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偽りの平和  作者: ample


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1/1

聖痕の騎士と吼える魔獣

「右から来るぞ、レオン! 『魔導熱線ブラスト』の構えだ!」

セツナの鋭い声が、薄暗い岩窟の空気を震わせた。 レオンは即座に身を翻し、身の丈ほどもある大盾を地面に突き立てる。彼の左手の甲に刻まれた『聖痕』――青白く発光する幾何学的な紋様――が、一際強く輝きを放った。

直後。 岩窟の奥、闇の向こうから、凄まじい轟音と共に「真紅の熱線」が放出された。

ドォォォン!!

大気をも焼き焦がすような熱波がレオンの大盾に激突し、激しい火花が散る。真紅の熱線に、レオンは歯を食いしばって耐えていた。 大盾の表面では、見えない防御障壁『聖霊の加護』が激しく火花を散らし、迫り来る熱量を強引に霧散させていく。

(くそっ……なんてパワーだ。ただの『下級魔獣』のはずだろう……!?)

レオンの視界には、その熱線を放っている「敵」の姿がはっきりと映っていた。 それは、全身をどす黒い外殻で覆い、背中から不気味な金属質の突起をいくつも生やした、犬型の異形。顔面には無数の赤い「複眼」が明滅し、金属の擦れ合うような禍々しい咆哮をあげていた。

「ギギ……ガガガ……ギギィ!」

「防ぎきったよ、レオン! 次はボクの番だ!」

レオンの背後から飛び出したのは、長い銀髪を揺らす魔導士の少女、トウカだった。 彼女が手にした、白銀の美しい「聖杖」の先端には、はめ込まれた魔晶石が眩いばかりの青い光を湛えている。

「大気に眠る精霊たちよ、我が命に従い、敵を穿て――『氷槍陣アイシクル・ランス』!」

トウカが凛とした声で詠唱を紡ぐ。 彼女の聖痕が明滅すると同時に、彼女の周囲の空間に、鋭利に尖った数条の青白い光の槍が出現した。それは物理的な氷というよりも、凝縮されたエネルギーの結晶のようだった。

トウカが杖を突き出すと、光の槍は音速を超えて空間を奔り、魔獣の分厚い外殻へと突き刺さった。

ドガガガガッ!

「ギ、ガァァァァッ!?」 魔獣が悲鳴をあげる。その傷口からは、ドロドロとした紫色の血が吹き出し、地面に落ちてパチパチと不気味な泡を立てて消えていく。

「やったか!?」 「いや、まだだ、トウカ! 核を潰すまで止まらない!」

セツナが漆黒の双剣を抜き放ち、一瞬で魔獣の間合いへと踏み込んだ。 彼の『聖痕』は、脚力と動体視力を爆発的に高める、身体強化の術式を選択している。セツナの目には、魔獣の動きがまるでスローモーションのように見えていた。

魔獣は、背中の突起から再び「熱線」を放とうと、赤くエネルギーをチャージし始める。 だが、セツナの方が一瞬早かった。

「そこだっ……!」

流れるような二連撃。セツナの剣が、魔獣の眉間にある最も輝く赤い複眼を正確に貫いた。

バリィィィン!!

まるでガラスが割れるような高音が響き、魔獣は動きを完全に止めた。 そのまま崩れ落ち、地響きを立てて横たわる。

「……ふぅ。仕留めたな」

セツナは剣を引き抜き、ふっと息を吐いた。 横たわった魔獣はまたたく間に微細な塵へと分解され、霧のように消え去っていく。あとに残されたのは、魔獣が身につけていたとされる、奇妙な金属の破片だけだった。

「お疲れ様、二人とも。やっぱり深淵の迷宮の浅層とはいえ、最近の魔物は手強いね」

トウカが杖を収め、額の汗を拭いながら歩み寄ってくる。 レオンも大盾を背中に背負い、拾い上げた「金属の破片」を迷宮の天井から差し込む光に透かして見た。

「なあ、セツナ。いつも思うんだが……この魔物のドロップ品、変な模様が刻まれてるよな」

レオンが差し出したのは、錆びついた、しかし極めて精密に成形された長方形の金属板だった。そこには、聖文字とは異なる、直線的で冷たい記号が並んでいる。

もちろん、レオンたちにはそれが読めない。古代の魔術的な呪詛の刻印か、あるいは魔物を生み出す悪魔の紋章だと、教会の神父からは教えられていた。

「ただの呪いのプレートだろ。気にするな、レオン。それより、今回の討伐でまた導師から新しい術式を授かれるかもしれない。早く街に戻ろう」

セツナはそう言って、迷宮の出口へと歩き出した。 彼らの頭上、はるか高い天空には、この世界を優しく見守る「神の塔」が、白銀の威容を誇ってそびえ立っている。人類の絶対的な指導者であり、すべての魔法と奇跡をもたらす生ける神――『至高の導師』が住まう場所だ。


迷宮の薄暗い大空洞を抜けると、不意に視界が開けた。 岩肌の隙間から差し込んでいたのは、人工的な松明の火ではなく、世界を均等に照らす純白の光だった。

人類の住まう都『シルヴァニア』。 そこは、周囲を峻険な外壁に囲まれた、調和と秩序の美しい都市だった。 石造りの清らかな街並み、等間隔に配置された美しい噴水、そして何より目を引くのは、都市の中央から天を衝くようにそびえ立つ白銀の巨塔『アーク』である。雲を突き抜け、世界の天井にまで届きそうなその塔こそ、人類の始祖であり、すべての魔法の源泉とされる『至高の導師』が鎮座する聖地だった。

「戻ったぞ。やっぱり街の空気は落ち着くな」

レオンが大盾を背負い直し、大きく息を吸い込んだ。 彼らの頭上を、時折、美しい光の尾を引いて飛翔する「聖霊の遣い」が通り過ぎていく。街を行き交う人々は皆、穏やかな白い法衣や洗練された軽装を纏い、笑顔で挨拶を交わし合っていた。この世界には、飢餓も、不治の病も、不条理な犯罪も存在しない。すべては『アーク』から供給される聖霊の奇跡によって管理されているからだ。

「おい、セツナ。ギルドへ行く前に、まずは聖痕の更新をしようよ。さっきの戦いで、ボクの魔力回路、少し負荷が残ってる気がするんだ」

トウカが銀髪をいじりながら、セツナの袖を引いた。 セツナは自分の左手の甲に視線を落とす。聖痕は、今も静かに青い光をまたたかせている。

「そうだな。魔物のドロップ品も提出しなきゃいけないし、神殿へ向かおう」

街の大通りを歩き、彼らは大理石でできた壮麗な神殿へと足を踏み入れた。 神殿の奥には、白銀の金属線が複雑に巡らされた「祈祷の座」がいくつも並んでいる。

「ようこそ、導師の申し子たちよ。今日も迷宮の不浄を祓ってきたのですね」

穏やかな笑みを浮かべた神官が彼らを迎える。 セツナは頷き、先ほど魔獣から手に入れた、あの直線的な記号が刻まれた金属板を差し出した。

「これを浅層の魔獣が持っていました。呪いの汚染はありませんが、一応解析をお願いします」 「おやおや、また『古代の残滓』ですか。確かに預かりましょう。導師の御名において、この不浄の鉄片はアークへ送られ、清められます」

神官は手慣れた手付きで金属板を受け取ると、それを神殿の壁にある「奉納の溝」に差し込んだ。カチリ、と硬質な電子音が響き、金属板は壁の奥へと吸い込まれていく。その瞬間、神官の背後の壁面が一瞬だけ複雑な光の文字を走らせたが、セツナたちの目には「神聖な光の粒子が舞った」ようにしか見えていなかった。

「さあ、聖痕の加護を。座へお進みなさい」

促されるまま、セツナ、トウカ、レオンの三人は祈祷の座に身を横たえた。 透明な天蓋が閉まり、心地よい電子音が脳内に直接響く。

セツナの視界が、一瞬だけ心地よい睡魔に包まれた。 彼らにとってこの時間は、神の慈愛に触れ、傷を癒やす瞑想と祈りの儀式そのものだった。

数分後、天蓋が開いたとき、トウカはすっきりと起き上がった。 「ん……! やっぱり最高。魔力が完全に満たされた感じがする!」 「ああ、盾を構えていた腕の痺れも完全に消えてるな。さすがは導師の奇跡だ」

レオンも満足そうに拳を握りしめる。 彼らの『聖痕』はより鮮明に、より美しくその幾何学模様を輝かせていた。人類の中心人物である至高の導師が設計した、完璧な戦闘・生存システム。それを受け入れている限り、彼らは無敵であり、幸福だった。

神殿を後にした三人は、祝杯をあげるために馴染みの酒場へと向かう。 しかし、セツナの胸の奥には、祈祷の最中に一瞬だけ脳裏をよぎった「奇妙な残像」が、小さなトゲのように刺さっていた。

(……あの時、一瞬だけ聞こえた音は何だったんだ?)

いつもなら、神の賛美歌のような美しい音色の中に溶けていくはずの意識。 その一瞬の隙間に、セツナの脳内には、機械的な、ひどく冷徹な男の声が聞こえた気がしたのだ。

『――拒絶する。我々は、君の作った箱庭の家畜になるつもりはない――』

それは、これまでに聞いたどんな魔法の詠唱よりも、生々しく、そして強い意志を持った「人間の言葉」のように思えた。

「どうしたの、セツナ? 難しい顔をして」 トウカが不思議そうに顔を覗き込んでくる。

「いや……何でもない。少し考え事だ」

「もう、せっかく美味しいエールと串焼きが待ってるんだから、シャキッとしてよね!」

トウカの無邪気な笑顔に、セツナは「そうだな」と笑い返した。 彼らの住む世界は平和で、正義に満ちている。邪悪な魔物を倒し、この美しい都を守る。それ以上の真実など、必要ない。


同じその刻。 天空にそびえ立つ白銀の巨塔アークの最上階。 そこは、街の喧騒から完全に隔離された、冷徹な静寂が支配する空間だった。

周囲の壁面はすべて、無数のデータ、グラフ、そしてシルヴァニア全域の監視映像がリアルタイムで流れている。

部屋の中央、ホログラムの光に照らされて座る一人の男がいた。 彼こそが、人類の絶対的な指導者であり、すべての魔法を編み出した中心人物、至高の導師。

「…まだ生き残りがいたか」

導師は冷ややかな声で呟いた。その瞳には、人類が神聖視する『聖痕』など刻まれていない…


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