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海の声  作者: 菊池与太
8/10

  ■



 あれは確か、三度目の春。

 この日は寄り道をしていて、祖父母の家に到着したのが、夕方頃になってしまったのだ。

 母に「直ぐに夕ご飯の時間になるから、早く帰ってきてね」と言われていたので、私は全力で、あの入り江に向かって走った。

「……せっかく久しぶりに遊びに来たって言うのに、何を泣いているの」

 そこでは、人魚が初めて出会った時以上に、汚い顔で泣いていた。

 顔はがぴがぴになっていて、それが涙か、潮か、鼻水か、分からない。恐らくは全部だろう。

 彼はえぐえぐとしながら「あれがなくなっちゃったんだ」と言った。

 前髪を抑えて話す彼に、私は一年近く前に行った祭りでの事を思い出した。

 彼の話す所によると、髪留めを手に数日、この入り江で私を待ちながら日向ぼっこをしていたらしい。特に今日はあまりにも素敵な陽気だった。その為にうっかり眠ってしまった。

「そしたら、ゆうちゃんじゃない人間の声がして。僕、びっくりして、慌てて海に飛び込んで逃げたんだ。でも、そしたらお花の髪留めが無い事に気が付いて」

「それで昼間からこの時間まで、ずっと一人で探していたのか?いい歳をして、びぃびぃ泣くなよ」

「泣いて無い!」

「つまんない嘘つくな!」

 私たちは太陽が山の向こうに消えるまで探し続けたが、あの花の髪留めは見つからなかった。

 町からくる春の生暖かい風をひんやりとした潮風が押し返すようにして海面を揺らしている。5時のチャイムは疾うの昔に鳴った。帰ったら、きっと母に叱られることだろう。

 堤防沿いの明かりのおかげで、波際からある程度の深さまでの足元は見えていたが、少し視線を上げれば海の果ては墨汁を零したように真っ黒で何も見えなくなっていた。

 昼間には波の向こうに見えていた小さな島も、頭上で慎ましやかに光る星たちも、境界の無くなった海の果てに飲み込まれて影もない。

 彼は波の当たる岩の影や波間を探しては「見つからない」と情けない声を出して呻いていた。

「あと十分、見つからなかったら私は帰るからな」

 時計が無いから実際の時間は分からないが。

「えぇ…」

「腑抜けた声を出すんじゃない。大体、こんな夜更けにあんな小さなものが見つかるわけがないだろう」

「で、でもぉ」

「でもも、へったくれもあるか。これだけ探しても見つからないのだから、波が持って行ってしまったのだ」

 私がいくらか説き伏せればすぐに飲み込む彼にしては珍しく、「もう少しだけ」と言いながら満ちる波に逆らい、探し続けた。

「あんなモノの為に風邪を引いたら、そっちの方がバカだろう」

 このままでは一晩中でも探し続けそうだと思った私は「どうしても見つからなければ私の持っているヤツをお前にやるよ」と声を掛けた。

「駄目‼」



 夕闇の中。波の音を打ち消すような鋭い声に、私はとても驚いた。

 振り返った視線の先。あいつが子供らしからぬ妙な顔をしていた。涙が引っ込んで、いろいろなものが引き潮と一緒に海の向こうに行ってしまったみたいな、妙ちくりんな顔。

 心の臓に海水が入り込んだのかと思った。

 嗚呼。怒っているのだ。彼は今までになく怒っている。

 どうして?

 幼い私には解らない。

「ゆうちゃんのばか!僕一人で探すもん。ゆうちゃんは帰ればいいよ」

 ドプン。

 尾を翻し、音を立てて海に潜る彼を見送った私に分かる事は、ただ一つ。彼の言葉にどうしようもなく脳が沸騰した事だけだった。

「お前なんか知るかば――――――――――か‼」





「あんまりじゃないか」

 暗い海の中で呟いた言葉は泡となって海面に上り、溶けて行った。

 信じられない。宝物にしようと言ったのは彼女だったのに。

「二人だけの秘密の宝物だ」

 彼女の言葉を抱く様に、それを抱きしめていた。

 君はとても強い人。だから、僕と違ってどこにだって行けてしまえるのだろう。

 海の中で君を待つことしかできない臆病な僕にとって、あれは君と僕をつなぐ大切なモノ。弱い僕が勇気を出して外に出た証だった。

 それだというのに。

 暗闇の中。白波が何かを求めるように砂浜の表面を引っ掻いては、諦めたように暗い海の中に掻き消えていくのを眺め、溜息にならない様に気をつけた息を吐き出した。この砂浜には、よく人間の使っていたモノが波に押し出されて集まっている。

 もしかしたら流れ着いていないだろうか。僅かな希望を胸に、両腕を使って浜へと、這い上がった。

 昼間や、夏の夜ならば人間が居る事もあるが、春の夜、寒さに耐えてまで訪れる人はいない。

 少年は浜に上がった海藻やゴミ、流木を掻き分けて懸命に探して回った。岩陰の小さな穴を覗き込んだり、盛り上がった砂を掘り漁ってみたりもしたが一向に見つかる気配が無かった。

 最初は少女の言葉に「酷い、酷い」と脳を焼いていた怒りも、春の夜風に冷やされると、探し物の見つからない心細さも手伝って黒く重たい後悔に代わり始めてきた。

 ゆうちゃんに酷いことを言ってしまった。もうこの場所に来てくれなかったら、どうしよう。せっかく探すのを手伝ってくれていたのに。でもゆうちゃんだってひどい事を行ったんだ。でもどうしよう、全然見つからない。ゆうちゃんがいなかったら宝物が見つかっても意味が無い。

 その不安は人魚を絞めつけ、心をざらりとさせた。心細い時ほど、一人で居るのは良くない事だ。悪い考えは留まる事を知らず、己の思考と判断力を泥沼に沈めて見えなくしてしまう。

 この泥というのは中々に粘着質でしつこい。抜け出そうと足に力を籠めればさらに沈む。

 深海のように真っ黒な空の下、暗澹たる思いで少年はとうとう己の尾っぽを抱きしめて、動けなくなってしまった。


 どのくらい、そうしていただろうか。

 ふと、持ち上げた視界の隅に光るものを見つけた。

「あれは!」

 波打ち際から離れた堤防の脇、砂から生えた電灯の下に小さく光を反射させるものを見つけた。少年は安心と喜びで一目散にその場所に向かった。

 間違いない、あの髪留めだ!良かった。ちゃんとあった!

 その時、光明が差した。それは電灯の明かりではない。全てが好転する兆しである。

 髪留めは彼女に酷いことを言ってしまったことに対する免罪符となり、それを持って少女に、きちんと謝罪の言葉を述べる事で、後にはまた彼女と楽しい時間を過ごす事が出来る。

 少年は無意識に作り上げた迷信を妄信し、その場所へと盲目的に這い寄った

 そうして少年が手を伸ばした先。そこにあったのは波にもみくちゃにされ、角の取れた淡い空色のシーガラスであった。

「期待した‼やっと見つけたと思ったのに‼」

 持ち上がった気持ちを期待と共に叩き割られた少年は、腹の収まらぬ思いを散々喚き散らし、それでも足りぬ分は、淡い色のガラス片に込めて我武者羅に海へ放り投げた。

 海面を弾く音さえ立てず、ガラス片はどこかに消え、「こんなもの!」と振りかぶった勢いも空しい。

 砕かれた期待が、あんな綺麗なモノになって帰って来るならばそれも構わない。

 だが、残ったのは言葉にならない怒りと、虚無のみである。

 少年は深く溜息を吐いた。冷静に考えれば、波から離れたこんな堤防沿いにまで、流れたものが辿り着くはずが無かったのだ。先程のガラスは、きっと人間の子供に運ばれたか何かで此処に在ったのだろう。電灯に照らされた場所以外の暗闇が一等濃くなった気がした。

「帰ろう」

 只々、無力感によって拉げそうになる両腕に力を込めて海に向かうべく体を捻ったその時。

 強い衝撃が全身を打ち付けた。

「助けて!」 恐ろしさの余りに叫ぼうとして、皮の厚い男の手に抑えられている事に気が付く。

 人間の男だろうか。自分の二倍以上もある巨体が己の身を組み伏せている。

 身を捩る事も、まともに息を吸い込むことも叶わない。

 砂の感触が一等冷たく、全身に恐怖を知らしめた。

「居たぞ!車から早く檻を持ってこい」

 他に仲間が居るらしい男の声が、頭上から降ってくる。

「人魚だ‼」

 その声に弾かれ、尾を振り回した。

 逃げなくちゃ!

「くっそ。ガキの癖に、なんつう力だよ」

 暴れる少年に、覆いかぶさる影が一層の力を込めた。

 少年の鼻息とくぐもった叫び声が、抵抗する力と共に沈み込む。

 コワい!怖い!こわい!コワイ!こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!

 こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!こわい!怖ゐ!こわい!コワイ!

 コワイ!怖ゐ!こわい!コワイ!こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!

 こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!こわい!怖ゐ!こわい!コワイ!

 こわい!コワい!コワい!こわい!コワい!怖い!こわい!コワイ!

 コワい!怖い!こわい!コワイ!こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!

 こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!こわい!怖ゐ!こわい!コワイ!

 コワイ!怖ゐ!こわい!コワイ!こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!

 こわゐ!こわい!コワイ!怖イ!こわい!怖ゐ!こわい!コワイ!

 こわい!コワい!コワい!こわい!コワい!怖い!こわい!コワイ!

 

 ガツン。

 鈍い呻き声と共に男が崩れた。

 苦しい気な息を短く、繰り返し吐き出す声が二つ重なって聞こえた。緩んだ腕と男の下から必死に這い出して見上げた先。そこに居たのは青い顔をしたあの子だった。

「ゆ、ゆうちゃ……」

 彼女は両手で強く握り締めていた、その身に大きすぎる木の棒のようなモノを投げ捨てると、少年に駆け寄った。

「掴まれ!」

 少年の脇に腕を差し込み、まだ男の下にあった下半身を引き抜く様に、引っ張り上げる。

「どうして」と言いかけた少年を抱き上げた彼女は、泣きそうな、引きつった声で、吐き出すように、叫ぶように言った。

「人魚を売るって声が聞こえて」

「もしかしたらって」

「でも」

「私も怖くて」

「助けなきゃって」

 自分より重たい少年を持ち上げきれずに、半分引き摺る様になってしまっていた。

「逃げるんだ!海の中なら、誰もお前を捕まえられない」

 それでも全力で足を動かし、海に向かう。

「海の中で、お前は最強だ」

 少女の目にあった恐怖は既になく、奮い立たんとする勇気が宿っていた。

「大丈夫、私が守るから――」

 それを、彼女の言葉を。鈍い音が横殴りに打ち消した。

 少年を背に、二人はどさりと倒れ込んだ。

 少年は何が起こったのか分からなかった。

「くっそ、まだいってぇ」

「がきにやられてんじゃねぇよ」

「このガキ、殺さなきゃ気が済まねぇ」

「早く行くぞ。時間の無駄だ」

 複数人の恐ろしい大人の声が聞こえる。


 自身の真横に、少女の頭があった。

 自分の頬に、少女の髪が掛かる。

 表情は窺えない。

 只々、赤いモノが沢山。べったりと己の頬を濡らしている。

 何だろうこれ。

 ゆうちゃん重いよ。

 早く一緒に逃げよう。


 どくどくどくどくどく…………

 流れているのは彼女の血か、自分の腹の底にずっとあった、彼女に感化されて忘れていた、人成らざるモノだけが持つ、『何か』か。

 怒りと呼ぶには余りに稚拙であり、憎悪と呼ぶには愛らしすぎる。

 男たちの慌てふためく声が聞こえる。

 人魚はゆっくりとした動きで、彼女の体を支えながら上半身を持ち上げた。

 天を覆う波濤が作る影の下。夜の帳より深い闇の中で、少年の目だけが不可思議な光が宿していた。

 砂浜も、男たちも、堤防沿いに生えた野草も、音も、巨大な波に飲まれる直前。

少年の囁くような声を、白波だけが聞いた。

「次は僕が守るから」



「大丈夫よ。傷は塞いだから、死ぬことは無いわ」

 大粒の生ぬるい滴が頬を濡らした。鈍い頭では、それが自身の頭から流れているモノではなく、あいつ目尻から零れる其れだと気が付くのに時間がかかった。

「額だから、血がいっぱい出ちゃったのね」

 茶目っ気のある話声は誰のモノだろうか。綺麗な声だな、と暢気な事を考えていた。

 女の人だ。諭すような、言い含めるような物言いをしているらしい事は分かったが、内容はまるで頭の中に入ってこない。

「そうね。万が一という事もあるし、知っている事自体が、危険な場合もある」

 ただ、あいつが泣いている事だけが気になった。

 また怒られたのか?

 あいつらに痛い事をされた?

 大丈夫だよ。

 私が守るから。

 あいつの涙を手の平で拭うと、見ているこちらが心細くなる、ビー玉みたいな目が、私を見た。

「記憶に靄を掛けましょう」



  ◇



「……まもる」

 ぼやけた視界の中。伸ばした腕が、涙ぐんだ青年の頬をなぞった。

 目の前の青年は一瞬息を詰まらせ、あのころと変わらないビー玉のような目を大きく見開いた。息の仕方を忘れたかのように口を白々とさせ、真っ青な顔色は、暗がりの中で白くさえ見えた。海崎は大きな氷を飲み込んだような顔をしていた。

「あんた、まさか……」

「その顔、マジで傑作」

「ウケる。殺してやろうかしら」

 余りに真剣な、怯えと恐怖が入り混じった顔をした目の前の青年に、ついふざけた事を言ってしまった。

 思ったよりも体の痛みが少ない。

 段々と意識がはっきりしてきた。海崎の腕の中から見上げると、生い茂った葉桜の向こうに自分たちが突き飛ばされて落ちた石垣の壁が見えた。

「あそこから落ちたのか」

「絶対死んだと思ったわ」

 海崎が……。保がいくらか精気の戻った顔色で呆れ交じりに零す。

 周囲に折れた枝や葉っぱが沢山落ちていた。

 石垣の隙間から生えた木や桜の枝が、クッションになってくれたらしい。

 しかし、外傷の少ない理由がそれだけで無い事は、背中を支える腕が教えていた。

「あっ、まもる! 何で足……」

 海崎の下半身が、人魚のそれに変わっている事に気が付いた途端、今度はこちらが石を飲んだような顔をしていたに違いない。己の不甲斐なさで、頭に血が上る思いがした。

「あいつ等がこっちに向かっているわ」

 反射的に跳ね起きた……腰を強く掴んだのは、低い所から伸ばされた青年の腕だった。

「あんた一人で逃げるのよ」

「何を言い出すんだ」

「そんな怖い顔をしないで頂戴」

「腕を離せ」

「私はこの足よ。一緒に行けないわ」

「腕を離せ」

「私は足手纏いにしかならない」

「私が全員、ぶちのめせばいい」

 腰を引く、服の皺が深くなった。

「理解の無い子ね。向こうは殺す気で来ているのよ」

 その腕を振り払おうと、己の腕に力を込めた。

「危機感が無さ過ぎよ!」

 切り裂く様な声に振り返り、後悔をした。

「あんたって、本当に信じられない‼」

 胸が詰まるような必死さで、海崎は腕を伸ばし、私の胸倉を掴んだ。

「危機管理どうなってんのよ!さっきもあの男達に襲われて何かあったらどうするつもりだったの。仲間が居たらとか考えなかったわけ?危なかったら逃げなさいよ!怪我してからじゃ遅いんだから。もう小学生でもないのだから解るでしょう」

 真正面から捕えて離さない、割れたビー玉のような目が、痛い。

「あんたは100%命の保証がされた、漫画のヒーローじゃない」

 嗚呼、これは……

「自分を大切にできない奴は嫌いだわ」

 懇願だ。

 語気を強めて叫ぶ海崎の腕には、紅い擦り傷が沢山ついていた。

「そんなの」

 嫌だ。けど、なら……。

 どうしたら良いんだよ。

 遠く闇の向こうから、自分たちを探す声が迫ってきていた。

 考えが纏まらないまま、海崎の腕を振り払いそこなった右腕が、振り子のように後ろに落ちて、何か細いモノを押しずらした。反射的に目を向けると、胡瓜をたわわに纏う、支柱だった。

 そうか、教員駐車場の裏手は畑であったか。

「閃いたぁっ‼」

「はぁ!?」

 海崎が素っ頓狂な声を上げた。

 私は海崎が動けないにも関わらず「待ってろ!」と言い残し、畑の端に全速力で向かった。

 後ろから混乱と疑問符を飛ばす海崎に説明をしている暇はない。

 目当てのモノを発見すると、私はそれのハンドルを握り、海崎の真横に停車させた。

「ゆうちゃ……あんた其れっ」

 阿呆な顔をして、海崎は薄い車体を指さした。私はそれを無視し、背中と尾の真ん中を両手で抱え上げて、無理やり乗車をさせる。「きゃあ」と悲鳴を上げる彼を、紳士的にエスコートする余裕は無かった。乗り切らなかった尾はどうしようもない。

 私は渾身の力と気合を込めて発車した。

「一輪車じゃない!」

「まもる、落ちるなよ」

 これだけガコガコと音を立てながら発車をさせたのだから、気づかれない筈も無い。

 海崎の悲鳴も居場所を知らせる要因になった。

「居たぞ!」「あそこだっ」迫り来る声に、汗が滲む。

 意外と安定感の無い一輪車は、人魚を運ぶのに不向きである事を初めて知った。ちょっとした段差や小石を踏むたびに車体がガッコンと音を立て、バランスが崩れそうになる。辛うじて道が下り坂である事が幸いであった。

「ちょっと!安全運転をしなさいよっ。振動が全部伝って怖いのよ」

「うるせぇ、お前が重いんだ!」

「失礼ね!」

「ンで、何処に逃げよう?」

「嘘でしょ、ノープラン!?」

「後ろから声がするぅ」

 あまりの緊張で、何か喋っていないと、気がおかしくなりそうだった。迫る声が段々と大きくなっているのが分かる。分かれ道も無いのだから、当たり前と言えば至極真っ当その通り。向こうは身軽で、暗がりとはいえ分かれ道も無い一本道、ガコガコ爆音を立てる一輪車を追えばいいのだから。

 対してこちらは、不安定な一輪車にしがみ付くしかない、人魚を引き連れての不安全運転。

 道の脇に茂る木々が、迫りくる男たちの腕となって、覆い被さって来るようだった。

 このままでは逃げ切れない。

 それは海崎も予感している事だろう。

 何か打開策は。抜け道は。逃げ道は。何か、何か、何か、なにか、なにか!


 「――――――――…………         」

 その時、確かに私は聞いた。


 ふと、視線の端。生垣のように並ぶ低木の間に、獣道を見つけた。

 昼間でも見逃しそうな雑草だらけの道だ。道と呼べるかも怪しい。

 私は脊髄反射。ハンドルを切り、勢いをつけた。

 旋回をした瞬間に、何かを察したのだろう。海崎は抱き着く様に、一輪車の縁へしがみ付いた。

 我々は体当たりも同然に、草木の中へ突っ込んだ。

 海崎の悲鳴が、枝や葉っぱを弾く音に混ざって、飛ぶ。

「痛い!痛い!どうしてこんな逃げにくい方へ…… 「 声 」

 海崎の抗議を遮って私は、それを聞き逃さないように気をつけながら、短く答えた。


「海の声が聞こえた」

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