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第6話 Fクラスの寮は男女共同の幽霊屋敷でした

入学初日のホームルームが終わり、放課後。

俺たちFクラスの生徒四十名は、担任のミネルヴァ先生に連れられて、学園の敷地の外れにある森の中を歩いていた。


「先生、寮ってまだ着かないんですか?」

「本校舎から徒歩二十分って、遠すぎませんか?」


生徒たちから不満の声が上がる。

SクラスやAクラスの寮は、校舎のすぐ隣にある豪華なホテルみたいな建物だった。

だが、俺たちが向かっているのは、鬱蒼とした森の奥だ。


「甘えるな。Fクラスには専用の寮が用意されているだけマシだと思え」


ミネルヴァ先生は煙管をふかしながら、先頭を歩いていく。

やがて、木々の隙間から、その建物が姿を現した。


「到着だ。ここが今日からお前たちの城、『旧・第三学生寮』だ」


全員が足を止めた。

そして、絶句した。

そこにあったのは、ツタに覆われ、壁に亀裂が走り、屋根の一部が抜け落ちた、三階建ての古びた洋館だった。

窓ガラスは割れ、入り口の扉は蝶番が外れて傾いている。

夕闇の中で佇むその姿は、どう見ても廃墟かお化け屋敷だ。


カァ、カァ。

タイミングよくカラスが鳴いて飛び立っていった。演出過剰すぎる。


「おいおい、文句を言うな。築百年の由緒ある建物だぞ」

「ただの廃墟ですよね!?」

「雨漏りとかどうすんのよ!」

「修繕予算は出ていない。嫌なら野宿しろ。森にはウルフやベアが出るがな」


ミネルヴァ先生の無慈悲な宣告に、生徒たちは静まり返った。

野宿よりは、屋根があるだけマシという理屈か。


「それと、重要なことがもう一つある」


先生はニヤリと笑った。


「この寮は一棟しかない。よって、男女共同だ」


「「「はぁぁぁぁぁ!?」」」


今度こそ、全員の悲鳴が重なった。

年頃の高校生相当の彼らにとって、それは爆弾発言だ。


「一階が共用スペースと食堂。二階が男子、三階が女子だ。部屋は余るほどあるから好きに使え。風呂は一階に大浴場があるから、時間で分けろ」

「せ、先生! セキュリティとかどうなってるんですか!?」

「そんなもんはない。自分の身は自分で守れ。以上、解散!」


ミネルヴァ先生は「私は街のアトリエに帰るから」と言い残し、転移魔法でさっさと消えてしまった。

というか転移魔法使えるのかよ。


残されたのは、廃墟と四十人の呆然とした生徒たち。


「詰んだ……」


誰かが膝から崩れ落ちた。

女子生徒の中には泣き出す子もいる。

無理もない。貴族出身の子もいるだろうし、こんな廃屋で、しかも異性と共同生活なんて耐えられないだろう。

俺、風早歩瑠斗もまた、頭を抱えたくなった。


だが、俺の絶望は「こんなところに住みたくない」という感情論ではない。もっと切実な、生存本能に基づくものだ。

このままでは、今夜寝る場所がない。

虫が這い回る床で雑魚寝なんてしたら、明日からの授業に支障が出る。睡眠不足は受験勉強の大敵だ。

やるしかないか。


俺はため息をつき、シャツの袖をまくった。ブレザーはさっき爆散したので肌寒い。

誰かに指示するなんて柄じゃない。

ただ、自分の寝床だけでも確保しないと死ぬ。

俺は黙々と、近くにあった壊れたモップを拾い上げ、玄関のクモの巣を払い始めた。


「えっ、アルト? 何してるの?」


呆然としていたカイルが声をかけてきた。


「掃除だよ。俺、虫と一緒に寝るのは無理だから」

「あ、ああ……そうだね。僕も手伝うよ」


カイルは苦笑しつつ、落ちていた箒を拾ってくれた。

エリスも「私もやります」と袖をまくり、水汲みに行こうとする。

さすが普通枠。話が早い。


だが、三人でこの廃墟を掃除するのは限界がある。日が暮れたら作業すらできなくなる。

俺はチラリと、手持ち無沙汰にしている「特別枠」の連中を見た。

あいつらの能力を使えば、一瞬で終わるはずだ。

でも、俺なんかが話しかけて言うことを聞くような連中じゃない。

だが、背に腹は代えられない。

俺は意を決して、入り口で舌打ちしているアリエスに近づいた。


「あのさ、アリエス」

「なによ。今、最悪な気分なんだけど」

「ごめん。その、入り口の扉なんだけど、君の工具で直せたりしないかな? 扉が閉まらないと、夜中に魔物が入ってくるかもしれないし……」


俺はできるだけ下手に出た。自分の安全のためだ。

アリエスは扉を見て、ふんと鼻を鳴らした。


「ボロい蝶番ね。ま、私が夜中に襲われるのも嫌だし、直してあげるわよ」

「ありがとう。助かる」


よかった。案外、話のわかる奴だ。

俺は次に、屋根の上を眺めているミィナを見上げた。


「ミィナ。高いところの掃除、頼めないか? 報酬は購買のパン一個でどうだ?」

「にゃっ! パン! やるやるー!」


こっちはもっと簡単だった。餌付け成功だ。

グレイには「強力な洗剤を作って実験してみないか?」と持ちかけたら、喜々としてスライムを煮込み始めた。


そして、廊下の暗がりにいたノアにも声をかける。


「ノア、頼みがあるんだけど」

「私に……ですか?」

「ああ。ここ、電気が通ってなくて暗いんだ。君、さっき教室で光ってただろ? 照明代わりになってもらえないか?」


彼女は驚いたように目を丸くした。


「えっと……私、魔力が溢れすぎて、勝手に発光しちゃうんです。みんなには眩しいって嫌がられるんですけど……」

「いや、今はそれが一番ありがたい。頼めるか?」

「はい! それなら、役に立てます!」


彼女は嬉しそうに頷いた。

魔力過多というハンデが、ここでは役に立つ。


ルナに関しては……玄関の長椅子で寝息を立て始めたので、邪魔にならない場所を選んでくれただけ感謝することにした。


それらを見ていた他の生徒たちも、「俺たちもやるか……」「ここで寝るしかないもんな」と、渋々ながら動き始めた。

俺はリーダーシップを発揮するわけでもなく、ただ黙々と自分のエリアを雑巾掛けしながら、たまに「あ、そこ危ないかも」「水ならあっちに出たよ」とボソボソ呟くだけだった。



***



作業開始から三時間。

太陽が完全に沈む頃には、廃墟同然だった「旧・第三学生寮」は、見違えるほど綺麗になっていた。

アリエスが直した扉や床は新品同様だし、グレイの洗剤のおかげで床もピカピカだ。ノアが歩くだけで廊下が明るくなるので、作業もスムーズに進んだ。


一階の食堂。

掃除を終えた全員が、テーブルに突っ伏していた。


「「「つ、疲れたぁぁぁ……」」」


心地よい疲労感だ。

全員泥だらけだが、その顔には不思議な達成感があった。


「なんとかなったな……」


俺はカイルと顔を見合わせて、ホッと息をついた。

これで今夜は屋根の下で眠れる。

その時、グググ〜ッという盛大な音が響いた。

ミィナだ。


「お腹すいたー! アルト、パンくれるって言った!」

「わかったわかった。……よし、購買に行くか」


俺は重い腰を上げた。

ここには食材がない。食料を調達しなければ、空腹で眠れない夜を過ごすことになる。


「ええっ、これから行くの? 本校舎まで往復四十分だよ?」


生徒の一人がげんなりした声を上げたが、背に腹は代えられない。

俺たちはぞろぞろと寮を出て、夜の森を歩き出した。



***



行きはミネルヴァ先生の案内があったから良かったが、自分たちだけで歩くと、その遠さが身に染みた。

街灯もない獣道を、ノアの発光だけを頼りに進む。


「遠い……遠すぎる……」

「なんで俺たちだけこんな目に……」


ブツブツと文句を言いながら歩くこと二十分。

ようやく森を抜け、本校舎の明かりが見えた時は、文明社会に帰還したような感動があった。

購買部は、本校舎の一角にあった。

閉店間際だったが、まだ商品は残っていた。


SクラスやAクラスの生徒たちが優雅に談笑しながら高級そうなサンドイッチを選んでいる横で、俺たちFクラスの集団は、泥だらけの姿でワゴンセールのパンに群がった。


「安い! 昨日の売れ残りが半額だ!」

「買い占めろ! 質より量だ!」


なりふり構っていられない。

俺もカイルと協力して、値引きシールの貼られた焼きそばパンやクリームパンをカゴいっぱいに放り込んだ。

エリートたちが「うわ、なんだあいつら……」「野蛮ね」と眉をひそめているが、知ったことか。こっちは生存競争中なんだ。

帰りの道中は、戦利品を抱えての行軍だった。

行きよりも足取りが軽いのは、空腹が満たされる希望があるからだろう。


寮に戻り、食堂でパンとパック牛乳だけの質素な夕食を済ませると、ようやく今日最後のミッションが待っていた。

風呂だ。


「男子が先だ!」

「えー、女子が先がいいー!」

「文句言うな! 覗かれたくなかったら男を先に追い出すのが正解だろ!」


そんな怒号が飛び交う中、俺たち男子勢はタオルを持って一階奥の大浴場へと向かった。



***



脱衣所の扉を開けると、ムワッとした湯気が溢れ出してきた。

大浴場は、石造りの立派なものだった。

かつては豪華だったのだろうが、タイルのあちこちがひび割れ、蛇口の金属は錆びついている。

だが、俺たちが水道管を直したおかげで、浴槽には並々と湯が張られていた。


「うおぉぉ! 風呂だぁ!」

「生き返るぅぅ!」


男子連中が歓声を上げて、服を脱ぎ捨てる。

俺も汗と埃にまみれたシャツを脱ぎ、かけ湯をしてから湯船に浸かった。


「……はぁぁ」


思わず声が漏れる。

熱い湯が、酷使した筋肉を解きほぐしていく。

極楽だ。ここが廃墟だということを忘れそうになる。


「いい湯だね、アルト」


隣にカイルが入ってきた。

彼もまた、疲れ切った顔をしているが、その表情は安らいでいる。


「ああ。労働のあとの風呂がこんなに染みるとはな」

「まったくだよ。……ねえ、これからどうなると思う? この寮、女子と共同だよ?」


カイルが声を潜めて、入り口の扉――脱衣所の方を指差した。


「僕たちが出たあと、すぐに女子があそこを使うんだよ? 同じ脱衣所、同じ風呂……想像すると、なんか落ち着かないよね」

「間違いなくトラブルの予感しかしないな」

「だよね。アリエスとか気が強そうだし、あの猫耳の子……ミィナだっけ? あの子も自由奔放だし」

「俺は極力関わらないようにするよ。平和に暮らしたいからな」


俺がそう言うと、湯船の反対側からチャプチャプと水音が近づいてきた。

グレイだ。

彼はなぜか眼鏡をかけたまま入浴している。曇らないのだろうか。


「平和、ねぇ。それは難しいんじゃないかな、アルトくん」

「……なんだよグレイ」

「この湯の成分を分析してみたんだがね。微量だが魔力を活性化させる成分が含まれている。おそらく地下の魔脈から引いている温泉だ。つまり、ここに住んでいるだけで、僕たちは常に魔力が高まった状態になる」

「それって、いいことじゃないのか?」

「魔法使いにとってはね。でも、精神的にも高揚しやすくなる。……特に、思春期の男女にとっては、理性のタガが外れやすくなるかもしれないねぇ」


グレイはニヤリと笑い、怪しげな瓶に入浴剤のような粉末を投入した。

湯の色がエメラルドグリーンに変わる。


「おい何を入れた!」

「リラックス効果のあるハーブさ。安心していいよ」


本当かよ。

俺は早々に上がることにした。

長湯をして変な成分に当てられたらたまらない。

体を洗い、逃げるように脱衣所へ出る。


「お先に」

「また明日」


カイルに手を振り、俺は二階の自室へと戻った。



***



二階の男子フロア、一番奥の部屋。

それが俺に割り当てられた個室だった。

六畳ほどの広さに、ベッドと机だけのシンプルな部屋。だが、自分で磨いたおかげで、ボロいなりに愛着が湧いている。


「ふぅ……」


タオルで髪を拭きながら、ベッドに腰掛ける。

長い一日だった。

廃寮の掃除、そして往復四十分の買い出しと大浴場。

陰キャの俺には刺激が強すぎる一日だった。もう一歩も動きたくない。


トントン。


控えめなノックの音がした。

カイルか? そういえばもう女子達が大浴場を出る時間か。ならばミィナが「パンが足りない」と追加をねだりに来たのか?いやいや、男子の部屋に女子が来るはずがない。きっとカイルだろう。


「はい、開いてるよ……」


ガチャリ、とドアが開く。

入ってきた人物を見て、俺は思考を停止した。

濡れた白髪をタオルで拭きながら、サイズの大きなTシャツ一枚という無防備すぎる姿のルナだった。

借り物なのだろうか、ブカブカのシャツの裾から、白磁のように滑らかな太ももが露わになっている。

待て。あれ、下履いてるのか? ショートパンツが見えないぞ?


「……ルナ?」

「……ん。温風の魔道具、壊れてた」


彼女は俺のベッドの端にちょこんと座ると、濡れた頭を俺に突き出した。

ふわりと、風呂上がりの石鹸の良い香りが鼻をくすぐる。

湯上がりで少し上気した頬が、白い肌に映えてやけに艶っぽい。


「乾かして」

「お前なぁ……」


俺は喉が鳴るのを必死に堪えて、視線を彼女の顔から逸らした。

危ない。あまりに無防備すぎる。

さっきグレイが言っていた「理性のタガが外れやすくなる」という言葉が脳裏をよぎる。


「ここは男子寮だぞ? その……自分の格好、わかってるのか?」

「……アルトの部屋だから、来た。他はヤダ」


彼女は当然のように言う。

蒼い瞳が、真っ直ぐに俺を見上げている。そこには羞恥心も警戒心もなく、ただ純粋な信頼だけがあった。

それが逆に、俺の精神をゴリゴリと削ってくる。

勘弁してくれ……。

理性総動員だ。

ここで鼻の下を伸ばしたら、俺の「平穏な学園生活」は社会的な意味で終わる。


「はぁ……」


俺は深くため息をつき、自分の乾いたタオルを手に取った。

俺には風魔法なんて便利なものは使えない。

アナログに、手で拭くしかない。


「ほら、じっとしてろよ」

俺は彼女の頭からタオルを被せ、わしゃわしゃと髪を拭き始めた。

絹のように細く、柔らかい髪だ。

指先がうっかり白い首筋や耳に触れるたび、ルナが「んぅ……」と小さく喉を鳴らす。

その反応が、いちいち俺の心臓に悪い。


今日一日で分かったことがある。

この寮は、建物は直ったが、中身である住人たちの問題は山積みだということだ。

特に、この「男女共同」という環境は、俺にとって魔獣の森よりも危険なトラップかもしれない。


タオル越しに伝わる体温と、甘い匂いにクラクラしながら、俺は膝の上でウトウトし始めたルナの髪を拭き続けた。これ、卒業まで俺の理性が保つのか?


窓の外では、夜風に揺れる森の木々がざわめいている。

こうして、Fクラスの寮での最初の一夜は、俺の煩悩との戦いと共に更けていった。

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