表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/21

第20話 祭りのあとは甘い雰囲気と空気の読めない来訪者です

全学年クラス対抗魔術戦が幕を閉じた。

結果はSクラスの優勝。俺たちFクラスは、大健闘の末の準優勝に終わった。

表彰式が終わり、熱狂していた数千人の生徒や観客たちが去っていく。

祭りのあとの闘技場は、嘘のように静まり返り、西の空には燃えるような夕焼けが広がっていた。

その赤色は、今日の激闘を称えるようでもあり、俺たちの敗北を嘲笑うようでもあった。



***



放課後。

俺たちの拠点である、図書館の地下書庫。

いつもならアリエスが騒ぎ、ミィナが暴れ、ルナが寝息を立てているこの場所も、今はシンと静まり返っていた。

みんな、連戦の疲れと、最後のイグニス戦でのダメージで、寮に戻って泥のように眠っているか、あるいは医務室で治療を受けている。

俺、風早歩瑠斗は一人、パイプ椅子に座り込んで天井を見上げていた。

天井の天窓から差し込むオレンジ色の光が、地下室の埃をキラキラと照らしている。


「……はぁ」


重く、湿った溜息が落ちる。

俺の手には、準優勝の記念品である銀メダルが握られていた。

ずしりと重い。だが、欲しかったのはこれじゃない。

表彰式では、学園長からも、他の生徒からも「よくやった」「英雄だ」と称賛された。

Fクラスの快進撃は奇跡だと。


だが、俺の心に残っていたのは、達成感よりも、鉛のように重苦しい無力感だった。


『アルト、お前はよくやったよ』

『イグニスをあそこまで追い詰めたんだ、誇っていい』


グレイやカイルは、別れ際にそう言ってくれた。

その言葉に嘘はないだろう。彼らは本心から俺を信頼してくれている。

でも、俺自身の記憶に焼き付いているのは、最後の一瞬だ。

イグニス・バーンシュタインが見せた、あの理不尽なまでのエネルギー。

俺が必死に積み上げた科学ロジックを、酸素欠乏という絶対的な窮地を、ただ純粋な「個の力」だけで粉砕した、あの青白い輝き。


勝てなかった。

あと一歩だった。

でも、その一歩が、果てしなく遠かった。

断崖絶壁のように、超えられない壁を感じた。

俺には魔力がない。

知識と工夫と、ハッタリで食らいついたが、結局、魔法使いの頂点には届かなかったのだ。


「……悔しいな」


誰もいない地下室で、本音が漏れた。

元の世界に帰るため、卒業証書を手に入れるためと割り切っていたはずなのに。

俺はいつの間にか、本気で勝ちたくなっていたのだ。

魔法が使えない落ちこぼれのままで、あの傲慢な天才に土をつけたかった。

ズキリ、と胸が痛む。

孤独感が押し寄せてくる。

俺は膝に顔を埋め、薄暗い部屋の中で小さくうずくまった。


――カツ、カツ、カツ。


不意に、静寂を破る足音が響いた。

地下への階段を降りてくる、軽いが、どこか躊躇いがちな足音。

誰か戻ってきたのか? 忘れ物か?

俺は顔を上げる気力もなく、じっとしていた。


「……アルト?」


声をかけてきたのは、ミルクティー色の髪を揺らす少女、アリエス・フェルミナだった。

顔を上げると、制服姿の彼女が入り口に立っていた。

夕日を背負い、逆光になって表情がよく見えない。

だが、その声色は、いつもの勝気な響きとは違い、とても優しかった。


「アリエス……? どうしたんだ、怪我は大丈夫なのか?」


俺は慌てて涙を拭い、平気なフリをして尋ねた。


「……平気よ。エリスに治してもらったし」


彼女は少しバツが悪そうに視線を逸らし、モジモジとスカートの裾を弄った。


「その……忘れ物。教科書を置き忘れた気がして」

「教科書? お前の席、あっちだぞ」


俺が指差すが、彼女の席に教科書なんてない。

アリエスは「うっ」と言葉に詰まり、ため息をついた。


「嘘よ。……あんたが心配だったの」


彼女はまっすぐに俺を見て言った。

そして、コツコツと歩み寄ってくると、俺の隣に置いてあった木箱に腰を下ろした。


近い。

カビ臭い古書の匂いの中に、彼女から漂う甘い花の香りが混じる。


沈黙が流れる。

でも、それは居心地の悪い沈黙ではなかった。


「……落ち込んでるの?」


ポツリと、アリエスが尋ねた。


「……別に。疲れてるだけだ」

「強がんないでよ。あんたの顔、わかりやすいんだから」


彼女は呆れたように言うと、俺の手にある銀メダルを覗き込んだ。

そして、そっと俺の手の甲に触れた。


彼女の手は温かかった。対抗戦で酷使したせいで包帯が巻かれているが、その下にある熱が、冷え切った俺の心を溶かすように伝わってくる。


「準優勝。……凄いわよね。Fクラス始まって以来の快挙よ。学園長も腰を抜かしてたわ」

「でも、負けた。……俺の作戦が足りなかった。イグニスの底力を見誤った」

「そうね。あいつは化け物だったわ」


アリエスは否定しなかった。

イグニスの強さは、戦った彼女自身が一番よく知っているからだ。


「でもね、アルト。……私、嬉しかったのよ」

「え?」

「私、入学してからずっと『火力だけの馬鹿』って言われてきた。制御ができなくて、周りを壊すだけで、繊細な魔法が使えない欠陥品だって……。自分でも、そう思ってた」


彼女の手が、俺の手をギュッと握りしめた。

少し震えている。


「でも、あんたは違った。あんただけは、私の炎を『武器』だと言ってくれた。あんたの作戦があったから、私はSクラスの連中を見返すことができた。Bクラスの盾を溶かした時も、3年生を撃ち落とした時も……あんたの指示通りに動くのが、すごく楽しかった」

「アリエス……」

「あんたがいなきゃ、私はただの落ちこぼれのまま、腐ってたと思う。……だから」


彼女は顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめた。

夕日に染まるその顔は、今まで見たどんな魔法よりも綺麗だった。


「自分を卑下しないで。……あんたは、私にとって最高の指揮官なんだから」


彼女は少し照れくさそうに、でもはっきりとそう言った。

その言葉が、胸の奥深くに刺さる。

無力感じゃない。

俺は、魔力がなくても、彼女たちの力になれたんだ。彼女を支えることができたんだ。


「……ありがとう、アリエス」


俺は素直に礼を言った。


アリエスと目が合う。

至近距離。

薄暗い地下室の中で、互いの呼吸音が聞こえるほどの距離。

ドクン、と心臓が跳ねた。

普段は勝気でツンケンしている彼女が、今はとても無防備で、とろんとした柔らかい表情をしている。

繋がれた手から伝わる熱が、体温以上の何かに変わっていくのを感じる。


「……アルト」


アリエスが、俺の名前を呼ぶ。

その声は微かに震えていて、甘く、熱を帯びていた。

戦友としての労いではない。

もっと湿度のある、男女の空気が、二人の間に満ちていく。

夕暮れの魔法、というやつだろうか。


「あのね……私……」


アリエスが体を寄せてくる。

肩が触れ合う。

彼女の上目遣いが、俺の理性を揺さぶる。

逃げちゃいけない気がした。

この雰囲気から。彼女の瞳から。


俺は吸い寄せられるように、彼女の方へ体を向けた。

俺の左手が、自然と彼女の頬に伸びる。

包帯越しでもわかる、火照った肌の感触。

アリエスは拒まない。むしろ、俺の手のひらに自分の頬を擦り寄せてくる。


「……ん……」


アリエスが目を閉じ、顎を少し上げた。

誘っている。

その唇は、熟れた果実のように赤く、微かに震えている。

俺の理性が、警鐘を鳴らすのをやめた。

今は、この衝動に従いたい。

俺はゆっくりと、彼女の顔に近づいていった。


あと10センチ。

互いの鼻先が触れそうな距離。

心臓の音がうるさいくらいに響いている。

アリエスの甘い匂いが、地下室のカビ臭さを塗り替えていく。


あと5センチ。

彼女の長い睫毛が震えているのが見える。

吐息がかかる。

世界が、彼女と俺だけのものになる。

俺は首を傾け、その唇に触れようと――。


ガチャリ。


無機質な金属音が、静寂を切り裂いた。

地下書庫の重い鉄扉が、勢いよく開かれる音だ。


「おーい、みんなー! 大変だ大変だー!」


空気の読めない明るい声と共に、爽やかな風が吹き込んできた。

金髪の少年、カイル・ウィンザーだ。

彼は治療を終えたのか、頭に包帯を巻きつつも元気いっぱいに飛び込んできた。

その手には、一枚のプリントが握られている。


「次の試験の通達が来たよ! 進級判定のスケジュールが……って、あれ?」


カイルはそこで言葉を切り、硬直した。

彼の目の前に広がっていたのは、こんな光景だ。

夕暮れの薄暗い地下室。

パイプ椅子に座る俺。

その俺の膝に半分乗り上げるようにして、身を寄せるアリエス。

俺の手はアリエスの頬に、アリエスの手は俺の胸に。

そして、顔の距離は数センチ。

どう見ても、「事後」ならぬ「事前」の、極めて濃厚なクライマックスシーン。


「…………あっ」


カイルの顔から、サーッと血の気が引いていくのがわかった。

彼の口がパクパクと動く。


「……ぁ……あ……」


俺とアリエスは、スローモーションのように互いの距離を認識し、状況を理解し、そして弾かれたように飛び退いた。


「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!!??」

「ち、ちがっ! 違うのよカイル! こ、これはその、ゴミが! アルトの目にゴミが入ってて!」


アリエスが顔を今まで見たことがないくらい真っ赤にして叫ぶ。

俺も椅子から転げ落ちて、しどろもどろになる。


「そ、そうだ! 目薬! 目薬をさそうとしてたんだ! コンタクトがずれて!」

「アルト、コンタクトしてないよね!?」


苦しすぎる言い訳だ。

カイルは両手で目を覆いながらその場でクルリと回れ右をした。

「ご、ごごご、ごめん! 僕、見てない! 何も見てないよ! 今の雰囲気とか、唇の距離とか、アリエスさんの色っぽい顔とか、全部見てない!」

「全部言ってるじゃないのよぉぉぉ!」


アリエスの絶叫が響く。

カイルはパニックになりながら、出口へダッシュした。


「お、お邪魔しましたー! 続けて! どうぞ続けてー! 僕は空気になりますー!」


バタンッ!!

カイルは猛スピードで逃走し、鉄扉を閉めた。

再び訪れる静寂。

だが、さっきまでの甘い雰囲気は微塵もなく、あるのは耐え難いほどの気まずさと、燃え尽きたような灰色の空気だけだった。


「…………」

「…………」


俺とアリエスは、お互いに顔を見合わせることもできず、明後日の方向を向いて固まっていた。

心臓はまだバクバクしているが、それはときめきではなく、致死量の羞恥心によるものだった。


「……か、帰るわ」


数分後。

アリエスが蚊の鳴くような声で言った。

彼女はゆでダコのように真っ赤な顔で立ち上がると、スカートをパンパンと払った。

そして、出口へ向かいかけて、立ち止まり、俺の方を一瞬だけチラリと見た。


「……続きは、また今度ね」


と、爆弾発言を残して走り去っていった。


「……え?」


俺は地下室に一人取り残された。

続き?

また今度?

それって、つまり……そういうことだよな?


『報告。マスターノ心拍数、危険域ニ突入。……アリエス・フェルミナトノ関係性ガ「戦友」カラ「恋人候補」ニ更新サレマシタ』


いつの間にか起動していたナビが、ニヤニヤした口調で告げる。

俺は両手で顔を覆い、天井を仰いだ。

対抗戦には負けた。

だが、俺の学園生活は、別の意味でとんでもない修羅場――いや、春に突入しようとしていた。


そして、俺は床に落ちているプリントに気づいた。

カイルが慌てて落としていったものだ。

俺はそれを拾い上げ、内容を読んだ。

そこに書かれていたのは、甘い空気を一瞬で凍りつかせる、冷酷な通達だった。


【重要:進級判定試験(最終)のお知らせ】

【対抗戦の結果を鑑み、Fクラスには特別課題を与える。】

【課題名:未踏迷宮『アビス・ホール』の攻略】

【期限内に最深部に到達し、『賢者の証』を持ち帰ること。失敗した場合は、Fクラス全員、即日退学とする】


「……マジかよ」


未踏迷宮。

それはプロの冒険者でも攻略を躊躇う、最難関ダンジョンだ。


甘い雰囲気も束の間。

俺たちの前には、最後の、そして最大の壁が立ちはだかろうとしていた。

祭りは終わった。

ここからは、生き残りをかけたサバイバルの始まりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ