6 魔眼
魔眼──それは命じたことを相手に無条件で従わせる能力。
だが、それはどこまで通用するのか? 例えば翼のないヒト族に、「飛べ」と命じたら空を飛翔できるのだろうか?
幾ら魔眼でもそれは無理だ。実際に試してみて確認済みである。
本来、相手に備わっていない能力を行使することはできない。それは訓練すれば身に付く力──魔法の使用や楽器の演奏といったことでも同様に不可能だった。正確に言うと、命じられたことを実行しようとはする。しかし、結果は何も起きなかったり、出鱈目な演奏に終始したりするだけで、一足飛びに経験を無視できるというものではないらしい。
そうだったら便利だったんだけどね。
だから無茶な命令を下してもその人の技量やスキル以上のことはできないと思っていた。ナゼル氏が生きていると知れるまでは。
即死不可避だった攻撃を何故、ナゼル氏が耐え切ることができたのか?
もしかしたら夢中で発したあのひと言が原因だったのではないか?
「駄目だ。死ぬな」
魔眼で命じたつもりはなかったが、心の底から願ったことは確かだ。
その抽象的な指示がナゼル氏の精神や肉体、あるいは潜在能力といったものに何らかの影響を及ぼし限界を超える力を引き出したとしたら──。
「何、これ? 何だか変よ」
俺の言葉を聞いたセレスが戸惑いの声を上げる。
本当にあの命令に意味があるのかは正直、半信半疑だった。
ナゼル氏が生きていると言っても瀕死の重傷であることに変わりない。
即死でなかったのはもしかしたら単なる幸運だったかも知れないのだ。
だが、続くセレスの反応が俺の推察の正しさを裏付ける。
当然ながらこちらのやり取りなんてお構い無しの狂乱猛虎達はセレスの戸惑いなど無視して、まずは一匹が頭上から跳びかかった。もっとも混乱していてもそこは黄金級の冒険者らしく油断はしておらず、恐ろしい勢いで振り下ろされた爪をそれに負けず劣らずの鋭い剣捌きで弾くと、すぐさま追撃の構えを取る。
これが一対一の戦いであれば次はセレスのターンとなろうが、生憎と敵はそいつ一体だけではない。しかもこれが野生の本能というものなのか、つがいとなって間もないはずなのに絶妙のコンビネーションで今度はもう一匹が下からセレスの喉元目がけて研ぎ澄まされた牙を突き立てようと迫った。
これまでの戦いならセレスの『先読み』スキルの効果が及ぶのは一体のみであるため、この攻撃は避けられないか、気付いたとしても辛うじて躱すので精一杯だったはずだ。だが、セレスはこれを難なく捌いて、カウンターの斬撃までお見舞いした。
「どういうこと? 複数に『先読み』が利くなんて。それに身体も軽い」
当の本人が自分のしたことを信じられない様子だ。
「セレス、集中して。考えるのは後よ」
彼女に余計なことに気を散らすなと忠告する。魔眼を誤魔化すのもさることながら今は目の前の事態に専念して欲しい。
俺の心配事が伝わったようで、セレスはチラリとこちらに目をやると頷いた。
そこからは一進一退の攻防が続く。魔眼で能力をブーストしたとはいえ、やはり一筋縄ではいかない相手だ。明らかにセレスの動きは良くなったものの、一対二の不利な状況を完全に覆すには至っていない。
〈決定打にはまだ足りない。何かあともう一押し──〉
本来の自分の武骨な手とは似ても似つかないスラリと伸びた指先に目を留め、今の姿を初めて目撃した時のことが脳裏を過ぎる。
確か川面に自分を映して見たのだ。
〈そうだ。だったらやれるかも知れない〉
俺は腰に吊るした鞘から借りている小剣を抜き出した。
鏡とはいかないまでも丁寧に手入れされて存分に光を反射する刀身に自身の顔を投影する。
さすがにこれまで上手くいっては都合良過ぎな気がしなくもない。
だが、やらずに後悔するよりはやって後悔した方が納得できるというのは、職場でも異世界でも同じことだろう。
俺は静かに息を整えると、自分の目を見て小声で発した。
「セレスを護れ」
途端に視界が歪んで頭に激痛が走る。
〈イタイイタイ、何だ、これ〉
立っていられなくなり、思わずその場に蹲る。
〈こんな頭痛を抱えながらセレスは戦っているのか?〉
何とか顔を上げてセレスの方を垣間見る。しかし、どう見ても痛みを堪えて戦っているようには見えない。
〈もしかしてこれって俺だけの症状?〉
だとしたら上手くいかなったということだろうか? 失敗に伴うリスクがこれほど酷い頭痛とは思わなかった。
それでもしばらく耐えていると、ようやく立ち上がれる程度には慣れてきた。痛みの方は一向に収まる気配はなさそうだったが。
〈どうなるんだ、俺の身体は? まさかこのままずっと頭痛が続くわけじゃないだろうな〉
そんなことになったら冒険者どころじゃなくなる。
恐らく一時間経てば効果は切れると信じて、俺は頭を抱えつつも勝敗の行方を見定めるべく再び戦局に目を凝らした。すると──。
〈ん? 何だろう?〉
間断なくセレスに襲いかかる狂乱猛虎達に、先程まではなかった薄っすらとした黒い靄のようなものが纏わりついて見える。それがネット状に魔物の体表を覆い、結び目の中にとりわけ濃い箇所があった。
〈あれはひょっとして……〉
迷っていても仕方がない。俺は意を決してセレスに声を掛ける。
「セレス、魔物の首から十五センチ下。三連星になっている斑点の一番左側を狙ってみて」
そこが一番靄の濃い場所だったからだ。
セレスが魔物から目を逸らすことなく、頷くのが見えた。どうやら全面的に俺の言葉を信用してくれるらしい。
長さの単位がきちんと精霊を介して翻訳されるか心配だったが、それも問題ないようだ。
ただし、言うは易し行うは難しで、簡単にはいきそうにない。そう思っていたのだが、セレスには何やら秘策がありそうだ。ここぞという時のために温存していたのだろう。
魔物に気付かれないよう死角となる背中の鎧の隙間から何かを取り出すと、裂帛の気合と共に繰り出した斬撃に紛れて、それを投げつける。
五百ミリリットル缶ほどの携行サイズであるその物体はセレスの剣先を避けた狂乱猛虎の鼻面を正確に狙い当て、次の瞬間にはいきなり破裂して辺りを劫火で包み込んだ。
〈ゲッ、まさかの火炎瓶?〉
どちらかというと火魔法を封じ込めたもののようだが、剣士らしからぬセレスの意外な奥の手に、反射的にそう思ってしまった。
こちらに来て初めて目にする魔法攻撃っぽい一発だったが、低レベルの魔物ならともかく、さすがにそれだけで狂乱猛虎に致命傷を与えるほどではないらしい。まあ、当然だ。もしそんな威力があるなら早々に使っていただろうしね。
だが、セレスの狙いはもちろん、斃すことではなく──。
一瞬、炎で視界を奪われた狂乱猛虎が隙を見せたと同時に、その懐に飛び込んだセレスの剣が深々と魔物の胸を抉る。俺が指示した場所を正確に貫いて。
断末魔の叫びを上げることもなく、あれほど苦戦していた魔物の片割れは呆気なく息絶えた。
「……驚いた。会心の一撃よ」
〈何、そのゲームみたいな呼び方。まあ、俺の語彙を参照した意訳なんだろうけどさ〉
もう少し緊張感のある翻訳はできなかったんだろうか?
それはともかく、靄の濃い箇所が魔物の弱点を示しているとの推測は間違っていなかったようだ。
残る相手は最初の狂乱猛虎のみだが、既にここまでの戦いで無数の傷を負っている上、一対一になれば勝敗の行方は見えたも同然だ。最後はセレスが俺の助言無しで圧倒した。
「何とかやったわね」
俺が駆け寄るとセレスが肩で大きく息を吐きながらそう言った。
「途中でもう駄目かと思ったけどね」
俺は冗談めかした言い方でそれに応える。軽い口調だが、一時は死も覚悟したのは本当だ。
「ユウキには色々と言いたいことと聞きたいことがある。けど、それは後回しね。まずはナゼルさんの様子を見ないと」
セレスがナゼル氏の倒れている岩場に一歩、脚を踏み出そうとした。その途端、急に膝から力なく崩れ落ちる。そのまま俺に体を預けるようにして倒れ込む。
「セレス!」
俺の呼びかけに応えることなく、彼女は目を閉じたまま動かなくなった。




