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第2話「疑念の城」

アゼルの王宮は荘厳で静謐だった。高くそびえる尖塔、滑らかに磨かれた大理石の回廊、壁にかけられた重厚なタペストリー。陽光すらもその威厳に押されるかのように、控えな明るさで空間を照らしていた。


異国から来た王女──レイナは、侍女と護衛に囲まれながら、灰色の回廊をゆっくりと歩いていた。


王宮の荘厳さ、静謐さは、静かな緊張を孕みレイナにとっては、無言の圧力のように感じられた。


レイナの金の髪は、長旅の疲れを映し艶を失っていたが、その顔立ちは、見る者すべての目を引き付ける美しさを備えていた。

「……あの顔、リビィア王妃にそっくりね……」

「肖像画でしか見たことないけど、まちがいないわ」

金色の髪に、サファイアの深いブルーの瞳、“亡き第一王妃リビィア”にそっくりだった。美しく、威厳に満ちたあの王妃に。


廊下の陰から、侍女や騎士たちがそっとささやき合っていた。

亡きリビィア王妃──レイナの母は、大陸でも名高い絶世の美女だった。

自国のみならず、他国でも“高潔と慈愛の象徴”といまだに語られ、その肖像画は今でも貴族の画集に収められている。


「リビィア王妃の娘というのは、本当みたいね」

「けれど、魔力はないと聞くわ」

「聖女と呼ばれたリビィア王妃の娘なのに魔力がないなんて、ただの厄介払いで結婚させられたのかしら」

「もし、そうならアゼル王ひいてはバルデア王国を馬鹿にしているということよね」

廊下の柱の陰から、遠巻きにレイナを見つめる侍女や騎士たちの視線には、この王妃はアゼル王にふさわしい人物なのか、見定めようとする

レイナはただ静かに受け止めていた。

表情を崩さず、背筋を伸ばし、気高さだけを身に纏って──。

──私は、見られている。この国の王妃としてふさわしいのか見定められている。

自分が厄介払いで嫁がされてきたということは、誰よりも本人が分かっていた。

でも、この国の人達のためにこの身を捧げる覚悟は十分に持って嫁いできた。

もう愛されることなど誰にも期待はしていない。けれども、せめて私の存在を受け入れて欲しい。

心の中で祈るように思っていた。


---


与えられた部屋は、文句のつけようもないほど整えられていた。

壁には細密な花のタペストリー、窓からは中庭の噴水が見える。

天蓋の付いた寝台には柔らかな天鵞絨のシーツ、衣装棚には上質なドレスが何着も並んでいる。

温かみのある香木の香りがほのかに漂う。

けれど、その整いすぎた空間は、どこか無機質で、飾りつけも、装飾も、すべて“王妃としての体裁”を整えるためであることが感じられた。


仕える侍女たちは、みな礼儀正しく、手際も良く、丁寧だった。

けれどその視線は、常に何かを「確認」するようだった。彼女たちはレイナの一挙一動を観察している。

(……これは、監視)

レイナは、落ち着いた微笑みを浮かべながらも、そう感じていた。

きっと私のすべての言動は、アゼル王へと報告されているのだろう。

そんな空気の中でも、レイナは微笑を絶やさず、誰に対しても礼を尽くしていた。

長年、祖国で愛されず、魔力がないという理由で存在価値すら否定されてきた彼女にとって、礼節を守り、気高さを忘れないことだけが自分を支える唯一の手段だったのだ。


***


謁見の間にて。

重い扉が静かに開き、家令のレオンが姿を現した。 漆黒の絨毯の上を歩く足取りは、控えめでいて迷いがない。 手には、数枚の羊皮紙を綴じた報告書が抱えられていた。

玉座の右手、陽の差す窓辺に設けられた小卓に、アゼルは座っていた。 漆黒の髪に、金の瞳。高身長で広い肩幅を持つその姿は、まさに戦神の如き威容。

「陛下。王妃殿下についての初期報告書がまとまりました」

「……読め」

アゼルの声音は低く、表情からは全く感情が読めない。

報告書を開いたレオンは、少しだけ視線を落としてから読み始めた。

「……王妃殿下は、礼儀をわきまえ、控えめで、誰にでも笑顔で接しています。」

アゼルの金の瞳がわずかに細められる。

「……それだけか?」

レオンは少し間を置いてから、静かに続けた。

「人の顔色を窺うように、必要以上に丁寧で……迷惑をかけないように非常に気を使っておいでです。」

アゼルの手が止まる。

「人の顔色を窺うように、迷惑をかけないようにか……」

「はい。先日、侍女のひとりが体調を崩した際、王妃殿下は誰よりも早く水を運び、布を絞って額に当てられたと」

「……気まぐれではなく、か」

「はい。それは“演技”とは思えませんでした。おそらく……それが“あの方”の本質なのでしょう」

しばしの沈黙の後、アゼルは報告書から目を離し、窓の外に視線を向ける。 遠くの空に、赤く沈む夕日が広がっていた。

「……魔力がないという理由で、愛されなかった王女か。母のような女ではなさそうだが、最低限の王妃としての体面を保ちさえしておけば、足を引っ張る存在にはなるまい。」


亡き母のことが脳裏をかすめる。

王に寵愛されながらも、陰で他の男と通じ、弟を“王の子”として玉座に就けようとしたあの女。

裏切られた記憶。

殺されかけた苦しみ。

アゼルは、あの時からずっと、“誰も愛さない”ことで自分を守ってきた。

「……俺の側に置くのは、俺が心から信じる者だけだ。」

アゼルの声は冷たいが、その言葉はどこか……悲しげでもあった。


***


夜。 レイナの部屋には、若い侍女リセルが控えていた。

「髪を整えさせていただきますね」

銀の櫛で梳かれるたび、金の髪が少しずつ光を取り戻していく。

リセルの手つきは優しく、どこか母のような温かさを感じさせた。


「……必要以上に私に近づくなと言われているのではないの?」 レイナがふと漏らすと、リセルは驚いたように目を丸くして、それから小さく微笑んだ。

「はい。王からは余計なことをするなと咎められるかもしれません。でも……少しでも王妃様に快適に過ごしていただきたいと思うので。」

「なぜ、王命に背いてまでそのように思ってくれたの?」

「王妃様は、必ず私たちに“ありがとう”とおっしゃってくださいます。この城に仕えて長年経ちますが、誰にもお礼など言われたことがありませんし、私どもも仕事としてするべきことをしているわけですからお礼を求めてはおりません。私は王妃様の身の回りのお世話をさせていただくことが仕事です。ですからお礼など不要です。けれども、王妃様は、必ず“ありがとう”とおっしゃってくださいます。」

「そんなことで?」

「はい。王妃様にとっては、そんなことかもしれません。……けれども、そのお言葉で救われる者もいるんです」

レイナの胸に、ふわりと温かいものが宿った。

(誰にも必要とされなかった私が……今、この子には、何かを与えている?)


──私は、ここで、誰かの役に立てるのだろうか。

それはほんの小さな灯だったけれど、確かにレイナの心に灯った最初の火だった。


---


翌朝。

アゼルは、日課のように報告書を受け取っていた。

淡々と読み進める中、一文で手が止まる。

『王妃殿下は、侍女たちの名をすべて覚えようとされています。皆、王妃様の優しさに戸惑いつつも、心を動かされているようです』

アゼルの金の瞳が一瞬だけ揺れた。

「……“偽らない優しさ”か。……それが策略でなければいいが」

呟くような声。

けれどその声は、前よりも幾分、柔らかく──

その目元には、ほんの僅かな“関心”の色が浮かんでいた。


3話に続く

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