第15話 風使いと治癒乙女は嵐の中で愛を囁く
Fクラスの地下書庫。
そこは今や、学園で最も危険で、かつ最先端の知識が集まる秘密基地となっていた。
放課後。
俺、風早歩瑠斗は、明日に控えた『ダンジョン実習』の準備をしていた。
だが、部屋の空気はどこかどんよりと重かった。
「……はぁ」
深い溜息をついているのは、爽やかな金髪の少年、カイル・ウィンザーだ。
彼は机に突っ伏し、遠い目をしている。
「どうしたカイル。元気ないな」
俺が声をかけると、カイルは力なく笑った。
「いや……なんでもないよ、アルトくん。ただ、ちょっと自信がなくなっちゃってさ」
彼の視線の先には、模擬戦形式で訓練をしている女子たちの姿があった。
「燃えなさい! 《プロミネンス・バースト》!」
アリエスが極太の火柱を放ち、的を灰にする。
「……眠れ。《スリープ・クラウド》」
ルナが杖を振ると、訓練用のゴーレムがカクンと膝を折って昏倒した。
「にゃあぁぁ! お魚ミサイル発射ー!」
ミィナが巨大な冷凍マグロを振り回し、暴風を巻き起こす。
「……すごい光、出します」
ノアが指先からレーザーを放ち、壁に穴を開ける。
まさに怪獣大戦争だ。
Fクラスに残った精鋭たちは、それぞれが「規格外」の破壊力を持っている。
それに引き換え――。
「僕は、ただの風魔法使いだ。……風を起こして、物を吹き飛ばすくらいしかできない。グレイみたいな分析力もないし、アルトくんみたいな天才的な頭脳もない」
カイルが自分の掌を見つめる。
そこには、小さなつむじ風が渦巻いているだけだ。
「エリスさんも……すごいよね」
彼の隣では、エリスが傷ついたグレイを治療していた。実験が失敗して爆発したらしい。
彼女の治癒魔法は正確で、慈愛に満ちている。
「僕だけだよ。このクラスで、なんの取り柄もない『凡人』は」
カイルの声には、痛々しいほどの劣等感が滲んでいた。
確かに、彼の魔法適性は「中の中」。
Sクラスなら落ちこぼれ扱いされ、Fクラスの化け物たちの中では埋没してしまう。
典型的な「器用貧乏」だ。
だが、俺は知っている。
彼には、彼にしかない才能があることを。
「カイル。お前は風を『ただの空気の流れ』だと思ってないか?」
「え? 違うの?」
「違うな。風とは『大気』そのものだ。そして空気は、音を伝え、熱を運び、生命を維持する媒体だ。……お前が操っているのは、世界そのものなんだよ」
俺は本棚から一冊の本を抜き出した。
『流体力学と音響工学 ~見えない殺し屋の作り方~』。
物騒なタイトルだが、内容はガチの物理学書だ。
「……カイル。お前をFクラス最強の『狙撃手』にしてやる」
***
翌日。
『ダンジョン実習』の日がやってきた。
場所は、学園の敷地内にある人工ダンジョン『彷徨いの洞窟』。
内部は複雑な迷路になっており、低級の魔獣が放たれている。
「今回の課題は、地下3階にある『守護者の間』の攻略だ。制限時間は三時間。……死ぬなよ」
ミネルヴァ先生の短い訓示の後、俺たち8人は暗い洞窟へと足を踏み入れた。
先頭は火力担当のミィナとアリエス。
中央に俺、ルナ、ノア、グレイ。
そして後衛を、カイルとエリスが務める陣形だ。
「順調ね。雑魚ばっかり」
アリエスがつまらなそうに杖を振る。
彼女の使い魔、炎の狼フェンリルが吼えるだけで、ゴブリンたちは逃げ出していく。
地下1階、地下2階と、俺たちはハイペースで進んでいった。
だが、地下3階に降りた瞬間。
空気が変わった。
「……ん。何かいる」
ルナが眠そうな目を開き、天井を見上げた。
ドーム状になった広大な空間。
その天井の鍾乳石の陰に、無数の赤い光が灯った。
キィィィィィィィッ!!!
耳をつんざくような、甲高い音が響き渡った。
悲鳴ではない。音波攻撃だ。
「うあぁぁぁっ!?」
「耳が……! 頭が割れるぅぅ!」
アリエスたちが耳を押さえてうずくまる。
俺も強烈なめまいに襲われた。
視界が歪む。平衡感覚が狂う。
『ソニック・バット』の群れだ。
超音波を使って獲物の脳を揺らし、行動不能にする厄介な魔獣。
しかも、その数は百匹以上。
「焼き払え……! 《ファイア・ストーム》!」
アリエスが必死に魔法を放つが、平衡感覚を失っているせいで照準が定まらない。
炎は明後日の方向へ飛び、壁を焦がすだけだ。
「ダメだ……! 音が、魔法の構成を邪魔してる……!」
魔法の発動には集中力が必要だ。
だが、この不快な音波は脳に直接干渉し、思考を分断する。
ルナも、ミィナも、ノアも、頭を抱えて動けない。
俺はナビの『ノイズキャンセリング機能』のおかげで辛うじて立っていられたが、攻撃手段がない。
バサバサバサッ!
コウモリたちが降下してくる。鋭い爪と牙が、無防備なアリエスたちに迫る。
絶体絶命。
その時だった。
「――させない!」
ヒュンッ!
鋭い風切り音が響いた。
先頭のコウモリが、何かに弾かれたように吹き飛んだ。
「《エア・バレット》!」
後方から、カイルが杖を構えて立っていた。
彼の周りだけ、空気が澄んでいるように見える。
その隣には、エリスが杖を掲げ、淡い光を放っていた。
「カイルくん、そのまま維持して! 私が聴覚保護をかけ続けます!」
「ありがとうエリスさん! ……みんなには指一本触れさせない!」
カイルとエリス。
後衛にいた二人だけが、被害を免れていた。
エリスがとっさに防音結界を張り、カイルが風魔法で音波を拡散させたのだ。
「カイル! 今は魔法じゃなくて物理で攻めるんだ! 音波攻撃の発生源、ボスを探せ!」
俺が叫ぶと、カイルは頷いた。
「わかってる! ……あそこだ!」
群れの中心。一際大きな個体がいる。
『エコー・マスター』。
こいつが超音波の司令塔だ。
カイルが杖を向ける。
だが、距離がある。五十メートル以上。
通常の風の弾丸では、届く前に威力減衰して弾かれるか、素早いコウモリにかわされてしまう。
「届かない……! もっと速く、鋭い風じゃないと!」
カイルが焦る。
俺はナビを使って、カイルに通信を送った。
『カイル、聞こえるか! 昨日のレクチャーを思い出せ!』
「アルトくん!?」
『風を吹かせるな。風を「止めろ」。お前と標的の間にある空気を、お前の魔力で排除するんだ!』
「空気を……排除?」
『そうだ。空気があるから抵抗が生まれる。空気があるから音が伝わる。……真空のトンネルを作れ!』
カイルがハッとする。
真空。
物質が存在しない空間。
そこには空気抵抗がなく、音も伝わらない。
「……やってみる!」
カイルが集中する。
普段の優しげな顔つきが消え、狩人のような鋭い眼光になる。
「風よ……退け! 《バキューム・トンネル》!」
彼の杖の先から、不可視の波動が放たれた。
カイルとボスの間にある空間。そこの空気が、円筒状に排除されていく。
真空の道ができる。
キィィィ……ッ?
ボス蝙蝠が動きを止めた。
自分の出した超音波が、カイルの方向だけ伝わらないことに気づいたのだ。
「エリスさん、お願い!」
「はいっ! 《ブースト・ハイ・アクセル》!」
エリスが魔法を放つ。
治癒魔法の応用。細胞を活性化させ、一時的に反射神経と筋力を極限まで高める身体強化だ。
カイルの体が光に包まれる。
世界がスローモーションに見えるほどの集中状態に入る。
「見える……!」
カイルはポケットから、一粒の鉄球を取り出した。
これは俺が渡しておいたものだ。
彼はそれを空中に浮かべ、風の圧力を背後に溜め込む。
真空のトンネル。
極限まで圧縮された空気のハンマー。
そして、加速された思考。
これらが組み合わさった時、風魔法はただの扇風機ではなくなる。
それは、音速を超える破壊の光条となる。
「貫けぇぇぇぇっ!!」
ズドンッ!!!!
大砲のような轟音が洞窟を揺らした。
鉄球が射出される。
真空の中を進むため、空気抵抗はゼロ。速度は減衰せず、むしろ加速していく。
マッハを超えた鉄球は、衝撃波の衣を纏い、一瞬で五十メートルの距離をゼロにした。
バシュッ!
ボス蝙蝠が反応する間もなかった。
鉄球はボスの眉間を貫き、そのまま後方の鍾乳石を粉砕した。
ドサッ……。
ボスが落ちる。
司令塔を失った群れは、統率を失い、パニックになって散り散りに逃げ出した。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
カイルが膝をつく。
魔力を使い果たしたようだ。
だが、その顔には確かな自信が宿っていた。
「すげぇ……カイル、お前マジかよ」
復活したアリエスたちが、口をあんぐりと開けて見ている。
風で岩を貫通するなんて、通常の上級魔法でも難しい。
それを、初級魔法の応用と物理法則だけでやってのけたのだ。
「カイルくん!」
エリスが駆け寄り、倒れかけたカイルを抱きとめた。
「大丈夫ですか!? 無理しすぎて……!」
「あはは……平気だよ、エリスさん。君のサポートがあったから、狙えたんだ」
カイルがエリスを見上げる。
エリスも、潤んだ瞳でカイルを見つめ返す。
「すごかったです……カイルくん。私、震えが止まりませんでした。……かっこよかったです」
「エリスさん……」
二人の間に、甘い空気が流れる。
洞窟の薄暗さも相まって、完全に二人だけの世界だ。
カイルの手が、エリスの手に重なる。
エリスは顔を真っ赤にしながらも、拒まない。
「……リア充、爆発しろ」
誰かがボソッと呟いた。俺だ。
いや、アリエスも同じ顔をしていた。
「なによあれ! 私たちあんなに苦戦したのに、美味しいところ全部持っていって!」
アリエスが地団駄を踏む。
「……ん。ムカつく。アルト、私たちもする」
ルナが俺の背中に飛びついてくる。
「しないよ! 場所を考えろ!」
***
ダンジョン攻略後。
俺たちは地上の広場で、ミネルヴァ先生の講評を受けていた。
「まさか『エコー・マスター』を物理的に狙撃するとはな。……カイル、お前の風魔法、使いようによっては暗殺向きだな」
「あ、暗殺って……褒め言葉として受け取っておきます」
カイルが苦笑いする。
先生は満足そうに頷いた。
「そしてエリス。お前の身体強化もタイミングが完璧だった。治癒魔法使いが後衛で芋を引いているだけの時代は終わりだ。前衛を強化し、戦局を変える『バッファー』としての素質がある」
「はいっ! ありがとうございます!」
エリスが嬉しそうに頭を下げる。
彼女もまた、ただ守られるだけの存在から、戦うための力を見つけたようだ。
「これでFクラス全員、一通りの『武器』は見つかったな」
先生が俺たちを見渡す。
高火力のアリエス、広範囲制圧のルナ、野生の勘のミィナ、光学兵器のノア、狙撃のカイル、支援のエリス、分析のグレイ。
そして、司令塔の俺。多分。
「これなら、来週の『全学年対抗戦』でも、無様な負け方はしないだろう」
「……はい?」
俺たちは聞き返した。
今、さらっと聞き捨てならない単語が出たような。
「対抗戦ですか? それって、Sクラスとも戦うってことですか?」
カイルが恐る恐る尋ねる。
「そうだ。年に一度の、クラス対抗の模擬戦争だ。優勝クラスには莫大な予算と、進級への特権が与えられる」
先生はニヤリと笑った。
「当然、Fクラスも強制参加だ。対戦相手は抽選だが……まあ、どこが来てもお前らなら『地獄』を見せてやれるだろうよ」
俺たちは顔を見合わせた。
地獄を見るのは俺たちの方か、それとも相手か。
「……アルトくん」
帰り道。
カイルが俺の隣に並んだ。
その顔には、もう昨日のような陰りはない。
「ありがとう。僕、自分の魔法が好きになれそうだよ」
「そりゃよかった。……でも、一つだけ忠告な」
「え?」
「エリスさんとのイチャイチャは、ほどほどにな。アリエスたちの嫉妬の炎が、狙撃される前に飛んでくるぞ」
「あはは……気をつけます」
カイルは爽やかに笑った。
その横顔は、一皮剥けた男の顔をしていた。
一方、後ろを歩くエリスは、カイルの背中を熱っぽい目で見つめている。
アリエスたちは「なんであいつらだけ少女漫画なのよ!」とブツブツ言っているが、まあ、平和な光景だ。
こうして、Fクラスの良心コンビは、嵐の中で愛と殺傷能力を育み、俺たちのチームは完全体へと近づいたのだった。
次なる戦場、全学年対抗戦に向けて。




