1:ここはハーブティーのお店(1)
王都の街の片隅。
人があまり訪れることのない小さな店で、運命の出逢いは起こった。
「願いを叶えてくれるお店って、ここ?」
澄んだ声でそう尋ねてきたのは、初めてこの店を訪れた少年だった。
店内の明かりの下で、柔らかそうな金色の髪がふわりと揺れてきらめいている。その顔立ちはびっくりするほど整っていて、翠の瞳はまるで宝石みたいに綺麗だった。
年は十代半ばくらいだろうか。
悪い人ではなさそうだ、とリーニャは一瞬気を緩めそうになった。でも、すぐにぶんぶんと首を振り、ぴょこんと飛び上がると涙目で駆けだした。
「ご、ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい、許してください!」
リーニャ、十八歳。この店で働いている貧乏な子爵令嬢。
今は空色の長い髪を耳の下あたりで二つに結い、店の制服を身に着けている。この姿は、いたって普通の店員に見えることだろう。
けれど、とても残念なことに、彼女は極度の人見知りだった。
そう、リーニャは人見知りゆえに初めて見る客に驚き、全力で逃げ出したのだ。
「え、ちょっ、なんで逃げるの?」
「むむむ、無理です! 私に接客なんてできません!」
「ええっ? 店員なのにっ? いや、ちょっと、本気で待って!」
当然のことながら、店員に逃げられるという謎展開に少年の方も驚いた。
小さな店内には他の客も店員もおらず、二人きり。少年はリーニャを逃がすわけにはいかないと、すぐさま追いかける体勢になった。
そして、五分後。
散々逃げ回ったリーニャはとうとう壁際に追い詰められ、身動きが取れなくなっていた。がたがた震えるリーニャの腕を少年が掴む。
「やっと、つかまえた」
「きゃあああ! いやあああ! 助けてえええ!」
「ちょっと、大きな声で騒ぐの止めて。僕が悪いことしてるみたいでしょ」
少年はリーニャを壁に押しつけるようにしながら、小声で注意してきた。耳元で言われたせいで、吐息が軽くリーニャの耳にかかる。
「ひゃん! み、耳……やっ、です……」
「ちょっ、妙な声出すの止めてっ? 僕が変なことしてるみたいでしょっ?」
少年の声が面白いほど裏返る。どうやら相当慌てているらしい。
でも、リーニャだってそんな声を出したくて出したわけではない。それに、さっきから心臓が異常なほどバクバクしているし、なんだか顔も熱いし、おまけに腰が抜けてしまっている。
ずるずると壁にもたれたままリーニャが座り込むと、少年は視線を彷徨わせながら少し後ずさった。
距離があいたおかげで、少年の姿が改めてよく見えるようになる。
(わわ、すごい美少年です! まるで、天使みたい……)
一目見た時から顔立ちが整っているとは思ったけれど、ここまで綺麗な子だったとは。
リーニャは、つい見惚れてしまった。
彼は白地に金の模様のついた、王都警邏隊の制服を身にまとっていた。
きっちりとした襟元に「ジャボ」と呼ばれるひらひらの胸飾り。中に着ている青いベストの胸元のあたりには、すみれ色のキラキラしたバッジがついている。袖の部分には金のボタンが並び、トラウザーズの裾には繊細な刺しゅうが施されていた。
思わず目を引くデザインのこの制服は、男性をよりかっこよく見せると評判のもの。
(王都警邏隊の方をこんなに近くで見るの、初めてです……)
リーニャはいまだドキドキとうるさい胸に手を当てたまま、感嘆の息を吐いた。
王都警邏隊というのは、王都の治安を守る組織のこと。彼らは王都を巡回して犯罪を抑止している。何か事件があれば現場に急行し、犯人を捕らえることもある。
村や町の自警団と違い、主に貴族の男性で構成されているのが特徴だ。優秀な騎士や魔術師が多く所属しており、強く優しい彼らは常にみんなの憧れの的だという。
「あ、あの、警邏隊の方が、なぜ、こんなところに……?」
リーニャが恐る恐る尋ねると、目の前の美少年は不機嫌そうに眉をひそめ、すねたように口を尖らせた。
「警邏隊の人間は来ちゃ駄目なの、この店?」
「ととと、とんでもない! いらっしゃいませ、です……」
ここは王都の一番大きな通りからかなり離れた路地裏に位置する小さな店のため、あまりお客様はやって来ない。来るとしたら、いつもの常連さんばかり。その常連さん相手ならリーニャも一応接客できるのだ。
だから、今日くらいは一人で店番ができると思っていたのだけど。
まさかこんな日に一見さんが現れるなんて、全く予想していなかった。
ああ、なんだか胃が痛くなってきた。リーニャは青ざめた顔をしながらお腹を押さえる。
人見知りが初対面の人間の相手をするというのは、かなり精神的にダメージが来るものなのだ。
薄汚れた床の上に座り込んだまま、リーニャはぷるぷると震えた。
「……そんなに怯えないでよ。別に恐いことなんてしないし」
美少年は呆れたようにため息をつきながらも、リーニャと目線の高さを揃えるようにしゃがみ込む。綺麗な翠の瞳と目が合って、リーニャの心臓がとくんと跳ねた。
美少年にこんな風に見つめられたのなんて、生まれて初めてのことだ。
どぎまぎしながら美少年を見つめ返していると、彼はふと思い出したように口を開いた。
「ああ、そうだ。改めて聞かせてもらうけど」
「は、はい。なんでしょう……」
「願いを叶えてくれるお店って、ここ?」
何と答えたら良いのか分からなくて、リーニャはおろおろと視線を彷徨わせた。
確かにここは、願いを叶えてくれるお店、と呼ばれることもある。
でも、どんな願いでも叶えられるというわけではなくて。
どう説明しようかと戸惑いながら、リーニャは小さな声で答える。
「えっと、あの、ここは単なるハーブティーのお店です……」
ハーブティーというのは、いろいろな効能を持つ植物――ハーブを乾燥させてお茶にしたものだ。手軽に飲むことができて、心や体を癒してくれる。
色や香りが楽しめる上に、不眠や頭痛などの悩みまで解決してくれる優れもの。
この店では、そんなハーブティーをお客様の悩みに応じて提供することにしていた。この店に来てくれるお客様はみんなハーブティーのおかげで心身ともに癒されて、笑顔で帰っていく。
というわけで、健康を取り戻した常連さんが「願いを叶えてくれるお店」と言ってくれるようになったのだ。
「あの、『願いを叶えてくれるお店』とも呼ばれるんですけど、でも」
「ん? よく分からないけど、ここが『願いを叶えてくれるお店』で間違いないんだよね? 僕、どうしても叶えたい願いがあって」
リーニャの説明を最後まで聞かず、美少年はさっさと話を進めようとする。
このままでは困ったことになる、とリーニャは慌てた。
「あ、あの、だから、願いと言われましても」
「僕の願いは、聞いてもらえないの?」
「いえ、そういうわけでは、ないんですけど……」
リーニャの言葉に美少年の顔がぱっと明るくなる。
まずい、と思ったけれど、もう遅かった。
美少年はほんのりと頬を染めながら、へにゃりと可愛い笑顔を見せる。
「良かった。実は僕、できるだけ早く結婚しなきゃいけないんだけど、良い相手がいなくてさ。……というわけで、僕の花嫁になってくれる女の子と出逢わせて!」