Ep.20 劇薬
「お前はどちらにしろここで死ぬんだ。
良かったな。大好きな薬で死ぬのを喜べ」
副院長の目は本気だ。
ここで私を殺してどうなるというのか。
副院長の罪がまた重なるだけである。
「私を殺せば殺人罪です。
薬の横流しだけなら、まだ死罪にはなりません。
それでも罪を重ねると仰るんですか?」
「どうせ私のキャリアはもうおしまいだ!
私より若い院長を寄越されて、定年まで出世もしない!
それなのに、一番下っぱのお前ばかり持て囃されて!
今度の新しい病棟だって王立病院の傘下ではなく独立した病院にするなどと、そこでも私は蚊帳の外だ! しかも、お前を薬局の責任者にするとはな!」
は? 前半は分かる。
院長は外科の先生で新しい手術法を確立された功績のある方がこないだ抜擢された。
私が一番下っぱなのもそう。
持て囃されているかというと、まぁうん。
新しい病棟の話は知らないぞ。
しかも薬局の責任者って何! どこの!
え? 『妖精の小瓶』だけじゃなくて、全然知らないことで恨まれてたってこと?
なんじゃそら!
「それは、逆恨みと言うのでは……」
あ。
するりと口から出てしまった。
しかも割とNGワードを。
ぶちぃっという何かがキレた擬音がした気がする。
副院長は持っていた瓶の蓋を投げ捨てた。
いや! それ! 蓋にも劇薬付いてる!
危ない!
揺れる馬車の中で立ち上がったと思うと、スローモーションのように私に迫ってくる。
あぁあああぁ!
薬の瓶を手に、もう片方の手を私の襟首にかけた、その時、
「うわぁ!」
「な”!!」
迫る馬の蹄が複数聞こえたかと思うと、馬車が急激に停止した。
立ち上がりかけていた副院長が反動で私に覆い被さってくる。
薬の瓶が宙を飛んで、中身が飛び散る!
ああああああ!
粉が!
粉が飛んでる!
死ぬ!
必死で息を止めた。
停止した馬車の中で起き上がったが、薬が舞い散っていることに気づくと、慌てて馬車の扉を開けて飛び出していく。
私も慌てて副院長に続いて飛び出して地面に転がり落ちた。
衝撃で目を回している研究所の男はぐったりしている。
馬車の周りには騎乗した黒い騎士たちが取り囲んでいた。
中にノエル君の姿もある。
「フィオナさん!」
馬を降りてノエル君が駆け寄ろうとするのを慌てて止めた。
「来ちゃだめ! 全員それ以上近づかないで!」
「フィオナさん……?」
ノエル君の困惑した声がするが、今はちょっと待って。
私は……まだ死んでないから口には入ってない。多分。
慌てて手についただろう薬を払っている副院長は放っておいて、馬車に残った男の方を引き摺り出さなくては。馬車の入り口から男の顔を見る。意識はないが、まだ呼吸はあるようだ。襟首に手をかけて引っ張り出そうとするが、意識のない成人男性の重さは想像以上で……
「どいて、フィオナさん」
後ろからドレイク室長の声がした。
(え? 室長……だよね?)
髪もボサボサじゃないし何より眼鏡をかけていない。
でも声は間違いなく室長だった。
え? こんな室長を見るの初めてだよ。
室長は男を引き摺り下ろすと、手早く瞳孔と脈拍、呼吸の状態をチェックしていく。
「室長! 薬が!」
「あぁ、それは大丈夫。君たちもこの二人を捕縛してくれていい」
え?
だって、即死の劇薬だって……違うの?
騎士たちは室長の言葉に一斉に二人に駆け寄ると手際よく捕縛した。
「離せ! 何をする!」
と副院長が叫んでいるが、複数の騎士に取り囲まれてはなす術もない。
「大丈夫ですか? フィオナさん」
駆け寄ったノエル君が、かかったままだった手錠を外してくれる。
馬車に引っ張り込まれた時も、さっき急停止した時もかかったままだったから、手首には擦りむけてしまった傷に血が滲んでいた。
「あぁ、こんなに傷を作ってしまって……痛みますか?」
ノエル君はポケットからハンカチを取り出すと、私の手首に巻いてくれた。
綺麗な真っ白のハンカチ。
「ごめん、洗って返すから。あ、でも血だと落ちにくいから新しいのを……」
「フィオナさん」
名前を呼んで、そしてぎゅっと抱きしめられた。
痛いほど。
小さく「フィオナさん」と呟いている声がする。
ノエル君が震えてる。
黒い騎士服のノエル君はいつも陶然としていて、どこか近寄りがたいのに。
今は私に縋り付くように抱きしめて震えていた。
「フィオナさんに何かあったらって……」
「ごめんなさい……」
いや、私は強制的に連れ去られただけなのだが。
まぁ、なんていうか。
心配はかけたんだろうし。
安心するしゃぼんの香りが私を包む。
はぁ。
なんか、気が抜けた。
しゃぼんの香りをもっと吸い込みたくなって、ノエル君の胸に顔を押し付ける。
腰に手を回して、ぎゅぅっと抱きついて。
あぁ、助かったんだなぁ。
私。
そうだ、殺してやるって言われて怖かったよ。
ノエル君と喧嘩したままになっちゃうのかと思って怖かった。
きっと助けにきてくれるって。
信じてたよ……。
「で、君たちいつまで抱き合ってんの?」
室長のイラっとした声にふと我にかえる。
あ。
なんか騎士さんたちの生温い視線が私たちの注がれていた。
ノエル君も他の騎士たちがいるのを思い出したのか、目元が少し赤くなっている。
照れている顔も綺麗ですね。
「移送にはこの馬車を使おう。そいつら放り込んどいて。
薬はただの小麦粉だから気にしなくていいから」
な!
小麦粉!
確かに、あの飛び散り方は小麦粉と言われればそんな感じもするけど。
え?
「あぁ、詳しい説明はカミルのところでするから、フィオナさんおいで。
一緒に帰ろう」
室長が私の手を取ろうとするのを、ノエル君がさっと私を背にかばう。
「結構です。フィオナさんは私が乗せていきます」
「だって、君たち喧嘩してたんだろう? ロシュフォールからそう聞いてるけど?」
えーっと。それはそうなんですが。
今は大丈夫っていうか……
ノエル君の騎士服の裾をそっと掴んだ。
振り返ったノエル君が優しく微笑む。
「お付き合いしているのは私ですので、ご遠慮下さい」
「えー、折角フィオナさんの顔を見られたのにぃ。
お前こそ遠慮しろ、僕は職場の上司だぞ」
「またセクシャルハラスメントでカミル殿下に報告しますよ」
「事実無根だ! くそ、カミルに直接文句を言ってやる!」
室長は自分が乗ってきたのだろう馬に帰っていった。
「フィオナさん、行きましょう」
ノエル君はそう言うと、自分の馬を呼ぶ。
そして、私はノエル君に腰を抱えられて馬にひょいと乗せられた。
初めて乗った馬の背は想像以上に高くて怖い。
必死に鞍に掴まると後ろにひらりとノエル君が跨る。
一人乗りの鞍に二人で乗っているので、密着して抱き抱えられているようだ。
あぁ、やっと落ち着ける……
「それはそうと、フィオナさん
帰る間に少しお話しを伺いたいのですが」
にこやかに笑っているノエル君の目が全然笑ってない。
あ、なんか嫌な予感がするぞ。
「な……何……かな?」
ぎゅっと腰を抱える手に力を入れられる。
いや、馬の上だからね。
どこにも逃げられないんだけど。
「どうして、牢屋で大人しく待っていてくれなかったんです?」
え?
いや、牢屋いましたけど。
「違います。朝一番に迎えに行ったのに、入れ替わりましたね?」
あぁあぁああ!
あの女の子!
「あのね! あの子困ってたから! ノエル君ならなんとかしてくれると思ってね!
大丈夫だった? お家分かった?
なんかお家を証明してもらえるものがなくて帰れないって困ってたの!」
「えぇ、そうですね。親御さんも探しておられました」
「やっぱりそうかぁ。じゃお家に帰れたんだね」
そうかそうか。
やっぱりノエル君は頼りになるなぁ。
と、ノエル君が私をぎゅっと抱きしめ耳元に唇を寄せた。
「私はフィオナさんを迎えに行ったんですよ……なのに目の前で攫われて、どんなに心配したと思っているんです? 他の騎士がいなかったら、あの二人死んでましたよ?」
は?
「貴方に暴力を働いたのでしょう? 脇腹に靴跡がありましたね。あまつさえ、殺そうとするなんて、私から貴方を奪うような輩は死んで当然だと思いませんか?」
重!
重い!
そこ、当然じゃないから!
しかも、あんな短時間しか見てなかったのに蹴られたってよく分かったね!
本人も忘れかけてたのに怖いわ!
「あーまぁ、小麦粉だったわけだから、死にはしなかったんじゃないかな?」
「薬で死ななかったら手をかけていたでしょう? 同じことです」
それはそうと、がっちり抱えて耳元で囁くの辞めてもらえませんか!
内容も内容だけに私が脅迫されているみたいです!
その後、黒騎士モードのお説教をえんえんと聞かされるという拷問は、王太子殿下の騎士隊に到着するまで続いたのだった。
(もうやだ! 怖い! 助けて!)




