4 セレスの憂鬱
それから二日間は特に何事もなく、市内観光や買い物などをして過ごした。
三日目の昼頃、遠征に出ていた領軍が帰還したと聞いたので、改めて礼を言うのを兼ねて兵舎を訪ねてみた。
「よお、お嬢ちゃん。確かユウキだったな。ここまで無事に辿り着けたようで何よりだ」
兵舎の前で訪問した理由を告げると、何故か大慌てで奥へと案内された。ボディーチェックや持ち物検査も無しだ。隊には女性兵士もいるのだから、若い女が珍しかったわけではないだろうに。そこで旅装を解くファビオ隊長達と再会した。
「報奨金もちゃんと受け取れたみたいだな。凄い異国の美少女が一人で街にやって来たって衛兵の間で噂になっていたぜ。道中、おかしな真似はされなかったか?」
相変わらず男臭い笑顔で気さくに話しかけてくるファビオ隊長に、コンラードにはとても親切にして貰った旨を伝える。これが彼の商売に少しでも良い影響を及ぼすことを願って。
それにしても衛兵の間で噂になっていたのか。全然、知らなかったよ。
「その節は大変お世話になりました。おかげでこうして滞りなく過ごせています。皆さんには感謝してもし切れません。本当にありがとうございました」
「おい、聞いたか? こんな可愛い娘に感謝されるなんてお前ら一生に一度あるかないかのことだぞ。しっかり聞いておけよ」
ファビオ隊長が周りの部下達に向けて大声でそう断言する。大袈裟だよ、ファビオ隊長。喜色満面の男性兵士はともかく、女性兵士が苦笑いでスルーしてくれたのが幸いだった。
もちろん、ズボンを譲ってくれたドリスも怪我無く戻って来ていて、再会を喜び合う。彼女にはそのうち食事でも御馳走したい。
遠征疲れもあるだろうし、あまり長居しては迷惑だろうと退散を申し出ると、明日からすぐに通常シフトに戻ると聞かされた。
〈一日の休みもないのか。それは大変だな〉
他人事だから暢気に構えていられるけど、我が身のことならとても耐えられそうにないよ。
異世界の兵士はなかなかにブラックな職場環境みたいだ。
「そこを何とか頼む。いや、頼みます」
「いくらセレス様の申し出でも居ない者にお取次ぎするわけにはいきませんな。日を改めてお越しください」
兵舎を辞した後、俺は日用品ではない旅の道具や変わった品々を見て廻るために、領都でも一、二を争う大店と評判の商会に足を運んだ。ここを離れる決心はまだ付かないが、一応下調べだけでもしておこうと考えたからだ。
教えられた場所に向かうと広場にあるような仮設店舗とは違い、ちゃんとした店構えの立派な商店だった。広場の屋台は出店という扱いらしい。
ただ、道順を間違えたみたいで正面玄関ではなく、裏口に出てしまったようだ。
そこで店の人間とおぼしき年配の男性と押し問答を繰り広げるセレス嬢を目撃した。男は言葉遣いや態度からして恐らく手代や番頭といった立場の者と思われるが、一体何事だろう?
「この前もそう言ったではないですか。それにそちらの主が店に入っていくのを確かに見たのです。とにかく会わせて欲しい」
「そのように言われましても不在なものは不在なのです。これ以上騒がれるならセレス様と言えども確固たる手段を取らざるを得ませんぞ。衛兵の手を煩わせては領主家の名に傷が付きましょう」
そう言われてセレスが一瞬怯む。貴族や領主の娘だからと言って法を無視して好き勝手に振る舞えるわけではないようだ。
追い打ちとばかりに、老獪さを絵に描いたような店の者がこう告げた。
「それともご自慢の腕前で私をお斬りになりますか?」
「まさか、そんなことは……」
もはや誰の目にも勝負ありといった様相でセレスが項垂れる。その隙に店の人間はさっさと戸口の奥に引っ込んでしまい、扉が閉まると同時にガチャンという重苦しい音を立てて施錠されたのがわかった。
尚も諦め切れないのか、十秒近くじっとその場に佇んでからようやく振り返り、俺と目が合う。
「あなたはこの前の……妙なところを見られたわね」
「先日は危ういところを助けて頂きありがとうございました」
何と返せば良いのか思い付かなかったので、ひと先ずそう言ってお茶を濁す。今更、何も見ていません、と言っても通用しなさそうな雰囲気だ。
「ちょっと時間はあるかしら? 少しだけ付き合ってくれない?」
やっぱりそうなるのか。散々、厄介事に関わるのは御免としながら、この流れ的にはもはや何者かの作為を感じなくもない。
うん、もう潔く諦めよう。
俺はセレスに促されるまま前の時と同様、肩を並べて歩き始める。
そう言えば自己紹介もまだだったことに気付き、自分から名を名乗った。
「そう。ユウキね。私は──」
「セレスティーナ様、ですよね?」
貴族の言葉を遮るのは不敬に当たるかとも思ったが、ついそう洩らしてしまう。幸いにも彼女に気にした様子はなく、それどころか、あら、知っていてくれたんだ、と意外な顔をされた。
「それなら私の素性もわかっているのね。でも、セレスでいいわ。敬称も無しでお願い。私もあなたをユウキと呼ばせて貰うから」
この前のフィオナ嬢やイングリッド嬢といい、冒険者はざっくばらんな呼ばれ方を好むのだろうか? 確かに戦場で口にするのに舌を噛みそうな名前は似付かわしくないが。
でも、愛称呼びを許すのは同業者と認めた場合と言ってなかったっけ?
まあ、細かいことはどうでも良いか。
「ええっと……じゃあ、セレス。私達、一体どこへ向かっている……んですか?」
「これから行く先では敬語も無しにして欲しいけど。どこなのかは着いてみてからのお楽しみよ」
そう言いながら石畳の道をスタスタと歩いて行く。旅人には難易度の高そうな路地裏を次々と抜けて行き、すっかり自分の居場所と方角がわからなくなったところで、やっと目指す目的地に到着した。
「ここって、もしかして……?」
そこはメインの大通りからやや外れた場所に位置する、ちょっとした神殿を思わせる重厚な石造りの建物で、普通の人の背丈の倍はありそうなアーチ型の入口が待ち構えていた。大きさの割に人の出入りが少ないのがやや気になる。
そのことが伝わったわけではないだろうが、この時間なら利用者は少ないはずだとセレスが告げた。
「むしゃくしゃした時はここが一番ね。と言っても領主の娘が昼間から一人で公衆浴場に入り浸るっていうのはさすがに外聞が悪くて。普段ならフィオナやイングリッドに誘われたってことにして貰っているんだけど、生憎今はちょっとね。代わりに付き合ってくれない? もちろん、入浴料は私が出すわ。女同士なんだから問題ないでしょ?」
……問題大ありです。
どうやら予想した通り、ここは公衆浴場で間違いないみたいだ。口止めでもされるのかと思ったら違うらしい。てっきり『ちょっと体育館裏に面貸せや』的なことかと身構えていたよ。
確かにいずれ行ってみたいとは切望していたが、まさかこんな形で訪れることになるとは夢にも思わなかった。
しかも、隣には女神も裸足で逃げ出そうかという絶世の美少女付き。
女性の裸は自分の身体で見慣れているとは言え、当然ながらここへ来てから他人のものを見たことはない。
その上、向こうは俺のことを同性だと信じ切っているわけだし、それを騙すのはやはり気が引ける。
その一方で女性として過ごすからにはこの先こんなことは幾らでもあるに違いなく、いちいち気にしていたら身が保たないという思いもあって葛藤が湧き上がる。
悩んでいるうちに、セレスはさっさとアーチを潜って先へと行ってしまった。
これはもう与えられた試練は乗り越えるしかないと、腹を括って後に続く。なるようになれだ。
内部は幾つかの部屋に分かれているようで、エントランスを通り過ぎ、中庭を抜けた先にある二つの入口より奥はそれぞれ男女別々になっているらしく、片側の扉を潜った後は男性の姿を一切見かけなくなった。
そこから最初に足を踏み入れた部屋が脱衣所で、入浴料の支払いはここで行われる仕組みのようだ。日本の銭湯のような番台があるわけではなく、個別に受け取りに回る徴収人がいた。約束通り、セレスが二人分を支払う。
「追加料金を払えばヒト族専用の浴場も利用できるけど、ユウキ、あなた、彼らと同じ湯に浸かるのは嫌?」
セレスが視線を送った先には、二の腕辺りがヒョウ柄の毛で覆われ、同じ斑点模様の獣耳を生やした獣人の親子連れの姿があった。さながら豹人といったところか。どうやら公衆浴場は亜人だからといって門前払いを喰らわせるわけではないらしい。それだけ入浴はこの国の人にとって欠かせないものなのだろう。彼らと一緒を良しとしない場合は多少の金額を上乗せして、ヒト族専用の浴場を利用するみたいだ。
俺は別段彼らに偏見はないので、共同で構わないと言う。むしろ、貴族であるセレスが気にしない方が驚きだ。何か理由がありそうなので、後で訊いてみよう。
幸いと言うべきか、残念と言うべきか、入浴は全裸で行うわけではないようで、みんな着ているものを脱いだ後は入浴料の支払いと引き換えに貸し出される湯着に着替えている。これはゆったりとした肌襦袢のようなものだ。
当然、セレスも鎧を脱いで湯着を身に纏った。一応、背を向けていたが、着替える際にちらりと見えてしまったのは不可抗力と言えるに違いない。
脱衣室から直接、湯殿に行くのかと思ったら間に別の部屋が挟まっていた。仄かに暖かく、低温のサウナといった感じのその部屋は、浴場と外気温との急激な温度変化の防止を兼ねたレクリエーションルームで、準備運動で軽く汗を流したり、盤上遊戯を愉しんだりするためのものだそうだ。
「私はすぐに浴場に向かうけど、ユウキはどうする?」
「もちろん、セレスに従うよ」
こんなところに一人で置いて行かれるのは勘弁願いたい。
浴場は大理石でできた小学校の体育館程の広さの部屋に、二十五メートルプールがあると思えば想像しやすい。
外周部に我々が知る一般的な家庭サイズの湯船が幾つか置いてあり、一人用の浴槽かと思ったら、最初に掛け湯で使うものだったようだ。間違えて入ったりしなくて良かった。
セレスに倣って自分もそこから木製の柄杓でお湯を掬い、身体を流し清める。只でさえ薄い湯着は濡れたせいで肌にピタリと張り付き、自らの見慣れた肉体だけでなく隣でお湯を掛けるセレスの均整の取れた肢体まで浮かび上がらせ、目のやり場に困った。
「はぁー、生き返るわねぇ」
漸く首までお湯に浸かったセレスが、そんな年寄りじみたことを口にする。お湯の中で湯着の裾がゆらゆらと揺れて、見えてはいけないものが見えそうになっているのは気にしないでおこう。
最初に彼女が言ったように利用客の姿はほとんど見受けられず、これなら幾ら反響する浴場内とはいえ、余程の大声でも上げない限り周囲に会話が聞かれる心配はなさそうだ。
「へぇ、ユウキって凄くきめの細かい肌をしているのね。あなたの国の人の特徴かしら?」
湯に浸かりながら俺の腕を持ち上げたセレスがそう言う。そんなことを言われても俺にはセレスとの違いがよくわからない。じっと見比べるわけにもいかず、話を逸らそうと別の話題を探した。
「そういえばフィオナさん達と遭ったよ。食事をしていたらたまたま相席になって」
共通の話題と言えばこれしか思い付かなかったので、俺は彼女にそう告げた。
「そうだったの? だったらあのことも聞いている?」
あのこととは何だろう? 俺が知るのはある事情でパーティーを抜けたということくらいだが。
「あのことが何を指すのかわからないけど、私が聞いたのはセレスがフィオナさん達とパーティーを組んでいたことだけだよ」
「どうしてパーティーを抜けたか、訊ねなかったの?」
「訊いたけど、それは本人に確かめろってイングリッドさんが」
イングリッドらしいわね、とセレスが苦笑した。
俺としては気になりはするが無理に知る必要もなかったので、それで終わらせようとしたのだが、彼女自身が打ち明け話を始めた。
「別に隠すほどのことじゃないのよ。イングリッドは仲間の仁義として言わなかったんでしょうけど、冒険者ならみんな知っていることだし。今、私は名指しで依頼を避けられている状況なの。もちろん、組んだ人も同様にね」
「じゃあ、パーティーを抜けたのって、みんなを巻き込まないため?」
「ええ。ヴァレリー達だって生活が掛かっているからね。私のために失業させるわけにはいかないでしょ」
確かナゼル氏には奥さんと二人の娘さんが、ヴァレリー青年には病気のお母さんがいるって話だっけ。
「それってランベールって人のせい?」
名前を出すのは拙いかとも考えたが、誰にも聞かれていないことを幸いに思い切って訊ねてみた。
セレスは驚いた表情で俺を見詰める。
「どこでその名を? ううん、それよりもあなた、ランベールが誰なのか知っているの?」
俺は黙って首を横に振る。偉い人だろうとは予想しているが、誰なのかは確かめていない。
セレスにはヴァレリー青年が酔ってうっかり洩らした顛末を話した。
「そう。他の人に聞かれなくて良かったわ。下手をすると不敬罪で投獄ものよ。それでわかったでしょ? ランベールは私の兄、つまりクーベルタン伯爵の子息ね。次男だから次期領主というわけではないけど、軽々に非難できる人物でないことに変わりないわ」




