篝火のレゾナンス
日は傾き、森に夜の帳が降り始める。
彼女は手頃な岩場を見つけると、倒木を担いで軽々と移動させた。流石はゴリラの騎士だ。手際よく木を組み、簡易的なベンチと焚き火の準備を整えていく。僕も手伝おうとはしたが……文明の利器を取り出す隙もなかった。彼女が組み上げた薪に向かって、種火もなしにこう呟いたからだ。
「──クレイ・シア・ルオ。シア・ヴェア・フェイ」
静かな、祈るような和音。
直後、物理法則をあざ笑うかのような光景が僕の眼前で展開された。ボレロのような熱を帯びたリズムが空気を震わせたかと思えば、火花すら介さず、枝の山から白熱の焔が爆ぜたのだ。
「冗談じゃない」
僕は苦笑いと共に、天を仰いだ。エントロピーの増大を無視した彼女の所業に、科学の子として降参を認めるしかない。かつて、現地人にここまで「不条理」を見せつけられた宇宙人がいただろうか。
『凄い。一瞬だけど、彼女の周辺のノーム値が跳ね上がったよ。言葉で直接、事象を書き換えたんだわ』
「……便利なライターだな。僕がカチカチと火花を散らしていたら、未開人を見るような目で憐れまれていたところだ。エーテリアスの住民は、僕らよりよっぽど先進的らしい」
『冗談言ってないで、少しは緊張感持ってよねー』
「緊張は相手に伝染する。今は狡猾に油断してみせるのが、僕流の仕事さ」
僕は彼女の正面、対角線上にある倒木に腰を下ろした。火を挟んで向き合うこの距離が、今の僕らには丁度いい。
上空には、大小三つの衛星が不自然な軌道を描きながら輝いている。石像を守った甲斐はあった。この火の温もりは、二十二世紀の空調管理された無機質な暖かさよりも、ずっと「生」の匂いがした。水を吸い上げ、労働の火照りを鎮めながら、僕はそんな場違いな感想を抱く。
───やがて彼女はおもむろに兜を脱ぎ、その素顔を晒した。
不用心だとは思いつつ、好奇心には勝てず、僕はその姿を凝視する。
二十歳前後の彫りの深い美貌。ホワイトベージュのショートボブが、火に照らされて靡いている。瞳は神秘的な青紫色。僕の赤い瞳とは対照的な、落ち着いた深みのある色だ。
彼女は騎竜の鞍に下げた堅牢な革袋から干し肉を取り出し、そのまま口にしてみせた。
相手が顔を晒した以上、こちらも不透明なバイザーの裏に隠れているわけにはいかない。「恥」という名の厄介な遺伝子が、公平性を保てと僕の背を突いてくる。
「マイア、僕も素顔を見せようと思う」
『メリット皆無だよ、お兄ちゃん。宇宙人だってバレたらどうするの?』
「文明の先駆者として、礼を欠くわけにはいかない。これでも地球代表の端くれだからね」
『私は別にいいけどさ。責任を取るのは、いつだって人間の役割なんだからね?』
僕はヘルメットの固定具を解放した。プシューという、気の抜けたサイダーのような排気音。ヘルメットを外すと、束ねていた銀髪が夜風に放り出された。
「……こんばんわ」
未開のウイルスも、土の匂いも、すべてを受け入れる覚悟で夜気を吸い込む。
素顔を晒した僕を見て、彼女は息を呑んで硬直した。
人工子宮で数理的にデザインされた、銀の髪と紅玉の瞳。一世紀前の大衆が夢想した『完成された化け物』の美貌は、彼女の目にどう映ったのか。
「……貴方、オクラリスの使い?」
脳内の自動翻訳が、彼女の音色を言葉へと変える。
「オクラリス?」
「そう。わたしたちを上から見ている、観測の階位者。貴方は、その御使いではないの?」
彼女は夜空を指差した。どうやらあの星々を、神のような上位存在と捉えているらしい。僕は否定も肯定もせず、ただ「文化研究の学者だ」という設定で通すことにした。
「食べるか?」
彼女が、豪快に干し肉を差し出してきた。
端正な顔立ちに似合わぬ、迷いのない騎士の立ち居振る舞い。識別年齢では僕より年下のはずだが、思わず「姐さん」と呼びたくなるような、奇妙な威圧感と包容力がある。
「……ありがとう」
僕はそれを受け取り、網膜スキャンにかける。別に毒を疑っているわけではない。これが僕の「仕事」なのだ。
【対象:ペーヌの肉。安全性:可。査定ポイント:20 CS】
ペーヌ。彼女の語るその動物は、アルパカとキリンを掛け合わせたような姿らしい。僕はそれを口に運び、ゆっくりと咀嚼した。
『どんな味? 早く共有してよ』
データベースの空白を埋めたくて仕方ないのか、マイアの催促が脳内に響く。期待に応えるべく、僕は意識を味覚の解析に全振りした。
「クジラとラクダの中間……かな。若干、ヤギの野生味も混ざっている」
『臭いは?』
「……素材の獣臭さを、調理の火加減で強引にねじ伏せている感じだ」
合成肉しか摂らない僕らにとって、殺害した動物の肉を食らうのは、もはや嗜好品に近い贅沢だ。喉を通り抜ける不完全な肉の弾力。それが、僕と彼女が同じ「有機生命体」であることを再確認させてくれる。
腹を満たしたところで、僕は尋問にならない程度に探りを入れた。
「君の家はこの近くなのかい?」
彼女は火から視線を外し、地平の先を指した。
「ずっと先だ。聖都から、異常の収束に派遣されてな。……あなたは?」
都、か。文化の匂いがする場所は、いつだって査定の甲斐がある。
「僕はフィックス。目的地へ向かう途中だ。そこに僕の拠点がある」
「では、明日そこまで同行してもいいかしら?」
「……どうして」
「貴方が、この地に現れた『異常の発生源』かもしれないから」
なるほど。観察していたのは、僕だけではなかったわけだ。
神の使いか、あるいは不吉な異常か。彼女の瞳には、その両方の色が混在していた。
「自己紹介が遅れたわね。私はメル。短い間だろうけれど……よろしくね、フィックスさん」
───その名を告げられた瞬間、脳の片隅で、二十一世紀の残骸が爆ぜた。
メル。その名は、僕の愛猫と同じだった。
『うわ~、凄い偶然。運命的だねお兄ちゃん』
脳内の茶化しを無視し、僕は親近感でバグりそうになる精神を必死に繋ぎ止める。あの従順な毛玉っこは、今頃家で丸くなっているだろうか。そう思うと、途端にホームシックが顔を出す。ウチの可愛い毛玉と、騎竜を駆るこの「ゴリラ騎士」が同じ名前とは。
今日何度目かの理不尽な偶然に、僕はただ、焚き火の爆ぜる音を聴くことしかできなかった。
次回は二日後になります!




