第5話 自己紹介は爆発のあとで
「じゃあな。私は職員室で煙管休憩してくる。お前ら、仲良く喧嘩しとけよ」
担任のミネルヴァ先生は、無責任な言葉を残して教室を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
あとに残されたのは、教壇の前に呼び出された俺たち「特別枠」の六人だけだ。
教室の後ろでは、カイルやエリスたち一般生徒が「あいつら、何者なんだ?」「やべー奴ららしいぜ」と遠巻きにこちらを眺めている。
完全に動物園の珍獣扱いだ。
沈黙が痛い。
俺、風早歩瑠斗は小さくため息をつき、左右を見渡した。
右隣では、白髪の美少女ルナが立ったまま寝ている。ゆらゆらと揺れて、危うく俺に倒れかかってきそうだ。
左隣では、白衣の男グレイが、俺の腕を掴んでまじまじと観察している。
そして正面では、ハーフエルフのアリエスが、腰に手を当てて俺を睨みつけていた。
「……はぁ。とりあえず、自己紹介でもするか?」
俺が口火を切った。
誰かが仕切らないと、この沈黙は永遠に続きそうだったからだ。
「そうね。これから同じクラスでやっていくんだもの。お互いの『地雷』くらいは知っておかないと」
最初に反応したのは、ミルクティー色の髪を揺らすハーフエルフ、アリエスだった。
彼女は一歩前に出ると、ふんぞり返るように胸を張った。
「私はアリエス・フェルミナ! 属性は風と植物! 得意なことは魔道具の修理と改造! 趣味は機械いじりよ!」
元気ハツラツだ。
だが、その琥珀色の瞳は、どこか周囲を威嚇するように尖っている。
「最初に言っておくけど、私は『ハーフ』だからって馬鹿にされるのが大っ嫌いなの。私の耳を見て笑ったり、コソコソ悪口を言う奴は、教室ごとジャングルにしてやるから覚悟しなさい!」
「……過激だな」
「なによ。文句ある?」
「いや、ない。わかりやすい『取扱説明書』で助かるよ」
俺が素直に答えると、アリエスは「ふんっ」と鼻を鳴らして視線を逸らした。
どうやら、過去に差別されてきた経験があるらしい。この学園も実力主義とはいえ、純血のエルフや貴族からの風当たりは強いのだろう。
「次はボクだね! ボクはミィナ・キャロット!」
教卓の上に飛び乗ったのは、猫耳と尻尾を持つ獣人の少女だ。
彼女は猫のように目を細め、ニシシと笑った。
「種族はキャットフォーク! 得意なのは隠れんボと、高いところに登ること! 魔法はあんまり使えないけど、気配を消すのは得意だよ。あと、お腹が空くと不機嫌になるから、餌付け推奨!」
「餌付けって……」
「あ、君のポケットに入ってる飴、もらっていい?」
「え?」
気づけば、ミィナの手が俺のブレザーのポケットに入っていた。
いつの間に近づいたんだ? まったく気配を感じなかった。
彼女は包み紙を開け、飴を口に放り込んで満足そうに尻尾を振った。
……油断ならない奴だ。
「次は僕の番かい? 僕はグレイ・フォルティス」
白衣の男が、眼鏡の位置を直しながら言った。
ボサボサの銀髪に、薬品の染みがついた袖。絵に描いたようなマッドサイエンティストだ。
「属性は『解析・分解』。君たちの魔法がどういう構造で動いているのか、非常に興味がある。特に君、アルトくん」
「俺?」
「ああ。君の魔力はゴミみたいに少ないのに、入試では一点突破をしたそうだね。どういう理論なんだい? ぜひ一度、解剖……じゃなくて、検査させてほしいね」
「全力で断る」
俺は即答した。こいつの目は笑っていない。本気でメスを入れてきそうだ。
試験の時のあれは、ミネルヴァ先生が杖に施してくれた「一度きりの圧縮術式」のおかげだ。俺の実力じゃない。もう二度と撃てない魔法だ。
そんなことを知られたら、この解剖マニアに何をされるかわかったもんじゃない。
「……あの、次は私、かな」
消え入りそうな声がした。
声の主を探して、俺たちはキョロキョロした。
すると、ルナの背後の影から、白金髪の少女がおずおずと現れた。
「ノア・リュミエールです……。人間、です。たぶん」
「たぶん?」
「えっと……あんまり人混みが得意じゃなくて……学校には週に一回くらいしか来られないかも……。ごめんなさい、みんなの邪魔にならないようにするから……」
彼女は申し訳なさそうに縮こまっている。
見ているだけで守ってあげたくなるような儚さだ。
腕には何やら仰々しい腕輪をつけている。病弱なんだろうか。
そして最後は。
「……ルナ」
俺の隣で、船を漕いでいた白髪の少女が、ぼそりと呟いた。
「ルナ・アルシェル。……眠い」
それだけ言って、彼女は再び瞼を閉じた。
自己紹介終了。
マイペースすぎる。
「で、最後は君ね」
アリエスが俺を指差した。
「アルト、だったかしら。君は何ができるの? 魔力、全然感じないんだけど」
彼女の視線には、明確な疑念があった。
ここにいる連中は、一癖あるとはいえ、腐っても才能の塊だ。
対して俺は、ただの一般人。
当然の疑問だろう。
「俺は風早歩瑠斗。ただの人間だ。属性は……まあ、火魔法が少し使える程度かな」
「少し? 見せてみなさいよ」
「いや、ここでは危ないから」
「はぁ? 何よ、出し惜しみ? それとも、見せられないほどショボいってこと?」
アリエスが挑発的に詰め寄ってくる。
俺は苦笑した。
図星だ。ショボすぎて見せられないのだ。
俺が今使えるのは、ライターの火を指先に出す程度の「種火」だけ。
「悪いけど、俺は君たちみたいな天才じゃないんだ。運良く筆記試験で点を稼いで、ここに滑り込んだだけの凡人だよ」
「……はぁ。つまんない男」
アリエスは露骨にがっかりした顔をした。
「特別枠って言うから、どんな凄い魔法使いかと思ったのに。ただのガリ勉じゃない。ガッカリだわ」
彼女は興味を失ったように背を向けた。
まあ、それでいい。
俺は舐められていた方が都合がいい。
期待されなければ、面倒ごとも回ってこないはずだ。
そう思った矢先だった。
「――っ!?」
アリエスの腰のポーチから、バチバチッという異音が響いた。
彼女が血相を変える。
「うそ、魔力暴走!? さっき直したはずなのに!」
彼女のポーチから飛び出したのは、拳大の緑色の種子だった。
それは空中で激しく明滅し、ブーンという羽音のような音を立てて浮遊している。
「おい、なんだあれ!」
「『爆裂蔦』の種だ! あれが発芽したら、教室中が蔦だらけになるぞ!」
「逃げろー!」
教室の後ろにいた一般生徒たちがパニックになって逃げ出す。
種は、まるで意思を持っているかのように、アリエスの周りを旋回し始めた。
「ど、どうしよう! 私の感情に反応して活性化しちゃった! 誰か止めて!」
「無理だよ、あんな不安定な魔力塊、魔法で触ったら即誘爆だ」
グレイが冷静に分析している。お前、解析してる場合か。
「にゃっ! ヤバい気配!」
ミィナは一瞬で教卓の下に隠れた。逃げ足が速い。
ルナはまだ寝ている。起きろ。
ノアはオロオロと涙目になっている。
「くっ……私がなんとかするしか……!」
アリエスが自分の杖を構える。
だが、彼女の手は震えていた。
彼女の膨大な魔力に反応して、種はいっそう激しく赤く光る。
「だめだアリエス! 君の魔力じゃ、火に油を注ぐだけだ!」
グレイが叫ぶ。
このままだと爆発する。
入学初日から教室崩壊。退学処分。
(……くそっ!)
俺は覚悟を決めた。
魔法でどうにかすることはできない。俺にはそんな力はない。
だが、知識ならある。
ミネルヴァさんに叩き込まれた、魔法生物学の知識が。
『爆裂蔦の種子は、高濃度のマナに反応して追尾・自爆する習性がある』
つまり、ここにいる「魔力持ち」たちは全員、動く標的だ。
アリエスも、グレイも、逃げ回る生徒たちも、種にとってはご馳走に見えているはずだ。
――なら、俺は?
俺の魔力はゴミ以下だ。
ミネルヴァさん曰く、「赤子レベル」。
つまり、今の俺は、あの種にとって「ただの背景」でしかないはずだ。
「……賭けるか」
俺はブレザーを脱ぎ、それを手元で丸めた。
そして、パニックになっているアリエスの前へと躍り出た。
「ちょっとあんた! 何してんの! 死ぬわよ!」
「動くな!」
俺は叫びながら、浮遊する種へと真っ直ぐ歩み寄った。
怖い。足が震える。
もし俺の微弱な魔力にも反応したら、顔面で爆発を受けることになる。
だが、種は俺に反応しなかった。
赤く明滅しながら、俺の後ろにいるアリエスを狙い続けている。
(いける……!)
俺は種に最接近し――手に持ったブレザーを、網のように被せた。
「え?」
アリエスが呆気にとられる。
俺はブレザーごと種を包み込み、ギュッと口を縛った。
手の中で種が暴れる感触がある。だが、爆発はしない。
俺の体からは、起爆させるほどの魔力が出ていないからだ。
「開けろ!」
俺は窓際の席のカイルに向かって叫んだ。
カイルは瞬時に状況を理解し、窓を全開にした。
「うらぁっ!!」
俺は全力で、ブレザー包みを窓の外へと放り投げた。
包みは放物線を描き、中庭の上空へ。
そして、数秒後。
ドォォォォン!!
空中で派手な爆発音が響き、緑色の蔦が花火のように四散した。
窓ガラスがビリビリと震える。
間一髪だった。
「…………」
教室に静寂が戻る。
全員が、窓の外の爆煙と、俺の顔を交互に見ている。
俺はへなへなとその場に座り込んだ。
「あー……死ぬかと思った」
心臓がバクバクしている。
魔法バトルのような華麗さはゼロ。
ただの上着を使った虫取りみたいな捕獲劇だ。
「あ、あんた……無事なの?」
アリエスがおずおずと近づいてきた。
信じられないものを見る目だ。
「なんで? なんで爆発しなかったの? あんな至近距離で触ったのに」
「言っただろ。俺は凡人だって」
俺は苦笑しながら答えた。
「俺の魔力が少なすぎて、あの種に『敵』としても『エサ』としても認識されなかったんだよ。ただの石ころが触ったのと変わらない判定だったってわけだ」
「そ、そんな……」
アリエスは言葉を失っている。
魔力が高いことが正義とされるこの世界で、魔力が低いことが役に立つなんて、想像もしていなかったのだろう。
「なるほどねぇ」
グレイが感心したように眼鏡を押し上げた。
「『ステルス』とは違う。存在そのものが魔導的に希薄だからこそ、防衛本能をすり抜けたわけか。……ある意味、最強の対魔獣耐性だね」
「褒められてる気がしねぇよ」
俺はため息をついた。
ブレザーは爆散してしまった。
明日からシャツ一枚で過ごさなきゃいけないのか。財布に痛い。
「あ、あの!」
アリエスが顔を真っ赤にして叫んだ。
「わ、私のせいだから! ブレザーは私が弁償するわよ! 修理でも新品でもなんでも用意するから!」
「いや、いいよ。安物だし」
「良くないわよ! ……助けてもらったんだし」
彼女はモジモジと指を組み合わせ、上目遣いで俺を見た。
「ありがと。……あんた、意外と度胸あるのね」
ツンケンしていた態度が消え、しおらしくなっている。
どうやら、とりあえずの敵対関係は回避できたようだ。
「おーい、アルト! 大丈夫?」
カイルとエリスが駆け寄ってきた。
「すごいな、あんな爆弾素手で掴むなんて」
「怪我はありませんか? 火傷とか……」
二人が心配そうに覗き込んでくる。
俺は二人の顔を見て、ホッと息をついた。
やっぱり、この「普通枠」の二人といる時が一番落ち着く。
だが。
俺の周りには、興味津々のグレイや、尻尾を振るミィナ、そして顔を赤くしているアリエスが集まってきている。
さらには、
「……ん」
いつの間にか起きていたルナが、俺のシャツの袖を掴んでいた。
「アルト。……いい匂いがする」
「は?」
「月の匂いじゃなくて……日向の匂い。落ち着く」
何を言っているんだ。
彼女はそう言うと、俺の腕に頬をすり寄せた。
まるで猫が日向ぼっこをするように。
……おい、心臓に悪いからやめてくれ。クラス中の男子から殺意の視線を感じるぞ。
「ちょ、ちょっとルナ!」
アリエスが慌てて俺たちを引き剥がそうとする。
騒がしい教室。
個性豊かすぎるクラスメイトたち。
俺はシャツ一枚の姿で、天井を仰いだ。




