Ep.14 このままだとキスしちゃうよ?
副院長に出会わないように周りに気をつけながら階段を上がる。
上方クリア! よし!
階段の上は……、右よし、左よし、後ろよし!
どこにも副院長いないよな。
院長の回診に付きもののざわめきも聞こえてこない。
(よし……! パワハラジジイなし!)
足早に室長室に近づいて部屋をノックする。
「室長代理、ベルウッドです」
はい、という応えが聞こえたのでドアを開けて滑り込んだ。
ふぅ、まずはミッションクリア。
アルフレッドさんは丁度処理中の書類を確認し終えたのか、とんとんと机の上で整えている。
「座って、フィオナさん。あ、鍵は閉めておいてくれる?」
ん?
何か部外秘の大事な話なんだろうか?
鍵を閉めると、きょとんとしたまま私は応接セットに腰掛けた。
アルフレッドさんが対面に腰掛け……ずに私の横に座る。
(え……?)
隣に座ったアルフレッドさんは膝に頬杖をついてにっこりとこちらを見た。
あれ? 何か重要な話じゃないの?
いや、上司との距離感としてこれはアリ?
室長だってこんなに近くに座ったことはないんだけど。
アルフレッドさんとは、ジュリーの店で一緒になった時はカウンターで隣同士になったことがあるが、これは……。
「フィオナさん」
アルフレッドさんはにっこり笑ったままだ。
別に目が笑っていないとかでもない。
本当にイケメンがにっこり笑って座っていて、一幅の絵画のようだ。
「なんでしょう……?」
なんだろう?
今までの色々少ないながらの人生経験が警鐘を鳴らしている。
これは逃げた方がいい気がするよ?
やだ、私今鍵かけたんじゃなかったっけ?
退路断たれてるんじゃ?
あれ……?
待て待て待て。
別に悪いことはしてない……はず。
堂々としてればいいじゃないのよ、フィオナ。
違う、そうじゃない。
女子として「この距離感、危機を感じるべきなのでは?」って話なんだって。
アルフレッドさんとじりじりと距離を取ろうとして、すぐに肘掛けに当たる。
そりゃそうだ。
この応接セット二人掛けだもの。
「ねぇ、フィオナさん」
アルフレッドさんは頬杖をついたまま動いていないのに、肉食獣と対峙している心地がする。
背中を冷や汗がつたっていく。
えぇぇ、怖いよぉぉぉぉ。
「はい、なんでしょうか……?」
「私に黙っていること、ない?」
……………………。
はて……………………?
黙ってること、あったっけ……?
頭にハテナしか浮かばない。
何? なんだろう?
私、何か報告漏れあったっけ?
いや、ちゃんと毎日日報は出してる。
そんなことでこんな詰められ方しないはず。
「そっか、素直に言ってくれるならと思っていたけど」
にこやかに笑っているだけのアルフレッドさんが怖い。
なにこれ。
え? ほんとに!
本当に分かんないです!
何!
え? ちょっと考えて私!
ちょっとやばいってこれ!
アルフレッドさんが『私の』側の肘掛けに手をかけた。
自然と背もたれにのけぞる。
狭い二人掛けの応接セットに高身長なアルフレッドさんに覆い被さられるような格好だ。
(ちょっと待ってください!)
言いたいんだけど、固まり過ぎて声が!
声が、出ません!
「フィオナさん、私に言わなきゃいけないこと、ありません?」
え?
何だろう?
捻り出せ!
何か! ……あるでしょう!
やだ! 本当に何にも心当たりない!
「そっか、ダメだな……。フィオナさん、そういうのはよくないと思うよ?」
アルフレッドさんのもう片方の手が、のけぞった私の頭の側の背もたれを掴む。
(囲い込まれてる!)
「フィオナさん、いいの? 黙ってて?」
すっごく綺麗な顔が近づいてくる!
イケメンですね!
超色っぽいです!
眼福ですけど!
追い詰められてる状況じゃなかったらじっくり拝見したいですけど!
「このままだと、本当にキスしちゃうよ?」
キ………………キスはいけません!
今、勤務時間中!
違う!
上司と部下!
セクハラ!
好意云々なくても!
ダメじゃないの!
「ま……待ってください!
キス! キスはダメです!
ちゃんと考えてます!
ちょっと待って下さい!」
声! 出た!
一瞬だけ止まってくれた!
よし!
じゃなくて!
『これってアルフレッドさんに報告……していいの?』
あ------------------!
『妖精の小瓶』の実験結果!
言ってない!
「ああぁぁぁああぁ……アジルスの! 睡眠導入剤の着色料の!」
アルフレッドさんの顔は目の前だ。
一応止まってはいる。
止まってはいるけど、近い。
「あの……着色料の件の謎が解けたかもしれません。でも、報告してませんでした……」
よくできました、と声が出てきそうなにこやか加減でアルフレッドさんが椅子に座り直す。
私は力が抜けて背もたれにへたりこんだけれど。
「フィオナさん、実験するのはいいけど、検査室じゃなくて調剤室でやったでしょう?」
あ、そうだったかも。
思い出してすぐやりたいと思って調剤室で……
「悪手だったね。そのせいで、君の身が危ういかもしれない」
「え? なんでですか?」
アルフレッドさんはもう一度膝に頬杖をついてこちらを見てため息をついた。
「なんで騎士団の分析に検査室を使うと思ってるの? 守秘義務があるからでしょう?
それに、調剤室とは言えどこに事件の関係者がいるか分からない。今回は特に。実際に薬の横流しに加担していなかったとしても、人の目があるところで事件関係の実験は良くない」
分かる? と言われてはたと気付く。
でも、アルフレッドさんは薬剤師室には横流し犯はいないと信じてるって……。
事件の関係者がどこにいるか分からない……?
犯人を特定出来ていないのに、なんで私の身が危ういことに繋がるの?
「えっと……その、守秘義務違反については申し訳ありません。認識が甘かったです。
で、私はなんで危ういんでしょう?」
「それはそうと、フィオナさんが気付いたこと、報告してもらっていい?
それから話をする方が分かりやすいと思うから」
昨日の実験。
事件に使われたのと同じ成分の睡眠導入剤を水に溶かすと着色料で出来る溶液は緑色。
睡眠導入剤の溶液を、誤飲を防ぐために青く着色してあるアルコール製剤に入れると、緑と青の着色剤が混ざって、濃い青緑色になる。
しかし、『妖精の小瓶』と睡眠導入剤を混合した溶液を使うと、溶液は一瞬濃い青緑になったと思うと、混ぜていくうちに「青色」に戻った。
ただし、『妖精の小瓶』を使ったのなら、この実験の通りシロップの甘い匂いがするはず。
だが、事件の証拠品として依頼がきた溶液はエールの匂いだけ。
ならば、事件に使われているのは『妖精の小瓶』ではなく、アジルスの原液でしかありえない。
昨日気付いたことを端的に報告する。
聞きながらアルフレッドさんは俯いて眉間の皺に手をやった。
「『妖精の小瓶』の方かと思っていたけど、君がアジルスの原液だと思う理由を聞いても?」
「最初に気付いたのは匂いですけど……、アルコールと合わさって意識混濁させるほどの睡眠導入剤の量であれば、『妖精の小瓶』では色を打ち消すには濃度が足りないからです。それだけの量を入れようとすると、シロップの味の変化で分からないはずがない。なら、原液であれば、と思いまして……」
「なるほどね、筋は通っている。ここに原液はないけど、反応だけなら確認できる……か。
ちょっと待ってね」
アルフレッドさんは立ち上がると、室長の引き出しをガサゴソと漁った。
部屋の中は片付けても、さすがに人の机の中身までは片付けてないのか……。
「あったあった」
そう言って取り出したのは、高級ブランデー。
いや、ここ職場ですよね。
なんで室長はそんなもの引き出しに隠してるのよ。
「じゃ、検査室で実験、見せてもらっていい?」
さっきまでのことがなかったかのようにイケメンが笑っている。
イケメン無罪……。
しかも上司。
勝てるわけがないんだよ……。
私は重い体をなんとか立ち上がらせ、アルフレッドさんと室長室を出た。




