第9話 Fクラスの課外授業はヌルヌルと悲鳴の協奏曲です
石のようなパンを美味しく食べる技術を確立してから、数日が経過した。
俺たちFクラスの結束は、衣食住のサバイバルを通じて奇妙なほど固まりつつあった。
だが、根本的な問題が解決したわけではない。
金だ。
Fクラスには、金がない。
「というわけで、今日の午後は素材採取を行う」
ホームルームの時間。担任のミネルヴァ先生が、教卓に足を投げ出しながら宣言した。
「素材採取、ですか?」
カイルが手を挙げて質問する。
「ああ。お前らも気づいていると思うが、Fクラスには学園からの部活動費や備品予算が下りていない。チョーク一本、掃除用具一つ買う金もないのが現状だ」
「そんな……公立校より酷いじゃないですか」
「文句は学園長に言え。とにかく、金がないなら稼ぐしかない。学校の裏手に広がる魔獣の森に入り、魔石や薬草を集めてくるんだ。それをギルドに換金して、クラスの運営費に充てる」
要するに、自分たちで稼いでこいということらしい。
ブラックすぎる。だが、俺たちに拒否権はない。
「ただし、森は危険だ。単独行動は命取りになる。今回は二人一組で行動してもらう」
ペア行動。
その言葉に、教室がざわめいた。
誰と組むか。これは生死に関わる問題だ。
俺はチラリとカイルを見た。彼となら連携も取れるし、何より精神的に安定する。カイルも俺を見て頷いた。よし、相思相愛だ。
「ペアはくじ引きで決める。文句はなしだ」
ミネルヴァ先生が無慈悲に箱を取り出した。
俺の希望は一瞬で打ち砕かれた。
***
くじ引きの結果、俺、風早歩瑠斗が引いたくじに書かれていた番号は7番だった。
そして、同じ番号を持っていたのは――。
「……はぁ。なんであんたなのよ」
深い溜息と共に俺の前に立ったのは、ミルクティー色の髪をサイドテールにしたハーフエルフ、アリエス・フェルミナだった。
腰にはいつもの工具ポーチをぶら下げ、手には樫の杖を持っている。あからさまに不満顔だ。
「俺だってカイルと組みたかったよ。でも決まったもんは仕方ないだろ」
「ふんっ! 足手まといにならないでよね。魔獣が出たら私が全部燃やしてあげるから、あんたは後ろで薬草でも摘んでなさい」
「はいはい、頼りにしてるよ」
俺は軽く受け流しながら、周囲を見渡した。
偶然にしてはおかしい。
ミィナはノアと、グレイはルナと組んでいる。特別枠の連中が、綺麗にペアになっているのだ。
教卓の方を見ると、ミネルヴァ先生がニヤリと笑っていた。
間違いない。これはくじ引きと見せかけた、恣意的な班分けだ。問題児同士を組ませて、互いに監視させるつもりなのだろう。あの人ならやりかねない。
「それじゃあ行くわよ、アルト! さっさとノルマ達成して帰るわよ!」
アリエスが先陣を切って森へと入っていく。
俺はため息をつきつつ、彼女の後を追った。
***
魔獣の森は、昼間でも薄暗かった。
鬱蒼と茂る巨木が日光を遮り、湿った土の匂いと、どこか甘ったるい植物の香りが漂っている。
「えっと、指定された薬草は月光草とマヒダケか……」
俺は図鑑を片手に地面を探した。
アリエスはというと、杖を構えて周囲を警戒している。
「ねえ、なんか静かすぎない? もっとウルフとかオークとか出てきてもいいのに」
「出ないほうがいいだろ。俺たちは狩りじゃなくて採取に来たんだぞ」
「つまんないわよ。せっかく新しい魔法術式を組んだのに、試せないじゃない」
彼女はブツブツ言いながら、木の根を蹴っ飛ばした。
好戦的すぎる。
この間のフレンチトーストで少しは態度が軟化したかと思ったが、相変わらずツンツンしている。
まあ、ハーフエルフとして差別されてきた反動で、舐められないように虚勢を張っている部分もあるのだろう。
「……ん? 何よこれ」
アリエスが足を止めた。
彼女の視線の先、巨木の根元に、半透明のゼリー状のものが落ちていた。
青緑色をしていて、プルプルと震えている。
「スライムか?」
「なぁんだ、雑魚じゃない。こんなの燃やして終わりよ」
アリエスが興味なさそうに杖を向けた。
だが、俺の脳裏に警鐘が鳴り響いた。
ミネルヴァ先生との特訓の日々。彼女が言っていた言葉。
『いいかアルト。セフィロトのスライムは物理無効だ。しかも強酸性の消化液を吐く。森で青緑色の個体を見つけたら、絶対に近づくな』
青緑色。
目の前の個体と一致している。
「待てアリエス! 攻撃するな!」
「はぁ? 何言って……《ファイア・バレット》!」
俺の制止は間に合わなかった。
アリエスの杖から放たれた炎の弾丸が、スライムに直撃する。
ボシュッ!
水蒸気が上がった。
だが、スライムは燃え尽きるどころか、炎の熱エネルギーを吸収したかのように膨れ上がり、色をドス黒い緑色へと変色させた。
「えっ……効いてない?」
「馬鹿野郎! スライムは水分と粘液の塊だ! 中途半端な火力じゃ蒸発しないし、むしろ活性化させるだけだ!」
「そ、そんなの知らないわよ! 授業で習ってないし!」
スライムがブクブクと泡立ち、不気味な音を立て始めた。
そして次の瞬間。
木の上から、ボタボタと何かが落ちてきた。
「ひゃっ!?」
アリエスが悲鳴を上げる。
見上げれば、頭上の枝に、無数のスライムが張り付いていた。
俺たちの足元にも、草むらからゾロゾロと這い出てくる。
一匹じゃない。群れだ。
アリエスの魔法に反応して、仲間が集まってきていたのだ。
「囲まれた……!」
「ど、どうするのよこれ!」
「逃げるぞ! 物理攻撃は効かない、走って振り切るんだ!」
俺はアリエスの手首を掴んで走り出した。
だが、スライムたちの動きは異常だった。
バネのように体を収縮させ、木から木へと飛び移りながら追ってくるのだが、その過程でお互いの体が接触すると、まるで水滴が混ざり合うように融合していくのだ。
ボタボタと落ちてきた数十匹の個体が、地面で一つにまとまり、見る見るうちに巨大な粘液の塊へと成長していく。
足元から這い出た個体もそれに吸収され、あっという間に俺たちの背丈を超えるほどの怪物と化した。
「なっ、合体した!?」
俺が驚愕している間に、巨大化したスライムが波打つように跳躍した。
「きゃっ!」
木の根に躓いて転んだアリエスの背後に、その巨大な影が迫る。
「アリエス!」
俺が振り返った時には、もう遅かった。
無数の個体が融合して生まれた巨大なスライムが、アリエスの体に覆い被さったのだ。
「いやぁぁぁっ!!」
アリエスの悲鳴が森に木霊する。
スライムはアリエスの下半身をすっぽりと飲み込み、さらに上半身へと這い上がっていく。
彼女の体が、半透明の粘液の中に沈んでいく。
「離して! 気持ち悪い! ぬるぬるするぅ!」
アリエスが必死に杖で叩くが、スライムの体はゴムのように衝撃を吸収してしまう。
そして、異変が起きた。
ジュウウウウ……。
肉が焼けるような、嫌な音がした。
同時に、白い煙が上がり始める。
「あ、熱っ! なにこれ、熱い!?」
アリエスが涙目で叫ぶ。
スライムが触れている部分。彼女のスカートやニーソックスが、見る見るうちに溶けていく。
やはり、強酸性の溶解液を持つアシッド・スライムだ。
「くそっ、やっぱりか!」
俺は駆け寄ったが、どうすればいい。
アリエスの炎魔法は効かない。物理攻撃も無効。
俺の魔法は種火レベル。火炎放射器のような威力はない。
下手に攻撃すれば、中にいるアリエスまで傷つけてしまう。
「アルト! 助けて! 服が……服が溶けちゃう!」
アリエスのFクラスの制服が、無残に侵食されていく。
スカートの裾が溶け落ち、白い太ももが露わになる。
さらにニーソックスもボロボロになり、素肌に粘液が直接張り付く。
「ひぐっ……!」
アリエスが身をよじる。
そのたびにスライムが彼女の体を締め付け、さらなる衣類を溶かしていく。
酸の粘液は繊維の隙間に入り込み、容赦なく彼女の守りを剥ぎ取っていく。
あまりにも扇情的な光景。
だが、見惚れている場合じゃない。このままでは服だけでなく、皮膚まで溶かされてしまう。
「動くなアリエス! 今助ける!」
「どうやってよ! 魔法も効かないのに!」
「核だ! 核を破壊すれば崩壊する!」
俺はスライムの体を凝視した。
半透明のゲル状の体の中に、ピンポン玉くらいの大きさの赤い球体が見える。あれが核だ。
だが、核はアリエスの太ももの裏側あたりを絶えず移動している。
遠距離からの狙撃は不可能だ。俺の魔法にそんな精度も射程もない。
直接、焼くしかない。
俺の使える唯一の魔法。指先から出す、種火。
ライターの火程度でしかないが、炎の中心温度は千度を超える。
射程は数センチしかない。
だが、触れる距離まで近づけば、核を焼き切ることはできるはずだ。
スライムの体に手を突っ込み、核を直接焼くんだ。
「アリエス、ちょっと我慢しろよ!」
俺はスライムの粘液の中に手を突っ込んだ。
「ひゃうっ!? あ、あんた何して……どこ触ってんのよ!」
アリエスが顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。
俺の手が、ヌルヌルとした感触と共に、彼女の素肌に触れる。
太ももの内側。柔らかく、温かい感触。
理性が消し飛びそうになるが、必死に耐える。
酸が俺の手を焼く。激痛が走る。
だが、ここで引いたらアリエスが大火傷を負う。
「核は……どこだ……ここか!」
ぬるりとした感触の中、硬い球体を見つけた。
アリエスのスカートの中、きわどい場所に逃げ込んでいる。
俺は迷わずそこへ指を伸ばした。
「い、いやぁぁっ! そこはダメぇ!」
アリエスが涙を流して首を振る。
すまんアリエス。後でいくらでも殴られてやる。でも今は許してくれ。
俺は核を指で掴んだ。
そして、ゼロ距離で魔法を発動する。
「燃えろ……!」
ジュッ!!
指先から青白い炎が噴き出す。
核が高熱で焼かれ、パチンと弾ける音がした。
ビクンッ!
スライム全体が激しく痙攣し、次の瞬間、形を保てなくなってドロドロの液体となって崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……やったか……」
俺は尻餅をついた。
手の甲が赤くただれているが、重傷ではない。
それよりも、目の前の光景だ。
スライムは消滅したが、アリエスの服は戻らない。
スカートは半分以上溶け落ち、下着が見えそうになっている。
ブラウスも背中や肩の部分が溶け、白い肌が露わだ。
粘液まみれで、涙目で震えているアリエス。
その姿は、あまりにも無防備で、可憐だった。
「……う、うぅ……」
アリエスが俺を見る。
琥珀色の瞳に涙が溜まっている。
「み、見た……?」
「い、いや! 見てない! スライムしか見てない!」
俺は慌てて目を覆った。嘘だ。ガン見してしまった。網膜に焼き付いている。
「嘘つき! 変態! エッチ!」
アリエスが泣きながら、手近にあった木の枝を投げてきた。
ぺちん、と俺の額に当たる。
「悪かったって! でも、そうしないと助けられなかったんだよ!」
俺は言い訳しながら、自分のシャツを脱いだ。
ブレザーは初日に爆散したので、俺は今、上半身裸だ。
またシャツを失うことになるが、女の子をこの格好のままにしておくわけにはいかない。
「ほら、これ着とけ。サイズ大きいけど、隠せるだろ」
俺は背中を向けたまま、シャツをアリエスに放った。
背後で衣擦れの音がする。
「……あんた、自分はどうするのよ」
少し落ち着いたのか、アリエスの声が聞こえた。
「俺は男だからいいんだよ。それに、裸で森を歩く変態だと思われれば、魔獣も逃げてくだろ」
「……ふふっ、バカね」
アリエスが小さく笑った気配がした。
「……ありがと。助かったわ」
振り返ると、俺のシャツをワンピースのように着たアリエスが立っていた。
袖が長すぎて手が隠れている。萌え袖というやつだ。
裾からは健康的な太ももが見えているが、さっきよりはマシだ。
顔はまだ赤いが、その瞳には信頼の色が戻っていた。
「でも、手……火傷してるじゃない」
彼女が俺の手に気づいて駆け寄ってくる。
「平気だよ、これくらい。アリエスが無傷なら安いもんだ」
「……っ」
アリエスが息を呑み、さらに顔を赤くした。
そして、俺の手をそっと取り、自分のポーチから軟膏を取り出した。
「手当、してあげるから。……じっとしてなさいよ」
彼女の指が、優しく俺の傷に触れる。
ツンツンした態度はどこへやら、今の彼女はただの年頃の女の子だ。
「おーい! 二人とも無事かー?」
その時、茂みの向こうからカイルの声がした。
他のメンバーも合流したようだ。
「げっ、みんなが来た」
アリエスが慌てる。
「ちょっとアルト! この格好、絶対に変な誤解されるわよ! どう言い訳するの!?」
「あー……」
俺は空を見上げた。
上半身裸の男と、その男のシャツ一枚を着た美少女。場所は人気のいない森の奥。
どう見ても『事後』だ。
「スライムに襲われたって言えば信じてもらえる……かな?」
「無理に決まってるでしょバカァ!」
アリエスの叫び声が森に響く。
こうして、Fクラスの初課外授業は、素材採取の成果よりも、「アルトとアリエスが森でナニカをしたらしい」という不名誉な噂だけを残して幕を閉じたのだった。




