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海の声  作者: 菊池与太
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 ■



 浮かれた陽気に似合わない、陰気な声のする岩陰を覗くと、同じ年頃の少年が顔をくちゃくちゃにして泣いていた。あまりにも見事な泣きっぷりに暫く眺めてみると、ビー玉のような目がぶつかった。

「大丈夫か」

「ひゃあ⁉」

 少女の様な悲鳴だ。

 少年は身を固めて「な、に、にん……ンでこんな所に」と、口をあぐあぐさせた。焦りの為に音は言葉にならず、吐く息は苦しげだ。大粒の涙はポンプのように押し出されては、溢れて止まらない。見るに堪えない。

 しゃがみ込んで目線を合わせる。服の裾で乱暴に少年の目尻を抑えると、熱いモノが染み込んだ。

「何か悲しい事もあったのか?」

「……」

 少年は、視線を落として口を縛ろうとしたが、気道を塞ぐ不安に耐え切れなかったのだろう。息苦しさの余りに、ゆっくりと、閊えたモノを吐き出し始めた。きっと、誰でもいいから話を聞いて欲しかったのだ。

 人間であっても構わなかったのだ。

「僕、兄弟がいるんだ」

 ぽつり。ぽつりと。

「兄弟がいっぱい居て。それで、上の兄さま達が苛めるんだ」

 聞いてくれる人が欲しかった。

「僕を……『成り損ないの人魚』だって苛めるんだ」

 せっかく拭った涙が、また溢れた。

「兄さまや父上は『男の人魚ならば台風の海のように強く、荒々しくあれ』って言うんだ。『お前もそうあれ』って。でも僕。母様や姉さまの様な。優しくて、綺麗な人魚になりたいのに……。それじゃあダメだって怒られて」

 少年は嗚咽を堪えながら、一生懸命に話した。

「僕、兄さま達みたいになれないよ。でも、このままじゃ、大きくなっても一人前の人魚だって認めてもらえない」

「ならなくていいじゃん」

「え?」

「ならなくていいじゃん」

 聞こえていなかった訳ではない。

 只、少年が長く思い悩んだモノに、あっさりとした答えを告げる人間が信じられなかった。

 だって、そうだろう。その答えは。

 あまりに簡潔すぎる。

 少年の思いを余所に、少女は解説を付けた。

「母ちゃんや姉ちゃんみたいな人魚になりたいんだろう?じゃあ、なればいいじゃん。あたしのお母さんは『成りたい自分に成ればいいのよ』って言ってたもん。そんな風に言われてさ、成りたくも無いもの目指すなんて、つまんないだろ」

「で、でも‼認められないと、一人前の人魚に馴れないんだよ⁉」

 叫ぶようにして反論をした少年に、人間は心底不思議そうな顔をした。

「認められないと、お前は『自分』に成れないのか?」

 溢れ続けていた少年の涙が、止まった。

「何で?」

 何でも何も、僕は一人前の人魚にならなくちゃ……

「そんなに綺麗な尻尾と鰭を持っているくせに、人魚で無いというなら、何だって云うんだ」

 人間は眉根を寄せて「変な奴だなぁ」と言った。

「だって、お前はお前だろ」

 少年は何か言おうとしていたが、何を言おうとしたのか分からなくなってしまった。人間の黒くて、真っ直ぐ過ぎる目を見たら言える事は何もなく、その口から出た言葉が全てであるような気がした。

 頭の中で絡まった糸を、解かずに掴んで、ゴミ箱に入れられたみたいだ。あっという間の所作に、止める手も間に合わない。茫然とゴミ箱を覗くのみ。

 人間から「ぐうぅ」と腹の虫が鳴き、そのごみ箱さえも蹴飛ばされてしまった。

 目を丸くした少年を意にも返さず、「朝ごはんが、まだだった」と言って、人間は立ち上がった。

「それじゃあ私は帰るが、あんまり泣くなよ。目玉が落っこちるぞ」

「ばいばい」と手を振る人間に、少年は発した本人さえも驚く程に大きな声で、「あのっ!」と呼び止めた。

「まっ、またお話しできる?」

 人間は少し驚いた顔をしたが「うん」と返事をした。

「春休みの間はばぁちゃんの所に泊るからな。又来るよ」

 それから、人間は度々海岸を訪れては、人魚の少年に会いにやって来た。

 二人は木陰に隠れては、他愛のない話をした。浅瀬でシーガラスを拾ったり、近くで咲いている花を摘んでは遊んだ。

 急かさずとも散るのに、大粒の雨粒が花を散らす頃。人間は「またな」と言って、人魚と小指を絡ませた。

 人間は律義であった。

 夏には一緒に波打ち際で戯れた。

 凍てつく冬には昇る朝日を共に見た。

 そうして、二度目の春。人間と人魚は変わらずに、逢瀬を重ねていた。人間は夏休みや冬休み等、大きな休みがある度に祖父母の家に泊っては人魚を尋ねていたので、二人はすっかり仲の良い友人になっていた。

 ある日、人間が言った。

「今度、祭りがあるだろう。その日こっちに来るんだ。お前も陸地を自由に歩けたら、一緒に祭りを見て回れるのに」



  ◇



「最近怪しい人影が見られるようです。祭りも近いし、部活で帰りの遅くなる人も居るでしょう。気を付けてください。なるべく一人で暗い場所を通る事の無いように」

 次の日のHRで岩谷先生がそんな事を言った。

 不穏な話題にクラスはざわついたが、見たこともない不審人物に対して平和ボケした田舎の高校生が危機感を持つことは難しい。実感の湧かない不穏は、祭りを知らせる太鼓の音に掻き消された。

 いつもより早く雨の気配が遠のき、夏の気配を孕み始めた町では、祭りに向けての準備が各所で行われている。商店街では赤い提灯が鈴なりとなって蜘蛛の糸のように町を覆い、その明かりが町民に熱を灯していた。いつも恐い顔をした魚屋は向かいの食堂の女将と楽しそうにちらし寿司を作る算段をしているし、クリーニング屋は盆踊りをする地元の小学生たちの為に法被を綺麗にして用意していた。

 その熱は校内にも広がっており、クラスメイトの殆どは部活の片手間に出店の準備や、備品などの段取りを相談するために忙しなく職員室や生徒会室を出入りしている。ボランティア等で近くの老人会と催し物を考えているらしい生徒もいるらしく、色とりどりのポスターが学校にも商店街にも公民館にもベッタベタと貼られていた。

 祭りの前日。湊音高等学校の二年生は午後から祭りの準備に駆り出されていた。幾つかの班に分かれて、祭りのメインとなる大通り沿いの神社の掃除やテントの設置。提灯だ、ホットプレートだ、長机だ。あっちへえっちら、こっちへおっちら。東奔西走、ダサジャージを身に纏い、働きアリさえも感服する勤労ぶりであった。

 かく言う私もその中の一匹。せかせかと働き、自分に割り当てられた仕事がひと段落した頃には、作業が終わった者から順番に学校に戻る雰囲気が出てきていた。ちらほらと談笑をしながら校舎に向かって歩き出す生徒が見える。自分もそろそろ戻ろうか、何か手伝うべきか。考えていると、資材の入った段ボールの山向こうに不自然な影を見た。

 どうやら小学生らしい。後ろ髪を赤いのゴムで二つに縛った彼女は、麦わら帽子を目深に被り、注意深く辺りを窺う。どうやらこちらには気が付いていないようで、ふぅっと息をつくと、生い茂る藪の中へずんずんと入っていった。小さな両手には体格に合わない重たそうな剣先シャベル。その瞳は大いなる野望が滲み、その風格は大剣を持つ歴戦の戦士かRPGの冒険者のようだ。

 面白そうなので付いて行ってみる事にした。


 

「何をしているんだ」

「うあ!?」

 歩いて暫く、声を掛けると少女は肩を跳ねさせて大振りのシャベルを落として後ずさった。落としたシャベルが少女の足を打っていないかと心配になったが、どうやら無事らしい。

「大丈夫か?」

「お姉さん、何者?どうしてこんな山の中にいるの?」

 少女は警戒した猫のような目をしながら「この私に気配を感づかせないなんて」と呟いて、麦わら帽子のつばを押さえた。

 面白そうな子だな。

「ふっふっふ、私が何者かなどと些細な事。そういう君こそ何者だ」

「知らない人に名前を教えちゃダメって言われているから教えない」

「成程。君は賢いな」

「知っている」

 とても面白そうな子だ。

 取り敢えずに、互いの間に落ちたシャベルを拾い上げてやると、その下に折りたたまれたノートの端、どうやら手描きの地図のようだった。神社に赤丸が付いている。

「殿様の宝を探しに来たのか」

「ど、どうしてそれを!?」

「どうしてもこうしても……」

 地図を落としたことに気が付いていないのか、大きなリアクションが可愛らしい。

 不審人物の噂も聞こえる中、年端いかない少女の大冒険を見過ごすことは出来ない。

 が、期待に膨らんだ少女の飽くなき探求心をピンクッションにすることも忍びない。

 私は少し考えてから、大仰に言った。

「我々人魚の間でもこのお宝の話は有名だからな」

 少女は頬を紅潮させ、瞳は星を散らさんばかりに輝く。良心は少しも傷まなかった。



 我々は宝探しをすべく、藪の中をガサゴソ掻き分けて探索を開始した。

 あまりにも動きづらそうだったので、シャベルは私が装備する。

 少女は珠川歩と名乗った。

「昔話にあった山って、鳴海山の事でしょう。それでね、お城跡に建てられた湊音高校から一番近い神社はここだけなの」

「つまり、この周辺に件の洞窟がある筈と……。君は現代のホームズだなぁ」

 膝を打つ私に、少女はにんまりとした。

 我々お宝捜索探検隊2名は隠された洞穴の、そのまた奥深くに隠されている宝物を探すべく、ずんどこ、どこどこ歩いた。

 翠陰の遊ぶ山道は存外に快適で、初夏の日差しを遮った山林を、涼しい風が通り抜けていく。新鮮な山の空気は、私たちの冒険心を更に膨らませた。

 だが期待とは裏腹に、どれほど歩いても、それらしい洞窟を見つけることは出来なかった。ちょっとした窪地や木の洞はあっても、お宝が隠されているような深さではない。

「なかなか見つからないものだなぁ」

「ここもハズレだよ、お姉さん」

「むぅ……。確かに、簡単に見つかっては非常用の経路としては失格だろうしなぁ」

「もしかしたら、殿様たちが居なくなった後に海の神様がお宝を隠してしまったのかも」

 幾ら山の空気が快適とは云え、山道を小一時間も歩いていれば疲労もたまる。

 我々は近くの木の根に腰を下ろした。

「おねぇさんは人魚でしょ?海の匂いとか気配って分からないの?」

「人魚で無いから分からないなぁ」とは言えない。

「残念ながら」

 歩は「そっかぁ」と呟いて持参してきたらしい水筒の口を開けて、こぷこぷと喉を潤した。

 私もボランティアの際に貰ったペットボトルのお茶を呷る。

 ふと、ペットボトルの底で、ゆがんだ景色の中に動く影を見た。

 ペットボトルを口から離して見ても、鬱蒼と茂る木々以外に何もない。

 誰か人が居たかのと思ったが。

「あ、おねぇさん。こんな所に猫がいる」

「んぁ?」

 歩が指さす方へ首を回すと、見覚えのある猫が居た。

「ありゃ。あいつは爺さんが連れていた猫じゃないか」

「おねぇさんの知り合い?」

「喉をゴロゴロ言わせた仲さ。君も宝探しかい」

 猫に尋ねると、猫はゆらりと尻尾を振り、ひと声「にやぁ」と答えた。

「ご苦労さんだな」

「おねぇさん、猫とお喋りができるの?」

 歩が目を丸くして聞いてきた。

「人魚だからな」

「猫に食べられちゃったりしないの?」

「猫も人魚より猫缶の方がうまい事を知っているのさ」

 歩は「成程」と言いながら、水筒を両手で持ち、そわそわした。そうして意を決したように水筒のひもを肩に掛けると、猫を撫でるべく手を伸ばした。

 しかし猫は、伸ばされた手をするりと抜けると、8時の方向へと小走りに逃げてしまった。

「あれま」

 私は猫の気ままさに微笑ましい気持ちになった。不覚にも和んでしまった。

 ……それがいけなかった。

「猫さん待って!」と言って、歩が走り出してしまったのだ。

「なにぃ⁉」

 突発的な行動に、初動が遅れた。

 止める間もなく、歩が猫を追いかけて走り始めてしまった。隊員に怪我があっては、お宝捜索探検隊、年長者として失格。親御さんに合わせる顔が無いというもの!

 彼女を追いかけて私も走ることとなってしまった。

「ちょ、待てって。歩!まだ蓋を閉めてないっ」

 最早、走り始めた歩の耳に私の声は届かない。

 猫は一度こちらを振り返ると、立ち止まることなく軽い身のこなしで駆けて行く。

 猫が止まらないので、猫を追いかける歩も止まらない。仕様がないので私も止まれない。

 木立の中、足を挫かない様に気を付けて走る。

 そうして猫と歩が飛び込んでいった 茂みを抜けると、開けた場所に出た。

 突然切り替わった風景にぽかんとしたものの、ハッと辺りを見渡すとすぐ近くに少女の背中を見つけた。

 彼女は汗だくの額もそのままに、猫の背中を撫でまわしている。

 私は一人と一匹がようやく立ち止まったことにホッとし、改めて周囲を見回した。

「なんだ。元の場所に戻って来たらしい」

 境内には既に同じジャージ姿の人間はなく、数人の大人たちが搬入作業や打ち合わせ、提灯の虫食いなどを点検していた。

「あ、そういえばシャベルをどこかに置いて来てしまったな」



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