23:冷たい雨(1)
舞踏会の日から何日も経ち、年末年始の慌ただしさも去った頃のこと。
その日は朝から雨が降っていた。
空はどんよりとした灰色の雲に覆われている。
そういえば、両親のいる小さな領地ではたくさん雪が積もったと聞いた。けれど、王都はその領地よりは温かいようで、雪になる気配は全くなさそうだった。
店の屋根の先からぽたぽたと落ちる雫をぼんやりと見つめ、リーニャは小さく息を吐く。
そんなリーニャの隣に、妹サーシャがそっと寄り添ってきた。
「リーニャ姉様、もうお店を閉めますわよ。お客様もお帰りになりましたし」
「あ、はい。今日もお疲れさまです、サーシャ」
リーニャがにこりと微笑みかけると、サーシャもにこりと微笑み返して頷いた。
今日も一生懸命働いてくれた妹に感謝の気持ちを込めて、リーニャはハーブをブレンドした小瓶へと手を伸ばす。
「今日はデトックスできるハーブティーを入れてあげることにしましょう!」
デトックスとは、体の中の老廃物を排出させることをいう。そして、そのためには肝臓の働きをサポートするのが一番。
小瓶の中には、肝臓の働きを助けてくれるダンディライオンルートとミルクシスル、血液を綺麗にしてくれるネトルが入っている。更に、解毒作用に優れたバードックと胃腸の調子を整えるペパーミントも少しだけ加えていた。
ちなみに、バードックというのはゴボウのこと。苦い香りが強いので、入れすぎないようにするのがポイントだ。
ティーポットの中にブレンドしたハーブを入れ、お湯を注ぐ。すると、茶色の香ばしいハーブティーが出来あがった。
ティーカップにお茶を注いでいると、閉店作業を終えたサーシャが戻ってきて、歓声をあげる。
「今日のハーブティーもとても良い香りがしますわ! うーん、疲れが吹き飛んでいきますわね!」
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。あ、イザーク兄様も呼んできましょう。みんなで一緒に、ちょっと遅めのティータイムです!」
「良いですわね! さすがリーニャ姉様ですわ!」
リーニャはにこりと妹に笑いかけ、店の奥にある小さな部屋で事務作業をしている兄を呼びに行った。
「イザーク兄様、お茶が入りました。一緒に飲みましょう!」
「ん? ああ、ありがとう。すぐ行く」
兄はぱたんと帳簿を閉じると立ち上がり、リーニャと一緒に店の方へと向かう。
「新しい年になってから、少し客が増えたな。雑貨屋さんに入浴剤やポプリを置かせてもらっているだろ? そこからこっちの店に興味を持ってくれた人が、結構いるみたいだ」
「わあ、すごいです! イザーク兄様が頑張って雑貨屋さんと交渉してくださったおかげですね!」
「俺だけじゃなくて、リーニャとサーシャの頑張りがあってこその結果だよ。本当に俺は、優秀で可愛い妹たちを持って幸せだ」
兄はそう言って笑い、リーニャの頭を撫でてくれた。ついでに、妹サーシャのところまで来ると、彼女の頭もぐりぐりと撫でる。
いきなり撫でられたサーシャはきょとんとしていたけれど、すぐにふにゃりと笑った。
兄妹三人仲良く席に着き、リーニャの入れたハーブティーを楽しむ。
「そういえば、今日もツンツン魔術師は顔を見せませんでしたわね。一体どういうおつもりなのかしら?」
「ぶふっ?」
何気なく言うサーシャの言葉に、リーニャは思わず口からお茶を噴き出しそうになった。鼻の奥がツンと痛み、涙目になって咳き込む。
兄が慌ててリーニャの背中をさすってくれた。
舞踏会での出来事は、すべて兄と妹に報告している。
フェリクスと楽しく踊ったこと。
途中で起こったトラブルで、フェリクスが大活躍したこと。
そこで助けた令嬢ルアンナに、フェリクスが求婚されていたこと。
帰りの馬車でフェリクスに告白されたことも、それを断ったことも、全部話した。
まあ、廊下でキス寸前までいったことは、さすがに恥ずかしすぎて言えてないのだけど。
でも、告白を断った後に「諦めない」「口説く」と言われたことは、ちゃんと報告した。
だからなのか、サーシャは最近のフェリクスの行動が不服らしい。
「リーニャ姉様のことを諦めるつもりがない、と言っておきながら、まさかの放置! 信じられませんわ……どんな口説き方をするのか楽しみにしてましたのに! ツンツン魔術師はそういうところがダメダメなんですわ!」
「でもなあ、告白を断られてすぐに復活というのも難しいだろ。まあ、少し様子を見てみよう。ただ、その間にフェリクス様が他のご令嬢に心奪われても文句は言うなよ? 告白を断ったんだから、それは覚悟しないと」
「イザーク兄様、冷たいですわよ!」
サーシャがぷくっと頬を膨らませると、兄は笑ってその膨れた頬をつついた。
ぷひゅ、と間抜けな音がして、サーシャの口から空気が抜ける。
「それはそうと、俺が一番気になっているのは、今のリーニャの気持ちだ。結局リーニャはどうしたいんだ? 今のままだと中途半端すぎて、俺もどうサポートしてやれば良いのか分からない」
兄がハーブティーを口にしながら、視線を寄越してくる。リーニャはなんだか気まずくなって、しょんぼりとうつむいた。
「私も、どうしたら良いか分からないんです……」
フェリクスは、リーニャを諦めることなく、長期戦の覚悟で口説くとまで言ってくれた。そのことは素直に嬉しいと思う。リーニャなんかのどこを気に入ってくれたのかはさっぱり分からないけれど、「好き」と言われて気持ちがぐらついたのは確かだった。
それに、このところフェリクスの顔が見られなくて、とても寂しい思いをしている。以前もこういうことがあったけれど、今回はその時と比べ物にならないくらいに、寂しくて仕方ない。
店のドアベルが鳴るたびに、彼なのではないかと期待をしてしまう。
今日も来てくれなかった、と一日の終わりに泣きそうになる。
だからといって、また警邏隊の詰め所まで行く勇気も出てこない。花嫁になるつもりもないくせに、そんな風に思わせぶりな態度をとるなんて、できない。
会いたいのに、会えない。もう、どうしたら良いのか全然分からない。
じわりと目が熱くなり、視界がにじんだ。ハーブティーの入ったガラス製のティーカップの傍に、ぽたりと雫が落ちていく。
しゃくりあげるリーニャの隣に、サーシャが寄り添ってきた。兄は涙をこぼすリーニャの頭を、慰めるように優しく撫でる。
「リーニャ。やっぱりフェリクス様のことが好きなんだろ? 本当は花嫁になりたいんだろ?」
「だって……私よりも素敵な女性がいるのに、花嫁になんてなれません……」
「リーニャ姉様だって、素敵な女性ですわ! 侯爵家のルアンナ様は、確かに恋敵としては手強いかもしれません。でも、ツンツン魔術師の心はリーニャ姉様のものですし、きっと勝てますわよ!」
「駄目です……自信がないです……」
兄妹にどんなに慰めてもらっても、涙は止まってくれない。
口を開くたびに絶望が押し寄せてきて、胸の奥がズキズキと痛む。
「リーニャの恋敵は、ルアンナ様じゃないみたいだな」
ため息まじりに、兄がぽつりと呟いた。
「リーニャの本当の恋敵は、弱いリーニャ自身だ」
兄の言葉に、リーニャは目を見開いた。
そう、リーニャの恋を邪魔しているのは、リーニャ自身に他ならない。
自信がなくて、すぐに怖じ気づく、そんな弱いリーニャこそが本当の恋敵だった。
初めて見えた真実に、またひとつ、リーニャの目から涙がこぼれ落ちた。
バードック――ゴボウ。日本以外の国では、食用ではなく薬用なんだそうです。
便秘や肌のトラブルに有効。老化防止にも役立つみたいです。
またお星さまが増えていて、びっくりしました! すごくすごく嬉しいです♪
応援、本当にありがとうございます! これからも頑張ります♪




