10:初デートは失敗?(3)
王都の街の真ん中にある時計塔の鐘が、カランカランと鳴り始めた。
青空に向かってまっすぐに伸びる石造りの塔。その上部に設置されている時計の針は、今、ちょうど十二時を示している。
一分ほどで、その鐘の音は鳴り終わった。
それを確認し、黒髪の青年ミロスラフは残念そうにひとつ息を吐く。
「ああ、仕事に戻らないと。フェリクス、後でデートの報告よろしく」
「嫌だよ」
「そう無下にするなよ。お前、今までデートした女の子みんなに振られてるじゃん。今度は本気なんだろ? 時間がある時にアドバイスしてやるから」
「余計なお世話!」
フェリクスが不機嫌そうにツンと顔を逸らす。先輩相手にそんな態度をとって大丈夫なのかとリーニャがハラハラしていると、その先輩は大して気にしていないとばかりに明るく笑った。
「ま、上手くやれよ、フェリクス。応援してるからな」
ミロスラフは軽く手を振るとそのまま去っていった。その姿が見えなくなってようやく肩の力が抜ける。ほっと息を吐くと、やっと嫌な汗が引いた。
と同時に、リーニャのお腹が元気にぐうう、と鳴いた。
(きゃああ! なんでこんなところでお腹が鳴るのでしょう! あああ、フェリクス様には聞かれてないですよね? ね?)
頬の熱さを感じつつ、そっとフェリクスの顔を見てみる。
すると、フェリクスはリーニャと目が合った途端に噴き出した。
「ぷっ! あはは! そうだね、もうお昼だもんね、お腹すくよね!」
聞かれていた。恥ずかしすぎる。もうお嫁に行けない。
リーニャは真っ赤になってうつむいた。
「おいしいって評判のレストランがあるんだ。そこに行って、何か食べよう」
ぐう! とフェリクスの言葉にリーニャのお腹が返事をした。
またもフェリクスが盛大に噴き出し、リーニャが涙目になったのは言うまでもない。
レストランでの食事は、はっきり言って、緊張のしすぎで味がよく分からなかった。
フェリクスが連れて行ってくれたそのレストランは、いかにも貴族向けの高級な場所で、貧乏令嬢のリーニャにはもったいないくらいのお店だった。
店内はとても綺麗でキラキラしていたし、店員さんたちもすごく所作が上品で丁寧で。まるで別世界に放り込まれたみたいな気分になった。
そんな中にいてもフェリクスは輝いているように見えて、美少年は得だなと思ってしまった。こんなキラキラした場所に馴染むとかすごすぎる。
(……もう、帰りたいです……)
食事が終わった後、レストランから出たリーニャは遠い目をしながら青い空を見上げた。
まだまだ日は高いし、帰るにはまだ早いと思う。けれど、もう限界だった。さて、どうやって帰る意思を伝えようか。
ちらりと隣に立つフェリクスを窺うと、フェリクスが照れ臭そうに頬をかいた。
それから、視線を逸らしつつ、リーニャの方へ手を差し伸べてくる。
「分かってるよ。手、繋ぎたいんでしょ」
いや、帰りたいんだけど。そう口から出そうになったのを何とかこらえ、リーニャはフェリクスの手の上に自分の手を乗せた。
きゅっと優しく握ってくるフェリクスの手は、やっぱり温かくて心地良い。
けれど。
「あの、フェリクス様」
「なに?」
「次はどこに行くのですか? えっと、私、もう……」
特に行きたいところもないし、いろいろ緊張したし、本当に帰りたい。この機会にフェリクスの好みの女性像でも探っておこうと思っていたけれど、それも今は疲れていて無理だ。これ以上はきっと無駄な時間になってしまう。
自分の無能さを心の中で嘆きつつ、フェリクスを見上げてみる。すると、彼はこちらを見ておらず、大通りの向こうをじっと凝視していた。
リーニャも釣られてその方向に視線を向ける。石畳の通りが続くその先に、レンガ造りの大きな建物があった。三階建てのその建物の横には看板がつけられていて、『魔導具ショップ 王都本店』と書いてある。
店の入り口には幟が立っていて、派手な黄色い布地が秋風に揺れていた。その布地には『新作、入荷しました!』という赤い文字が並んでいる。
「リーニャ」
フェリクスの声は少し震えているようだった。リーニャが建物からフェリクスへと視線を戻すと、キラキラと輝く翠の瞳と目が合う。
「デートの時にこういうことを言うと、その、駄目だっていうのは分かってるんだけど」
「へ?」
「魔導具の新作……見に行っても良い? 僕、新作はいつもチェックしてて。秋の新商品フェス、ずっと楽しみにしてたんだ!」
「ふぇす?」
「うん! リーニャ……行っても良いかな?」
へにょりと下げた眉。潤む瞳。小首を傾げるとふわりと揺れてきらめく、柔らかな金色の髪。
とどめとばかりに握っている手をわずかに引かれ、「お願い……」とねだられた。
なんだ、この天使は。こんなの反則ではないか。
じわじわとリーニャの顔に熱が集まる。心臓もばくばく鳴り始めた。
帰りたいのに。本当に、切実に、今すぐ帰ってしまいたいのに。
「……分かりました。見に行きましょうか、魔導具」
「本当? ありがとう、リーニャ!」
フェリクスの顔がぱあっと明るくなったのを目の当たりにして、リーニャの心臓が馬鹿みたいに大きく飛び跳ねた。
(あああ! フェリクス様の美少年っぷりには慣れてきたと思ってましたのに! ここに来て満面の笑みを見せるなんて! もう! もう! こんなの帰れるわけないじゃないですかー!)
今日はいろんなフェリクスを見ている気がする。リーニャは振り回されてばかりで、本当に落ち着く暇がない。
でも。
人の多さに怖じ気づいたリーニャの手を、しっかりと握ってくれたり。
警邏隊の先輩から、守ろうとしてくれたり。
一緒に出掛けたからこそ、フェリクスの良いところをたくさん見ることができた。
これはこれで、ある意味良かったのかもしれない。
「リーニャ、早く行こう! あ、あれ、最新の魔導具だよ!」
フェリクスがぐいぐいとリーニャを引っぱる。まるで小さな子どもみたいだ。
リーニャはなんだかおかしくなって、くすくすと笑ってしまった。
目を輝かせて、店先に並ぶ魔導具を見つめるフェリクス。ひとつひとつじっくり眺めて、気になるものは手に取ってまで観察している。
本当に好きで好きでたまらないという気持ちが溢れているのが、隣にいるとよく分かる。
(私も大好きなハーブや珍しいハーブを見たら、こうなっちゃいますもの。フェリクス様も、同じなのですね……)
ご機嫌な顔をしたフェリクスが、くいくいとリーニャの手を引っぱってくる。
「魔導具は魔法の力が込められた道具のことなんだけど、大まかに二種類あってね。魔術師が道具に魔力を込めて作るパターンと、魔石を道具に埋め込むパターンがあるんだ。この魔導具は魔石を使うパターンだね。魔法封じの枷として使えるものみたい。魔法を使う犯罪者を捕まえる時に役立つかな……ああ、でも魔力の高い魔術師には効果がなさそう。もっと魔石の純度を高めれば……って、聞いてるリーニャ?」
フェリクスは、リーニャに向かって長々と魔導具の説明をしてきた。一生懸命なのがなんだか可愛くて、つい笑みが零れてしまう。
「ふふ、聞いてますよ、フェリクス様」
フェリクスとリーニャの初デート。後は、魔導具をひたすら見ることとなったのだった。
ちなみに、このデートが原因で二人の間に少し距離ができてしまうのだけど――そんなこと、この時の二人はまだ知らない。




