三十三話 ジャッジメント
頭上でまたたくのは色とりどりのイルミネーション。その光はまるで夜のしじま(静寂)に輝く星のようで、どこか儚くも美しい。
血と硝煙のかおりが鼻をつく。もたれた背中へ伝わってくるのは獣の体温だ。さきほどよりも少し、冷たい。
ふー、と息を吐くと携帯食料にかじりついた。
うまい。けっして褒められた味ではないが、今はこの上なく旨く感じる。
……タバコが一本欲しいところだ。
残りの携帯食料を全部口におさめると、立ち上がった。
「じゃあな」
返事などない。彼の意識など、とおの昔に旅立っている。
まちがいなく、これまでの人生で一番の強敵だった。
大きな達成感。そして、ほんの少しの喪失感を胸に、私は街の中心部へと足を向けた。
観覧車の横を抜ける。次はフライングカーペット。その次はハンマーで衝撃を競うハイストライカーだ。
やがて、イルミネーションも消えてなくなり、ついには大きな壁へと行き当たる。区画を仕切る外壁だろうか。
見上げるも上部は暗く、先は見えない。だが、天井まで伸びていると推測できる。当然乗り越えることなどできない。
壁に沿って歩く。
いけどもいけども入口らしきところは見えてこない。
これまでどおりなら区画を連結する通路があるはずだが……
ここでふと気がついた。
この壁は直線ではない。やや向こう側へと傾く曲線を描いていることに。
円か! 城壁のように壁で中を囲っているのだ。
間違いない、この先が中心部だ。
ふん、いかにもって感じだな。
この壁の隔たりが民衆との距離感を示しているようだ。
が、悪かない。コイツはある意味、楽できるかもしれない。
えてして外部との精神距離が遠ければ遠いものほど、内に対しては甘くなるもんだ。一度中に入っちまえば、警戒されにくくなる。
まあ、ウィルスの広がり具合にもよるがね。
人間、追い詰められれば本性がでる。仲間意識は自己愛のうらがえし。
他人を愛してるワケじゃない。他人の中にあるおのれの主義がカワイイだけだ。
ハハッ! 感染より先に自滅してるかもな。
いずれにせよ入口を見つけてからだ。
さっさと新しい肉体に乗り換えたいもんだと、さらに壁に沿って進んでいった。
「ボンジュール、マ・フェルム(わが農場)」
見えてきたのは鉄格子の扉。半楕円形にくりぬかれた壁にピッタリとおさまる。
そして中には光源があるのだろう、伸びた鉄格子の影を床へと落とす。
近づいて、そっと中を覗いた。
数十メートル先にはまた壁があり、行く手を阻むように高くそびえている。
二重構造か? このドーナツ状の空間で出入りする人間の選別をおこなっているのだろうか?
鉄格子の扉へ手をかける。
どうやら鍵などはかかっていないようで、意外なほど簡単に開いた。
周囲を見回す。
二つの壁で挟まれた空間には何もなく、ただ木がボツン、ポツンと壁に沿って立っているだけだ。
光源はこの木。葉がオレンジ色に輝き、あたりを照らしている。
なんとも幻想的かつ、奇妙な雰囲気だ。
葉が光る、それだけではない。
ここに来るまで植物など目にしなかった。この石と金属でつくられた街において、場違いとも思える命のシンボルが、奇妙な違和感を生み出しているのだろう。
さて、どうやって中心部に入るかだが……
奥の壁には出入口らしい場所はない。ツルリとした凹凸のない面がつづくのみである。
まさか、また周れってことか? 冗談だろ。右へ左へ弾くのはピンボールの玉だけにしてくれ。
ふっと光がさした。私が奥の壁へと近づいたときだ。
ステンドグラスを通したような柔らかな光が、壁にうつる。
それは赤、青、黄の三原色で、次々と幾何学模様を描いていく。
楕円に丸。四角に三角。大きな三角に小さな三角。そして四角に小さな三角五つ。
なんだ、これは……
――いや、まて。認証だ。
楕円に丸は目。四角に三角は口。大きな三角に小さな三角は鼻で、四角に小さな三角五つが手だ。
網膜、音声、匂い、指紋。それらひとつ、あるいは全部で個人の識別をおこなうのだろう。
ためしに手形を模した図形に左手を重ねてみる。
すると、わずかコンマ数秒後、重ねた手形から光の線が伸び、大きな楕円を描いていった。
ビンゴだ!!
楕円は上半分の半円。直線部分が床へと接地し、扉を連想させるつくりだ。
そして、まるでホログラフであったかのように円内部は、みるみる希薄になっていく。
が、あと少し。ほんの少しで完全に消え去るかと思われた瞬間、像は急速に実体を取り戻していった。
何だ? どうした? 手だけじゃダメなのか?
「アンドレイ君」
とつぜん背後で声がした。
あわてて振り返ると、全身白ずくめの男がいた。
白いスーツに白い帽子。靴さえ真っ白で、ゆいいつ黒い口髭がやけに浮いて見える。
身長は今の私と同程度。武器は見当たらない。
「誰だキサマ」
「おや? 私が分からないと? とぼけても無駄だよアンドレイ君。よくもまあ、おめおめと帰ってこれたもんだ。君には逮捕状が出ている。おとなしくこちらの指示に従ってもらおうか」
ふたたびアンドレイと呼びかけてくる男。
どうやらアンドレイとは私のことらしい。
ノラスコは偽名か、はたまたファミリーネームがアンドレイか。
しかし、コイツいきなり現れて、すいぶんな言い草だな。
ノラスコのやつ何をしでかしたんだ?
ヤツが病院から出ないのはここまで辿りつく自信がないからだと思っていたが、なるほどこれが原因だったか。
チッ、死んでまで面倒をかけるとは、なんとも使えない男だ。
まあいい。私にとっては逮捕なんぞ問題にならん。拘束されても、てきとうなところで誰かに乗り換えちまえば済むことだ。
この黒ヒゲ石膏像には、せいぜい道案内でもしてもらうとするか。
「逮捕ね。メシはでるのかい? なら付け合わせはキャビア――」
「現在司法は機能不全をおこしている。収容しても裁判のメドも立たない。よって、いま私がここで判決をくだす。死刑だ」
この野郎、言葉をかぶせてきやがった。しかも死刑だと。
やるじゃねえか。お役所仕事とは思えないスピード感だ。
「へ~、奇遇だね。こちらもちょうどオタクの罪をさだめたところだ。全身穴だらけの刑だよ。アンドレイ侮辱罪で」
マシンガンの銃口を向ける。もちろん撃つつもりはない。
欲しいのは膠着状態。せっかく会話可能な個体に出会ったんだ。少しでも情報を得られるよう会話を引き延ばしたのち、サイコダイブで体を乗っ取りたい。
突如白い壁が現れた。私の射線を遮るように。
それは厚みこそ感じないものの、絶対的な堅牢さをかもしだす。
何! シールドか!?
急に未来になりやがった。
男のナメくさった態度から何かあるとは思っていたが、コイツは想定外だ。
しかし、むしろ好都合。体ごとその武器を奪ってやる。
タタタタタ!
シールドらしきものに向けて発砲する。
するとやはり、すべての弾丸は貫通どころか傷ひとつさえ付けられずに地面に散らばった。
いいね、最高だ。
その武器こそ私にふさわしい。
背後で何かが輝いた。
振り向くと、壁の表面に無数の光のラインが走っており、扉のごとき形状を描いていた。
それも、ひとつやふたつではない。描かれたのは多数の扉で、すぐに透けて出入口となってしまった。
驚愕した。
出入口にではない。中から巨大な生き物が姿をみせたからだ。
太く、しなやかな四本の脚。上顎から伸びる二本の剣歯は長く鋭い。
全身を覆う黒い毛並みの先端は、緑にふちどられ、波打ち、輝く。
コイツは先ほど倒した獣と同じものだ!
五匹、十匹、二十匹。――いや、もっと。
出入口から出てきた獣たちは、音も立てずに歩くと私の周囲に展開する。
倒すことはもちろん、もはや逃げ場すらない。
「アンドレイ君、鬼ごっこは好きかね? もし逃げ切ることができたなら、君の罪は許されよう」
冗談じゃない!!
ここらが限界か。
サイコダイブ発動!
脳細胞が活性化し、体がジンと熱をもつ。新たなシナプスが生成され、男の脳と結合……
――結合しない! これでは乗り移れない!!
なぜだ、どうして……
獣たちがゆっくりと包囲を狭めてきていた……




