4 疾風迅雷
「これを持って行きな。真銀や皇鋼の逸品とはいかないが、それなりに名のある刀工が鍛えた小剣だ。役には立つと思うぜ」
「だったら、あたしらはこの服を貸すよ。ワイバーンの翌膜で作った外套だから、炎に強く頑丈さは折り紙付きさ」
「すまないな。こんなことでしか助けになれなくて」
そんな感じでしきりと申し訳なさそうにする冒険者達に見送られながらギルドを出た俺達は、市門の前にいた。
「もう一度、繰り返すけど本気なのね? 今ならまだ引き返せるわよ」
閉じられた正門の隣にある狭い脇門を潜る直前、前方で馬の手綱を握ったセレスが背後で彼女の腰にしがみ付く俺にそう訊ねる。
「当然じゃない。ただし、役に立つなんて期待しないでよ。こう見えて足を引っ張る自信は満々なんだから」
それを聞き、セレスが苦笑する。だが、その科白は紛れもない俺の本心だ。
あの後、渋るセレスを説得して冒険者登録を行い、彼女とパーティーを組む手続きも済ませた。正規のルールに従っている以上、ギルド長も文句は付けられなかったようだ。特別通行許可証も難なく手に入れた。
もっとも市門さえ通過できればどこかその辺の草むらの陰にでも身を潜めてセレスの帰りを待てば良いくらいのつもりだったが、どうやらそう甘くはないらしく、パーティーとしてまったく行動を共にしなかったとバレた場合、虚偽の申請をしたとして冒険者資格が剥奪される恐れがあるとギルド長から釘を刺されてしまった。
これは貴族や平民の金持ちが手下を使って実際には自分は何もしていないのに冒険者としての評価を上げる行為を防ぐのが目的らしいので、仕方がないと言えた。
セレスは自分がクビになっても構わないと言ったのだが、それでは何のために俺がこんな無茶をしたのかわからなくなるので却下した。
従って俺もセレスと共に現場に行くことになったのだが、当然、何の用意もしておらず短剣一つ帯びていなかったため、せめてもの手助けとして冒頭にあるようにギルドに居合わせた冒険者達が自分達の装備を貸してくれたり、消耗品を提供してくれたりしたので、今はそれなりに体裁は整っている。
その上でこうした場合に備え特別に訓練された馬に跨り、鞍に取り付けた魔法のカンテラの仄かな明かりを頼りに真っ暗闇の街道を突っ走っていた。騎手はもちろんセレスが務め、俺は後ろから彼女の腰に抱き付くという本来なら役得と言っても良い状況ながら、振り落とされないよう必死でそれどころではない。
そんな中、セレスが独り言のように呟く。
「──ありがとうね、ユウキ。何があってもあなただけは絶対に護ってみせるから」
「えっ? 何か言った? 風が強くて聞き取れないんだけど」
彼女の言葉ははっきりと俺の耳に届いていたが、照れ臭かったのでそう言って聞こえなかったふりをした。古臭い考え方と言われようとも男としては女の子に護ってあげる宣言をされて喜ぶ気にはなれないしね。
今すぐは無理でもいつか彼女を逆に護れるくらいの強さは身に着けたいものだ。
「……何でもないわ。それより飛ばすわよ。しっかり掴まってなさい」
そう言う彼女の背中に俺はより一層きつく自分の身体を預けた。
「ここからは歩いて行くわ。私から離れないで」
森の手前、行けるところまでは馬で乗り付けたが、その先は徒歩で進むしかないようだ。以前の経験からもそうしなければならない理由はわかる。
馬は勝手に市外の厩舎に戻ると言う。そのように訓練されているらしい。
帰還の足を帰してしまって平気なのかと訊いたら、翌朝には森の入口に馬車を待機させておくよう手配してあるそうだ。
「問題はそれまでに私達が戻って来られるかね」
森の中に歩を進めるに当たっては、セレスから幾つかの注意事項を受けた。
「一応、魔物除けの護符を用意してきたわ。これで弱い魔物なら近寄って来ないはずだけど、油断は禁物よ。移動する時は常に私の背中を見て、私がするようにして。もし魔物と出逢ってしまったらひと先ずその場で待機。あとはその都度指示するわ。あれこれと細かいことを言っても混乱するだけでしょうから一つだけアドバイスをしておくと、どんな恐ろしい敵に遭っても決して目を逸らさないこと。相手が見えてさえいれば致命傷を避けることも急所を庇うこともできる。一撃で死ななければ大抵のことは何とかなるものよ。少なくとも私がいる限り、そうしてみせる」
オトコマエなセレスの発言を聞きながら、俺は神妙に頷く。さすがに向こうの世界でも猛獣は無論、小動物すら狩った経験はない。幾ら人から借りた小剣を身に着けているとはいえ訓練も無しにいきなり実戦で使いこなせるとは思えない。今の俺にできるのはなるべくセレスの足手まといにならないように振る舞うことだけだ。
〈そのためには彼女の指示に徹頭徹尾従う外ない。その場で裸踊りをしろと言われたら一切の迷いなく実行すると肝に命じろ〉
そう自分に言い聞かせる。
そして俺はすぐにセレスの実力の一端を知ることになる。
どうやら彼女は楯を持たず、ロングソードの一種であるバスタードソードを片手剣と両手剣の両方として使いこなす戦闘スタイルのようだ。混血といった意味を持つバスタードソードは別名、片手半剣とも呼ばれるので、使い方としては間違ってはいないのだろう。
ただ、元の世界の史実では扱い方が難しく、全面的に普及とはならなかったらしい。
そんな万人向けとは言えない武器を平然と選ぶだけあって強いとは聞いていたが、他人から知らされるのと自分の目で見るのとは大違いだった。
まずは子牛ほどもあるでかい百足──その名もジャイアント・センチピードという捻りも何もない魔物を出会い頭で瞬時に一刀両断すると、次いで現れたアルミラージというこちらは名前からはどんな相手か想像も付かない額に角を生やした巨大兎をその俊敏さをものともせずに斬り伏せる。いや、さすがに今のは反則級だろ。
何しろ、目で追うのも難しいスピードで跳ね回る奴だったのだ。恐らくはその軽快さで相手を翻弄したところに攻撃を加えるタイプの魔物だったのではないか。それがあたかも来るのを待ち受けているかのように、移動場所へと寸分の狂いもなく剣が振り抜かれるのだから向こうとしては堪ったものではなかっただろう。
素人の俺でもその動きが尋常でないのがわかったくらいだ。
「もしかして今のって……」
俺は遠慮がちに訊ねた。そうせずにはいられなかったためである。
「そうね、コンビを組む以上は知っておいて貰った方が良いわね。今のが私の強さの秘密、私が持つ先天性スキル『先読み』よ。一瞬だけだけど、相手のこれからの動きが読めるの。それでも瞬間の判断が勝敗を分ける戦闘においては今見たように無類の強さを発揮する。どうしてそうなるのか私にも理屈はわからないわ。でも外れたことはこれまで一度もない」
うーん、並外れた洞察力による未来予測? いや、未来予知の類いだろうか?
「もっとも対象となるのは一体だけだから集団戦には向かないわね」
「そんなことまで喋ってしまって良かったの?」
効果の程はともかく、弱点まで言う必要はなかったのではないだろうか? 俺が疑問に思ってそう質すと、セレスはあっけらかんと答えた。
「そりゃあちこちに吹聴して回られたら困るけど、ユウキはそんなことしないでしょ? 第一、苦手な場面を知っておいて貰わないと、いざという時にお互いの認識に齟齬があったら危険じゃない」
〈なるほど。そういう考えなのか〉
それなら俺の魔眼についても話すべきだろうか? だが、セレスの『先読み』と違って、あまりに応用範囲が広すぎる。役に立つのは戦場だけに留まらず、場合によっては権力争いや政治や外交にまで利用されかねない。俺だけならまだしも知ってしまえばセレス達まで巻き込む恐れがある。
〈やはり、教えるのは慎重にすべきだな〉
今は急造のコンビを組んでいるとはいえ、この先もずっと一緒とは限らないのだ。少なくとも魔眼が危機的な状況を回避させる場面でない限り、黙っておく方が良い気がする。
なお、セレスが身に着けているネックレス型の魔物除けの護符は魔力を流すと薄っすらと青い輝きを放ち、その光を嫌う魔物を寄り付きづらくするものらしい。弱い魔物にしか効果はないが、僅かな魔力で使用できるので自分でも扱えるのだとセレスが教えてくれた。相当に希少な代物らしく、使用者の魔力の他に神殿で多額の寄付(という名目の手数料)と引き換えに効果時間をチャージしなければならず、通常は上級貴族や高位神官が何らかの事情で魔物の棲み家に近付く時以外に利用されることはまずないそうだ。まあ、普通の冒険者にとっては無用の長物に違いない。
そんな貴重なアイテムを短時間で用意できるセレスはさすが貴族の娘と見るべきか、それともこれが黄金級の名声の賜物なのかは判断に困るところだ。
「そろそろ北の渓谷に差し掛かるわ。用心して」
そうした護りの効果もあり、その後は魔物に出遭うこともなく歩き続けると、それまでの鬱蒼とした森から一転して切り立った断崖が現れる。谷底の渓流まで優に二百メートルはありそうだ。
「いたわ」
唇に人差し指を立て、岩陰に身を潜めてセレスが指し示した場所には巨大な獣が鎮座していた。見た目は確かに虎に似た容貌だが、大きさが並のトラックほどもある。野生の虎に遭遇したことなどもちろんないが、全身から滲み出る凶暴なオーラがそれとは桁違いなことは経験がなくともはっきりと実感できた。
〈あんなの、人間が戦って勝てるのか?〉
セレスの実力を垣間見た直後であってもとても信じられない。絶望という二文字が頭に思い浮かぶ。全身が無意識に震え出すのをどうあっても抑えることができなかった。他の冒険者が尻込みするのも当然と言えよう。
風下から近付いたおかげでまだ向こうには気付かれていないようだ。その足許の少し先に、幅一メートルほどで続く岩の裂け目が見える。どうやらあの縦穴の中にヴァレリー達が潜んでいるみたいだ。体格の大きさが災いして、入り込めないのだろう。
「ユウキはここに居て。あれだけの魔物がいる以上、他の魔物は怖れて近付いては来ないでしょうけど、念のため、周囲への警戒は怠らないように。万一、別の魔物が現れたら知らせて頂戴」
その場合はどうするのかとは敢えて訊かなかった。幾らセレスとはいえ、目の前の強敵と、それを怖れない別の魔物を一度に相手するのは無理だろう。せいぜい自分を囮にして俺を逃すくらいが関の山ではないか。そんなことを彼女には絶対にさせられない。
〈その時は俺も覚悟を決めるしかなさそうだ〉
無論、戦って勝てるとは微塵も考えていない。一対一なら絶対の自信を持つセレスの腕前を信じて、複数の魔物を同時に相手せずに済む状況を作り出す外ない。具体的には逃げ回ることになろう。当然、そうできればの話となるが。
「ヴァレリーの容体が気になるわ。時間が惜しい。やるわよ」
そう告げるなり、疾風の如くセレスは岩陰を飛び出して行った。金属鎧の重さをまったく感じさせない素早い足取りで、走りながら白銀の輝きを放つ美しい長剣を腰から引き抜く。ここまではほとんど一瞬で勝負が着いていたのであまり目にできなかったが、明らかに他の冒険者が持つ武具とは一線を画する普通の剣ではない。恐らく相当な業物に相違なく、材質も只の鋼ではあり得まい。
その剣に走る速度を上乗せさせて斬撃を放つ彼女お得意の剣技だ。まさに疾風迅雷と呼ぶに相応しい一撃を繰り出そうと瞬く間に標的である狂乱猛虎との間合いを詰める。
だが、向こうもさすがに虎の名を冠する魔物だけあって完全に不意を衝かれたにも拘わらず、恐るべき反射神経を発揮し、即座に反応して見せた。
その巨体に見合わず今まで居た場所から五メートルほどを跳躍して華麗に避けた──かのように見えた。
しかし、セレスの剣の軌跡はその動きを完璧に追従し、すれ違いざまに鮮血が舞い散る。無論、狂乱猛虎のものだ。
ダメージよりも自分が斬られたことが不思議そうな様子で、魔物はセレスの方を向き直る。その相手に向かってセレスは特に気負うでもなく告げた。
「悪いけど、のんびり相手をしている暇はないの。最初から全力で行くわ。出し惜しみは無しよ」
宣言通りの行動で、セレスは狂乱猛虎に斬りかかる。向こうも負けじと爪を、牙を振るい、そしてその巨大な体躯とそれに不釣り合いな動きで対抗する。それはひと言で表現するなら別次元の戦いだった。俺は目で追うのがやっとの攻防に、只ひたすら釘付けになっていた。
それでもやがて両者の戦い方に差が開き始める。一撃の重さこそないものの、手数を重ねて着実にダメージを刻んでいくセレスに対して、狂乱猛虎の方は彼女が『先読み』のスキルを駆使しているおかげだろう、当たれば大ダメージ必至だが、時折掠る程度でここまで一度もその機会は訪れることなく過ぎている。もっともセレスにも余裕なく見えるのは、一発でも喰らえば積み重ねてきたものが一気に逆転されかねない凶悪さを秘めていると充分に自覚できるからに外あるまい。見た目の損傷こそ、セレスが圧倒しているように思えても当人達にとっては紙一重の違いなのかも知れない。
とはいえ、十分とも一時間とも感じられた、見ているこちらも神経を擦り減らすような対決の行方にもようやく目処が付いてくる。このままでいくならもう間もなくセレスの勝利で幕を閉じそうだ。そう思い、ホッと胸を撫で下ろしかけたその時、本当の意味での絶望が正体を現した。
絶望──まさにそう呼んで差し障りない展開。
これまでの攻防など只の前哨戦に過ぎなかったと途端に気付かされる。
「セレス、危ない!」
思わず叫んだその視線の先にはもう一体、別の狂乱猛虎の姿があった。




