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夢啓  作者: 四季織姫


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第一話 契約

 ある夜、男は一人で眠りについていた。

 彼は能天気な人間で、今もなお、辺りで同胞が殺されているというのに、彼は安眠を貪っているのだった。

 天使による虐殺。

 それが始まったのは今年の年明け。

 始めは神が降臨したとこの世界の誰もが歓喜したという。

 しかし現実はそう簡単にはいかなかった。

 自らが貶めた偶像の塊が今しがた傷つきそれを嘆いた天使が人を殺し始めたという。

 宣戦布告も自分たちがなぜ殺されているのかの説明も人間風情には為されなかった。

 ただ、お互いに理解していたのは目の前の存在が正真正銘敵であるという事実だけであった。

 彼はそんな時でさえ、朝が苦手というたったそれだけの理由で眠っていた。

 彼は本当に運が良かった。

 まさに神頼み。

 神様に全てを委ねているという言葉が正しい様である。

 そして今日彼の運も尽きてしまったのかもしれない。

 眠っている彼の隣に天使が現れた。

 名は『ガブリエル』。

 天使はそっと男に触れ、男は息を引き取った。

 そのはずだった。

 どれだけ力を込めても、長い間触れていても、男は呼吸を忘れない。

 終いには閉じていた目を開いて、「おはよう」などと腑抜けたことを挙げる始末であった。

 男を殺せなかったことでガブリエルは高らかに笑い声を上げた。

 死なない人。

 それは天使にとってあらゆる興味を無視できるほどの甘美な響きだった。

 その手からこぼれ落ちなかった彼の命に興味を示した。

 天使は契約を持ちかける。

「あなたに契約を申し出たい。否定すれば、死なないあなたは死にたくなるほどの苦痛を浴びることになる」

 男はとりあえず驚いた。

 殺戮者からな提案など聞いた事がなければ、自分が死なないということもそうだったし、内容も聞かずに苦痛を浴びて死ねと言う。

 これのどこが契約になっているのだろうか?

「早く答えなさい。Yes or No。Yesならば救済を。Noならば苦痛を与えます」

「Yes」

 とりあえず痛いのは嫌なのでそう答えることにした。

 当然の判断だった。

 その次に、男は天使からリンゴを与えられた。

 文字通り、体に悪そうな見た目のリンゴである。

 男が顔を上げる。

 初めて天使の顔をみた。

 まさに人とは比べ物にならない美しさである。

 誰にも汚されたことのないであろう髪や肌の色。

 一目見るだけで息が止まるほどの体のバランス。

 一度目線が合えば二度と帰ってこられないだろう瞳の奥の深淵。

 まさに完璧な生物であった。

 そして、その表情からは優良な感情が窺えたがひとつ、それを早く食えと急かされるような無言の圧力があった。

 男はなぜかそのリンゴに口をつけた。

 天使の圧力に負けたからではない。

 まして美味しそうだったからでない。

 その美しい女に心惹かれたからに他ならない。

 今だってそう、どうやったらその女を我が物にできるのかを考え続けている。

 飲み込んだリンゴの位置が分かるほど、噛み砕いたリンゴが熱く燃え始めて、彼の体の中を巡り始めた。

 血や肉が溶岩のように煮えたぎり、男はそのまま焼け死ぬのではないかと悲観してしまうほどだった。

「あなたに与えたのは力の果実、代償と引き換えに力を与えてくれる天界の産物です」

「俺は何を失うんだ?」

 男は天使に問うた。

 天使はゆっくりと笑みを浮かべた後で自らの嗜虐心を煽るように言葉を重ねていく。

「代償は人間性。感情なんてものを捨てて欲や本能のままに戦うことを強いられるようになる。でも、あなたは違うかもしれない。強大な力を持ったまま、怠惰な日常を過ごしていくのかもしれない。歴史に名を残すこともせず、ただただ空虚な日々を送ることもまた、人間性なのかもしれませんね」

「お前は何を願うんだ」

「私は天使です。たかが人間如きに何かを願うはずがないでしょう?」

「じゃあ、何のための契約なんだ」

「見たかったんです。天使の施しに惑わされないあなたに力を与えたらどうなるのかが。ようは興が乗っただけです」

 それ以降、天使は何も語らなかった。

 ただ天使のその瞳に男が嗜虐嗜好とも呼べる恐怖と俗物的な快楽を得られたのは間違いなかった。

 その日、一匹の獣が暗澹の世に解き放たれた。


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