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地味令嬢、王子の秘密を知ったら溺愛ルートに放り込まれました

作者: 貧血みかん
掲載日:2026/05/02

 王立学園の放課後。夕闇が迫る校舎の廊下を、伯爵令嬢セシル・ラフィネは重い足取りで歩いていた。


「はぁ……ついてない。委員長に選ばれるなんて」


 セシルは、どこにでもいるような地味な令嬢だ。

 焦茶色の髪に深緑色の瞳、鼻の上には少しだけそばかすが散っている。

 そんな彼女の最大の特徴は、絶望的に運が悪いこと。


 道を歩けば鳥のフンが落ちてきたり、晴れているのに水溜りの跳ね返りが飛んできたり、ここぞという場面でくしゃみが止まらなくなったり……そんなことは、日常茶飯事だ。


 今朝のクラス会議。誰もやりたがらない学級委員長の座を巡るくじ引きで、セシルは唯一の『当たり』を引いてしまった。

 委員長とは名ばかりの、教師の使い走りと行事の雑用を一身に背負う苦行の役職である。


「えーと……旧校舎の第二資料室にある、建国時代の地図だったわよね」


 担任から押し付けられた鍵を手に、セシルは人影のない旧校舎へと足を踏み入れた。


(あら? 鍵が開いているわ……?)

 ギィィ……と不吉な音を立てて開いた第二資料室は、数年分の埃が積もった、まるで廃墟のような場所だ。


(ひどい埃ね。早く見つけて帰りましょう)

 口元を押さえながら奥へと進んだその時、衝立の向こうから低い怒声と押し殺した嗚咽が聞こえてきた。


「いい加減にして下さい。もう、あんたの尻拭いをさせられるのは懲り懲りなんですよ!」


 セシルは心臓が跳ね上がるのを感じた。

 じ、事件!? それとも……いじめ?


 恐る恐る衝立の隙間から覗き見ると、そこには目を疑う光景が広がっていた。


 学園の至宝にして王国の誇り、全女子生徒の憧れの的である第一王子リュシアン・ロシュフォール殿下が、床に膝をついて、ポロポロと涙をこぼしていたのだ。


 そして、その前に仁王立ちになり、氷のような視線を浴びせているのは、彼の側近にして無慈悲な秀才、ハワード公爵令息である。


「ひっ、……ぐすっ。ご、ごめんよ……ハワード……」


「いいから、さっさと立ちなさい! このダメ王子っ!」


 ガタガタッ………!

 驚きのあまり、セシルは抱えていた地図を床に落としてしまった。


 シン⸻と、静寂が部屋を支配する。


 這いつくばったままの王子、氷の眼差しを向ける側近、そして困惑顔で固まった地味な女子生徒。三人の視線が空中で交錯する。


(終わった……これ、絶対に見てはいけないやつ!)

 セシルの背中に、すっと冷たい汗が伝う。


「………見ました、よね?」


 ハワードは、音もなくセシルの背後に回り込み、逃げ道を塞ぐ。彼は逃げ出そうとしたセシルの腕を掴むと、問答無用で近くの埃っぽい椅子に座らせた。


「み、見てません! な、何も、何も見てませんっ!」


「嘘をついたら、不敬罪に問われますよ?」


「ご、ごめんなさいっ! 見てしまいましたっ! お、お、お願いします……殺さないで……!」


 必死に命乞いをするセシルを見て、ハワードは深くため息をつき、眼鏡の位置を直した。


「別に、殺しませんよ。ただ、今見た事を黙っていてほしいだけです。……それと」


 ハワードは床で震えているリュシアン王子をギロリと睨みつけた。


「知ってしまったからには、貴女にも協力していただきますよ? このダメ王子を、まともな人間にする練習に」


「きょ、協力……?」


 セシルは激しく動揺した。

 王国の完璧な王子様が、実は側近に足蹴にされるような(精神的に)泣き虫だったなんて……!

 しかも、この悪魔のように恐ろしい側近は、王子様の更生を手伝えというのだ。


「セシルさん、覚悟して聞いてください。……リュシアン殿下は、重度の女性恐怖症なのです」


 ハワードの言葉に、セシルは耳を疑った。

 リュシアン王子といえば、学園では『不可侵の君』として知られている。


 どんなに美しい令嬢が色仕掛けで迫っても、一瞥もくれず立ち去る姿は「気高い!」「ストイック!」と賞賛されていた。しかし、実態は違ったのだ。


「殿下は、女性が怖いだけです。三人以上の女性に囲まれれば過呼吸になり、至近距離で微笑まれれば失神しかけます。艶やかな令嬢に視線を向けないのは、視界に入れただけで吐き気がするからです」


「そんな……! じゃあ、あのクールな態度は全部……」


「必死のパニック隠しです」


 ハワードが淡々と説明する横で、ようやく立ち上がった王子が、真っ赤な顔で俯いていた。


「来月、隣国の姫君を招いた晩餐会があります。そこで、殿下はエスコートとダンスを完璧にこなさなければなりません。……ですが、現状の殿下は、女性と三秒以上目を合わせると体に不調をきたします」


「さ、三秒……それは、大変ですね」


「ええ、大変なんてものではありません。そこで、セシルさん、貴女の出番です」


「え………私? ですか?」


「貴女は、非常にじ……いえ、奥ゆかしい容姿をしてらっしゃる。失礼を承知で言えば、殿下にとって最も女性を感じさせない個体として、練習台に最適なのです」


(地味なのは自覚しているけど、個体呼ばわり……)

 セシルは不運を呪った。しかし、断れば王族の秘密を知った者として、どんな目に遭わされるか分からない。


「……わ、分かりました。協力します」


 こうして、放課後の第二資料室での奇妙な特訓が始まったのである。


「では、まずは挨拶から。殿下、どうぞ」


 ハワードの指示で、リュシアンがセシルの前に立つ。

 背が高く、顔立ちは彫刻のように美しい。

 しかし、セシルと目が合った途端、リュシアン王子の顔は「ボン!」という音が聞こえてきそうなほど真っ赤に染まった。


「はじめまして、リュシアン・ロシュフォールでふ」


「……殿下、噛みましたね? あと声が震えております。やり直し!」


「うぅ……はじめ……はじゅめま……」


「泣かないっ! 噛まないっ! 目を逸らさないっ!」


 ハワードの怒声が響く。リュシアンは涙目でセシルを見つめ、セシルは『頑張ってください……』と、もはや保護者のような気持ちで彼を見守った。


 結局、その日は百回近く「はじめまして」を繰り返し、ようやく噛まずに言えるようになった頃には、日はすっかり暮れていた。


 それから毎日、セシルの放課後の時間は、全てリュシアン殿下のために費やされることとなる。

 特訓は多方面に及んだ。一緒に紅茶を飲み、本を読み、時には狭い馬車の中で向かい合って座る。


 セシルは知らなかった。目の前で泣いている王子が、学園では常に首席だなんて。剣術や魔法も必死に努力して、誰にも負けないように頑張っていることも。


「……すまない、セシル」

 ある日の練習中、リュシアンがぽつりと呟いた。


「君をこんな面倒なことに巻き込んで。本来なら、君の放課後は自由であるべきなのに」


「いいえ、殿下。こんな私が、少しでもお役に立てるのなら嬉しいことですわ」

 セシルが笑って返すと、彼は寂しげに微笑んだ。


「私は昔、信頼していたメイドに……その、寝所に忍び込まれて、ひどく怖い思いをしたことがあるんだ。それ以来、女性の香水の匂いや含みのある笑い方が、どうしても怖くて……」


 王子の告白にセシルの胸は締め付けられた。

 完璧に見える彼も、一人の傷ついた少年だったのだ。


「殿下。私は香水もつけていませんし、地味な令嬢ですから、何も怖くありませんよ。……だから、練習の間だけでも、私を人形か何かだと思ってください」


「ふふふっ。人形にしては、君はとても温かいよ」


 王子の言葉に、今度はセシルの方が顔を赤くした。


 特訓開始から二十日が過ぎる頃には、王子は既婚者の女性や年配の侍女とならば、震えずに会話ができるようになっていた。

 そしていよいよ最終段階。ダンスの練習が始まった。


「殿下、大丈夫ですか?」


「も、申し訳ない。……震えが止まらないんだ」


 王子の指先は、生まれたての小鹿のように小刻みに震えていて、手汗も尋常ではない。

 セシルは震えるビチャビチャな手を、優しく包み込むように握った。


「大丈夫です、私がリードしますから。ゆっくり深呼吸をして下さい。……はい、一、二、三」


 セシルは、自分が無害で安全な存在であることを伝えるように、ゆっくりとステップを踏んだ。

 王子の碧い瞳が、まっすぐにセシルを見つめる。


 そこにはもう、当初のような恐怖の色はない。

 代わりに、別の熱を帯びた何かが宿り始めていたのだが、セシルは全く気付かなかった。


 晩餐会当日。隣国の姫君は、リュシアンより十歳年上の落ち着いた既婚女性だった。

 セシルは会場の隅の方で、心臓をバクバクさせながら見守っている。


 王子の所作は、ほとんど完璧だった。

 ほんの少しだけ顔が引き攣っていたけれど、優雅な礼に淀みのない挨拶、そして流麗なダンス。

 会場中の令嬢達はため息を漏らし、ハワードは影で小さなガッツポーズをした。


「……大成功ですね」

 セシルは安堵のため息をつく。自分の役目はこれで終わりだと思うと、全身の力が抜けた。


 ところが、パーティの終盤に信じられないことが起きたのだ。


「セシル・ラフィネ嬢、踊っていただけますか?」

 白銀の正装に身を包んだリュシアン王子が、壁際にいたセシルに手を差し伸べたのだ。


 会場が騒然とする。

「誰、あの地味な子は?」

「あれって、伯爵家の……運の悪い令嬢じゃない?」


 セシルは全力で逃げ出したいと思ったが、王子の瞳に強い意志が宿っているのに気付く。


(もしかしたら、これも何かの作戦なのかしら?)

 恐る恐る彼の手を取ると、リシュアンは驚くほど優雅にセシルをエスコートした。


 一曲目は、感謝を込めて。二曲目は……

(……え? 二曲目!?)

 王宮の慣習では、二曲続けて踊るのは『深い親愛』の証、あるいは『婚約』の示唆だ。


 セシルの心臓は破裂しそうになった。

「で、殿下……! 皆が見ております。私なんかと二曲も踊ったら……う、噂になってしまいます!」


「構わない。むしろ、噂になってほしいんだ」

 王子の声は、かつて第二資料室で震えていたものとは思えないほど、低く、甘く響いた。


 ダンスの後、熱くなった体を冷ますため、二人はハワードに導かれてバルコニーに出る。

 夜風が心地よい。ハワードは、無言で果実水のグラスを手渡すと、少し離れた場所で見張りに立った。


「………セシル。君のおかげで、私は今日、やり遂げることができた」


「いいえ、殿下の努力の結果です」


「いや、全部君のおかげだよ。………私は、女性が平気になったわけじゃない。君以外の、セシル以外の女性がどうでもよくなっただけなんだ」


 突然の告白に、セシルの思考は停止する。

 満天の星々の下、王子が真剣な眼差しでこちらを見つめている。


「セシルは自分のことを地味だと言うけれど、私にとっての君は、暗闇の中で道を示してくれる星のような存在なんだ。………だ、だからどうか、わ、私の婚約者になってくれないか?」


「え………えええっ!? む、む、無理ですっ! 私に王太子妃なんて務まるわけがありません! ほ、他にもっと相応しいご令嬢が……」


 混乱してまくしたてるセシルの背後から、冷ややかで楽しそうな声が割り込んだ。


「諦めて下さい、セシルさん。貴女以外に、こんな泣き虫の面倒を任せられる人なんておりません」


 ハワードが、グラスを片手に淡々と告げる。


「それに、貴女はもう秘密を知りすぎてしまった。このまますんなり帰れると思いましたか?」


「…………えっ!?」


「すでに、陛下と王妃殿下には報告済みです。リュシアン殿下の病を治した聖女のような令嬢がいるとね。お二方とも泣いて喜んで賛成されましたよ。これからは私と共に、この手のかかる王子を一生支えてもらいます。これは決定事項ですよ?」


 ハワードの眼鏡がギラリと光る。そしてそれは、逃げ道を塞ぐ無慈悲な宣告だった。


「……ほ、本当に………私でいいんですか?」


 セシルが消え入りそうな声で問うと、リュシアンは、最高に幸せそうな泣き笑いの顔で彼女を抱きしめた。


「君がいいんだ……君じゃないと、嫌なんだ」

 王子の腕はまだ少しだけ、愛おしそうに震えている。


 セシルは観念して、その胸に顔を埋めた。

 地味で運の悪い伯爵令嬢は、世界で一番『不運』な、そして『幸福』な捕虜となったのだった。


「お受けいたします。……でもハワード様、たまには休みをくださいね?」


「ふふっ。それは貴女の努力次第です。……さて、殿下。抱擁の時間が長すぎます。さっさと次の公務の打ち合わせを始めますよ!」


 夜のバルコニーに、王子の悲鳴と側近の叱咤、そして令嬢の笑い声が楽しげに響くのであった。



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― 新着の感想 ―
ハワードこっわwwww
うんうん。王子の秘密の事件を打ち明けられた時点で逃げ場では無くなっていた訳だ。 人生の墓場に捕らわれし不運な少女よ、精々足掻くと良い…。(逆レ未遂(完遂済み?)な下衆メイド女の魂に、冥府の槍を片手間で…
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