱりと、
「君は一人では何も決断できないのか?」
「え?だって、幼い頃からディセリーヌの言う事さえ聞いていれば、間違いはないのですから。わたくしが考えるよりも、ディセリーヌに判断して貰った方が間違いないですわ」
「今回の婚約を受けたのは、まさかアルド伯爵令嬢に判断して貰ったんではないだろうな」
アイリーナは首を振って、
「さすがに家と家の婚約ですもの。お父様の命令でわたくし、貴方と婚約したのですわ。でも、貴方とどう付き合っていいか解らなくて。ディセリーヌに相談したら、ディセリーヌが任せておいてっていうものだから」
ディセリーヌも頷いて、
「ええ、わたくしに任せておけば、間違いないですわ」
レオンハルトはディセリーヌの腕を振りほどいて、
「何が間違いないだ。私はアルド伯爵令嬢とこのような親しい関係になりたくはない。アイリーナと婚約したんだぞ」
ディセリーヌはレオンハルトの手を両手で握って、レオンハルトの耳元で囁いた。
「アイリーナみたいな馬鹿よりも、わたくしと婚約して下さいませ。わたくしなら、公爵夫人も務まりますわ。それに、レオンハルト様。お慕いしております。どうか、わたくしと婚約を」
アイリーナはこちらを見て、にこにこと笑っているだけだ。
レオンハルトはディセリーヌから離れて、
「食事を共にする気が失せた。失礼する」
両親に話をしてみようと思った。
アイリーナの性格の問題を。
夕刻、授業が終わった後、屋敷に戻って、父バセル公爵がいる執務室をノックした。
「入れ」
「失礼します」
中に入れば父は母と共に話をしている最中だった。
レオンハルトは父に向かって、
「何故、ファセル伯爵家と縁を結ぶ必要があったのです?アイリーナ、あの女は駄目です。性格に難があります」
父バセル公爵は、
「事業提携の為、両家の縁を強くするために結んだ婚約だ。アイリーナ・ファセル伯爵令嬢が性格に問題があることは解っている。ならば、お飾りの妻にしておけばよいだろう。どうせ、あの女は何も判断できない。優秀な者を傍につけて言う事を聞かせればよいだろう」
母も頷いて、
「そうよ。お飾りの夫人にしておけばいいとわたくしも思っております。何か問題でも?」
レオンハルトは慌てて、
「無能と解っていて、婚約を?」
父はぴしゃりと、
「必要だから結んだ。この婚約は解消することは許さん。解ったな」
いくら可愛らしくてにこにこしているような女でも、ディセリーヌの言う事を聞いて、判断力がない女なんて絶対に嫌だ。
父はしっかりしたものを傍につけて、操ればいいと言っているけれども。
どうしてなんで?
なんでそんな馬鹿な女と結婚しなければならないのか?
それが政略で我慢しなければならないだなんて。
私だって、愛する妻と可愛い子供との生活に憧れているんだ。
レオンハルトは頭に来た。
だから、父に反発してアイリーナに婚約解消を突き付けてみることにした。
アイリーナを放課後に教室に呼び出した。
また、ディセリーヌが着いてやってきた。
レオンハルトはアイリーナに向かって、
「この婚約は家の都合だって私だって解っている。でも、私は君と婚約を解消したいと思っている」
アイリーナはディセリーヌの顔を見た。
ディセリーヌはにこやかに、
「婚約解消を考えているのなら、家で相談の上、それを受け入れたらいいんじゃないかしら。愛のない結婚なんて不幸を呼ぶだけだと思うの」
アイリーナは頷いて、
「ディセリーヌがそう言うなら、愛のない結婚なんて不幸を呼ぶだけですもの。お父様やお母様にレオンハルト様が婚約解消を考えていると言ってみるわ」
レオンハルトは慌てて、
「しかしだ。お互いの両親は反対して、婚約解消は出来ないだろう」
アイリーナはディセリーヌを見た。
ディセリーヌは、
「でも、アイリーナが嫌がっているのなら、ファセル伯爵夫妻に言ってお願いしてみたら?
婚約解消したいって」
「ディセリーヌが言うのなら、わたくしは嫌がっているのでしょうね。お父様お母様に婚約解消をお願いしてみるわ」
この女は自分の意志が本当にないんだな。アイリーナ。
父上母上に叱られる。
それでも、この女と結婚したくはない。
そう思えた。
数日後、バセル公爵はレオンハルトに向かって、
「お前が婚約解消を考えていると言ったそうだな。アイリーナ嬢もお前が嫌だから婚約解消したいと言っているそうだ。両家の事業提携はそのままに、お前達の婚約を解消させることにした。それからアルド伯爵家のディセリーヌ。その女がこの婚約に口出しをしたということが解った。だから、アルド伯爵家に厳重に注意した。その女を目につくところに置くなと。二度とお前の目の前に現れる事はないだろう」
父は怖い。
そう思った。
だが、アイリーナとの婚約が解消されて、心からほっとした。
ディセリーヌは家で謹慎を命じられていた。
こんなはずじゃなかった。
アイリーナの婚約を壊して、自分がレオンハルトと婚約を結びたかったのだ。
あんな馬鹿なアイリーナよりも、自分の方が美しいしレオンハルトの婚約者にふさわしい。
なんたって相手は公爵家よ。公爵家。
今まで、ディセリーヌだって、婚約話が無かったわけではない。
だけども、自分の容姿に自信があったディセリーヌ。
わたくしは王族や公爵家に望まれてもおかしくないはずだわ。
そう思ったから、隣の領地のいつもボンヤリとしたファセル伯爵令嬢アイリーナに、バセル公爵家から婚約話があったと聞いた時に、頭に来た。
あんなボンヤリした、お馬鹿なアイリーナに公爵夫人なんて務まるはずはない。
王立学園でも何かあるたびに、ディセリーヌに頼りきりで判断を任せて来たアイリーナ。
アイリーナを利用して、レオンハルトの婚約者になってやろうと、将来、バセル公爵夫人になってやろうとディセリーヌは思ったのだ。
だから、アイリーナとレオンハルトとの交流に割り込んだ。
アイリーナは何かあるたびに、自分に聞いてくる。
婚約解消の件だって、自分に聞いてきた。
「でも、アイリーナが嫌がっているのなら、ファセル伯爵夫妻に言ってお願いしてみたら?
婚約解消したいって」
アイリーナが嫌がっている?
あの子にそんな心があるのかしら……
わたくしが、アイリーナが嫌がっていると言ったから、あの子は自分が嫌がっていると思ったのでしょうね。
愚かな女。
レオンハルト様程、素敵で素晴らしい男性はいないのに。
婚約は解消されたわ。
だからって、わたくしが口出ししたからって、屋敷で謹慎してろって。
王立学園に行けないじゃないの。
あそこを卒業しないとわたくしは社交界に出られないのよ。
貴族として認められないのよ。
何よりもこんな美しいわたくしを見てときめかないレオンハルト様って頭がおかしいのかしら???
屋敷を抜け出して、王都のバセル公爵家に向かったわ。
レオンハルト様にお会いして、わたくしの方がふさわしいと言わなくては。
わたくしの方がふさわしい。
あの女よりわたくしの方が。
公爵家って遠いのね。
やっと公爵家の門にたどり着いたから、門番にレオンハルト様に会わせろって頼んだわ。
今日は学園も休みのはずだから、いるはずよ。
馬車が門から出て来たわ。
馬車に向かって近づいて、叫んだの。
「わたくしの方がふさわしいはずよ。レオンハルト様っーー。扉を開けて。わたくしと婚約して欲しいのっ」
馬車の窓が開いてレオンハルトが顔を出した。
「婚約は家と家の契約だ。だから君とは婚約出来ない」
馬車の扉の向こう側が開いて、中からアイリーナが出て来た。
「ディセリーヌっ。ディセリーヌなのね!」
「何故、貴方がレオンハルト様と一緒にいるの?」
「わ、わたくし、お父様に命令されて、再婚約を頼みに来たのです」
レオンハルトが馬車から降りて、
「私は再婚約を断った。これからその事をファセル伯爵に説明に行くところだ」
アイリーナは、ディセリーヌに聞いてきた。
「断られたの。わたくしはどうすればいいのか教えて。ディセリーヌがいないとわたくし何も出来ない」
「だったら……」
アイリーナに向かって命じた。
アイリーナはわたくしの言う事なら何でも聞くはずよ。
アイリーナの耳元で囁いた。
「レオンハルト様を殺しなさい」
レオンハルト様はわたくしを拒否した。美しいわたくしを。
わたくしはどうせ社交界で生きられない。だったら……この子を道ずれに。
アイリーナは叫んだ。
「出来ないわーーー。人殺しなんて出来ない。出来ないよーーー。わたくし、いくらディセリーヌの命令だからって、それは出来ないーーー。出来ないわっ。出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ないっ」
そんなに叫ばないで。
わたくしが命令したことがレオンハルト様にばれてしまうじゃないの。
「アイリーナ、わたくしがまるで殺人を命じたみたいじゃないの。やめて頂戴」
「今、言ったじゃない。殺せって。レオンハルト様を殺せって。出来ない出来ない出来ないっ」
レオンハルトの傍にいた護衛二人が、ディセリーヌを拘束した。
ディセリーヌは抵抗したが、護衛二人の力が強すぎて身動きが取れない。
アイリーナは後は放心したように、ぶつぶつぶつぶつ、言うだけで。
ディセリーヌは護衛に連れていかれながら、
「わたくしは何も言っていないわっ。アイリーナがわたくしに罪をっ。助けて、レオンハルト様っ」
最後のあがきをしたが、レオンハルトは冷たく一瞥しただけで、ディセリーヌは護衛達に屋敷に連れていかれた。騎士団へ通報されて引き渡されるだろう。
ああ、アイリーナがあそこで、抵抗するだなんて誤算だわ。
わたくし程の女が、わたくし程の女がっ‥‥悔しいっ。
レオンハルトは驚いた。
アイリーナが何かディセリーヌに耳元で囁かれた途端、取り乱して叫んだからだ。
「出来ないわーーー。人殺しなんて出来ない。出来ないよーーー。わたくし、いくらディセリーヌの命令だからって、それは出来ないーーー。出来ないわっ。出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ないっ」
初めて見たアイリーナの感情。
一旦、屋敷の客間にアイリーナを連れて行き、話を聞く事にした。
ディセリーヌは父に引き渡した。自分に対する殺人教唆の疑いがあったから。
アイリーナにメイドに命じて温かい紅茶を出して、落ち着かせた。
アイリーナに尋ねた。
「ディセリーヌに命じられたんだね。私を殺すように」
「耳元で言われたわ。レオンハルト様を殺すように。わたくしには出来ない。人を殺すだなんて」
「ああ、君がディセリーヌの言う事を聞かなくてよかったよ」
アイリーナは自分の事をぽつりぽつりと話し始めた。
「わたくし、母を亡くした頃、王都で隣の家だったディセリーヌが家に遊びに来ていたんです。彼女は綺麗でわたくしより頭が良くて。いつの間にか、彼女の言う事は全て正しいとわたくしは思って育ちました。ずっと……レオンハルト様との婚約解消の時も、彼女に、わたくしがこの婚約を嫌がっていると言われたら、きっとわたくしはそう思っているのねと、婚約解消すべきだとそう思ったのです。でも、わたくし‥‥‥人を殺すなんてさすがに出来ない。これだけは断ってもいいとそう思いました。本当に申し訳ございません」
レオンハルトは頷いて、
「君自身の事をこうして聞けて良かった。私は君と婚約を再び結ぼうとは思わない。一度、決めた事だから。でも、君が今回の事をきっかけに、自分の意志で物事を決定できるようになれればいいと願っているよ」
心からそう思った。
初めて触れたアイリーナの心。
きっと彼女は変わることが出来る。
自分の意志を持つことが出来る。
アイリーナは涙を流して、
「有難うございます。わたくし、ディセリーヌに頼らなくてもいいように、これから頑張りますわ」
ディセリーヌが殺人を教唆したという罪が悪質だということで牢に入れられた。
ディセリーヌは牢の中で、ぶつぶつと呟いている。
「わたくしを出しなさい。わたくしは悪くないわっーーー
わたくしは美しい。わたくしはアイリーナより優れている。わたくしを理解しないレオンハルト様が悪いわ。だから出しなさいよ。出してよ。お願いだから出してよ」
いつもの事かと牢番はろくに相手にしない。
ディセリーヌがこの牢を出る日が来るのか。
それとも、バセル公爵家の怒りを買った女として、密かに処分されてしまうのか。
それは定かではない。
レオンハルトは後に別の令嬢と婚約した。
この婚約も政略だったけれども、婚約者の令嬢は極めて普通の常識を持っていたので、レオンハルトはその令嬢を好ましく思うようになっていた。
名はエレンシア・カレン公爵令嬢。
エレンシアは母が紹介してきた令嬢だ。カレン公爵家との縁を繋ぎたいがための婚約。
エレンシアは母が推すだけの令嬢だけあって、
レオンハルトを気遣ってくれる。
「レオンハルト様。結婚式は招待客が多くて大変ですわね。招待客漏れがないように、チェックしないと」
「そうだな」
王立学園を卒業したらすぐに結婚式だ。
学園の食堂でそんな話をしていると、アイリーナを見かけた。
アイリーナは他の女生徒達と楽しそうに話をしている。
元気そうで何よりだな。
自分の意志できちっと決定しているのか?色々な事を。
いや私が心配することではないな。
今や私は……
目の前のエレンシアの笑顔が眩しい。
彼女ならバセル公爵夫人として立派にやっていけるだろう。
アイリーナに本心を聞いてから、アイリーナの事が気になって気になって。
ああ、あんなに大嫌いだったアイリーナ。
でも、アイリーナの叫びを聞いた途端に、彼女の事が好きになったのかもしれないな。
アイリーナにとって私は一度も恋の対象にならなかった。
私にとっては、恋だったかもしれないけれども。
それでも、私は……
この想いに蓋をして。
バセル公爵になる為に、これから生きる道はエレンシアとしか考えられない。
「何か上の空みたいですわね。何を考えていらっしゃるのです?」
「いや、ちょっと……ああ、話は式の招待客の話だったな」
エレンシアは微笑んで、
「あの令嬢を見ていましたわね。以前、婚約者だったアイリーナ・ファセル伯爵令嬢。
惜しくなりましたか?」
「いや、元気そうだなとちょっと見ただけだ。惜しく?とんでもない。私の妻は君しかいないと思っているよ」
王立学園の賑やかな昼時の食堂で。
レオンハルトはエレンシアと共に、将来の事を色々と話をするのであった。
全ては過ぎた事……
いつかきっと遠い思い出となるだろう。
そう思いながら、愛しい人との未来の幸せを夢見るレオンハルトであった。




