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第16話 居眠り姫の正体は月が導く重力使いです

全学年対抗戦まで、あと数日。

Fクラスの地下秘密基地は、いつになく殺気立っていた。


「まだまだ! もっと速く動けるはずよ!」

「はいっ! 光の収束、もっと鋭く……!」


広い地下空間で、アリエスとノアが模擬戦を行っている。

炎とレーザーが交錯し、熱気が充満する。

その横では、カイルとエリスが連携の確認をし、グレイは怪しげな強化薬を調合し、ミィナはマグロ相手に格闘技の特訓をしている。


みんな、昨日の「カイルの覚醒」に刺激され、自分たちの武器を磨き上げようと必死だった。

対抗戦でSクラスを見返し、生き残るために。

そんな熱気の中で。

ただ一人、世界の理から外れたようにやる気のない少女がいた。


「……むにゃ。ふあぁ……」


銀髪の美少女、ルナ・アルシェルだ。

彼女は部屋の隅に置かれているグレイが低反発素材で作った「人をダメにするクッション」に深く埋もれ、使い魔の羊『クラウド・シープ』を抱き枕にして爆睡していた。

周囲で爆発音がしようが、ミィナが叫ぼうが、彼女の安眠は揺るがない。


「……おい、ルナ。起きろ」


俺、風早歩瑠斗は、彼女の頬をぷにぷにと突っついた。


「ん……アルト……おやすみ……」

「おやすみじゃない。みんな特訓してるんだぞ。お前も何か新しい魔法を覚えないと、対抗戦で足手まといになる」


ルナは薄目を開け、めんどくさそうに首を振った。

透き通るような蒼い瞳が、とろんと俺を見上げる。


「……私、戦うの嫌い。疲れる。寝てたい」

「またそれか。お前の魔法は『風』による浮遊と、『眠り』の付与だろ? サポートとしては優秀だけど、決定打に欠けるんだよな……」


現状、ルナの戦法は「羊を出して寝る、相手もつられて寝る」か、「風でふわふわ浮いて逃げる」くらいだ。

強力な攻撃魔法を持つ他のメンバーに比べると、どうしても火力が不足している。

対抗戦では、相手を「戦闘不能」にしなければならない。寝かせるだけでは、起こされたら終わりだ。


「……私、弱いから。アルトが守って」


彼女は甘えるように俺の手を掴み、自分の頬に押し当てた。

ひんやりとして、柔らかい感触。

マシュマロのような肌触りに、俺の理性が揺らぐ。

だが、その時だった。


ズシッ……。


俺の手に、奇妙な「重み」を感じた。

ただ彼女が体重をかけただけではない。

何というか、空間そのものが歪んで、俺の手を吸い寄せているような、強烈な「引力」を感じたのだ。

まるで、磁石が鉄を引き寄せるような、不可視の力。


「……? ルナ、お前今、何をした?」

「……ん? 何もしてない。アルトの手、気持ちいい」


彼女は無自覚のようだ。

だが、俺の相棒であるドローン『ナビ』が、けたたましい警告音を鳴らした。


『警告。局所的な重力異常ヲ検知。ルナ・アルシェルノ周囲ノ空間歪曲率、通常ノ1.8倍デス。……マタ、外部カラノ干渉波動ヲ確認』

「重力異常? それに干渉波動ってなんだ?」


俺は眉をひそめた。

ナビがホログラムウィンドウを展開する。

そこに表示されたデータを見て、俺は息を呑んだ。

ルナを中心にして、重力波のグラフが渦を巻いている。

そして、その波形は、ある「周期」と完全に同期していた。


『現在時刻、20時30分。屋外ハ「満月」デス』

「満月……?」


俺の脳内で、バラバラだったピースが繋がっていく。

彼女の名前は『ルナ()』。

常に眠そうにしている倦怠感。

不自然なほど常時発動している浮遊魔法。

そして、満月の夜に観測された重力異常。

もし、彼女が「風属性」だと思っていたものが、間違いだとしたら?

もし、彼女の魔力の本質が、もっと根源的で、天体規模の力だとしたら?


「……ルナ。ちょっと実験だ」

「えー……やだ。動きたくない」

「パンやるから。特製のメロンパンだ」

「……ん。やる」


パンという単語を聞いた瞬間、彼女はのっそりと立ち上がった。現金なやつだ。

俺は地下書庫の天井にある、換気用の天窓を開けた。

そこから、満月の青白い光が差し込み、ルナの銀髪を照らす。

その瞬間。


ゴゴゴゴゴ……。


ルナの足元の床が、微かに震え始めた。


「……やっぱりか」


俺は確信した。

彼女は、月の光と共鳴している。


「みんな、ちょっと離れてろ! ルナの周りが危ない!」


俺が叫ぶと、特訓していたアリエスたちが驚いて手を止めた。

俺は床にチョークで円を描き、その中心にルナを立たせた。


「ルナ。今から俺が合図をするまで、絶対に『魔法を使おうとするな』」

「……どういうこと?」

「無意識に使っている魔力を、全部切れってことだ。……『浮こうとするな』」


俺の仮説が正しければ、彼女は常に無意識下で「反重力」を使っているはずだ。

自分の体を押し潰そうとする力に抗うために。


「……わかった。やってみる」


ルナが目を閉じ、深呼吸をした。

月の光を浴びた彼女の体から漂っていた、ふわふわとした魔力の気配が消えていく。

その瞬間。


バキッ!!

メキメキメキメキッ!!


凄まじい破壊音が地下室に響き渡った。

ルナが立っている床板が、一瞬にしてひび割れ、爆縮するように陥没したのだ。


「きゃっ!?」


ルナがバランスを崩して尻餅をつく。

だが、倒れた衝撃だけで、さらに床が沈み込む。

まるで彼女の体重が、数トンに増大したかのような現象だ。

周囲の本棚がガタガタと揺れ、本が雪崩のように落ちてくる。


「うわっ!? なんだ、地震か!?」

「ルナちゃんが……座っただけで床が抜けた!?」


アリエスたちが悲鳴を上げる。

俺はナビの防護フィールドを展開し、ルナに駆け寄った。


「大丈夫か、ルナ!」

「……うぅ。体が、重い……。地面に、吸い込まれる……」


ルナが苦しそうに呻く。

彼女は自分の体を支えるだけで精一杯のようだ。


「やっぱりそうだ。……ルナ、お前の適性属性は『風』じゃない。『重力』だ」

「……重力?」


ルナが瓦礫の中で首を傾げる。


「ああ。それも、ただの重力魔法じゃない。『月』の影響を受ける、天体クラスの引力だ」


俺はみんなに向かって解説を始めた。

この世界の魔法理論では説明がつかない現象も、地球の物理学なら説明できる。


「『潮汐力』という言葉を知っているか?」


全員がポカンとする中、グレイだけが眼鏡を光らせて反応した。


「潮の満ち引き……月の引力が海を引っ張る力のことかい?」

「正解だ。月は、その引力で地球の海水を引っ張り、満潮と干潮を引き起こす。それほど巨大な力が、空にはあるんだ」


俺はルナを指差した。


「彼女は、その月の引力とリンクする『受信体』なんだよ。月が満ちるほど、彼女の体内魔力は活性化し、周囲の空間を歪めるほどの『質量』を持つようになる」


質量あるところに引力あり。

アインシュタインの一般相対性理論だ。

ルナの体内にある高密度の魔力は、言ってみれば「ブラックホール」の種のようなものだ。

放っておけば、彼女自身の重力で、自分自身を押し潰してしまう。


「お前がいつも『体が重い』『眠い』と言っているのは、怠けているからじゃない。自分の体にのしかかる数トンもの重力圧力に、無意識に耐え続けているからだ」


常に全力でバーベルを持ち上げているような状態だ。そりゃあ疲れるし、眠くもなる。

彼女が常に使っていた「風魔法だと思っていたもの」は、実は自分にかかる重力を相殺するための「反重力(レビテート)」だったのだ。


「……私、重力使い? ……月の子?」


ルナが自分の手を見つめる。


「そうだ。しかも、無自覚で自分を浮かせるほどの出力がある。……使い方を変えれば、お前はFクラス最強の『圧殺者』になれるぞ」


俺はニヤリと笑った。

アリエスの火力が「放出」なら、ルナの力は「収束」と「加圧」。

これは化ける。


「特訓だ、ルナ。これからは自分を浮かせるんじゃなくて、その重い力を外に向けるんだ。対象を『沈める』イメージを持て」



***



特訓は困難を極めた。

なにせルナは、今まで「浮く(重力を消す)」ことしかしてこなかった。

「重くする」という感覚が掴めないのだ。

それに、月の光がないと出力が安定しない。


「うーん……難しい。……おやすみ」


すぐに寝ようとするルナ。

俺はため息をつき、本棚から一冊の本を取り出した。


『ニュートン力学と愛の引力論 ~恋に落ちるとは物理的に落ちること~』。


地球の恋愛心理学の本だが、今の彼女にはこれが一番効くはずだ。


「ルナ。魔法理論で考えるな。感情で考えろ」

「……感情?」

「重力とは『引力』だ。物を引き寄せる力だ。……お前が一番、引き寄せたいものはなんだ?」


俺が問いかけると、ルナはとろんとした瞳で俺をじっと見つめた。

天窓からの月光が、彼女の瞳の中で揺れる。


「……アルト」


即答だった。


「アルトが好き。ずっとくっついていたい。……離したくない」


ド直球な告白に、俺の心臓が跳ねる。

後ろで聞いていたアリエスが「はぁぁぁ!?」と声を上げ、ミィナが「ミィナもくっつくー!」と叫ぶが、今のルナは真剣そのものだ。


「そ、そうか。……なら、その気持ちを利用しろ」


俺は冷や汗を拭いながら指導を続けた。

これは科学と感情の融合実験だ。


「『引力』とは『愛』だ。相手を自分の方へ引き寄せ、逃さない力。……その想いが強ければ強いほど、重力は強くなる」

「……愛は、重力」


ルナが呟く。

彼女の中で、何かが繋がった音がした。

「重い女」という言葉があるが、物理的に重い女になってもらおう。


「対象を俺だと思え。絶対に逃がさない、地面に縫い付けてでも、空間ごと捻じ曲げてでも離さない……そういう『重い愛』をイメージして、魔力をぶつけろ!」


ルナが頷いた。

彼女の瞳に、妖しい蒼い光が宿る。

月光が、彼女の体に吸い込まれていくように見える。

彼女は実験用の巨大な岩塊に向き直った。

杖を構えるのではない。

ただ、手を伸ばし、虚空を掴むような動作をする。

愛しい人の手を握るように。


「……逃がさない」


ブゥンッ……。


空気が震えた。

低い重低音が響き、地下室の空間が歪む。

岩塊の周りの光が屈折し、景色がぐにゃりと曲がって見える。重力レンズ現象だ。


「……そこにいて。ずっと一緒にいて。……月よ、堕ちて」


ルナが小さく囁き、手を握りしめた。


《ルナティック・プレス》


バキャァァァァァッ!!!!


轟音。

ルナが手を振り下ろした瞬間、信じられない光景が広がった。

直径1メートルはある硬い花崗岩の塊が、まるで豆腐のようにひしゃげたのだ。

上から見えない巨大なプレス機で押し潰されたかのように、一瞬でペラペラの円盤へと変貌した。

さらに、圧縮された岩からは高熱が発生し、赤く発光している。


「う、嘘でしょ……」


アリエスが絶句する。

粉砕ではない。圧縮だ。

岩の密度が極限まで高まり、原子レベルで押し固められている。


『計測不能。推定瞬間圧力、10000ヘクトパスカル以上。……マスター、彼女ハ歩クブラックホールデス』


ナビが震えている。

俺も背筋が凍った。もしあれが人間だったら……ミンチどころか、素粒子レベルで分解されていただろう。


「……できた」


ルナが振り返る。

魔力を放出したせいか、いつもの眠そうな顔ではなく、憑き物が落ちたようにスッキリとした表情をしている。

そして、その背後には、窓から差し込む満月が後光のように輝いていた。


「体が軽い。……これなら、アルトを守れる」


彼女は俺に駆け寄り、勢いよく飛びついてきた。


「アルト、ありがと。大好き」

「ぐはっ!?」


衝撃。

抱きつかれた瞬間、俺の体がズシリと重くなった。

彼女自身の体重ではない。彼女が放つ、制御しきれていない「余剰引力」が、俺を捕らえて離さないのだ。

逃げようとしても、足が床に張り付いて動かない。


「ル、ルナ! 重い! 愛が重い! 物理的に重すぎる!」

「……離さない。もう絶対、離さない」


彼女は嬉しそうに俺の首に腕を回し、さらに密着してくる。

俺の足元の床がミシミシと悲鳴を上げ、亀裂が入っていく。

重力圏に囚われた衛星のように、俺は彼女から逃れられない。


「ちょっとルナ! アルトが死んじゃうでしょ! 離れなさい!」


アリエスが慌てて引き剥がそうとするが、ルナの周りにはシュワルツシルト半径もどきが発生しており、アリエスさえも引き寄せられてしまう。


「きゃあっ!? なによこれ、吸い込まれるぅぅ!」

「ミィナもー! おしくらまんじゅー!」

「わ、私も……引力に逆らえません……!」


ノアまでもが引き寄せられる。

結局、俺を中心にして、全員が重力でひと塊になってしまった。

肉団子状態だ。


「く、苦しい……! ルナ、制御しろ! 月が隠れたら戻るのか!?」

「……むにゃ。疲れた……おやすみ……」


力を使い果たしたのか、ルナは俺にしがみついたまま、即座に寝息を立て始めた。

彼女が眠ると同時に、重力場は解除されたが、俺たちは床に折り重なって倒れ込んだ。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」


俺は天井を見上げて息を整えた。天窓の向こうで、満月が静かに輝いている。

とんでもない怪物を目覚めさせてしまった。

「眠り姫」の正体は、月の引力を操り、星すらも引き寄せる「重力の女王」だったのだ。

だが、これで戦力は整った。

アリエスの高火力、カイルの狙撃、そしてルナの重力制圧。

これなら、どんな強敵が相手でも――それこそ、Bクラスの鉄壁の盾だろうが――粉砕できる。


「……さて、明日の対抗戦。Sクラスの連中がどんな顔をするか、楽しみだな」


俺は腕の中で眠るルナの銀髪を撫でながら、不敵に笑った。

彼女の寝顔は天使のようだが、その掌には、世界を歪めるほどの力が握られている。

Fクラスの快進撃は、重力加速度的に加速していくだろう。

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