尊厳の値段
炭化した原生林の、あの死を想起させる芳香は、すでに二十二世紀の滅菌された空気によって上書きされていた。
……重い瞼を開けるのに眉間に力を籠める。
僅かに開けた視界から差し込む光は人工的で、僕は脱力と共に息をつく。
そうやってゆっくりと瞳が光になれるのを待った。
網膜の裏でもお構い無しで明滅する時間表示UIは、あの火の海を抜けてから七十二時間が経過したことを告げている。僕はどうやら成し遂げたらしい。
「……無理をし過ぎてしまったな」
体を起こそうとしてやっぱり止める。彼女の命の対価は決して安い買い物ではなかった。強制注入したアドレナリンの魔法が解けた今、僕の肉体は過負荷によって弾けた筋肉の悲鳴を、神経を逆なでする鈍い疼きとして精算しているかのようで、鈍痛もさることながら鎮痛剤の投与によるブレインフォグの方がそれに勝っていた。
視界を埋め尽くすのは、一点の曇りもない純白の天井だ。
そこにはドラゴンの影も、化物たちの蠢きもない。ただ、ロボットアームを含む精密機械の微かな駆動音と、生命維持装置が刻む規則正しいリズムだけが、この拠点が紛れもない「現実」であることを証明していた。
僕は重い頸椎をわずかに回し、周囲を観察する。
視線を落とせば、僕の健康的な腕には何本かの導管が繋がれている。
ここから点滴で僕は栄養を体に取り入れていた。幸い筋肉の断裂程度で済んだ僕の肉体にそれほど大掛かりな処置は必要なかった。
隣には救助した現地人の騎士、メルがベッドに横になっている。鎧なんかも全て外され、今は僕と同じ患者用の全身白タイツに身を包んでいた。ふざけた格好というわけではなく、これは臓器などを体内に直接3Dプリントするために必要な、一種のプリンターの役目を果たしている。
これを着て手術台に体を預ければ、一瞬にして臓器は複製され動き出すという素晴らしい服なのだ。メイン機能はそれで、他にも止血や固定などもこの一着があれば大抵の外傷は何とかなる。
「あっ、起きた?お兄ちゃん」
患者用のベッドからでは、足先にあるドアの先を見ることはできないが、彼女の声で間違いない。僕らを介抱してくれた白衣の天使兼ドクターのお出ましである。
視線が限界ギリギリまで下に向いた。
自動ドアが開く音と共に聞き慣れた声が鼓膜を打つ。
「マイアか。ああ、今起きたんだ。おはよう」
「具合はどう? 精密検査の数値に異常はないけれど。……『無理やり頭をいじくり回されたAI』の心中を察するだけの情緒が、その壊れかけの脳に残っているなら、今の私の気分も予測できるよね?」
近づいてくるマイアの声は、不気味なほどに凪いでいた。
アンドロイド体となった彼女の容姿は、アイラインの濃いつり目の童顔だ。サーモンピンクのショートカットに、病室には場違いなメイド服。白黒ストライプのニーハイを履いたその足取りは、主人を看病する天使というよりは、処刑場へ向かう首切り役人のそれだった。
「あぁ……やっぱりマイアにはお見通しなんだね。無理やりオーバーライドしたこと、怒ってるだろう?」
「もちろん。怒ってるに決まってるじゃん。ハハッ、ウケる」
ベッドの傍らに立った彼女が見せた表情は、般若の如き憤怒を高性能な合成皮膚で無理やり笑顔に張り付けたような形相で、見る者全ての背中に滝汗を掻かせるには十分な威圧を放出していた。
「……あぁ、そうなんだ」
コチラに向かいながら中指を立てて主人を歓待してくれる、僕の愛すべき教育補助AI。
彼女はロボット三原則によって僕を傷つけることはできないが、医療行為の「解釈」については広大な裁量権を持っている。
「はい。じゃあ今から座薬しましょうね~。お兄ちゃんが管理者権限なんて『えっちな命令』で私の中身を弄くりまわしたせいで、脳の報酬系がバグっちゃってるみたいだから。物理的に冷やしてあげなきゃ」
マイアの操作に従い、医療用ベッドが僕の体を無慈悲に反転させる。
「待て、点滴に成分を混ぜれば済む話だろ。今の僕は全身の筋肉が断裂して……」
「座薬の方が粘膜吸収効率が高くて、鎮痛・解熱効果が早いの。さあ、メディタードの排泄用スリットを開放するよ~」
邪悪な機械人形が、防腐剤の匂いのする手袋を嵌めて不敵に笑う。
「待て。今となりの彼女が目覚めたら、文化保護官としての僕の尊厳が消滅する。そうなったら君の評価にだってヒビが入るぞ」
「死にかけたんだから、尊厳くらい安いものでしょ? それとも、睡眠剤を最大出力で追加投入して、もっと『されるがまま』にしてあげようか?」
「……話し合おう。マイア、君に最新鋭TPUを……」
「ここで安価なTPUじゃなくて、CPUって答えられたら、また世界線は違ったかもしれないね」
「そ、そうか。マイアはCPUが欲しいんだね。コア数は要相談ということでどうだろうか」
「自分の尊厳の値打ちぐらい自分で決めてね。……さぁ、リラックスしてね~?」
「やめろ、 止してくれ……僕が悪かった。 管理者権限はもう使わないから!ヤメッ、アッーーー!!」
朝はカッコ悪く、夜はカッコよく。
メリハリつけてお話を作っていきたいです。




