わたしのすきなひと――RainsGateCity 殺人課
最終部分14行ほど追記しました。
「今日はついてない」
三ヶ月前にレインズゲートシティのCSI(犯罪現場捜査班:Crime Scene Investigation)捜査官になったばかりのフェリス・カブリーニは、警察本部裏口のエレベーターの前で眼鏡をぐいっと押し上げながら深いため息をついた。
手元にあるのは、台車に乗せられた大きめの段ボール箱と中くらいの段ボール箱だ。どちらも車から降ろすときですら苦労した重たい代物だ。
中には、デジタルデータ化できないような証拠物件や書類が詰まっている。これを三階の資料保管庫へ持っていくのが、今日の自分の仕事で楽勝のはずだった、エレベーターさえ動いていれば。
目の前のエレベーターの扉には「本日、エレベーター不調のため、表玄関、裏玄関共に終日使用出来ません。階段をご使用ください」という無情な張り紙が貼られている。表裏ともということは、このまま表側に廻っても上へ行けないということだ。
自力ではこの段ボール箱は絶対に持ち上げられない、いや、たとえ持ちあがっても、よくて十歩くらいしか歩けない、と、断言できる。まして階段で三階まで? 無理だ。
他のメンバーに相談したら、戻ってきて明日にしろと言われるだけだろう。その場合は、これを車のトランクに入れ直さねばならない。下ろすのはできたが、トランクの高さまで持ち上がるだろうか。こことCSI本部ビルとは三ブロックほどしか離れていない。頑張れば、台車で持って帰れるかもしれない。車は後でまた歩いて取りに来れば良い。それしかない。
スマートフォンをとり出そうと考えていたときだった。後ろからきた誰かの影で視界がふっと薄暗くなった。
「おおう、なんだよ。まーたエレベーターが停まってんぜ。階段でいくか」
慌てて振り向くと、驚くほど身長が高く横幅もある黒人系の男がフェリスの後ろに立って、野太い声で張り紙を読み上げていた。
「古いからなぁ。ってか、なんで表も裏も仲良く停まってるんだよ。電気系統が一緒なのかよ。リスクヘッジがなってねぇよな」
その後ろから近づいてきたほっそりした影が、陽気に軽口を叩く。どちらの顔も逆光でよく見えない。まだ、現場には二回くらいしか行っていない自分には、どちらの声も聞き覚えはないが、私服にごついホルスターをつけているのは刑事なのかもしれない。
と、そこで今の状況を思い出し、ジャケットのポケットからようやくスマートフォンを引き抜いたところで、ふいに細い方の影に顔をのぞき込まれた。
「ねぇ、この荷物さ、上に持ってくの?」
声が近い。不意打ちにドギマギしながら、フェリスは落ち着くために一回つばを飲み込んだ。
「は、はい。三階の資料保管庫に」
へぇ、とその男は軽く腰をかがめ、上に置いてあった方の中くらいのダンボールに手をかけた。
「重っ! なにこれ、なに入ってんの」
「あ、ええと、私はCSIなんで、あの……」
自分でも何を言おうとしているのかわからない。
「いや、中身はどうでもいいんだけど。いくら君がCSIでも無理でしょ、これ」
と、どこかに笑いを含んだ声で男が言うなり、うしろの黒人に声をかけた。
「BB! 下の箱持って。俺は非力だからさー、上の軽い方にするよ。資料保管庫まで運ぶんだとさ」
たぶんもう階段の方へ向かおうとしていたBBと呼ばれた黒人が、体型の割に身軽くきびすを返してこちらに戻ってきた。
「誰が非力なんだよ、レニー。いや、まぁそうか。そのヒョロガリな体型じゃなぁ」
「誰がヒョロガリなんだよ。だいたい、BBと比べたら世の中の大半の男は、ヒョロガリに分類されるだろ」
フェリスは慌てた。いくらなんでも、仕事中であろう刑事たちに資料箱を運んでもらうわけにはいかない。
「そ、そんなわけにはいかなくて。すごく重いのでやめてください。いったん戻って出直しますので」
「いやいや、すごく重いからこそ俺たちの出番でしょ。な、BB?」
「ああ、台車はそのへんに置いとけばいい」
フェリスが止めようとするが、二人の刑事は聞きそうにない。フェリスがあれだけ苦労して台車に乗せたのに、二人は軽々とそれぞれの箱を抱えると階段室に向かって歩いて行く。
「だいたい、CSIは他に誰かつけてくれなかったのか? 女性一人でこの箱二つはエレベーターが動いていても結構しんどいだろ」
と、大きな箱を軽々と抱えたBBと呼ばれたほうの刑事がフェリスのほうを振り向いた。
「今、CSIは人手が足りないんです。私は最近入ったばかりなので出来ることが限られてますし、せめてこれくらいは、と思って」
「なるほど、良い心がけじゃないか、がんばってるな」BBがうなずく。
「残念ながら今日はエレベーターに裏切られたけどね。まぁ無理はしないほうがいいよ、新人さん。これから長いんだし」
レニーと呼ばれたほうの刑事が、振り向かないままで小さく笑った。
「……ありがとうございます」ふたりの思いがけない言葉に少し感動を覚え、フェリスは心から礼を言った。
先に階段室の前についたレニーが声をあげる。
「悪いな、彼女。ドアを開けたら、俺たちが入るまで押さえといてよ」
彼はいったん荷物を置くと、胸ポケットからIDカードを出して、ICカードリーダーに当てドアを開けた。慌ててフェリスも自分のIDカードを当てて中へ滑り込み、ドアを押さえた。
レニーはそのまま身軽くBBの方に行き、勝手にポケットから彼のカードを出すとカードリーダーに当てフェリスに自分のカードと一緒に渡した。
「君が持ってて。おれのもね」
「あ、はい」
レニーはBBが中に入ると自分も荷物を抱え直して中へ入り、フェリスは静かにドアを閉めた。
レニーに促されるままに階段を真っ先にあがる。三階に着いたら三人分のIDカードを当ててドアを開けなくてはならない。セキュリティ上、どこに誰かいるのかの確認がされているはずだ。うっかりカードリーダーに当てずに入ったら、エラーを起こして出られなくなる。
「じゃあ、最初は彼女、次は俺、最後はBBでよろしく。前が見えないから、もしも踏み外して落っこちた場合、洒落にならないからね」
BBが眉を上げた。
「俺くらい受け止めろよ、レニー。軽いもんだろ?」
「うん、その言葉、そのまま返す。俺が落ちたらよろしく、BB。軽いもんだろ?」
フェリスは焦った。確かに踏み外さないという保証はない。資料箱ももちろんだが、二人に何かあったら本当に洒落にならない。
「あの、やっぱり箱は次の機会に……」
だが、二人はそんな彼女の焦りなどまったく意に介していない。
「いやいや、お前が落ちたら俺はさっと避けるからな」
「さっと避けても、この階段の幅だとさ、BBがみっしりと詰まってて俺が下まで落ちる隙間はないよ。BBの肩あたりに引っかかるんじゃない?」
「俺にブロックしろと? 高くつくぞ?」
「もう現役選手じゃないんだから、安いもんでしょ」
何が可笑しいのかふたりともゲラゲラ笑いながら、迷いなく階段をあがりはじめている。フェリスも二人に追われるように階段を登るしかない。あっけなく三階にたどり着いた。三人分のカードをカードリーダーに読ませてドアを開けると、そのまま二人はさっさと資料室に向かう。
台車を持ってくればよかった、と思ったがすでに遅い。
資料室の担当者が目を丸くしている。
「珍しいじゃないか。君たちがくるのは」
「たまにはね。で、これはどこに置けばいいの?」
フェリスが手続きをしている間、二人は保管庫の前で待っていた。それが終わると担当者に指定された場所まで箱を運び、棚の中段に上げるところまでしてくれた。
「ありがとうございます。ごめんなさい、ここまでやっていただくなんて、どうお礼したらいいんでしょう」
「気にすんなって。どうせあがってこなきゃいけなかったんだし」
「気をつけてな」
レニーもBBも、自分のIDカードを受け取ると何事もなかったかのようにさっさと手を振って階段室へ戻っていく。刑事部屋は二階なのだ。
フェリスがぼうっとしているとドアが閉まる直前、レニーが顔を出して手招きした。
「君も下に行くんでしょ。早くおいで」
はじめてちゃんと彼の顔を見たかもしれない。階段室は薄暗かったし、彼はずっと自分より先を歩いていたから金色の髪とすらっとした後ろ姿しかほぼ見ていなかったのだ。
「嘘……」びっくりするくらい整った顔だった。
フェリスは、無事に台車も回収してCSIのビルに戻り、保管庫の受取証を直属の上司であるキャサリンに渡した。見るなり彼女は驚いたように目を見張った。
「あら、フェリス。今日は警察署のエレベーターが故障してたんじゃなかった? どうやって持ってったの? 大丈夫だった?」
あ、それは、とフェリスはいきさつを詳しくキャサリンに説明する羽目になった。
「でも、その方たちは名乗ってくださらなくて」
二階で刑事部屋に戻ろうとする二人に聞こうとしたが、じゃあいつか現場でねーというあっさりした挨拶だけ残して、さっと扉の向こうに消えていってしまったのだ。というか、実は自分も名乗った覚えがない。流されてしまってそんな余裕がなかったのだ。
「でも、お互いにBBとかレニーとか呼び合ってて……たぶんその名前で尋ねたらわかりそうなんですけど」
キャサリンが意味ありげに綺麗に整えられた細い眉を上げた。口元に彼女にしては珍しくにやにや笑いが浮かんでいる。
「ああら、殺人課の名物コンビじゃないの。あの二人なら書類箱なんてあっという間だわね。レニーは一度見たら忘れられない美貌だもの、目の保養になってよかったわね。得したじゃない。現場以外じゃなかなかお目にかかれないわよ」
えええ、とフェリスは悲鳴をあげる。
「殺人課!? どうしよう、よりによって一番忙しい部署じゃないですか、あたしったら」
いや、今つっこむところはそこなの? とキャサリンが笑った。
「いいのよ、彼らだって本気で忙しかったら手伝ったりしないわよ」
はい、とちょっとがっくりきているフェリスにキャサリンがウィンクをした。
「いつか現場で会うでしょうから、お礼を言えば良いんじゃない? それまでに仕事をしっかり覚えて、眼鏡はコンタクトに換えておくことね」
「はい。え? はい? コンタクト?」
「あなたの場合は、その方が美人に見えるってことよ」
は? え? と混乱しているフェリスにはもうそれ以上説明せず、キャサリンは
「でも、眼鏡っ娘が好きな男も多いのよねぇ。アレはどっちかしら?」と、つぶやいた。
あれから何年経っただろう、とフェリス・カブリーニCSI捜査官は思う。
その間に私は現場へ何回赴き、何回CSIとしての仕事を全うしてきただろう。
主なる事件は、殺人だ。辛い事件も悲しい事件も腹立たしい事件もたくさんあった。当然、殺人課に遭うことはとても多い。そして、ブリントン刑事ことBBとその相方のレニー・クラウン刑事にも。
署内でも有名なコンビだと知ったのは、あのすぐあとだった。仕事が早くて解決率が高い、と。なるほど、仕事が早い、そして丁寧なうえにタフで骨惜しみをしない。サポートする側として自分もしっかり誇りを持ってきっちりと仕事をしないといけないと何度思わされただろう。
よく署内の女性たちには、ああ、あの人が好きなタイプなの? 彼って――クラウン刑事のことだ――綺麗な顔だものね、と言われることが多いが、自分はちょっと整いすぎていて苦手なタイプなので、顔だけ見ていたら敬遠していたかもしれない。彼のよいところは、別のところにある、と思っているのだが、どうしてもまず顔、と言われるので、黙って微笑むだけにしている。あのエレベーター故障のエピソードは、キャサリンしか知らない。
友人の女性警察官は、警察学校の教官に「卒業生が20人いたら、半分は退職する前に死ぬだろう」と言われたそうだ。なんと過酷な仕事だろうか。
どうぞ、神様。彼らの事件が綺麗に解決しますように。
祈らずにはいられない。
私の好きな人が、今日も安全でどうぞ無事でいられますように。
END




