0章 1
今思うと私はネグレクトを受けていた。
私が周りの一般的な家の子と違うと気付いたのは小学校低学年の頃だったと思う。公園で一緒に遊んでいた友達が今日の晩ご飯はカレーだからといつもより早く家に帰った時に疑問を持ったのが最初である。晩ご飯はお母さんが作ってくれること、メニューを自分で決められないこと、早く家に帰りたいと思うことというのは中々に自分の想像できない世界であった。
父親は私が物心つく前に早世し、以後母親が女手一つで私を育てることになる。幼少期こそしっかり面倒を見てくれていたと思うが――そうでなくてはさすがに餓死でもするはずである――、小学生になる頃には母はほとんど家を空けるようになっていた。ネグレクトとはいえ、勘違いしてほしくないのは生きていく分には不自由ない環境ではあったことだ。学校に対して給食費の未払いがあることもなく、朝、晩とコンビニで食事を買うお金は用意されていたし、むしろ周りのクラスメイトより自由に使えるお金は多かった。
二人で住むにはやや広すぎるくらいのマンションでほぼ毎日一人で過ごしていた。広い分、逆に自分の孤独感は強かった。まれに母が家に居ることもあったが、会話は事務的な事に限られていた。私の顔を見て口をぎゅっと結ぶ姿は印象的で、親子の会話はまったくなかった。
成長し、世間の常識を理解するようになり、自らの置かれている現状について考えた。自分の生き写しである我が子をなぜ放置するのか、そうしてまで余所に何があるのかは分からないままであったが――まあ、恐らく若い男の家に居付いているのだろうとは推測はしていたが――、記憶の限り愛されることなく育った私にとってはそんな生活は私の中では当たり前で、自分のことを可哀想には全く思っていなかった。
ただ、寂しいと思った。
だから家を出た。