表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神秘と現実の間の図書館へようこそ

作者: 大鳥進

よろしくお願いします。

僕がその図書館を見つけたのは梅雨に入った6月だった。

その日は本当に久しぶりの休日で、昼までぐっすりと寝ていた。

連日の残業続きですっかり疲れ切っていたのだろう。目覚めても身体は動こうとする心を拒絶していた。

そのまま再度寝ようかと思ったが、無性に近所のラーメン屋に行きたい気持ちの方が勝り、重い腰を上げ、手早く身支度を整え、外に出たのだった。


外は雲がかかっており、太陽は見えない。雨を呼ぶ雲ではなさそうだったので、僕は傘を持たず、目的地へ歩いて行った。

歩きながら、なんとはなしに我ながら平凡な人生を送っているなと苦笑いしながら思っていた。

仕事は楽しくないが、食えていける給料は貰っているし、同僚との仲だってわるくはない(はずだ)。恋人は学生の頃別れたきりおらず、そこは残念に思っているが、いずれは得られるだろうと思っている。


仕事は今こそ忙しいが、あと少しすれば落ち着きを取り戻しそうだ。

ようは特別幸福ではないが、不幸でもないという事。

なのに、昔から何かぽっかり穴が開いたままのような感覚を持ち続けている。

いや、昔とは言っても、そうでなかった時はあった。ある時を境にだったはずだ。でも、それが具体的にいつだったのかは思い出せない。


「まあ、記憶ってそんなもんかな……」


思わず独り言をつぶやきながら、目的の店に入って、腹を満たすのだった。

腹を満たし、店の外に出た僕は、何気なく、散歩をしたくなった。

僕は時々、やることがない暇な時間ができたら、ブラブラ歩くようにしている。

近所と言っても何でも分かっているわけじゃない。

むしろ、普段通る道以外なんて疎くて当たり前だ。使わないんだから。

僕にとって近所だろうと普段行かない場所なんて、遠い場所や未知の領域のようなものだ。

そのため、散策をするのが楽しく、ちょっとした趣味になっている。


「今日は東に行ってみようかな……」


周囲に人がおらず、1人でいる時、思わず独り言を呟いてしまう事があるのが僕の癖だ。

ただ、もし、周囲に人がいれば、奇異な目で見られ、恥ずかしい気持ちになるため、周囲に誰かいる時は、呟かないように気を付けている。


僕の記憶では、東の方角は、一戸建ての住宅地と、小さな公園があるだけのはずで、コンビニや商業施設があるわけではない。

つまりは、普段の僕には縁がない場所だ。

こういった気紛れが起きた時以外は行かない場所故に、どうせ何もないだろうなと思いつつ、足を進めてみる。


比較的新しい住宅が多く、歴史ある建物が少ないのは個人的には残念だが、それでもなんだか新鮮な気持ちにさせられて、僕の目を楽しませてくれる。

それでも、ただ歩き続けているだけなので、その内飽きてくる。

そろそろ休憩できる場所を見つけるか、それとも引き返すかを考えだした時に、「それ」はあった。


それは、一言で言えば小さな図書館だ。

一階だけで、面積もさほどではなく、家々の中に突如湧きだしたかのような小さな図書館。

近所の人さえ使っている人は極めて限られているんじゃないかと思うような白亜の建物。


周囲を観察しながら歩くと、窓から沢山の本が伺える。

玄関にかろうじて読める図書館という文字があったからふと目に留まっただけで、何も気付かず、通り過ぎてもおかしくなかった。

休憩をしたいと思っていたこともあり、丁度いいと思い、僕はその玄関を潜り、中へと入っていった。


中は案の定、閑散としており、司書の人以外、誰一人としていなかった。

でも、僕はその一人を目にした瞬間、思わず心をときめかせた。

服装は地味だ。でも、艶のある長い黒髪に細長の顔立ちと瞳を備えた女性で、どこか陰のある雰囲気が僕の好みに合っていた。

僕はそんな彼女に引かれ、思わず声をかけようとしたが、うまい言葉が思い浮かばず、ずっと見つめているのは奇異に思われ、迷惑だろうと思い、本棚に向かった。


自分のコミュ力不足を心の中で嘆きながら、ざっと本に目を走らせる。

しかし、どの本にも題名が書かれておらず、一見すると何の本か分からない。

不思議に思っていると、すぐ後ろから声がかかった。


「お探しの本があるのですか?」


鈴の音のような声音に引かれるものを感じながら、後ろを振り返ると、琥珀色の瞳を和らげ、優し気な微笑みを浮かべながら、こちらを向く司書と目が合った。

いつの間にと思いながら、これ幸いと疑問を投げかける。


「いえ、特に目当ての本があるというわけではなく、何か面白そうな本でもないかと思い、立ち寄ったのですが……。この図書館は変わっていますね。どの本にも題名がない。この棚はどういう内容のコーナーなんですか?」


そう問いかけると、司書は変わらぬ微笑みのまま答えを返す。


「ここは、記録という物語です。この棚だけではなく、どの棚の本も」

「記録?」


何の記録だろうと思うと同時に、変な図書館だなとも思う。

そんな僕の疑問を他所に、司書は話を続ける。


「ええ、記録という物語。そして、その内容は様々なんです。提供していただいた数だけある物語。どれ一つとして同じものなんてありません。ここにあるものは、唯一無二なんです」

「記録というと、本当にあったことが書かれているんですか?物語ともおっしゃいましたから、それを物語のようにまとめて」


唯一無二ということは、他に置いていない本ばかりってこと?

そんな図書館なんて、聞いたことがない。

そんな疑問が僕の顔に表れていたのか、司書は話を続ける。


「ふふ。不思議に思っていらっしゃるんですね。無理もないことです。ここは、とても変わった図書館なんですよ。寄贈してくださる方によってのみ、本の数は増えていきます」

「ん?購買はせず、寄贈?ここは、市等から援助は受けていないんですか?ひょっとして、図書館と名は付いていましたが、個人所有だったりするんですか?」

「さあ?私にも詳しいことは。少なくとも、私は館長ではありませんから」


にこりとしながらそう言う彼女に、腑に落ちないものは感じながらも、僕自身、深い関心があるわけでもなかったため、この話はこの辺で打ち切る。


「好きに本を手に取っても、構わないんですよね?」


変な場所だったため、念のため、確認すると彼女はうなづく。


「ええ、もちろんです。あなたのお望みの本に巡り合えますように」

そう言うと彼女は僕から離れていった。


とりあえず、外観からは内容はわからないため、とりあえず適当な本を手に取り、中をめくってみる。


「んん?」


そこには、乱雑な手書きでこうあった。

ある街に起こった悲劇、と。

読み進めてみると、下手くそな文字に、稚拙な文体を、手書きで書き連ねてある。

ここまで整っていない本をよく並べるなと、半ば呆れながらも、せっかく手に取ったのだからと思い、お試し気分で読んでいく。


内容はと言うと、ある田舎町で起こった奇怪な事件についてだ。

最初は住民の失踪から始まり、建造物の損壊、そして、ついには殺人事件が起こる。その後、それは連続して起こり、徐々に猟奇的な形へエスカレーションしていく。


読んでいて気付いたが、そこまではまだ序盤で、残りページはまだまだある。ずいぶんペース速いなと思いつつ、いつしか本にのめり込む自分がそこにいた。

正直言って読みづらく、商業化には程遠い内容だ。

でもそんな素人同然な内容でありながらも、早く読みたくてしょうがない。そして、なぜか鼓動も早くなっていた。

そして、何か既視感を感じ、自分の記憶を辿ろうとした矢先、鐘が突如、鳴り響いた。


ゴーン、ゴーン。


その合図は、今日はもうここで出来ることは何もないことを、告げるものだということと、僕は察した。

案の定、司書は僕に閉館時間だということを告げた。

この本を借りられないか尋ねたが、丁寧に断られてしまった。


「申し訳ありませんが、貸出しはしておりません。閲覧されたいなら、再度訪ねていただくしか、ありません」

「そうですか……。わかりました。また伺います。でも、本当に変わっでますね。中身は清書も何もされていない、書き殴ったままの状態で本として置いてある。ひょっとして、他の本もこんな調子ですか?」

「ええ、書いた方のありのままが、この図書館のモットーなんですよ」


そう彼女は答えながら、僕が読んでいた本をパラパラとめくっていた。

日が落ち始め、黄昏がこの空間を染め上げる中、ただでさえ、元から暗かった室内が更に影に支配される。

そんな中、彼女の生白い肌がより鮮明に映え、僕に蠱惑的なものをそそらされる。

そんな気持ちを振り切るように、僕はドアへと向かう。

そんな僕へ背後から彼女は言葉を続けた。


「再度の来館をお待ちしております。御覧の通り、人が中々訪れず、寂しかったんですよ。あなたがまた起こし下されば、とても楽しくなりそう。あ、肝心なことを、言い忘れていました。この図書館は、午後2時から6時までです。それと諸般の事業により、休みが不規則に起こります。ですので、日によってはせっかく来ていただいたのに、帰っていただくことになってしまいますね。申し訳ありません」


そんなだから人が来ないんだろと、心の中で思いながら、でも、彼女と二人きりで、一緒にいられれば、あわよくば良い仲に…なんて淡い期待も持ってしまう自分がいた……。


「失礼ですが、ずっとこの街にお住まいですか?それとも、どこか別の場所に住んでらしたとか…。例えば、いわゆる田舎とも言える、空気の良い長閑で平和な街とか」


唐突に何をと思いながらも、答える。


「ずっとではないですね。高校まではこの街だったんですが、大学の時は東京です。その後就職して、いくつかの都市へ。でも、田舎なんて住んだことも、行ったこともないですよ。子供の頃、友達が夏休みに田舎に行って、カブト虫やクワガタ虫を捕まえてきた奴が、羨ましかったなあ」

「…………そうですか。すみません。唐突に変な質問をしてしまいまして。」


そうして僕は他愛のない話をしながら玄関を出て、見送られつつ帰途に就いた。後ろからの視線に引っかかるものを感じながら。

その時、風がそぐわない言葉を運んできたような気がする。

それは、こう紡がれた。


”おかえりなさい”と。


その夜から、僕は何か懐かしさを感じる田舎町を舞台に、最初は楽しいのに、徐々に恐ろしい何かに怯える夢を、度々見るようになる。最後には誰かに救われるけど。

そんな場所には僕は、一度も行ったことはないはずなのに……。

僕は、何を恐れているんだろう。


僕はこのところ、仕事に追われ、休日出勤も続いたため、あの図書館に中々行けない。

だが、身心共に疲弊しながらも、ようやく繁忙期が終わり、明日から久々の連休が始まる。

そんな中、その夜、久しぶりに母から電話が入った。

父が死んだ後、母は今、故あって東京に住んでいる。

最近は帰ってないため、近況を知りたくなったらしい。


親不孝だったかなと反省しつつ、しばし、最近のことを話した。

その中で、ふと僕は田舎に住んだことなんてあったっけ?と聞いてみた。

そしたら、一度もないという分かり切ってた答えが返ってきた。

そうだよなと思っていた最中、ふと母はこんなこと言ってきた。


「でも、一度だけあんたは家出して、縁もない田舎で発見されたことあったわね。覚えてる?」

「え?そ、そんなことあったっけ?」

「あったのよ。忘れてたの?いくら子供の頃だったとはいえ、あんだけ大騒ぎになったのに⁉わたしもお父さんも必死になって捜したわよ。警察にも連絡して、捜してもらって。そうしたら遠く離れた場所で発見されて。誘拐の線でも捜査されたけど、結局真相は分からず仕舞い…。いつかは答えを知りたいと思っていたけど、その様子じゃあ、永遠にわかりそうにないわね」


はあ。とため息交じりに返ってきた言葉を聞きながら、何かが溢れてきそうな名状しがたい何かの感覚が僕を襲う。

胸の動悸が早まり、こう訴えかけてくるようだ。


ダメダ、オモイダシテハイケナイ……


僕は何とか言葉を紡ぎながら、母との会話を終わらせ、倒れ込むようにして床に就く。

あそこだ、あの図書館に行こう。あそこに行ってから悪夢が始まったんだ。あそこに何か鍵があるはずだ。でも僕はその鍵で何を開けようとしている……。


翌日、僕は、じれるような気持ちで開館時間の2時を待ち続け、丁度その時間に着くように足を動かす。

頼む、休館になってないでくれ。

そんな僕の願いは関係なかっただろうが、休みではなかった。

ホッと胸を撫で下ろすと共に、扉をくぐると、彼女が笑顔で僕を迎えてくれた。

心が洗われるような気持ちになりながらも挨拶をお互い交わす。


「ふふ、また来てくださったのですね。中々来てくれないものですから、もう来てくれないんじゃないかと思ってしまいました」

「すみません。またすぐにでも来たかったんですが、最近特に忙しくて。でも、ようやく繁忙期も終わったので、これからは気軽に来れると思います」

「まあ。嬉しいことを言って下さるのですね。その言葉通りになることを祈ってます」


そう言いつつ、彼女は例の本の場所に案内してくれて、椅子を勧めてくれた。


「ではごゆっくり。何かあればお呼びください」

「はい、ありがとうございます」


去っていく彼女の背を見送り、さっそくあの本の続きを読む。

するとその内容は、急展開を迎えていた。

ミステリーだと思っていたのが、いつのまにか呪いや怪物、魔法使いの話になっていたのだ。

バカバカしくなる展開に、いつもの僕だったら呆れるが、この時は違った。

何かを納得するような、まるで、こうなることが最初から分かっていたような、そんな気持ちが僕の内から湧き出ていく。


ファンタジーになっていたが、陰惨な内容は変わらず。むしろより凄惨な地獄絵図が広がっていた。

街の状況は悪化の一途を辿り、救えるものがほとんどおらず、英雄(この場合は魔法使い)はボロボロになりながらも災厄の原因を倒した。

爽快感とは程遠い結末を見届けつつ、あることを思い出す。


司書は言っていた。これは、記録だと。

でもこんなことがあるわけないのだから、そんな、わけは、ない。

そう謳っただけのフィクションだ……。または、妄想の記録のはずだ。


この本だが、読んですぐに分かった事がある。

これは、少年の視点だ。

この少年の体験談という形式で話が進んでいく。

少年、少年の視点……。


吐きそうになりながらも読み進めると、最後のページのある文字で、目が止まった。


「なんであるんだ……。これが……」


震える声で絞り出す。

なぜならそれは、著者名で、僕の、名前だった…………。

すると、それまで読んできた物語が、自分の体験談としか思えなくなっていた。


いや、違う。違う。違う。

いや、そうだ。そうだ。そうだ。そうだ。


そう……。これは、僕の記録なんだ。僕の体験談だったんだ。


「ああ、ああ、あああああああああああああっ!!!」


僕は、益体もなく場所も忘れて叫んでしまった。

どうして、忘れていたんだろう。

この舞台となった田舎町は、僕の父方の実家だ。そこに、その時僕は、里帰りしていたんだ。

そこで、僕はあんな現実とは思えないようなデタラメな出来事に見舞われたんだ。

でも、母はそんな事、言わなかった。知らない振りをしていたのか?

わからない。わからない。

呪い、怪物、魔法。何それ?意味が分からない。

そんな混乱している僕に、背後から声がかかる。


「やっぱり思い出してしまったのですね。おかえりなさい」


それは、司書である彼女の声だった。


「おかえりなさい……?」


そう問い返す僕に対し、彼女は知ったような顔でこう返す。


「ああ、まだ完全には思い出してないようで。そうですよね。幼い頃の記憶です。完全に思い出すことなんて、難しいでしょう」


彼女は納得したように、うんうん頷く。

そんな彼女を眺める僕は、以前とは異なる感情で、彼女を見つめる。

彼女は何だ?それに、この場所は?


「とりあえず、場所を移動しましょうか。気持ちを落ち着かせましょう。おいしいお茶を出しますよ」


そう言い、僕の手を引っ張りつつ、彼女は僕を奥へ奥へ、引っ張っていく。

そうして着いた先は、中央にテーブルと椅子が置いてあり、周囲を大量の本に囲まれた、ある種、威圧感さえ覚える部屋だった。

そこにある椅子を勧められ、素直に座るとすぐに、香り立つお茶が出された。

そうして、対面に座った彼女は話し出す。


「単刀直入に言いますと、あれは、本当にあった記録です。呪い、怪物、魔法使い。それらが本当にその時はいたんです。あの時、あの場所に。」


そう言いつつ、彼女は自分用に入れたお茶を口にする。


「この世界は、人の世界です。人による、人のための秩序。この世界は、呪いも怪物も魔法使いも認めません。存在さえ本来は許さないんです。それが人による最後の魔法。遥か昔、人と神秘が密接だった頃、怪異と呼ぶ事象が当たり前のようにあった時代の、もう御伽噺の領域になってしまった話。記録には、ここ以外に残せませんが」


頭おかしいと、普通なら言われるようなことを僕は、自然と受け止めていた。


「でも、完璧な秩序をもたらす魔法なんて、ありません。ましてや、本来あったものを捻じ曲げたんですから。どこかに歪みが生じるのは、しょうがないんです。でも、人が築いたものは凄いですね。長い期間、こぼれ出るものがありつつも、この秩序を維持してきたんですから。まあ人の力が凄いなんて、それはこの高度な文明社会を見ても、明らかですけどね」


その言葉に引っかかるものを感じたが故に、言葉に出す。


「歪み?こぼれ出るもの?」

「はい。それが怪異であり、犠牲になるものです。まれに怪異が人の世界に生じるんです。まるで、人の世界を許さないといわんばかりに。我々を忘れるなといわんばかりに。しかし、それは所詮、一過性のもの。いずれその怪異は消えて、元のあるべき形に戻ります。でも、その一過性の怪異に見舞われた人々には一大事なんです。なぜなら、訳が分からない事象に見舞われ、平穏が脅かされるんですから」


そう述べた彼女はふと遠い目をして続ける。


「怪異の形は様々です。場合によっては壊滅的な被害をもたらす一方、恩恵的なものをもたらします。呪いや怪物は前者、魔法はどちらにも当てはまります。あなたの場合は、破滅的な物でしたが」


ふと、あの時の記録がぶり返し、吐き気が込み上げるが、我慢する。


「だが、そんな事象が起きるなら、人類が知らないわけがないと思いませんか?でも、知らないんです。知ることが出来ない。それが神秘を遠ざけて今の秩序を創った代償。神秘を無かったことにした以上、記録として貯めておけるわけありません。無いものは、無いんですから。記憶としてならしばらく保持できても、いずれはそれも消えます。あなたの記憶のように」


そこで、疑問に思うことを述べる。


「僕だけじゃない。母の記憶にも異常があった。親父の実家の異変を知らないなんて。いや、それどころか、あの様子じゃあ親父の実家の存在自体、まったく頭になかったぞ」

「それも修正力の一つの結果でしょう。その辺は謎が多いんです。だが、一つはっきりしているのは、人の世界には、怪異の記録を残せないということです」


そう話を続けると、周囲へ手を振る。


「ですが、この図書館は例外です。この図書館設立の詳しい経緯は、私にも分かりません。ここは人と神秘の世界のどちらにも存在しています。この図書館でのみ維持できる特殊な紙に、あったことを残せる。人の世界で書き物を残したところで、消えてしまうというのにね。あと、ふふふ。あなたはここまで来て、不思議に思いませんでしたか?ここはどこなのかと」


そう言われて気が付いた。


「そうだ、外から伺える広さとこの場所の広さが合わない……」

「そうです。なぜなら、ここも異界といえるからです。さっきも言ったように、半分は神秘側ですからね。さて、質問です。そんな特異な場所にあなたが訪問できたのは、偶然でしょうか?もしかしたら、そうかもしれませんが、それよりも理由は、縁によるものだと、私には思えます」


彼女の言葉は、心に沁み、そして抉る。


「縁……?」

「はい。私は前に、おかえりなさいと言いました。そして、あなたはその本の著者名が、自分の名前だとついに確認しました。その本はね、まだ子供であり、怪異の記憶が残り、悪夢に苛まれていたあなたが、昔書いたものなんですよ。覚えていなかったでしょうが」

「僕が……」

「この図書館は、捌け口でもあるんです。この図書館は完全な寄贈によって成り立っています。皆、自分の体験談を残しているんですよ。物語の形でね。消えていく記憶を残しておきたいとね。その理由は様々です。生きた証を残したいとか、誰かに皆がいた事実を残したい等々。あなたもそうでしたね。あなたを救い、ここを教えてくれた魔法使いは、優しい人でした。愛する人達を失い、苦しむあなたを放っておけなかったようです」


彼女は僕の目を見て言葉を続ける。


「知っておくべきだが、知ってはいけない情報。それが神秘。もし、その情報の保持ができ、人の世界に広めることが出来れば、神秘の恩恵をもたらす一方、怪異の発生をもたらす楔にもなる。まあ、それを達成できた人はいません。人の世界に関われる者は限定的であり、制約付きでもありますからね」


彼女は声質を少し変えてきている。話の終わりも近いように感じた。

そして、彼女は厳かに告げる。


「あなたには、二つの選択肢があります。思い出した記憶を再び忘れ、日常に返るか。それとも、思い出したことを契機に、神秘側として生きるか。ちなみにこの図書館は中立ですが、私自身はもう神秘側です。もう人の理には戻れません」


彼女は心なしか寂しげな様子を一瞬見せた。しかし、すぐに元の表情に戻る。


「あなたが再びここに来て、真っ先に自分の書いた本を手に取ったということは、神秘ある世界に引かれるものがあるからじゃないでしょうか。私達は、それを縁と呼び、意味を見出します。因果というものは馬鹿にできませんから。もし、神秘側に来るなら、この図書館を拠点にして下さって結構です。もっと色々教えましょう。本当はある不思議を。でも神秘側に向かうということは、人の世界の縁を絶たざるを得ません。あなたにそれができますか?」

「もう母や友人と会えなくなるという事か」

「将来的には、ですね。向こうもあなたの事を忘れていくでしょう」


彼女は僕に目で問いかける。そうしても構わないほど、あなたにとって神秘は意義ある事なのかと。


「この図書館は不規則に出没します。図書館が移動しているのではなく、空間が作用しているだけですが。いずれはあなたの知る場所からも、なくなります。それがいつになるかは具体的には分かりませんが、あまり時間が残っていないでしょう」


彼女はどう選択するか、考えてみてくださいと告げながら、僕に退出をうながした。


「どうか、あなたにとって幸いな選択でありますように」


玄関前でそういう彼女に対し、僕がこう述べた。


「君の名前を聞いていなかったなあと、君はどのくらい生きてるの?」

「名前ですか。う~ん。人間には発音が難しいんですよね。それに、神秘を知らなければ脳に記憶は出来ず、無駄です。あ、ちなみに年は秘密ですよ。乙女にその質問はいけません」


すかさず彼女はこう返したのだった。

あなたは本当に女性という性別で図れる存在なのか?

こう尋ねたい気持ちを僕は、必死で抑えた。

それは、聞いてはいけない質問のような気がしたからだ。


帰り道、僕はさっきのやりとりを反芻していた。

正直言うと、僕の答えはもう決まっている。

人の世界に残る。色々捨てられないからだ。


それに、僕にとって神秘はいい記憶ではない。ただ、忘れ去られた人々のことが心残りだったのだ。

でも三度、あの図書館に訪れることが出来た時、僕は今の答えを、ずっと維持出来ているだろうか。

なぜなら、手に入れたかったものが、あそこにある気がしてならないからだ。

ああ、もし僕が今の僕を見失い、異なる考えを抱き、決断してしまったらどうしよう。

色々捨てるなんて、薄情な男じゃあないか……。


だから僕は、こう願う。

どうかその時の僕、最善の選択が出来ますように。

何が最善か、変わりませんように。

読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ