場所は滋賀県八日市
あれは、単身赴任で滋賀県は八日市あたりに賃貸借りて、週一か月二くらいで愛知に帰宅していたもう20年近くは以前のこと。普通に国から警告喰らうぞという社畜ぶり極まる劇重勤務で残業時間だけで200時間は超過していた当時の金曜日のあの日、24時てっぺん終業で素直に一寝入りしたのちに自宅帰還果たせばよかったものを、なにをとち狂ったかそのまま愛知まで帰りたくなったのがことの始まり。
そもそもが、早く自分の家に戻りたいという衝動に突き動かされてのことだったのに、なぜあの時、高速道路に乗らずに下道で帰宅できるんじゃね? とか日和ったのだか。精神か思考回路かそのどちらもか、はたまた別のなにか致命的な部分かが壊れていたとしか思えない。421号線ずるーっと突き進めば桑名までいけそうだなとカーナビで確認して、高速に乗れ、はよ、と繰り返すカーナビをガン無視して八日市ICを過ぎて直進、ダム方面に向かってしまった。
途中まではしっかり舗装された二車線が続いていた。時刻は深夜の一時ではあったけれども車通りは普通にあった。じきに対面一車線になって街灯がまばらになってからも、現地民の散歩姿もちらほら見受けられたから危機感は無かった。が、それにしても、だ。一車線の歩道なしの道だから、そりゃあ歩行者は立ち止まって車をやり過ごすだろうけれど、なんか青年二人や老夫婦がはっきりこちらの顔をガン見してくるのがいたたまれなかった。この時間に見慣れない車が上がり込んでくりゃあ注目もするだろうけれども。
カーナビの細かな案内が始まり、言われるがままに車を乗り入れたのは民家の集落で、コンクリート敷きの路面が家屋に押しつぶされるようにウネウネ続いていた。場所によっては轍ギリギリしか道幅が無く、ここはうちの敷地だぞと宣言しているのだろう、石垣というには烏滸がましい単に積み上げただけの石の行列が邪魔だった。左右の民家の車庫には普通に車が収まっていたから、住民にとっては慣れたものなのだろうが、こちとら無闇に図体のでかいサーフだ。時間帯が時間帯だからか民家に灯は無かったから早いとこ抜けねばと気ばかり急いたがぶつけたら元も子もない。そんな中でも右だの左だのとカーナビが指示してくるが絶対に嘘だろうと無視。とにかく集落を抜けることに専念する。
ようやくアスファルト舗装の二車線に出た。左手側のガードレールの向こう側が墨をぶちまけたような真っ暗闇で、平地が続いているのだか崖なのだかがわからない。見上げんばかりの手入れも何もない森林の、うち何本かが道路側に倒れ込んでいて走行中の屋根を擦る。ふと対向車が現れてすれ違いざまにギョッとした顔を向けられる。こんな時間のこんな場所で何してるんだコイツとその顔が物語っていたがそれは重々承知している。今どのあたりだとカーナビ画面を覗いて思わず「うわぁ」と頭を抱えたくなった。案内は続いているのに道路が表示されていない。現在位置を示す三角表示が何もない虚空に浮かぶだけ。そしてここでカーナビさんが高らかに宣言。
「五キロ以上、道なりです」
そう言われても、道、示してないじゃん、と。ラジオをかけてみるが受信する気配もない。当時持っていたドコモ携帯は圏外。流石に戻るべきだろうかと思ったが切り返しできる場所もないのでしばらく車を進めるしか無かった。
思えばここに到着するまでにも三叉路や、真横に交差する側が本道だろう道があって、道なりと言われてもどっちだろうと悩む経路は多々あった。なにより画面には三角が表示されているだけでどこなのかも示していないカーナビがひたすら「五キロ以上道なりです」と繰り返しはじめたものだから、もはや信じるも何も無かった。ただ、ことあるごとに指示を繰り返すのは時折、衛生電波を引っ掛けるからなのだろうなと、画面の復旧を期待する意味でカーナビを切る選択肢は当時の俺には無かった。
そうして周囲が田んぼの、舗装された駐車場を発見したから一旦停車。降りて周辺を見渡せば、やや離れたところに民家が転々と並んでいて、玄関先や窓の灯りが多少の安堵を抱かせてくれる。だが、それ以外には街灯の一つもない真っ暗闇。携帯を見ればまだ圏外。拓けた場所のようだが電波状況は改善されず。ふと向こうの家屋の窓灯りが揺れた気がして顔を上げれば、どうもこちらを覗き込んでいるようだ。不審極まりないのだろうなと気まずさに頭を描きつつそそくさ移動を再開。道路がしっかりしていたものだからもう少し先に進んでみることにする。