Ep.23 黒騎士の煩悶
エリーゼ殿下が大人しくしていたのは初日だけだった。
王太子殿下の騎士隊に報告に行った隙に、易々と城門を突破されていた。
近衛騎士隊は何をやっているのか。
どちらにしろ、殿下の目的はフィオナさんだろうから、王立病院の周辺を他の騎士と一緒になって捜索する。
この時は割とすぐ見つかったのだが、帰投してよしの伝令を受け取ったところで、雑踏の中に見慣れた栗色の髪が見えた。
(フィオナさん?)
「えっと、室長とはなんでもありません。『ただの』上司と部下です」
隣には明るい茶色の髪をしたやたら身長の高い男がいる。
フィオナさんとの距離は節度を保っているが、馴れ馴れしい嫌な空気だ。
「ただの、ね。それはいいことを聞いた
じゃぁ、私が立候補してもいいってことかな?」
(なんだと……!)
一気に距離を詰めて、フィオナさんを抱きしめた。
人の彼女を目の前で口説かれて黙っていられるか!
「の……ノエル君、室長代理は遅くなったからって送ってくれてるだけだよ!」
この人は私のものだ。
視線は男に固定したまま。
そっとフィオナさんを離すがこの男は信用ならない。
「送りはもう大丈夫そうだね、それじゃおやすみ、フィオナさん」
大人の余裕と言わんばかりに苦笑いをよこされ、さらにカチンときた。
そして、フィオナさんが他の男のファーストネームを呼ぶことも気に入らない。
家まで送ってしつこく問いただしてしまった。
会えない時間が増えるごとに、自分の腕からするりといなくなってしまいそうで不安がつのる。
予感はすぐ的中した。
エリーゼ殿下逃走の捜索に当たっていた同僚が、フィオナさんと背の高い優男が酒場から出てくるのを見たと教えてくれたのだ。こないだの室長代理とかいう男だろう。
室長も諦めが悪い上にろくな事をしない。あんなのを代わりに置いていくとは。
毎回殿下の逃走を補足するのはいいのだが、段々とこちらの手の内を学習してそれを上回ってくるのも厄介だ。王太子殿下がわざわざ自分に指名してきた以上、振り切られるわけにもいかない。
そして、室長から上がってきていた厄介ごとは「王立病院の薬の横流しに病院関係者と研究所が関わっている可能性」として現実になった。
殿下の逃走だけに付き合っていられなくなるかもしれない……。
「でも、彼と会えてないんでしょう?
フィオナさん、そんなに急がないから考えてみてくれないかな。君、危なっかしくて時々見ていられないんだよね」
殿下を確保して帰投しようとした時だ。
嫌な声が愛しい人の名前を呼んでいる。
「嬉しいって思ってくれるんだね。良かった」
殆ど無意識に声のする方に走った。
夕暮れ時の雑多な料理の香りに混じる甘い香り!
「わっ!」
後ろから抱きしめた。
するりと逃げそうになる蝶を追うように。
この人がいないと、もう自分の人生は考えられないのに!
明らかにこちらを挑発してくるこの男は何なんだ。
『明日職場で』という言葉に力が籠っていたのは、こっちがなかなか会えていないのを分かって言っているはず。
心がささくれる。
フィオナさんを大事にしたい。
なのに、何もかもがうまくいかない。
そもそも、私は彼女をちゃんと繋ぎ止めておけるのか……
「フィオナさん、少しお話しをしたいのでお邪魔しても?」
フィオナさんが扉を開けた瞬間、腕を掴んで押し込む。
扉を閉めると小さな彼女を腕の中に囲い込んでしまう。
触れ合いに慎重な彼女の気持ちを大事にしてきたつもりだ。
だが、それが他の男を寄せ付ける隙になるなら。
(いっそ、このまま……)
「ちょ……ノエル君?」
彼女の瞳に怯えが見える。
何故?
あの男には笑いかけていたじゃないか。
「フィオナさん。あいつの立候補、嬉しいんですか?」
あいつと食事をしてどんな話をしたんです?
私が貴方と食事をした時のように、美味しいものを満足そうに食べる顔を見せたんですか?
少し離れていただけで、こんなにも私は辛いのに。
「フィオナさんとお付き合いしてるの、私でしょう? 違いますか?」
貴方は違うんですか?
「ちょっと……待って、誤解だよ!」
貴方の美しい顔に映るのは私だけ。
違いますか?
それとも、もうあの男に……
「心変わりしました?」
「だから、誤解だって! そんなことしてな……」
許さない。
「私がそれを許すとでも?」
顎を捉えて強引に口付ける。
貴方の全てをここで奪い取ってもいい。
指をかけ、口を開かせ、舌を追いかけた。
息をつく暇も与えない。
(最初からこうすれば良かった)
自分の欲望の赴くまま、こうして貪って。
胸を叩く手首を取って壁に押し付ける。
あの娼館で貴方を組み敷いた、そのままに。
離れられないように、指を絡めて。
角度を変えて喉に逃げる舌も絡めとる。
蹂躙して力の抜けた体を抱き止め、
「貴方は私だけのものだ。そうでしょう?」
このまま貴方の全てを……奪い取って……それから……。
「かえって……」
彼女の声が震えている。
「のえるくん、もうかえって……」
はっと我に返る。
彼女の目からはぽろぽろと大粒の涙が溢れていた。
(自分は……何を……)
彼女を大切にしたい。
彼女の気持ちに寄り添いたい。
彼女を優しく包んでやりたい。
彼女をずっと守ってあげたい。
彼女を……
(私は一体、彼女に何をした……?)
「ごめん、ノエル君。今日はもう帰って」
押し付けていた手を解くと、彼女はくるりと振り返り扉の鍵を開けた。
肩が震えて……
「フィオナさん、ごめん……」
「もう帰って!」
こんなに激情をあらわにするところを初めて見た。
いつも彼女は優しく私に接してくれて。
そんな彼女に甘えていたのは私の方か……。
「……また連絡します。おやすみなさい」
扉の向こうで彼女がずるずると頽れる音がする。
こんな風にしたかったわけじゃない。
こんな力でねじ伏せるようなやり方、彼女が一番嫌うのは知っていたはずなのに。
フィオナさんを傷付けてしまってから、間もなく仕事に忙殺された。
室長の情報にあった薬関連の「きな臭い」話は、タブロイド紙によって、王立病院の薬横流し疑惑として報道されたのだ。
フィオナさんが心配で、こちらから連絡を取ろうにも連絡をする暇もない。
しかし、それに理由を見出して安心している自分もいる。
そんな時だ。
カミル殿下に執務室に行くと、そこには先客がいた。
綺麗に梳かれた金髪に紫の瞳。貴族風の洒落た男。
……様子が大分違うが、室長だろう。眼鏡もないから別人に見えるが。
「やぁ、グレンジャー。見事に萎れているな。
エリーゼは相当手強いだろう?」
いちいち腹の立つ人だな。それのためにどれだけの近衛と他の騎士たちが振り回されていると思っているんだ。身内なら説教の一つもしてもらいたいところだ。
「えぇ、『貴方の』姪御様ですから」
見返してくる視線がいつもの数倍鋭い。
そして、眼鏡が無いと陛下とそっくりなのが余計に分かる。
そりゃ擬態も必要なわけだ。
「叔父上、遊ばないで本題に入って頂きたい」
そう言うカミル殿下は、手早く目の前の書類を捌いている。
まぁ、ここにいる全員忙しいのは確かだ。
「あぁ、じゃ早速。薬の横流しはこっちからタブロイド紙にタレ込んだわけだけど……』
あれを流したのはアンタか!
どうも内部告発にしては情報のクリアな部分とあいまいな部分がはっきりしていると思っていたが。
それも取捨選択の上、意図的に流したというのなら頷ける。
「薬の横流しについては大体目星はついているんだけど、ちょっと行方の分からない薬が何点かあってね。少し時間が欲しいんだよねぇ」
そう言うと室長は人の悪い笑みになった。
言うと怒るだろうが、そういう顔、カミル殿下にそっくりです。
いや、逆か。
「で、私は具体的に何をすればいいのでしょうか?」
「フィオナさんのための時間稼ぎさ」
そう言って身を乗り出した室長、
いや王弟殿下は獣を狩る目をしていた……。




