12:初デートは失敗?(5)
十一月半ばの、ある晴れた日のお昼過ぎのこと。
リーニャとサーシャは、フェリクスの所属する王都警邏隊の詰め所の前にいた。
リーニャは空色の髪を結っているリボンにそっと触れる。白くきらめくそのリボンは、幼い頃に母が買ってくれたもの。品が良くて、リーニャの大のお気に入りのリボンだ。これをつけていると、ほんの少し強くなれる気がする。
「行きますわよ、リーニャ姉様」
サーシャがそう言って、リーニャの手を引いて歩きだした。
警邏隊の詰め所は、灰色の小さな建物の中にあった。入り口には大きめのガラスがはめ込んであって、中で働く人の姿が見える。警邏隊の制服を着た男性が数人、書類仕事をしているようだった。
入り口の前まで来ると、サーシャは扉に手をかけて躊躇なく開け放った。
「あの、ツンツン……じゃないですわね、えっと、フェリクス様はいらっしゃいます?」
書類仕事をしていた警邏隊の人たちの視線が、リーニャたちの方へ向く。
リーニャは慌てて妹の背中の後ろに隠れた。肩にかけた鞄を引き寄せるようにぎゅっと掴んで、身を縮こまらせる。
やっぱり知らない人は苦手だ。
「君は……って、あれ? リーニャちゃん?」
「ひっ!」
自分の名前を呼ばれ、リーニャは驚いて小さく悲鳴をあげた。こんなところに、フェリクス以外の知り合いなんていないはず。一体、どういうことなのか。
恐る恐る妹の背中越しに、その声の主を見てみると。
フェリクスとデートしていた時に会った黒髪の青年が、きょとんとした顔でこちらを見ていた。紅い瞳をまん丸にして、リーニャを見つめている。
「やっぱり! えっと、覚えてないかな? 俺、フェリクスの先輩のミロスラフだよ」
「……あああ、あの、えっと……」
青年に親しげに話し掛けられて、リーニャは混乱した。まさか、自分の顔を覚えられているなんて思ってなかったのだ。
この人、記憶力が良すぎだ。恐い。
がたがた震えながら妹にしがみつくと、妹が動揺した声を出す。
「リ、リーニャ姉様? 急にどうしましたの?」
「サーシャ……」
(あああ、私のせいで、サーシャまで不安になってます! え、でも、どうしたら……)
ミロスラフ以外の警邏隊の人たちが、眉をひそめてこちらを凝視していた。リーニャの背中に嫌な汗が滑り落ちていく。
どうして自分はいつもこうなんだろう。他人と接するのが下手すぎて、本当に情けなくなる。こんな人見知りな自分、大嫌いなのに。
じわりと視界が歪んでいく。やっぱり駄目だ。諦めて、もう帰った方が良いかもしれない。
とその時、後ろから聞き慣れた声がした。
「え、リーニャ? なんで、こんなところに」
反射的に、ぱっと振り返る。
柔らかそうな金の髪。大きく見開かれた翠の瞳。
白地に金の模様のついた王都警邏隊の制服をまとったその人は、まるで天使のような美少年で――。
そう、そこにいたのは間違いなく、リーニャが会いたかった人だった。
「フェリクス様!」
リーニャはぱあっと顔を輝かせて、フェリクスに駆け寄った。久しぶりに見る彼は、以前よりも少し大人びているように感じる。
ここで会えて良かった。すぐに帰らなくて良かった。
嬉しくて、安心して、リーニャはついフェリクスに抱き着きそうになったのだけど。
「ちょっ、リーニャ!」
「リーニャ姉様、駄目ですわよ!」
フェリクスがひらりと避けた上に、サーシャが後ろから捕まえにきたせいで、それは不発に終わった。
惜しい。あと少しで天使をぎゅっとできたのに。
フェリクスがリーニャを警戒するように後ずさる。
「……で、何か用? 僕、仕事中なんだけど」
そのセリフと口調は少しツンツンしていたけれど、それとは裏腹に、彼の表情はどこか嬉しそうに緩んでいた。頬もほんのりと赤く染まっている。
怒っているわけではなさそうだと分かって、リーニャはほっと安堵の息を吐いた。
「今日はフェリクス様にお渡ししたいものがあったので、会いに来たんです。お仕事の邪魔にならないように、お渡ししたらすぐに帰りますね!」
「へ? ……あ、そうなの?」
「はい! えっと、あの、これです!」
リーニャは鞄の中をごそごそと探り、大きな封筒を取り出した。そして、その封筒をフェリクスに向かって差し出す。
「あの、これ、フェリクス様の花嫁さんになってくれそうな女性たちの情報なんです。お店に来てくださっているお客様にも協力してもらって、良い方を探してみたんですよ! あ、ちゃんと女性のみなさんにはフェリクス様に情報を渡しても良いという承諾を得ています。安心してください!」
兄イザークが直前までリーニャの情報も入れろと騒いでいたけれど、さすがにそれは恥ずかしいので抜いておいた。
でも、ここにあるのは本当に素敵な女性の情報ばかり。フェリクスもきっと満足してくれるだろう。
と、そう思っていたのに。
「用はそれだけ?」
フェリクスの頬の赤みがすっと引き、視線をふいと逸らされた。リーニャは何か間違えてしまったのかと急に不安になり、へにょりと眉を下げる。
「それだけ、なんですけど……あの、フェリクス様?」
「そういうの、いらない。持って帰って」
「え? でも、フェリクス様は花嫁さんを探しているんですよね? それに、女性をご紹介するって約束していましたし……」
「確かに花嫁を探してるけど、そういうのは本当にいらない。……僕、もう一度王都の見回りをしてこないといけないから。じゃあね」
「フェリクス様……?」
フェリクスはもうリーニャの方を見てくれなかった。そのまま踵を返して街中に戻ってしまう。その背中が見えなくなって、ようやくリーニャは焦り始めた。
(え、え、何がいけなかったのでしょう? 封筒も受け取ってもらえませんでした……)
封筒を握り締めたまま呆然とするリーニャの前に、すっと大きな手が差し出された。
黒髪の青年ミロスラフの手だ。彼は人懐こそうな笑みを浮かべている。
「それ、俺がフェリクスに渡しておいてあげるよ」
リーニャは迷った。フェリクスに「いらない」と拒否されたのに、この封筒を押し付けて良いものか。そんなことをしたら、もっと怒られてしまうのでは。
リーニャは、フェリクスに嫌われたくなかった。
悩むリーニャに、そっとサーシャが寄り添ってくる。そして、リーニャの持つ封筒を掴んで「私に任せてくださいな」とにこりと微笑んだ。サーシャは自分の鞄から数枚の紙を取り出して、封筒の中に入れる。
「サーシャ? 今の紙は、まさか……」
「もちろんリーニャ姉様の情報ですわよ? これを入れておけば、あのツンツン魔術師は絶対に受け取るはずだって、イザーク兄様が教えてくれましたの」
「……そんなわけ、ないと思いますけど」
やっぱり恥ずかしいので、自分の情報は抜いておこうと封筒に手を伸ばす。けれど、その封筒はサーシャの手からミロスラフへと、華麗に渡されてしまった。
「はい、確かにお預かりしました! フェリクスにはまた改めて連絡させるから、リーニャちゃんは安心して待っていると良いよ!」
イケメンの爽やかな笑み。
もう封筒は返してもらえないと悟り、リーニャは涙目になったのだった。




