07
「悪かった」
そうポツリと言われた言葉。
先程の大丈夫かよりも、よほど寂しそうな声で、やはり央にはどう声をかけていいか分からなかった。
ただ、一言も口を出せず、動きだせず、固まったまま。
そんな央を見た茅は、一瞬だけ央に見えていないから弱音を吐きだすことにした。
悲しそうに顔をゆがめる。
央は雰囲気で彼が寂しくて、悲しいのだと察せられる。
央がそれを受けとって、声を出そうとしたときだった。
不意に温かい何かが央の全身を包む。
抱きしめられたのだと気づいた時には、央の目の前が真っ暗になっていた。
「あ、あの、あの……」
「すまん。怖かったろ」
怖かった?その言葉を聞いて、やっと央は理解した。
言葉が出せなかったのも、動けなかったのも、茅が寂しそうにしているせいではなかった。
そう、怖かったのだ。
央は一般人で、暴力団にああやってからまれるのも初めてだった。
怖くないわけがない。
「こ、わかっ……た」
央の体が震えだす。
いつもの肩をびくっとさせるしぐさではなく、本当に震えていた。
その央を茅は抱きしめ直す。
大丈夫、もう大丈夫。
口では言ってやれない。自分だって暴力団なのだから、言ったとしても無駄だ。
だけれど、わかってほしかった。
あいつらと自分は違うのだと。自分はあいつらと違って、央に危害を加えようとはしないということを。
わかってほしかった。
そして、それはきちんと央に伝わっていたのだ。
次第に震えは止まり、落ち着いてきた。
「すまんな、あいつらには飛竜がたっぷりやってくれると思うから」
むしろ、嬉々として今頃やっているに違いない。
飛竜は好戦的だから、戦うのは大好きなのだ。
「やって、って……」
「この学校で悲鳴が聞こえたら、ほとんどあいつが関わってるぞ?」
きょとんと茅がそう返す。そう、茅に危害が起きなくても、飛竜は自ら火種に飛び込む事が好きだ。
それ茅も止めようとはしないから、悲鳴が聞こえる所に飛竜ありと言われるようになったのである。
飛竜の噂は、ほとんど噂ではなく真実だ。
「つ、強い、の?」
「俺より弱いけどな」
現実、今まで茅は飛竜に負けたことはない。
お付きとして身をわきまえているわけではなく、本当に茅の方が強いのだ。
茅はほとんどお付きなんて必要ないぐらいなのだが、いても別に支障はない。
「そ、う、です、か」
央が少しだけ緊張を解いた。
先程までこわばっていた面影は、もうない。
「悪かったな。本当に」
「別に、あなたが悪いわけでは」
央は先ほどの彼らの行動を本能で感じ取っていた。
あれは、茅の地位に憧れてその地位にあやかりたい人たちの集まり。
茅のことは一切考えられていない、茅について回る権力や地位にひかれただけ。
それが、何故だか央には許せなかった。
だから、最初の平手打ちにも応じたのだ。
自分は知っている。
茅があぁみえてとても優しいこと。
ぶっきらぼうのくせに、面白がるくせに、根本的には優しいのだ。
央の目を、同情するのでもなく、悲観するのでもなく、差別するのでもなく。
ただ、受け入れてくれる。受け入れた上で、央が大変だということは先にやってくれたりする。
音に敏感な自分のために、最近は大声や怒鳴り声は出さないし、何かを探しているとこれかと言って持ってきてくれた。
そんな、ぶっきらぼうに隠れた優しさに、央はきちんと気づいていたのだ。
だから、許せなかった。
あんなに優しい人のことを、権力だとか、地位が高いとしか考えていない彼らに。
茅が誰もそばに置かない理由が、央には分った気がしたのだ。
飛竜はたいてい面白がっているが、きちんと茅という人物を見ている。
央も、最初は茅が怖いものでしかなかったが、それも茅が暴力団だからというよりは、声が大きい方にとられていた。
「なぁ、いい加減俺の名前よばねぇ?」
「え?」
「だから、俺の名前。知らないなんて言わねぇだろ」
由月茅。それが彼の名前だけれども。
そう言えば、央はまだ一回も彼の名前を呼んだことがないことに気づく。
少しだけ、不機嫌そうに茅がそう言ってから、やっと気づいたが。
「由月、くん?」
「茅。俺の名前は由月じゃねぇよ」
「茅、くん?」
「くんはいらねぇよ。つけるな。寒気がする」
それは、呼び捨てにしろとそういうことだろうか。いや、そういうことなのだろう。
央は今まで呼び捨てで呼んだことがある人はいない。
茅が、初めてだった。
「ち、がや」
呼び捨てにして呼んでみる。
すると、茅の雰囲気が優しいものに変わった。
恐らく、見えないが、微笑んでいるのだろう。
「これからは、そう呼べよ」
「う、ん」
茅。もう一度呼んでみると、今度は笑っているようだった。
央がそう呼ぶだけで、茅が嬉しくなる、笑ってくれる。
それが、何故だか央は嬉しくて。
今度からはきちんと呼ぶように、心の中で何回も茅と呼んだ。
「茅」
「なんだ?」
「明日のお弁当、何がいい?」
関わりあいになりたくないと、そう思っていた。
けれど、今は関わっていこうと思う。
優しさをくれた、彼に。
自分が関わりたいと、そう願うから。