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「央、遅かったな」
央に与えられた客室の前で茅が待っていた。
央の姿が見えた瞬間、こちらへとやってくる。
「うん、香絵さんとお話していたから」
「香絵と?」
とりあえず、外で話していても仕方がないので、中に入るように促す。
茅は先に央を入れて、自分も入ってきた。
「ねぇ、茅。正直に話してくれる?」
「なんだよ」
「香絵さんの事、好き?」
央の問いに、茅は瞠目した。
しかしすぐに茅は食って掛かってくる。
「俺は、お前のことが好きだと言ったはずだ」
「あぁ、違うよ。恋情じゃなくて愛情として。家族愛っていうのかな?」
沈黙は、肯定だ。
茅は沈黙を持って、その問いに答える。
家族愛。言われてみればそういうのだろう。
姉として、とても頼れる人で、優しくて、わがままもいっぱい聞いてくれて、でも間違っていることはすぐに叱ってくれて。
香絵は本当に姉のようだった。
一人っ子で、年の近い友達も組員もいなかった茅にとっては、香絵がその当時は一番だったのだ。
自分が裏切ってしまう、その時まで。
「きっとね、香絵さんも茅の事が大好きだよ」
「そんなこと!」
裏切った人間を、好きだというやつなんていないだろう。
自分は間違っていた。それがわかっている分、茅はそう思うのだ。
「ううん。香絵さんは茅のことも飛竜君の事もとても大切にしている。私にはわかる」
「央」
「だから、きちんと考えてみて。私の事を考えてくれたように、今日の夜一日かけてでも。次に香絵さんが来る前までに、きちんと答えを出してあげて」
央はそう言って笑った。
央にそう言われたのが、一週間前。
香絵は今日来ると言っていた。
だから、茅は覚悟を決めることにした。
「何しに来た」
「婚約者に向かっての言葉とは思えませんわね」
「お前は俺の婚約者じゃない」
「まぁ、まだあきらめてなかったのですか?」
「あきらめる以前の問題なんだろ。お前にとっては」
茅がそういうと、香絵は少しだけ面白そうな顔をした。
央に出された宿題を、茅はきちんと考えていた。
考えていたら、この答えにしかどうしてもたどり着けなかった。
「何のことでしょう?」
「お前は、俺のことが嫌いなんだろ?だから、婚約者って言うんだ」
辛そうに、きっと自分は辛そうな顔をしたいに決まっている。
けれど、その顔をしてはいけないと茅はそう思った。
「何のことでしょう」
「香絵、俺はお前の本音が知りたいんだ」
彼女の本音。
いつだって、彼女は自分を隠してきた。
それが、彼女がやらないといけないことだったから。
自分を殺して、そして組のため、会のため、そして茅のために頑張ってくれた。
「嫌いです。大嫌い」
その言葉を聞いて、安心したのは茅のほうだった。
好きだと言われたら、それこそもう何もできまい。
「よくお気づきになられましたね。そうです。私はあなたが嫌いです」
「なんで、俺の婚約者を名乗ったんだ」
「あなたが、考えている通りでしょう」
「俺のため?嫌いな俺のためにそこまでやったのか!」
香絵が自分の婚約者を名乗ったら、他の人は手出しができない。
そんな状況を、彼女は嫌いな自分のためにやったとでもいうのか。
「香絵、俺は」
「私は、5代目とその姐さんが大好きです」
「香絵、聞いてくれ、俺は」
「まだ、迷っておられますか」
まっすぐに、香絵の瞳が茅をとらえる。
その目は、茅の思っていることが正解であると暗に告げていた。
「あなたがそんな態度だったら、好きな人一人守れませんよ」
「守る。あいつは絶対に守る」
「それを聞いて安心いたしました」
「でも、香絵は!」
「二頭追う者一頭も得ず。私は大丈夫ですから。それよりせいせいします。やっと解放される」
それはそうなのだ。
自分は、6代目としては、一番に守らないといけないのは央だ。
決して、香絵ではない。
でも大丈夫と言われようと、心配なことは心配だ。
今から香絵がすることは、危険でしかないのだから。
それでも、それでもやらないといけない。
これ以上、香絵の思いを踏みにじってはいけない。
だから、だから。
「香絵、お前との婚約を破談にする。その前に央のことを認めてくれ」
そう言って、茅は香絵を手放した。




