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「央が消えた?」
次の日、病院に行くと央がいなかった。
『ちょっと、ケリをつけてきます』
そう書かれた、紙を残して。
その紙を読んだ瞬間、茅は走り去ってしまった。
「お久しぶりです」
そう言って、央はその女の前に立った。
「な、何よ!何の用よ!」
女とは昨日会ったばかりだったが、こうして会うのは実ははじめてなんではないだろうか。
書置きしてきたが、おそらく病院では大事になっているだろう。
そしてすぐに茅が飛んできてくれる。
それも央にはわかっていた。
だけど、これは自分がしなければいけないことだ。
「何の用よ。私に用はないわよ」
昔住んでいたアパートの一室。
女はまだそこに住んでいたらしい。
なんとなく懐かしい感じがするが、どこか小さく見えた。
それは、この女にも言えることだ。
昔はあれだけ大きくて怖かったのに。
今は自分の成長もあってか、小さい。
「あなたに用はなくても、私はあるんです」
バンッと後ろで音がした。
おそらく、茅が到着したのだろう。
こちらはけがをしていた関係もあって、ゆっくりと来たからすぐに追いつかれるとは思っていた。
茅がこちらにやってくる。
そして、央が無事なことを目で確かめて、ほっとしたようだった。
「今日は、あなたに話があって来たんです」
「は、なし、ですって?話すことなんてないわよ!」
「私にはあります」
央は女の目を見て、そう言った。
今日こそ、この顔の使い時だろう。
一般人に怖がられる、この顔の。
「私は、あなたに愛されたかった。ずっと、ずっと、愛されたかったんです」
央の言葉に、女は嗤った。
いつまでそんな幻想を抱いているのだろう。
「でも、小さい私にはどうすればいいのかわからなくて、あなたが楽しそうに私を殴りつけから、痛いけど、我慢していた。あなたが笑っているところを、私はそこでしか見たことがなかったから、だから私は怖かったけど、おとなしく殴られていた」
「央、帰るぞ」
そう言って、茅が央を連れて行こうとする。
一瞬傷に触って痛いという顔をしたら、茅はすぐに離してくれた。
それをいいことに、央は続ける。
「痛いと言ったら、あなたは喜んでいましたよね?あれしか、あなたの笑顔は見たことがなかった」
「何が言いたいのよ!」
「あなたに愛されたかった。けど、それ以上にあなたが怖かった、という話です」
「だから、何が!」
そう言って女が座っているところにあったものが飛んでくる。
おはし、箸置き、ティッシュ、等々。
茅がいちいちそれを叩き落としてくれた。
器用だ。
「私はずっとあなたが怖かった。怖くて怖くて仕方なくて。お父さんに連れ出された日からもずっとうなされたり、怖がったり。ずっと、ずっと怖かった。昨日までは」
ピクリと女と茅の耳が動いた。
茅は一瞬の事だったけれど、それでも動いた。
女は楽しそうに央を見て言う。
「それじゃぁ、今は怖くないっていうの?」
「全然、と言ったら嘘になる。小さい時からの洗脳はきっとなかなか取れないから。昔の私には誰もいなかった。あなた以外は、誰も」
だから愛されたかった。
父親はいたけれど、ほとんどあったことはなく。
女だけが央の世界だったから、愛されたかった。
愛されて、ぬくもりを分け与えてほしかった。
けれど。
「けど、今は違う。私には心配で駆けつけてくれる両親がいる。心配してあなたを殴ってくれる友人がいる」
茅が一瞬曇った顔をした。
どうしてそんな顔をするのだろう。
昨日の言い方だけでは足りなかっただろうか。
「それに、何より私の事を考えて、守ってくれる茅がいる」
きゅっと、央が茅の手を握る。
茅は驚いたように央を見て、そしてふっと笑って握り返してくれた。
それが、力になる。
「だから、私も茅とみんなを守る。茅が守るものを私も一緒に守る」
それが、昨日虐待を受けているときに思った央の思いだった。
茅の守っているもの、後月会を含めて、自分も守る。
自分が足かせになってはいけない。
そう思ったから。
だから、ケリをつけに来た。
「もう、二度とあなたの事をママとは呼ばない。だから、あなたも二度と私に接触しないで」
「そんなこと、言っていいと思っているの!!」
「私はもうあなたのおもちゃじゃない。おもちゃになる気もない」
「こ、の」
「今後、私や後月会に何かしたら、私が黙っていません。6代目の姐である私が」
央が女をにらみつける。
今まで、央にそんなことをされたことがない女は、その言葉と顔に何も言えなくなった。
「一人でケンカ売る気があるなら、別にいつでも売ってこいよ。ただし、その時はお前の命はないと思えよ」
彼女のバックについていた極道は、今日5代目が話をつけに行っているはず。
本来なら、後月会の敵ではないその極道が、5代目の申しつけを断るということはない。
なぜなら、その時が彼らの最後だからだ。
何があっても5代目は、そこをつぶしにかかるだろう。
だから、この女にもはやバックなどない。
「だいたい、ケンカを売るんなら、自分のバックと俺たちの差をきちんとわかっておくんだったな」
茅がそう言う。
それぐらい、格が違うのだ。
つぶそうとすればいつでもつぶせる極道の組織と、極道の中でもトップ格の後月会。
最初から、勝負は決まっている。
「私の言いたいこと、わかっていただけますね?」
央はそう言って念を押した。
女は、コクコクと顔を縦に振り、降参の意思を告げる。
それが、央と実母の一生の別れだった。
ねぇ、もう愛してくれなくていい。
あなたの愛に期待はしていない。
だから、一生近づかないで。
それが、私があなたに最後にできる、あなたへの温情だから。
もし、次があればその時は。
あなたの最後の時だと後悔させてやる。
本気でそう持っているから。
だからどうか、一生近づかないで。
さようなら、一度も私を愛してくれなかった人。
これが、私ができる最後の温情。




