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「やぁ、はじめまして。茅の父親です」
ニコリと茅がしない笑みでその人は央を見た。
ぱっと見、茅とは似ていない。
どちらかといえば、この笑顔は飛竜に似ている。
「いきなりごめんね。だが、空いている時間が今しかなくて」
にこにこと笑うこの人は、本気で笑っていないことがわかる。
素人でも、初めて会う自分にもそう思えるぐらいだから、本当の気持ちなのだとわかる。
「遊部 央さんだね?最近茅と付き合いだしたっていう」
茅と付き合いだしたのは、ほんの2日ほど前なのだが。
茅が自分から言いふらすことはないと思うので、おそらく調べたのだろう。
組の誰かがお前に接触を図るかもしれない。怖くなったら、すぐに逃げろ。
そう茅に言われたが。
何故だろう、目の前にいる人から逃げてはいけない気がするのは。
そして、自分に全く逃げる気がないのは。
央と茅の父親が会ったのは、この喫茶店の前だ。
買い物をしようと外へ出かけた央に、この人は友好的に話しかけてきた。
そして、話に乗せられ、この喫茶店で2人でお茶をしている状態だ。
何を言われたのか、はっきりとは覚えていない。
「え、と。あの」
「ふうん、茅もけっこう物好きなんだな。まぁ、美人かと言われたらそうかもしれないかもしれないと思うぐらいだが」
はっきり、言ったらどうだろうか。央は自分の顔が美人に入らないことは知っている。
茅は時折、かわいいなんて言うが、それは茅の惚れた欲目というやつだ。
央は別に美人系でもかわいい系でもない。怖い系だ。
「まぁ、姐は顔で選ぶものでもないしな」
なぜか勝手に一人問答をしている。
目の前に央がいるのに、気にはしないらしい。
こういうところは、茅と血のつながりがあるっぽい。
「まぁ、あまり話す時間もさけないからね。単刀直入に言おう。茅と別れてくれ」
「え?」
「茅はあの通りの性格だからね。自分の言ったことは一度決めたら二度と曲げようとしない。どういうわけか、あの子は君と付き合うのをやめようとしない。だから、君から言ってほしいんだよ。茅は、君の言う事なら聞くだろう」
何を言われているのか、あまりよくわからなかった。
あまりよくわからないことを言うのも、この家系の特徴なのだろうか。
いや、そういう事を考えている場合ではないのだが。
考えている間に、茅の父親は続ける。
「あの子は、次期6代目。5代目である私の跡取りだ。しかるべき家柄の娘と結婚させる。
もちろん、堅気ではない、娘だ」
つまり、堅気である自分は茅にはふさわしくない。
そう言われているのだろうか。
ドラマでこういう場面を見たことは何度もある。
あまりドラマを見ないが、見た中では何度かあった。
その主人公であるヒロインは、一体なんと言っていたっけ?
「私が、堅気だから、だから、駄目なんですか?」
極道じゃないから。
それだけの理由で、央は名乗りさえもあげられないのだろうか。
茅の父親を見ると、まだにこにこと食えない笑顔で笑っていた。
「堅気だからというか。堅気だから、落としたくない。こちら側に入れたくないというのは理由だね」
「じゃぁ、私が極道になったら、別にいいってことですか?」
どうやって極道になるなんて、知らないけれど。
でも、そんなことではないような気もした。
何故だろう、試されている気がする。
「茅は次期6代目だ。あいつはそれだけで危険なんだよ。そんなところに堅気を突っ込んでしまったら、さらに危険は上がる」
「それは、私が危険だという事ですか?」
おや、茅の父親が少しだけ眉を上げる。
それは些細な変化すぎたので、央には見えない。
「そうだね。君が危険だね。茅が守ってやらないと、何もできない君は」
「あの、堅気が駄目なのでしょうか。それとも、私が駄目なのでしょうか」
父親は笑みを崩さない。
この笑みを崩さないと、大切なものはどこかへと言ってしまうような気がする。
ちりちりと央の心臓が痛む。
が、央はそんなものを気にしていられなかった。
「君は、賢いね」
「え?」
いきなりの話題転換に、央はついていけない。
が、その人はついていけない央を置いてどこまでも進んでいく。
「そこまでわかってるんだろう?賢い子は好きだが、それだからと言って茅の姐にはできないね」
「あのー」
「茅は、しかるべき御嬢さんを姐にする。それは決まっていることだ。覆すことは君では不可能なんだ。いいかい?茅はきっと君を離さないだろう。それが、どんなに危険か、賢い君ならわかるだろう?」
この人は何が言いたいんだろうか。
全く要領を得ない。
「茅には、君の幸せを願えとそう言っておいたよ。今頃きっと悩んでいるはずだ」
「いえ、悩んでなんかいないと思います」
ん?まだ笑みはくずせないが、首を傾げられた。
央は不思議だった。
どうしてこんなに自分は落ち着いているのだろう。
今、目の前にいる人は普段ならとても怖がって近づきたくも関わりたくもない人。
この辺りの極道のトップ、後月会5代目だ。
なのに、どうしてかわからない。
この人を見ても、怖いと思わない。むしろ、この笑みを崩さないといけないと思っている。
試されているから、それを破ってやりたいと、そう思っている。
いや、そうしなければいけないのだと、心が警告を出す。
どうして?
「悩んでいたら、昨日も今日も、茅が私のところに寄ってくるわけがない」
「そうかい?」
「言ったじゃないですか。茅は一度言ったことは二度と曲げようとしないって。それって、曲げようとしないから、私のところに来てくれるってことですよね?」
こんなに言葉がすらすらと出ることだって、不思議だ。
いつも、おどおどして、周りを気にしているのに、周りがまったく気にならない。
「そうかもしれないね」
「いえ、そうなんです。だって、茅は私の事を好きだと言ってくれた。守ってくれるって、そう言いました」
「言ったから、なんなんだい?」
「茅は、私に誓ってくれました。ずっとそばにいるって、私が茅を信頼できるまで、傍にいてくれるって」
そう言ってから、央は何かが変だと思った。その変は、目の前の人が変なのではない。
自分が今言ったことが変なのだ。
「君は、君が幸せになりたいと思わないのかい?堅気なんだから、そこらへんに幸せなんてあるし、極道やるよりよほど幸せにはあふれていると思うけれど」
「それじゃぁ、茅はどうするんです?」
「茅はこちらがきちんと責任を持って幸せにしてやる。だから、君は心配しなくて」
「そんなの、茅の幸せじゃない!」
央が大声を出して立ち上がったのを、今度こそ笑みをせずに5代目は見た。
何故だろう、勝ったと思ったのは。
「私は茅と会って、まだ数週間です。だから、茅の事わかってるなんて豪語できない。
けど、わかってない私にだって、これだけは言える。幸せにしてもらう幸せなんて、茅の幸せにはなりません」
いつも自分勝手で、人の話は聞かないし、一人にしてほしいと思ってもずっとそばに張り付くし、高飛車で、傲慢で。
どうしようもない茅を知っている。
けれど、もう一方で自分勝手なりの茅の不器用な優しさ。
人の話を聞かないくせに、大切な気持ちはきちんと汲みとってくれる優しさ。
一人にしてほしいと持っていていても傍に張り付いて、大丈夫だと慰めてくれる優しさ。
傲慢で、高飛車だけど、決して央の事を放っておかない優しさ。
央は彼のいろんな優しさを知っている。
プライドの高い彼が、人に幸せにしてもらうなんて考えを持ったのは、きっと央だけ。
人に何かをしてもらうことに慣れていないプライドの高い彼が、そんなことを許すのは、
――――央だけだ。
どうしてかわからない。
けれど、央にはそう言える自信があった。
「なんとでもするよ。まぁ、私の命令だと言えば従うだろうが」
「あなたは、茅を不幸にしたいなんて考えてらっしゃらないと思います」
「もちろん。跡取りと言っても、その前に息子だ。幸せになってほしいと思っているよ」
「そして、その幸せには私がいなきゃいけないとも、わかっていらっしゃる」
「うーん、それはどうだろう?」
また先ほどの笑みに変わった。
だが、その笑みがもう崩れているのだと。
その笑みが、温かみを帯びてきているのだと。
央は知っていた。
「私は、茅を幸せにしたいです」
はっきり、信頼しているなんてまだ思えないけれど。
でも、信用だけじゃないこの信じている気持はきっと信頼なのだろう。
人を恐れている自分がいまだにはびこって素直になれないだけで、きっと央はあの時にはもう茅を信頼していたのだ。
素直に、今ならそう思う。
「私は茅君が好きです。茅君を支えたいとそう思います」
「そうかい」
「はい。だから、あきらめてください。そして教えてください」
ニコリと央がほほ笑んだ。
そのほほえみはしたことがなかったけれど、きっといつも以上にきちんと笑えていると思う。
「私が教えると思うかい?」
「はい、もちろん。あなたにとっては意味のない言葉を並べ立てて、私に決断を迫ったあなたなら」
ふふっと5代目は笑った。
茅が大人の目をした。
5代目が何度言っても、お付が何度言っても、自覚しなかった彼。
その彼が、大人の目をした。
それは、絶対に央という存在ができたからこそ。
央がその存在になってくれたから、お付の言葉に触発された。
すべて央のおかげ。
茅と央の報告は、茅のお付からずっと報告されていたことで。
それを聞いているだけでも、5代目は嬉しかった。
茅が人を大切にする気持ちを学んでくれる。大人の目をしてくれる。
それがどんなに嬉しいことか。
きっと、央と茅にはわからないだろう。
「遊部 央さん」
「はい」
「君に覚悟はあるかい?極道に入る覚悟は」
「正直、極道に入ってうまくいくことは難しいとは思います。けれど、私は誰よりなにより、傍で茅を支えたいと、そう思います。その覚悟は、あります」
「そうか」
にこりと、今度は暖かい笑顔で5代目は笑った。
それは、本当に嬉しいのだとわかる笑顔だった。




