09
「ごめん……」
屋上で気を失って、1時間下後に、央は屋上で目を覚ました。
そこには心配そうにこちらを見ている2人が目に入る。
央はひどく狼狽しているらしい茅に、起きてすぐにそう言った。
「大丈夫か、央」
「俺、タオル持ってきますね」
そう言って央の額から冷たくしたタオルを取って、飛竜がかけていく。
いつの間に飛竜が来たのだろうと央は関係のないことを思っていた。
「大丈夫か?悪かったな。俺はお前が初めてコンタクトつけるから怖いだけだと思ってたんだ」
央は何も言わなかった。
ただ、次の言葉を言うか言うまいかを考えている。
茅はいい人だ。だから、自分の過去を言ってもいい人だと思ってはいる。
だが、言うのを怖いと思う自分もいるのだ。
「あんなに、怯えるなんて、思わなくて。ただ俺は、眼が見えないのが不便なら、見えるようにすりゃいいのにと思って」
「ありがとう、ごめんね」
気持ちは嬉しい。でも、央はコンタクトと眼鏡。両方怖いのだ。
怖いから、矯正できる目を、矯正しようとしなかった。
「お前が、いつも怯えてるから。怯える元を取ろうとした、んだけどな」
殻笑いをして、茅が無理に笑った。
けれど、どうせ央にはそれさえも見えていなくて。
恐らく雰囲気で茅が後悔しているのを分かってしまっているのだろう。
「茅」
「でも、俺としてはお前にもっと世界を見てほしいって言うか、その、……」
うまく言葉が出ない。
それだけで、央はふっと笑ってしまった。
ここまで、央のことを考えてくれる人が、いただろうか。
央の目が見えないことを知っているのは、限られた人だけ。
その限られた人たちは、央がどうしてそうなってしまったのか知っている。
だから、コンタクトも眼鏡もしなくていいという。
見えないなんて、大した障害ではない。そう言って。
でも、実は央は見たかった。
きれいな景色も、人の顔も。音だけに頼るのではなく、きちんと目でみたいと思ったことがある。
それを、わかってくれたのではないか?
茅は、それを受けとってくれたのではないか。そう思えてならなかった。
「お前、前に夕日が見てみたいって言ってただろ。なら、見せてやろうと思って…」
「ごめん」
「別に、俺は」
「コンタクトも、眼鏡も、怖い」
「怖くても、見たいんじゃないのかよ」
夕日が見てみたい。そう言った時、央が寂しそうな顔をしていたから。
それなら、見せてあげようと思ってくれていたのだ。
どうしてだか、それが嬉しいと感じてしまう。
「なぁ、もう一回つけてみねぇ?」
「え?でも、あの……」
「今度は自分でつけてみろ。何回失敗してもいいからよ」
いつも通りの不遜な言い方で茅がいう。
央は、その言葉に賛成はできなかった。
「あの、もう」
「お前、見たいんだろ」
視線がこっちに向いているのがわかる。その視線に、央ははっとした。
全て、ばれている。
央は別に自分を悲観などしていない。けれど、やはり世界を見てみたいと思っていることを、茅は感じ取っているのだ。
だから、ここまで食い下がってくる。
「でも、また、あんなこと……」
「言っただろ、何回失敗しても怒りゃしねぇよ」
「でも……」
「お前は、見たくないのか?」
きっとここで見たくないと言えば、茅は無理強いしないだろう。
ただそうかと言って、あきらめてくれる。
だが、はたしてそれでいいのだろうか。
目の前に、自分がやってみたいことがあるのに、その手段があるのに。
諦めていいのか?
茅はそう問うてくる。央はその言葉に揺れていた。
世界を見てみたい。そう思うけれど、怖い。
怖い感情に流されて、今まで一回もしていなかったこと。
恐怖の方が勝っている。けれど、彼が言ってくれたのだ。
『俺がやってやる』と。それなら、やっているのは、あの人ではなく、茅。
それなら、信じていけるかもしれない。
央は頷いた。
「大丈夫だ、央」
そう言って、茅が新しいコンタクトを開けて、見える位置に差し出してくる。
びくっと央の肩が大きく揺れた。
「大丈夫、できる」
びくっと肩が大きく揺れるたび、茅はそう言って央の前で笑う。
そして、先ほどは振り払われた手も、その時は動かなかった。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
やってるのは自分で、眼の前にいるのは茅だ。
そう言って安心させてくれる声に、央はひどく安心した。
「ほら、央。できたじゃねぇか」
そう言って、一度目を閉じていた央は、眼を開ける。
少しだけ離れた茅が、そこで笑っていた。
全てがクリアによく見える。
霞んでいた、歪んでいた央の世界が、きれいに晴れ上がって行く。
驚いて、央はまた眼をつぶる。
そのたびに、茅が寄ってきては慰めてくれた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
ここには怖いものなどないから。
その声に安心して、その日、央は何年ぶりになるか分からないほどに、夕陽を見られたのであった。