4:ここはハーブティーのお店(4)
その日の夜。
子爵邸の居間で、リーニャは兄と妹に今日あった出来事を報告した。
「……というわけで、フェリクス様の花嫁さん探しのお手伝いをすることになりました!」
ぐっと拳を握り、リーニャはやる気に満ちた瞳を兄妹に向ける。けれど、兄妹からは残念な子を見るような視線が返ってきた。
「リーニャ。そこは素直に、彼の求婚を受ければ良かったのに……!」
呆れたような顔でそう口にしたのは、リーニャの兄であるイザークだ。リーニャとよく似た空色の髪をかき回し、小さく唸る。
「あの伯爵家は、本当に裕福なんだぞ。しかも、フェリクス様といえば、王都警邏隊の中でも特に優秀な魔術師だろう? そんな人から求婚されたのに断るなんて……この、うっかりもの!」
「え、フェリクス様が優秀な魔術師? というか、あの、そんなに有名な方なんですか?」
「有名だよ! 逆になんで知らないんだ!」
兄はがしっとリーニャの肩を掴むと、がくがくと揺らす。
「今からでも遅くない! リーニャ、彼の花嫁に立候補するんだ!」
「えええ!」
「良いか、リーニャ。うちは貧乏だ。使用人もろくに雇えず、この通り、とても慎ましい生活をしている!」
そう言った兄の視線の先には古ぼけた棚がある。棚の中はほとんど空っぽ。そのすぐ傍にある窓は汚れて少し曇っており、カーテンは端の方がほつれて糸が飛び出していた。
居間の中央に置かれたテーブルは綺麗に磨かれているものの、その下に敷かれた絨毯の毛はぺたんこ。前はこれ、ふわふわだったのだけど。
まあ、貴族という身分があってもお金がないとこうなるのだ。
「ただでさえリーニャは人見知りのせいで、縁談もなかなか来ないというのに! そんな良い話をなぜ断るんだ!」
「ご、ごめんなさい、イザーク兄様。でも、結婚詐欺だと思ったんです……」
「王都警邏隊の人間が詐欺なんてするわけないだろう!」
そう言われてみれば、確かに王都警邏隊から詐欺を働くような人間が出るなんて考えられない。あの組織はそれくらいきちんとしたところだから。
兄はリーニャの肩から手を離すと、がくりと肩を落として大きなため息をついた。
そんな兄にちらりと目線を向けて、クスッと小さく笑うのは妹のサーシャだ。
「イザーク兄様、お気持ちはよく分かりますわ。でも、そこがリーニャ姉様のお可愛らしいところだと思いますの」
サーシャはくたびれたソファに座り、優雅にハーブティーを飲んでいる。美肌効果のあるジャーマンカモミール、ヒース、ローズヒップのブレンドティー。ふんわりとした優しい花の香りがする一杯だ。
「一日くらい大丈夫だと思って、リーニャ姉様ひとりにお店を任せた私の責任でもありますわ。明日からはまた私もお店に出ますから」
「ああ……そうだな。サーシャ、頼む」
サーシャの言葉に、兄が頷いた。
あのハーブティーのお店は、イザーク、リーニャ、サーシャの子爵家三兄妹が力を合わせて営業している。
兄のイザークは、事務などの総合的な仕事を担当する、頼りになる店長さん。
妹のサーシャは、接客の得意な愛くるしいウエイトレスさんだ。
人見知りのリーニャは、ハーブティーを準備する裏方さんを担当している。今日はたまたまサーシャが店を休んでいたので、珍しく接客までする羽目になっていたけれど、いつもはカウンターの裏の方でのんびりと仕事をしているのだ。
「でも、父様や母様が田舎の領地にいる時で良かったな! この話を二人が聞いたら、残念がって大泣きしてるかも」
「そうですわね……特に母様は悔しがる気がしますわね」
兄と妹が神妙な顔で話すのを、リーニャは眉を下げて聞いていた。
そもそも子爵家が貧乏な理由は、この三兄妹の母にある。元々は裕福な侯爵家の令嬢だった母は、とにかく金遣いが荒い。
彼女が後のことを何も考えず散財したせいで、子爵家はあっという間に貧乏になったのだ。
そんな母なのだけど、家族に対する愛情はたっぷりあるので憎めない。
父のことが好きすぎて押しかけるようにして嫁に来たというし、子どもたちを可愛がりすぎて少しうざがられたりもしている。
その母はいつも、娘たちには「お金持ちの男性と結婚しなさい」と言っていた。
いや、「お金持ちの男性と相思相愛になって、愛も手に入れて結婚しなさい」と。
なんだその無茶ぶりは、と突っ込みたい。そんなうまい話、どこにある。
「まあ、とにかく。リーニャ、サーシャ、どっちでも良いからフェリクス様の心を射止めろ。これはチャンスだ……玉の輿にのる、チャンスなんだ!」
兄がリーニャとサーシャを交互に見ながら、力強く訴えてくる。リーニャは思わずふいっとそっぽを向いて、兄の言葉が聞こえなかったふりをした。
一度断った求婚をどうやって復活させろというのか。
サーシャはというと空色の髪を耳にかけながら、ふうと小さく息を吐いていた。
「私は嫌ですわよ」
「なぜだ! 裕福な伯爵家の嫡男だぞ? 見た目もかなり良いし、仕事もできるエリートだぞ?」
「だって、フェリクス様って……あの『ツンツン魔術師』でしょう?」
サーシャはティーカップの縁を細い指でなぞりつつ、不服そうな声で言った。
「……『ツンツン魔術師』? 何ですか、それ?」
初めて耳にする呼称にリーニャはこてりと首を傾げた。
昼間に会ったばかりのフェリクスの姿を思い出してみる。可愛らしいあの天使は「ツンツン」とは程遠い気がするけれど。
「リーニャ姉様ったら、本当にフェリクス様のことを知らないんですのね。王都警邏隊のエリートについて、ここまで興味のない女性は珍しいですわよ?」
「サーシャは詳しいですものね! さすが私の可愛くて賢い妹です!」
「……褒めても何も出ませんわよ」
と言いつつも、頬を染めて嬉しそうにするサーシャ。何も知らないリーニャに、優しく丁寧にフェリクスのことを教えてくれる。
「フェリクス様は確かに結婚相手として申し分ない方に思えますわね。でも彼は女性の扱いがまるでダメダメですの。なんというか、性格が子どもすぎるのですわ」
「子ども?」
「気に入らないことがあると、すぐにツンツンな態度になるみたいですの。だから、『ツンツン魔術師』と呼ばれるようになったと」
そういえば、フェリクスは「女性の扱い方なんて全然知らなくて」と言っていたような気がする。
たぶん、彼は何人かの花嫁候補を前にして、そのツンツンな態度をとってしまったのだろう。
そしてお断りされた、と。なんて残念な。
「もちろん、そんな彼の態度を受け入れようと頑張るご令嬢もいたそうなんですけど、フェリクス様の方がそのご令嬢を気に入らず、結局、破談に」
「あら、まあ……」
フェリクスの花嫁探し、意外と難航しそうな予感がする。ただ女性を紹介するだけで良いと思っていたけれど、それだけでは駄目かもしれない。
「王都警邏隊には、フェリクス様よりももっと素晴らしい男性がたくさんいらっしゃいますもの。どうせなら、そういう男性を狙った方が良いですわよ」
どうやらサーシャもフェリクスの花嫁になる気はないらしい。リーニャは思わず「うーん」と唸ってしまう。なんか世知辛い。
そんなリーニャを見ながら、サーシャは両手を重ねてにこりと微笑んだ。
「でも、彼に恩を売るのは良いことですわね。花嫁探し、私も協力しますわよ!」




