第11話 地下室の秘密特訓は嬌声と粘液まみれです
週明けのホームルーム。
教室の扉を開けた俺は、思わず足を止めた。
静かすぎる。
いつもなら40人の生徒でごった返しているはずのFクラスの教室が、やけにガランとしていた。
机の数が減っている。
残されているのは、窓際の俺の席と、その周りの数席だけ。
教室の中央には、不自然なほどの広大なスペースができていた。
「……おはよう、アルトくん」
先に登校していたカイルが、力なく手を振った。
彼の隣にはエリス、そしてアリエス、ルナ、ミィナ、ノア、グレイ。
俺を含めて、たったの8人しかいない。
「カイル、これはいったいどういうことだ? 今日は集団風邪でも流行ってるのか?」
俺が尋ねると、カイルは遠い目をして首を横に振った。
「退学だよ」
「……は?」
「みんな、辞めたんだ。先週のスライム事件と、石パンの生活に心が折れたらしい。『こんなところで命をかけられるか!』って、週末に荷物をまとめて出て行ったよ」
嘘だろ。
たった一週間でクラスの8割が消滅したのか。
これが王立学園Fクラス。生存競争という言葉が生温く感じるほどの過酷さだ。
ガララッ、と扉が開く。
ミネルヴァ先生が入ってきた。彼女は減ってしまった座席を見ても、眉一つ動かさなかった。煙管をふかし、紫煙を吐き出す。
「ふむ。残ったのは8人か。予想より少し多いな」
「先生、これはいったい……」
「言ったはずだ。ここはゴミ捨て場だと。耐えられない軟弱者は去る。それだけのことだ」
彼女は冷酷に言い放つと、教卓に数枚のプリントを叩きつけた。
「だが、人数が減ったからといって、カリキュラムが変わるわけではない。むしろ、一人当たりの責任は重くなると思え」
ミネルヴァ先生の視線が、俺たち8人を射抜く。
「今週末、全学年一斉の『魔法理論統一小テスト』がある。このテストで、Fクラスの平均点が赤点を下回った場合――」
彼女はニヤリと笑った。
「連帯責任として、残った8人全員、即刻退学とする」
「「「はぁぁぁぁぁ!?」」」
俺たちの絶叫が、ガランとした教室に響き渡った。
全員退学。
つまり、一人でも足を引っ張れば終わりだ。
40人いれば平均点で誤魔化せたかもしれないが、たった8人では一人のミスが命取りになる。
「死ぬ気で勉強しろ。以上だ」
ミネルヴァ先生はそれだけ告げると、教室を出て行った。
残された俺たちは、絶望の淵に立たされていた。
「無理よ……私、理論なんてサッパリだもの……」
アリエスが頭を抱える。
彼女は感覚で魔法を使う天才肌だ。理屈を問われる筆記試験は天敵と言っていい。
ミィナに至っては、「テストって美味しい?」と首を傾げている。終わった。このままでは全滅だ。
俺は拳を握りしめた。
せっかく手に入れた入学資格。こんなところで失うわけにはいかない。
「みんな、放課後は地下書庫に集合だ。俺に考えがある」
***
放課後。
俺たちが拠点としている図書館の地下書庫。
カビと古書の匂いが充満する密室に、妖しげな声が響き渡っていた。
「あ……っ、ちょ、ちょっとアルト……そこ、ダメぇ……!」
「我慢しろアリエス。ここを通さないと、詰まったままだぞ」
「だ、だって……んくぅっ! なんか、熱いのが入ってきて……うあぁっ!」
「力を抜けよ。そんなに硬くしちゃダメだ。もっとリラックスして受け入れろ」
「無理ぃ! そんな太いの……無理ぃぃぃ!」
ビクンッ! とアリエスの体が跳ね上がり、彼女は机に突っ伏して荒い息を吐いた。
頬は紅潮し、目はトロンと潤んでいる。
額には脂汗が滲み、はだけたブラウスの隙間から、艶めかしい鎖骨が上下しているのが見える。
「はぁ、はぁ……あ、あんた……乱暴すぎ……」
「だから言っただろ、最初は痛いかもしれないって」
俺は額の汗を拭いながら言った。
誤解しないでほしい。俺たちは極めて真面目な「勉強」をしているだけだ。
俺の手元には、この地下で見つけた日本語の専門書『図解・誰でもわかる魔力回路の開通指圧術』がある。
この本によれば、魔法が下手な奴、あるいは制御ができない奴の多くは、体内の「魔力血管」が凝り固まって詰まっているらしい。
それを指圧でほぐし、強制的に他人の魔力を流し込んで開通させる。
いわば、魔力の配管掃除だ。
「アリエス、お前は出力が高すぎるせいで、出口付近がガチガチに詰まってたんだ。だから暴発する」
「……うぅ。でも、なんかお腹の奥がジンジンする……」
彼女は涙目で下腹部を押さえている。
どうやら詰まりが取れて、魔力がスムーズに流れ始めたようだ。
「次はルナだ。こっちに来てくれ」
「……ん」
ルナはトテトテと歩いてくると、当然のように俺の膝の上に座り、背中を預けてきた。
「ルナ? あの、マッサージなら机で……」
「ここがいい。……やって」
彼女は俺の胸に後頭部を預け、無防備に目を閉じた。
柔らかい銀髪から、甘い匂いがする。
そして、お尻の感触がダイレクトに俺の太ももに伝わってくる。これは俺の理性に対するテストなのか。
「……わかったよ。ルナは流れすぎているから、少し締めるぞ」
俺は指先に力を込め、彼女の脇腹にある「魔門」のツボを探った。
服の上からでもわかる、華奢で柔らかな感触。
「……んっ……ぁ……」
指を押し込んだ瞬間、ルナの口から甘い吐息が漏れた。
アリエスの絶叫とは違う、鼓膜をくすぐるような艶めかしい声だ。
彼女は俺の膝の上でビクンと体を震わせ、さらに背中を反らせて密着してくる。
「アルト……そこ……深い……」
「だから言葉を選べって! 誤解されるだろ!」
「……んぅ……もっと……いじめて……」
ルナが俺のシャツをギュッと握りしめる。
その顔はとろんと蕩けていて、頬は桃色に染まっている。
地下室の薄暗さも相まって、完全に背徳的な儀式の様相を呈していた。
「おい、これ以上はまずいぞアルト! 見てるこっちの理性が持たない!」
カイルが顔を真っ赤にして叫んだ。
エリスに至っては、刺激が強すぎたのか両手で顔を覆い、指の隙間からガン見している。
グレイだけが「ふむ、被験者の体温上昇と魔力伝導率の相関関係か……興味深い」と冷静にデータを取っていた。マッドサイエンティストめ。
「アルト! ミィナもやるー!」
空気を読まない猫娘が、横から飛びついてきた。
「ミィナは凝ってないだろ!」
「凝ってるー! ここ、お腹のところ! モフモフしてー!」
彼女は自分でお腹のシャツを捲り上げ、健康的なヘソを見せつけてくる。
「それはマッサージじゃなくて撫でて欲しいだけだろ!」
「いいから早くー! アリエスとルナだけズルいー!」
ミィナが俺の背中にのしかかり、耳を甘噛みしてくる。
前には蕩けたルナ、後ろにはじゃれつくミィナ。
そして横では、復活したアリエスが顔を真っ赤にして睨んでいる。
「あ、あんたたち! ここを破廉恥な店と勘違いしてんじゃないわよ! 離れなさい!」
「アリエスも気持ちよかったくせにー」
「き、ききき気持ちよくなんか! 痛かっただけよ! ……まあ、その、体が軽くなったのは認めるけど……」
アリエスはモジモジと指を合わせ、「……また頼んでも、いいけど」と小声で付け加えた。
完全に調教済みの反応だ。
「ええっと……私、私は……」
最後に残ったノアが、おずおずと手を挙げた。
彼女は顔を真っ赤にして、スカートの裾を握りしめている。
「私、魔力が多すぎて……いつも体がパンパンなんです。その……抜いて、もらえますか?」
アウト。
完全にアウトな表現だ。
「ノア、それは『魔力放出の制御訓練』と言おうな。……よし、わかった。全員まとめて面倒見てやる!」
俺はヤケクソになって叫んだ。
こうして、テスト勉強という名目のもと、地下室での「魔力マッサージ大会」は深夜まで続いた。
その間、地下室からは断続的に「ああんっ!」「そこっ!」「もっと奥ぅ!」という嬌声が響き続け、たまたま通りかかったロゼッタさんが顔を赤らめて「最近の若い子は……」と逃げ出したという。
***
そして迎えた、運命のテスト当日。
1限目、『魔法理論』の大講義室。
このテストは全クラス合同で行われる。
広大な階段教室には、SクラスからFクラスまでの全生徒が集められていた。
もっとも、Fクラスはたったの8人しかいないため、最後列の隅に固まっている。
担当教官のガストン先生が、意地悪な笑みを浮かべて答案用紙を配った。
「今回のテストは難易度を上げてある。Sクラスでも平均点は60点ほどだろう。……Fクラスの諸君は、全員退学の覚悟はできているかな?」
ガストン先生の言葉に、Sクラスの連中がクスクスと笑う。
特に、先日俺にやられたランドルが、包帯を巻いた腕を見せつけるようにしてこちらを睨んでいた。
「へっ、今日であいつらともおさらばだな」
「たった8人で平均点勝負なんて、自殺行為だろ」
嘲笑の中、試験開始のベルが鳴った。
俺は答案用紙をめくった。
問題文が並ぶ。翻訳機能のない俺にとっては、まずこの文字の羅列を解読するのが第一関門だ。
だが、この一週間の日本語書籍の読破によって、俺の脳内データベースは更新されていた。専門用語の意味が、以前よりもスムーズに入ってくる。
『問1:魔力回路におけるマナの循環効率について、身体的構造の観点から論ぜよ』
(……来た!)
俺は心の中でガッツポーズをした。
これはまさに、昨日のマッサージ理論そのままだ。
この世界の教科書には、『マナとは宇宙の息吹であり、精神の器を満たす水である』といった抽象的なポエムのような解説しか載っていない。
だが、俺たちが学んだのは違う。
『魔力とはエネルギー流体であり、血管と同様に物理的な管を通る。その抵抗値を下げるには、交点の圧力を調整し、ポンプ機能を活性化させる必要がある』
オームの法則と流体力学を応用した、極めて論理的な解答だ。
カリカリカリ……。
教室にペンの走る音が響く。
驚いたことに、それは俺だけではなかった。
アリエスも、ルナも、カイルも。
全員が迷いなくペンを動かしている。
(……昨日の特訓の成果だ)
アリエスは自分の背中のツボを思い出しながら、「ここを押された時にドッと出た!」という感覚を言語化している。
ルナは眠そうだが、体で覚えた快感をそのまま記述しているようだ。
ミィナですら、「お腹のここをグリグリすると、魔力がビュルッてなる!」という野性的な解答だが、図解付きで核心は突いている。
『問5:属性変換時における熱量損失の原因を述べよ』
これも簡単だ。
『変換器(回路)の断熱不足と、圧縮比のミス』だ。
アリエスがよく起こす暴発は、これに起因する。彼女は今、自分の失敗体験と昨日の「治療」を思い出して、スラスラと答えを書いているはずだ。
60分後。
テスト終了のベルが鳴った。
ガストン先生がニヤニヤしながら回収を始める。
「どうだFクラス。白紙で出すよりはマシな言い訳が書けたか?」
彼は俺たちの答案を一番上に集め、その場でパラパラと確認し始めた。嘲笑う準備をしていたのだろう。
だが、一枚目を見た瞬間、彼の表情が凍りついた。
「な……!?」
ガストン先生の目が点になった。
彼は俺の答案を二度見し、さらに眼鏡を外して三度見した。
「なんだこの理論は……!? 『魔力ツボ刺激法』? 『リンパ魔力流し』? 教科書には載っていないが……理路整然としている……!」
彼は震える手でアリエスの答案も見た。
「こっちは……『そこを突かれると熱くてドクドクする』……? 表現は極めて卑猥だが、魔力の奔流現象を的確に捉えているだと!?」
さらにミィナの答案を見て、彼は絶句した。
「『ビュルッてなる』……擬音ばかりだが、この図解は……完璧な魔力循環図だ……!」
教室がざわめき始める。
「おい、ガストン先生が冷や汗かいてるぞ」
「Fクラスの奴ら、何を書いたんだ?」
ランドルが不審そうにこちらを睨む。
俺はペンを回しながら、ニヤリと笑い返した。
***
翌日。
結果発表。
Fクラスの平均点は――驚異の『88点』だった。
Sクラスの平均を20点以上も上回る、学園始まって以来の快挙だ。
「あ、ありえん……! カンニングか!? いや、教科書に載っていない独自の理論でカンニングなどできるはずがない……!」
ガストン先生は顔を真っ青にして絶叫した。
カンニングではない。これは「実体験」に基づく、体に刻み込まれた生きた知識だ。
「やったー! 退学回避だー!」
「アルトくんのおかげだね!」
カイルとエリスがハイタッチをする。
アリエスは腕を組み、ふんぞり返ってランドルを見下ろした。
「見た? これが私たちの実力よ。アンタたちみたいに頭でっかちじゃないの。私たちは『体』で理解してるんだから!」
その言い方は誤解を招くぞ、アリエス。
ランドルたちは顔を真っ赤にして、「くそっ、またあいつらか……!」と歯ぎしりしている。
俺たちは勝利の余韻に浸りながら、意気揚々と教室に戻った。
だが、本当の地獄はそこからだった。
「アルトくーん」
教室に入ると、グレイがニヤニヤしながら一枚の紙をヒラヒラさせていた。
「学園新聞の号外が出たよ。一面トップだ」
「なんだよ、Fクラスの快挙が記事になったのか?」
「いや、見出しはこれさ」
グレイが広げた新聞には、デカデカとこう書かれていた。
【特ダネ! Fクラス男子寮長、地下室に女子を連れ込み『秘密のハーレム儀式』か!? 連日響き渡る嬌声、白濁した液の目撃情報も!】
「……」
俺の手から鞄が落ちた。
記事には、地下室からふらふらになって出てくるアリエスたちの盗撮写真まで掲載されている。
アリエスの顔が恍惚として、服が乱れているのは気のせいだろうか。いや、事実だ。マッサージの後だから。
「終わった……」
俺は膝から崩れ落ちた。
学業での汚名は返上したが、俺の社会的信用はマイナス方向にカンストしてしまったようだ。
退学は免れたが、俺のあだ名は「野獣先輩」から「地下室の帝王」へとランクアップしてしまった。
「いいじゃない、アルト。……事実は小説より奇なり、ってね」
アリエスが意地悪そうに、でも少し嬉しそうに微笑む。
ルナは俺の胸に顔を埋め、「アルトの匂い……落ち着く」と寝息を立て始めた。
たった8人のFクラス。
だが、その結束は確実に強まっていた。
卒業までの道のりは遠いが、とりあえず今週も生き残った。それで良しとしよう。




