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「今日のご飯はなんですかな?」
最近、央を見たらそう言ってくれる人が増えた。
これは年嵩の組員もそうだったし、年が近いもしくは年下の組員もそうだった。
その外見から、堅気には無視されまくっていた央だが、極道の人たちは怖がる様子はない。
そして、料理だけではなく内面も認めようとしてくれている。
それが、なんだかくすぐったい。
もちろん、まだ央の事をよく思っていない組員もいる。
だが、それは少なくなってきているのは事実。
前なら配膳のお盆を持っていようが、段差に気づかずこけようが。
誰も冷めた目で見るだけで、助けようとも声をかけようともしなかったが。
今では、お盆を持っていたら誰かがドアを開けてくれたりするようになった。
――――つまり、宇月組の中では結構友好的な人が増えている。
「今日は、コロッケです」
「ほほぉ、綺麗に揚げてある」
「ありがとうございます」
年嵩の組員は、本当に優しい。
自分が子供と同じぐらい、もしくは自分の子供はもう大きくなってしまった人たちだから、どうやら央がかわいいらしい。
息子しかいなかった年嵩の組員が特に娘みたいに接せられる央を気に入っていた。
もちろん、リルも同様の理由で気に入られている。
「央、料理終わったのか?」
そういって、茅が現れると隣にいた組員は「では」と言って去って行った。
きちんと、去り際も心得ている。
「うん、終わったよ」
「今日は、コロッケか?」
「うん、ジャガイモの」
たわいない話をしながら、お盆を持っていこうとすると、茅に奪われた。
どうやら、持ってくれるつもりらしい。
こういう、さりげない優しさを見て、央は茅に笑顔を向ける。
うん、ほほえましい情景だ。
実は、この場面は最近度々宇月組で見られるようになり、そして実は年嵩の組員や友好的になった組員たちが隠れて見ていたりもする。
いつも同じ時間帯で繰り広げられるので、この時間の前になると皆ところどころに集まってくるのだ。
今日もいつも通り、ここはどこだと言いたくなる雰囲気が広がった。
隠れて見ている組員たちも心なしかほんわりとする。
いつもなら、ここで2人仲良く歩いていくところであった。
だが、今日は少し違うらしい。
「若っ」
そう言って走ってくるのは、今日の門番のうちの一人だ。
門番は2人いて、ずっと門番をしているものと誰かが来たと呼びに来る人がいる。
今回来たのは、後者の方で。
若と呼ばれたら、ここでは茅以外に該当する人はいない。
茅はさきほどの顔からがらりと変わって、来た門番を不機嫌そうに見た。
「なんだ」
「若、あの、今しがた、か、香絵お嬢が」
香絵お嬢って誰だろう。
央がそう思って茅を見ると、茅は不機嫌そうな顔ではなく、驚愕した顔をしていた。
「香絵が?」
「へい、その、若に会いたいと」
「なんで」
茅が焦っている。
何を焦っているのだろう。
央はそう思ったが、その思いはすぐにはれる。
「まぁ、ずいぶんとひどいことをおっしゃいますね。あなたの婚約者に」
くすっと笑って門番の後ろをゆっくりと歩いてきたのは、美女であった。
ふんわりとした黒い髪、薄く化粧しただけでも十分な白い肌、すらりとした体躯。
すべて、央が持っていないもの。
そんな美女が、目の前に現れて、そして茅の婚約者だといった。
婚約者?
「婚約者なんて、思ってねぇくせに」
「あら、どうしてそう思われましたの?」
にこりと笑う笑顔も美女の特徴なのだろうか。
邪気などないというかのようにきれいに笑う。
「お前は一度だって俺の婚約者だなんて思ったことねぇくせにっ」
そう言って、茅が走り去る。
なんなんだ?
央が美女に見とれている間に、茅はそう言って走り去ってしまった。
取り残された央は、一体何が起こったのか本気でわからなかった。
「こんにちは。堅気のお嬢さん」
自分よりもずっとお嬢様に見える目の前の美女にお嬢さんと呼ばれ、央は居心地が悪そうに顔をそむけた。
自分は決してお嬢さんと呼ばれるような見た目ではない。
言われ慣れていないのも手伝って、なんだか気恥ずかしかった。
「堅気は挨拶もきちんとこなせないのね」
くすっと美女が妖艶に笑った。
その笑い方も、いちいちきれいなのだからすごいと思う。
「あ、初めまして。遊部 央です」
「あなたって、バカなの?」
「え?」
美女の口からそんな言葉が出る。
美女は心底バカにしたような顔で、口調で、央に言葉を投げかける。
「私は花水 香絵。後月会分家頭六木組組長の娘。後月会では一番位の高い女で、茅様の婚約者よ」
美女がいう事に、央は頭がついていかなかった。
後月会、分家頭、六木組、組長の娘。
美女は続ける。
「私がなぜここに来たかわかるでしょう?まったく、茅様も何を勘違いして堅気なんかを姐にするといったかはわからないけれど。あなたでは役不足なのよ」
ニコリとまた美女が笑う。
もう、央は何も考えられなかった。
彼女の笑顔が、頭を支配して、何も考えられない。
「あなたも茅様の勘違いに惑わされていないで、さっさとここを出ていくことね」
笑顔が頭を支配する。
その笑顔は、本当に笑顔なのか。
そんな問いを、央に残して。
「香絵?香絵じゃないか」
「5代目、お久しぶりです」
久しぶりだと、5代目は笑顔を見せた。
香絵も同じく笑顔を向ける。
「央ちゃん、どうした?」
「え……?」
5代目の言葉にやっと央の思考が戻ってくる。
そしてパッと下を向くと、そこにはキツネ色をした楕円形の者が床に落ちている。
それは先ほど茅に持ってもらっていたコロッケに相違なく。
「コロッケ、作り直し」
「あらあら、堅気はそんなこともできませんのね」
クスリと香絵が笑う。
後で5代目が止める声が聞こえた。
だが、央の耳にはその笑顔だけが残っていた。




