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第2話 一夜漬けは異世界でも通用しますか?


「行ってきます」


決意を込めて踏み出した俺の第一歩は、わずか三秒で阻止された。

ガァン! という重厚な金属音が響く。

俺の鼻先数センチのところで交差したのは、二本の巨大な槍だった。


「待て」


門の左右に立っていた衛兵が、無表情に俺を見下ろしている。

全身を磨き抜かれた銀色のプレートメイルで覆った彼らは、どう見てもただの守衛ではない。放っている威圧感が、地元のショッピングモールの警備員とはレベルが違った。

背中には大剣、腰には魔法のワンドらしきものまで差している。完全に実戦装備だ。


「な、なんですか?」

「何ですか、ではない。貴様、何者だ? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」

「えっと、今日からここの生徒になろうと思って……」

「はあ? 入学試験は三日後だぞ」


三日後。

その単語に、俺は硬直した。


「……え?」

「聞こえなかったか? 試験は三日後だ。今は試験準備期間中で、学園内は封鎖されている。願書の受付は済ませているのか?」

「いえ、今来たばかりで……」

「なら出直してこい。受付は街のギルド支部で行っている。そもそも、そんな軽装で来る奴があるか」


衛兵は呆れたように鼻を鳴らし、シッシッと手を振った。

完全に不審者扱いであった。

俺はその場に立ち尽くした。

思考が真っ白になる。


全寮制だと聞いていたから、今日から屋根のある部屋で眠れると思っていた。食堂で温かいご飯が食べられると思っていた。

だが現実は、門前払い。


「ぷっ……くくくっ!」


背後で、堪えきれないような笑い声が聞こえた。

振り返ると、ここまで送ってくれたエルフのミネルヴァさんが、腹を抱えて震えていた。


「あー、おかしい。まさか正面突破しようとするとはな。お主、本当に常識がないな」

「笑い事じゃないですよ! 三日後ってどういうことですか! 今日から寮に入れるんじゃないんですか!?」

「誰が今日だと言った? 私は『入学すれば』と言っただけだぞ。試験も受けていない馬の骨を泊めるほど、ルミナスは甘くない」


ミネルヴァさんは涙を拭いながら、悪びれもせずに言った。


「さて、どうする? 金なし、宿なし、身分なし。試験までの三日間、その辺の路地裏で野宿でもするか? 最近は夜になると治安が悪いぞ。人攫いやら何やらが出るらしいし、夜盗は容赦なく身ぐるみを剥ぐぞ」


脅しではない口調が、余計に怖い。

俺は頭を抱えた。


森で何もできずに怯えていた俺を、魔法一つで助けてくれた彼女だ。この世界が、平和ボケした現代人がソロで生き抜けるほど甘くないことは、彼女が一番知っているだろう。

ここで見捨てられたら、異世界サバイバル・ホームレス編が始まってしまう。下手をすれば第一話で終了だ。


俺はプライドを捨て、その場に崩れ落ちるように頭を下げた。

日本のサラリーマン芸、ジャンピング土下座に近い速度だったと思う。


「……ミネルヴァさん。慈悲深いエルフの賢者様」

「なんだ、急に揉み手をして」

「助けてください。この通りです。三日間だけでいいんです。雨風をしのげる場所を貸してください。掃除でも洗濯でもなんでもしますから! 肩も揉みます! 靴も磨きます!」


俺は必死だった。なりふり構っている場合ではない。

ミネルヴァさんは俺のみっともない姿を見て、ニヤリと口角を上げた。


「よい心がけだ。素直な生徒は嫌いではないぞ。……ついてこい。私の『アトリエ』が近くにある。三日間だけなら置いてやる」



***



ミネルヴァさんのアトリエは、学園都市の裏路地にある、古びたレンガ造りの建物だった。

一階は埃っぽい古書店のような倉庫で、二階が居住スペースになっているらしい。


部屋の中は、雑然としていた。

羊皮紙の束、得体の知れない虹色の液体の入ったフラスコ、魔物の剥製、そして壁一面を埋め尽くす大量の書物。

彼女がただの旅人ではなく、相当に研究熱心な魔法使いであることが伺える。


「適当に座れ。茶くらいは出してやる」


彼女は指先を振るうだけで、ポットからカップへとお茶を注いだ。魔法だ。便利すぎる。

俺はソファの端に縮こまって座り、出されたお茶を啜った。温かさが五臓六腑に染み渡る。


「さて、アルトよ。状況を整理しよう」


ミネルヴァさんは湯気の立つカップを二つテーブルに置き、俺の向かいに座った。その瞳は、先ほどまでのふざけた色ではなく、真剣な光を宿していた。


「お主の目標は『学園に入学し、衣食住を確保すること』。だが現状、お主の魔力はゴミ以下だ。森で見たが、身体強化も障壁も展開できていなかった。ただの一般市民……いや、赤子レベルだ」

「……ゴミ以下ですか」

「事実だ。この学園を受ける者は、幼少期から英才教育を受けた貴族や、才能あふれる亜人ばかりだ。実技試験でまともに魔法を撃ち合えば、お主は一秒で消し炭になる」


厳しい現実を突きつけられる。

分かってはいたが、改めて言われると凹む。


「ですが、俺には帰る場所がないんです。なんとしてでも、あそこに入らないと」

「そうだな。そこでだ。ルミナス魔法学園の試験には抜け道がある」


彼女は山積みの書類の中から、一枚の紙を引っ張り出した。

それは、ボロボロになった過去の入試要項のようだった。


「配点は実技が五割、筆記が五割だ。そして実技試験には『足切り』がない。つまり、どんなに無様な魔法を見せても、ゼロ点にはならん」

「つまり?」

「筆記試験で満点を取れば、合計点で合格ラインに届く可能性がある」


筆記満点。

その言葉に、俺の死にかけていた瞳に光が戻った。


「出題範囲は?」

「魔法史、魔法理論、薬学基礎、そして一般教養だ。……まあ、この世界の子供が幼少期から学ぶ十年分の内容を、お主は三日で詰め込まねばならんわけだが」

「やります」


俺は即答した。食い気味だった。


「俺、前の世界では受験生だったんです。座学と暗記なら、誰にも負けない自信があります。偏差値の化け物を見せてやりますよ」

「ほう、いい目だ。……よし、乗りかかった船だ。私が家庭教師をしてやろう。宿代代わりだ」

そう言って、ミネルヴァさんは本棚から分厚い本を三冊抜き出し、ドンッ! とテーブルに積み上げた。

『はじめての魔導』『セフィロト歴史大全』『薬草100選』。

広辞苑より分厚いそれを、俺は睨みつけた。

「死ぬ気で覚えろ。寝る間も惜しめ。合格したければな」



***



【一日目】


「違う! 初代国王が建国を宣言したのは『星降る夜』だ! 『月隠れの夜』はその五十年後の大厄災だ! 何度間違えれば気が済む!」


ミネルヴァさんのハリセン(丸めた羊皮紙)が俺の頭を叩く。


「すみません!」


俺は涙目になりながら、必死にペンを走らせる。

異世界の歴史は複雑怪奇だった。


まず、年号の代わりに「星暦」という独特の数え方が使われている。星の配置によって時代が変わるため、「赤竜座の時代」とか「双子月の時代」とか、規則性がない。

さらに、歴史上の偉人がエルフなどの長命種の場合、活動期間が三百年とかあって、「いつの話だよ!」とツッコミたくなる。


「おい、アルト。この『大賢者アインズベルン・フォン・シュバルツ・ローゼンクロイツ』の功績を三つ言ってみろ」

「名前なげぇよ!」

「口答えするな、覚えろ!」


ミネルヴァさんは容赦がない。

だが、俺には武器があった。


日本の受験戦争で培った、「テストに出るポイントを見抜く嗅覚」と、最強の暗記術「語呂合わせ」だ。

名前が長いなら、リズムで覚えるしかない。アインズ、シュバルツ、ローゼン。『愛するシュウマイ、露店で食う』よし。


「シュウマイ...えっと、功績は『転移魔法の確立』『王都結界の構築』、あと一つは……『エルフ族との和平条約締結』です!」

「……正解だ。なぜ『シュウマイ』と呟いたのかは知らんが」


ミネルヴァさんは怪訝な顔をしつつも、次々と問題を出す。

翻訳魔法のおかげで文字は読める。

意味を理解し、脳の引き出しに整理して突っ込む。この作業は、英単語二千語を覚える苦行に比べればどうということはない。


「……ほう。中々やるな」


夕食の時間。

ミネルヴァさんが用意してくれた見た目は紫色、味は絶品のシチューを啜りながら、彼女が感心したように言った。


「異界の者は、もっと物覚えが悪いと思っていたが。お主、知識を体系化するのが上手いな」

「前の世界で、こればっかりやってましたから。……それに、生きるか死ぬかだと思えば、人間なんでもできるもんですね」

「ふん。その意気だ。明日は実技の対策もするぞ」

「え、実技も?」


俺はスプーンを止めた。


「筆記で満点を取る作戦じゃなかったんですか?」

「筆記だけでは心許ない。それに、魔法学園に入るのに『魔法が一回も使えません』では、入学後にいじめられるぞ。最低限、『私は魔法使いです』という顔ができる程度のハッタリは身につけておくべきだ」

「……ごもっともです」



***



【二日目】


二日目の朝。

俺たちはアトリエの裏庭にいた。

朝日が眩しい。睡眠不足の目には毒だ。


「いいかアルト。魔法とはイメージだ。自分の中にあるマナを感じ取り、それを血管のように巡らせ、指先という放出口へ誘導する」


ミネルヴァさんは、手本を見せてくれた。

彼女が人差し指を立てると、そこにボッ! とテニスボール大の火の玉が現れる。


「お主の場合、タンクの水(総魔力量)が極端に少ない。普通に出そうとすれば、圧力が足りずに霧散するだろう。だから、ホースを極限まで細くして、水圧を上げるイメージを持て」

ミネルヴァさんの教えは感覚的だった。

いわゆる「天才型」の説明だ。

「グッときてパッとやるんだ」みたいなことを言われても、凡人の俺にはピンとこない。

「ホース……水圧……」


俺は目を閉じる。

前の世界の物理法則を総動員する。

ミネルヴァさんの言う「マナ」を、流体、あるいは電気として捉えるんだ。

抵抗の大きい回路に、微弱な電流を流しても光らない。

なら、どうする?

回路を絞る。抵抗を下げる。

ベルヌーイの定理だ。流体は狭いところを通る時、流速が上がり、圧力は下がる。

いや、オームの法則か? 電圧(イメージの強度)を上げて、電流マナを押し出す。

ファンタジーの世界に、科学の理屈をねじ込む。

俺の体の中にある、わずかな、本当にわずかな熱源を探す。


あった。


へその下あたりに、豆粒のような温かさがある。

これを逃がすな。

全身の毛穴から漏れ出そうとするマナを、無理やり一本の回路に押し込む。

螺旋を描くように。ライフリングを刻んだ銃弾のように。


「……出ろ!」


指先に意識を集中させる。

脳血管が切れそうなほどの集中。


プシュッ……!


ガスの抜けるような音と共に、俺の人差し指の先に、青白い光が灯った。

それは、ライターの種火ほど小さく、けれど針のように鋭く尖った炎だった。


「はぁ、はぁ……で、できた……!」


全身からどっと汗が噴き出す。

たったこれだけの炎を出すのに、全力疾走した後のような疲労感だ。


「……ほう」


ミネルヴァさんが目を見開いて、俺の指先を凝視していた。


「驚いたな。魔力量は相変わらずゴミ同然だが……今の圧縮率はなんだ? あんな微量なマナで、よく形を維持できるな」

「無駄遣いできない貧乏性なんで……効率重視です」

「ククッ、面白い。普通の初心者は、もっとボワッと広がって消えてしまうものだ。お主のそれは、小さいが密度が高い」


彼女は面白そうに笑った。


「お主、出力は低いが燃費は最高だ。これなら、初級魔法を一発くらいは撃てるかもしれん」

「一発だけですか? もう少し連射したいんですけど」

「お主の容量なら、二発撃てば気絶するな。いいか、本番では『一撃必殺』のつもりで撃て。外したら後がないと思え」


シビアな現実だ。

俺はため息をつきつつも、指先の小さな炎を見つめた。

これなら、実技試験で「魔法が使えません」と棒立ちになる最悪の事態は避けられる。

それに、この「物理法則を応用した魔法」には、もっと可能性がある気がした。


「よし、感覚を忘れるなよ。次は応用だ。その炎を維持したまま、計算問題を解いてもらうぞ」

「えっ、マルチタスクですか!?」

「試験中は何が起きるかわからんからな。集中力を鍛えるんだ。ほら、初代国王の好物は?」

「えっと、えっと……シュウマイ! じゃなくて、ドラゴンステーキ!」

「正解。次!」


鬼教官ミネルヴァのしごきは、日が暮れるまで続いた。

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