1 ローラン子爵領
分岐点で商隊と別れた俺達は、再び三人で王国領を目指す。
王都へはこの先にあるローラン子爵領というところを抜けて行くことになる。
この辺りまで来れば魔物や盗賊の数もぐんと減って、一応ひと安心と言えるらしい。
その言葉通り、特に戦闘に巻き込まれることもなく、二刻程進んだところで砦のような場所に出た。
石造りの城壁に囲まれた如何にも堅牢そうな建物で、中には相応の数の兵士が駐留していることが外まで漂う気配から見て取れた。
恐らく国境に面していて関所を兼ねていることから、このような物々しい警備が敷かれているのだろう。
早速、その中の一人に城壁の上から誰何の声が掛けられる。
「そこの者、止まれ。この先はルタ王国ローラン子爵領である。そのことを知った上での来訪であろうな?」
「我々はルタ王国の冒険者だ。ハンマーフェローより帰還し、これより王都へ向かう者である」
俺は慣例に倣った口上を述べる。
厳密に言えばミアはまだルタ王国の冒険者になっていないが、それくらいの齟齬は問題になるまい。
「それならば砦内で入国審査を受けて貰うぞ。異存はないだろうな?」
ない、と答えると、それを待ち構えていたかのように正面の城門が重々しい音を立てて内側へ開いた。
後になって聞いたところ、門は普段から閉じているとは限らず、旅客が多い時は開け放しておくこともあるそうだ。今回はたまたま通行人が少なかったと見える。夜間が閉め切られるのは言うまでもない。
審査は冒険者ギルド発行の認識票を見せただけで呆気なくパスした。
特に黄金級冒険者で貴族令嬢でもあるセレスの威光は絶大で、所持品検査もなおざりに済まされ、こんなことで大丈夫かと心配になるほどだったが、それだけ身分の格差が顕著ということだろう。
ちなみにギルド発行の認識票は、首に掛けるいわゆるドッグタグ形式のものだ。
等級によって色や輝き具合が違うのは、表面に鍍金される金属の種類が異なるせいらしい。
当然、青磁のミアや黒曜の俺より、黄金級のセレスの方が遥かに輝いて見える。
いずれにしても無事国境を通過できたので、ここからは大手を振ってルタ王国内を行けるわけだ。
まずはローラン子爵領の領都に寄って、一旦これまでの旅塵を払うとしよう。
「なかなかに活気がありそうな都市ね」
到着したローラン市はクーベルタン市ほどではないにしろ、領都に相応しい賑わいを見せていた。
特に農作物の栽培が盛んなようで、市場には見慣れた物から初めて目にする変わり種まで、実に色取り取りの野菜や果物が並んでいる。
これらは重要な輸出品目にもなっているそうだ。
「ひと先ず宿を取ったら、浴場に行きたいわ」
目抜き通りを進みながらセレスがそんなことを口にする。
ハンマーフェローには入浴の文化はなく、自宅において行水などで済ませるのが一般的だ。当然、公衆浴場も見かけない。
不潔にしていたわけではないので衛生面での問題はないとはいえ、ひと月以上に渡ってそんな生活をしていたせいで、風呂好きのセレスとしては待ちに待った瞬間と言えるのだろう。
ミアは風呂そのものを知らなかった。狗狼族にも入浴の習慣はない模様。あとで連れて行ってどんな反応をするのか見るのが愉しみだ。
と、ここでハタと気付く。
いつの間にかセレスやミアと一緒に入浴するのが当たり前と考えるようになってしまっていた。
まあ、毎日自分の身体を見ているので、今更女性の裸を前にしたところで興奮するわけではないのだが、それはそれで淋しい気がする。
もし男に戻れたら再び新鮮な気持ちで女性と向き合えるのだろうか。やや心配である。
そんなことを考えているうちに、目的の宿に到着する。門前で衛士に教えて貰ったお勧めの宿屋だ。少々値は張るが、厩舎があって馬を預けられる上、部屋の清潔さに定評があるそうだ。
チェックインを終えると、早速セレスが公衆浴場に行きたがったので、三人で連れ立って紹介された施設に向かう。
ここでもやはりクーベルタン市の公衆浴場と比べると若干見劣りするものの、全体の流れとしては同じで、入浴料を払い、湯着に着替えて浴場へ赴く。
掛け湯をして、セレスに誘われるまま恐る恐るお湯に浸かったミアが、不思議そうな声を上げた。
「何かヘン」
周囲の水が温かいのに戸惑っているようだが、湯船から上がろうとはしないので、それなりに気に入ったようだ。
ひと通り温まったところで、洗い場で自分の身体を洗うついでにミアの髪の毛や背中も流してやる。この辺りのことはハンマーフェローに滞在中も行水の際にしていたので、もはや手慣れたものだ。
どちらかというと、姪っ子に対する叔父さんの気分で接している。
さすがにセレス相手に、そんな感情にはなれないけどね。
公衆浴場から宿に戻ると、何故か手紙が届いていた。しかも御丁寧に印章入りの封蝋までしてある。
庶民がそんなことをするはずがないから、送り主はそれなりに身分ある相手に違いない。
差出人を見たセレスが僅かに眉を顰める。
冒険者ギルドの依頼票くらいの簡単な読み書きならできるようになった俺だが、固有名詞はさすがに判読するのは不可能だ。
封蝋を破ったセレスが内容を読み終えるのをミアと二人で待つ。
素早く手紙に目を通したセレスが大きく溜め息を吐いた。
「誰からだったの?」
俺は真っ先にそう訊ねた。
「ローラン子爵家次期当主からのものよ。嫡男ヴィクトル名義で送られているわ」
「次期当主……?」
当主ではなく、その息子からということのようだ。それには何か貴族社会特有の意味があるのだろうか? 送り先が当主ではないからそれに合わせてのこととか。あるいは単純に相手を見くびっているという線も考えられる。
そんな俺の思考を読んだように、違う違う、とセレスが苦笑いしながら否定する。
「手紙によれば当主であるローラン子爵様は社交シーズンに合わせて王都に行って不在とのことよ。その間、領地の運営を任されているのは自分だから名代として送ったということみたい」
どうやら他意はなかったようだ。
「それで何って書いてあったの?」
俺の考え過ぎとわかった途端、肝心の内容が気になり出す。
「どこかで私達がやって来たことを聞き付けたようね。たぶん、砦からの知らせを受けたんでしょう。それで明日の晩餐に招待したいって。こういうことがあるから目立ちたくなかったのよね」
セレスに目立つなというのは、まあ無理な相談だろう。
「それでどうするの? 明日の朝には発つ予定だったけど、受けるなら私とミアは二人で適当に時間を潰すわよ」
「ここにはお付きの人も一緒にどうぞと書いてあるわ。二人のこともわかっているようね」
〈えっ? 俺達まで?〉
庶民の間ではそれほどでもないが、貴族には亜人に偏見を持つ者も少なくないと聞く。俺だってどう見ても王国人とは思われまい。
そんな俺達を招いてトラブルにはならないのだろうか。
「当主不在の私的な食事会だから気兼ねしなくていいそうよ。出席者も向こうは次期当主だけみたいだし」
「断ることはできるの?」
俺は念のため、セレスに訊いてみる。
「私的な会食とはいえ、正式な招待を受けた以上、二人はともかく私は相応の理由が無ければ難しいでしょうね。下手をすると実家に苦情が届くかも知れない」
そうなると俺とミアが出席しなかった場合、次期当主とセレスの二人きりになるわけか。使用人や給仕係はいるに違いないからまったく二人だけの空間ではないにしろ、それは何だか面白くない。
それにどこかで聞いた名だと気になっていたが、急に思い出した。確かローラン子爵家の嫡男ヴィクトルと言ったら以前にセレスの兄、ランベールが勝手に見合いをセッティングした相手だったはずだ。
結局、見合いは実現しなかったらしいが、まさかその時の代わりということではないだろうな。
二人はどうする? とセレスが訊いてきて、俺は、行く、と即断した。
これこそ穿った見方と言えるかも知れないが、そんな場にセレス一人をやるわけにはいかない。
その場でセレスが出席する旨の返事を書き、宿の人間に手間賃を与えて領主館に届けさせた。
俺とセレスの衣装はカミラさんから餞別に貰ったドレスで良いだろう。
あとはミアの着る物を明日の晩までに用意すれば良いだけだ。




